ビーズの腕輪と白織のリボン
傘祭りの前に、ウィームではお決まりの行事がある。
それは、傘祭りの時に傘に危害を加えられないようにする為の、災厄避けのビーズの腕輪を贈り合うことだ。
それは特に手の込んだものではなく、一連のシンプルなビーズの腕輪になる。
両端をくるりと輪にしてリボンを通し、そのリボンで手首に巻き付けるのだ。
リボンがひらひらして邪魔にも思えるが、謂うところの祭事の装束のようなものなので、利便性の高さは二の次なのだろう。
そして今年、ネアはそのビーズの腕輪担当に就任した。
魔物の婚約騒ぎから咎竜の事件まで、何かと迷惑をかけているのでそのお詫びも含めて、身の回りの人々の腕輪を引き受けたのだ。
「一つの腕輪の色の系統は揃えること。そして、リボンの色は自由なのですね」
実はこの腕輪、中々に材料集めが難しい。
ビーズは災厄避けのまじないが必要であるし、リボンもただのリボンではいけない。
この腕輪のリボンは、きちんと祝福を得たリボンを使う必要があるのだ。
リボンに込められた祝福の大きさが密かに競われ、淡い色のリボンは毎年大人気だ。
祝福を受ける以上、リボンは色の貴賎の影響を受けるので、白に近い色合いは希少である。
なので、リボンの色合いはほぼ決まっていた。
「ディノ、白織のリボンを使います!」
「いいよ、手配しよう」
白織のリボンは、白に微かな艶感として滲むくらいの淡い色彩の糸を混ぜた、リボンの特等である。
魔物や精霊の中でも高階位の顧客の為だけに、この白織のリボンを織る専門職の者がいる。
そんなことを洒落者のアルテアから聞いていたので、ネアは躊躇なくそのリボンを指名した。
こんな機会でもない限り、部外者に白を持たせることは難しい。
白を得るということは最大級の祝福と牽制になるのだから、ここで魔物を使わずして、一体いつ使うのだろう。
「リボンはディノの負担です。祝福も、ディノがかけて下さいね」
「………ネア以外にも?」
「そうです。今回の品は、所謂お詫びの品でもありますから」
「…………ネア以外に」
「そしてビーズは私が購入しますね。ここはやはり無難に皆さんの瞳の色でしょうか」
魔物は少しごねたが、ネアの狡猾な作戦を前にあえなく敗退した。
「…………祝福か」
「きちんとお仕事をした暁には、私とディノだけ、腕輪を交換しましょうか。皆さんはそれぞれの瞳の色のものですが、ここだけお互いの色のものをつけるのです」
「………やる」
最近魔物の好みそうなものがわかってきたので、いささか扱い易くなってきた。
「そして腕輪を贈る日は、お返しに白い紙袋に入った砂糖菓子を貰えるのです!」
「もしかして、それが欲しかったのもあるのかな」
「………ま、まさかそんな私利私欲にまみれた動機ではありません!」
「ご主人様………」
そして、腕輪用のビーズも仕入れてきた。
ビーズはこの時期沢山売られるものなので、まずはリノアールで基本的な色を揃え、帰りがけにアクス商会で、各腕輪に二、三粒仕込む高級ビーズを買い足し、最終的にはリーエンベルクにも備蓄があるビーズも使った。
エーダリアは鳶色に揃うように、ヒルドは青緑、グラストは茶色から琥珀色で、ゼノーシュの綺麗な檸檬色。
ダリルには蛍光色めいた青と、ディノには鮮やかな発色の紺色。
それぞれの色味に揃うように、けれども複雑な色になるようにたくさんの色のビーズを使う。
密かにエーダリアの腕輪にはヒルドの色味を、ヒルドの腕輪にはエーダリアの色味を足して、みんなの腕輪に繋がりが出るようにした。
(私とディノの腕輪に共通するのは菫色かしら)
揃えた色味を崩さない程度に多色性も持たせていた。
色の配置によっても表情が変わるので、専用の石置き台に並べて何度も調整する。
順番が決まれば、妖精の紡いだ朝露の絹糸に通してゆくのだ。
細やかな作業は無心になるので、心が澄み渡る気がしてネアは気に入ってしまった。
しかし、ディノは苦心しているようだ。
見事なリボンの束を前に置いて、上手くいかないのか椅子の片側にひしゃげてしまっている。
早々に仕上げた一本がネアの分なのだろうか。
「………祝福って難しいものだね」
「幸せでいてくれるようにと考えればいいのでは?」
「願い事は剥き出しの心だから、とても難しいものなんだよ」
「であれば、皆さんが幸せだと私も幸せです。よって、ディノに優しく出来ます」
「…………出来るような気がしてきた」
魔物がヒントを得られるように、ネアは災厄避けのまじないが込められたビーズを糸に通しながら、俄か祝福の言葉を呟く。
「みんなが健康で元気でいてくれますように」
「…………健康」
「悪い奴らに勝てますように」
「悪い奴………」
「お仕事が順調で、毎日美味しいものを食べられますように」
「………食べ物」
「そして毎日笑顔になってしまうような、素敵なことがありますように」
「ネアに手を出さないように………」
「最後だけ妙な自主性を出さないで下さい……」
最後の一言は祝福ではなく呪いになってしまうので、慌てて諌めた。
魔物は少し不貞腐れていたが、何とか無事に祝福も込め終わったようだ。
魔物曰く、ネアのリボン以外のものは差別化を図っていないそうなので、端から順番にビーズの腕輪の両端の輪に通してゆく。
しゅるりとリボンの通る音が響き、自分の仕事を終えたディノは、なぜかネアの斜め後ろから息を殺してその作業を見守っている。
「出来ました!」
人数分の腕輪が完成したので、ネアはそれを専用の籠に入れて封印をした。
リボンで留めるものなので、一人で装着するのは難しい。
作った者が相手の腕につけてやるのだとか。
籠の上に白い細やかな花が沢山ついた花束を乗せて封印しておき、傘選びの日と、傘祭りの日につけるのだ。
とは言え、祝福が稀に肌に合わないこともあるので、その前に一度試着する。
それは今夜にでもやればいいだろう。
封印用の花束の香りに癒されつつ、気持ちの良い達成感に微笑みを深め…、
(……………ん?)
ネアは、ぞくりと背筋が寒くなった。
「ディノ、新年のリースはどうなりました?!」
「…………まだ部屋にあるけれど、炊き上げもまだだった筈だよ」
「よ、良かったです!一年間リースの妖精さんに付きまとわれるのかと、ぞっとしてしまいました」
「生まれてきていたらどうにかするから、安心しておいで」
「この場合は、生み出さないようにしてあげるのが優しさです」
リースからストーカー妖精を生み出してしまっていないとわかったので、ネアは大きく息を吐いた。
色々あってすっかり忘れていたので、もう手遅れかと思ってしまったのだ。
「きっと、焚き上げ前には家事妖精が来るんじゃないかな」
「そうでしたね。王宮なのですから、貰った時と同じように回収にも来てくれる筈でした!」
「……でも、こんな風に忘れられていくんだね」
「………生み出される現場の状況がわかりましたね」
複雑な気持ちで見上げたリースは、飾られたばかりの頃は新鮮な香草の香りが立ち、今はドライハーブとしてふくよかな香りを漂わせていた。
このような生活に根付いた魔術の形は多く、それは魔物が話していたように、彼にとっては自分事として認識していなかった領域のものでもある。
ネア自身もしっかり管理していなければと、あらためて再認識した。
(そういう意味では慣れない者同士、こうやってお世話係のいてくれる環境で暮らしていて本当に良かった!)
「ネア、今日はクリームの日なんじゃないのかい?」
「は!」
そしてその日、ネアはもう一つ大切なことを忘れてしまっていたようだ。
慌てて魔物を引き連れてお茶の時間ちょうどに滑り込むと、前々から予告されていたオレンジのパイの焼き上がりに間に合うことが出来た。
「ネア!」
「まぁ、ゼノーシュ!お仕事はひと段落ですか?」
先に到着していたのか、椅子に座ったまま振り返ったのは、久し振りに見かけるクッキーモンスターだ。
暫く振りなので可愛さへの抵抗力が落ちていたらしく、ネアは思わず頬が緩んでしまう。
「うん。公爵が犠牲になって終わったよ。僕、この先一生、ネア以外の女の子とは二度と友達にならない!」
「…………もの凄く不穏な感想ですが、公爵閣下は生きていらっしゃるのでしょうか?」
「うん。震えながら結婚指輪を嵌められてた」
「…………なんと、そちらの意味での犠牲でしたか」
そこでネアは、気配が完全に消えていたので気付かなかったが、お茶用に使っているこの部屋の片側に、エーダリアやヒルド達もいることに気付いた。
ほこほこと湯気を立てている紅茶を前に、グラストを含む男性三人でなぜか俯いている。
あまりに酷い顔色なので、少し心配になってしまった。
「ゼノ、あちらはどうしたのでしょう?」
「あの公爵がね、どうやって祭壇に引き摺られて行ったのかを聞いたらみんな黙ったんだ」
「まぁ、そんなに怖いお話だったのですね」
「うん。グラストももう結婚出来ないと思うから、僕は少し安心した」
「あんなに心の安定した方までを損なうなんて、お相手の女性は一体何をしてしまったのでしょう?」
「あんな風になったら困るから、ネアには内緒」
「…………何をしでかしたのだ」
エーダリアに至っては、謎に寒いと呟いているので、体感気温までをも狂わす恐怖の行ないであったらしい。
知っている魔物だというディノを振り返ったが、不思議そうに首を傾げていた。
「そんな魔物だったかな………」
「まぁ、お相手との相性によって、性格というものは微妙に変わりますからね」
ネアは一般論として口にしたのだが、その途端に全員がネアとディノを見たので、厳しい眼差しで一睨みしておいた。
「とは言え、クリームの日に間に合って良かったですね、ゼノ」
「うん!今日にしか食べられないお菓子だから、すぐに帰ってきた」
これもまたこの季節の風物詩だが、今日はクリームの日と呼ばれる特別なお菓子が振舞われる日である。
このお菓子が大好きな王様の誕生日だったというもので、焼きたてのオレンジ風味のパイ生地に、たっぷりの紅茶のジャムと檸檬風味の生クリームを添えていただくのだ。
これは焼きたてのパイに特徴があるので、配膳された順に食べていっても良いという、無礼講茶会でもあった。
「………わぁ、よりによってその姿で参加する気ですね!」
部屋には銀狐もおり、誰かが用意した特製の幼児用椅子に陣取って尻尾を振り回している。
人の姿の方が絶対にいいのだが、このパイをいただく風習は、同じ屋根の下の者で共有する行事だ。
魔術師として来訪すると、部外者なので仲間に入れない。
最近、口元が汚れても誰かに洗って貰えることもあり、狐姿での食事を躊躇わなくなってきた。
(というか、味覚は変わらないのだろうか……)
謎めいた狐の味覚と魔物の味覚の違いに興味が湧いたが、ネアは首を振ってその問題を横に置くと、香ばしい香りがしてきたパイを待つことに集中した。
折角の美味しい焼きたて菓子なので、給仕妖精はパイどころではない男達を後回しにし、まずはゼノーシュの前にパイを置いた。
次いで、ネア達より前に来ていた銀狐、そしてネアとディノの順である。
部屋に漂うパイの香りで我に返ったところを見計らい、エーダリア達にもパイが振舞われた。
「お、美味しいです!」
パイの熱で檸檬クリームが少し溶ける。
甘さが控えめの紅茶のジャムと交互で、ずっと食べていられそうな素朴な味だ。
(檸檬クリームには少しミントの風味もあるような。ほろ苦くて甘くて美味しい!)
こちらも少し苦味のあるオレンジのパイだけでも美味しいのは、元々これが単一のお菓子だから。
王様はこれに、紅茶のジャムと檸檬クリームを交互に合わせていただくのがお好きだったようだ。
中身のないパイだけのお菓子なので、さくさくほくほく食べていると、あっという間にお皿は空になる。
そうなると後はもう、お代わりコールの嵐だ。
軽いお菓子なので男性など、何皿でもいけてしまう。
「これ、昔に食べたことがある……」
「もしかして、その王様のことをご存知なのでは?」
「人間の王に会うこともそれなりにあったから、そうかも知れないね」
結果、ネアと銀狐は三皿、エーダリアとグラストが四皿、ゼノーシュは九皿、ディノとヒルドは二皿食べた。
「…………銀狐さん、パイやクリームなど、そのお口で食べ難いものの極致だったでしょうに」
ネアにそう不憫がられつつ、銀狐は尻尾をふりふりしながらどこか悟りきった眼差しのヒルドに濡らしたナプキンで口周りをぐいぐいと拭かれている。
最初からパイを一口大に切り分けてやったりと、もはや育児にも見えるので、ネアは少しヒルドが不憫になってきた。
(と言うか、本人に羞恥心はないのか!)
首輪にも抵抗がないくらいなので、そろそろペット用シャンプーを使っていることを明かしても平気かもしれず、ネアは少し悩んだ。
やがて全員が食べ終わると、エーダリアがネアの持ってきた腕輪の籠に気付いたようだ。
「ところで、その籠があるということは、もう仕上がったのか?」
「そうでした!祝福が肌に合うかどうか、試してみて下さいね」
花束をどかし、ネアはビーズの腕輪を取り出す。
「すごい、僕のも出来てる!」
「ええ、無難ですがみなさんの瞳の色にしました」
「………白いリボンだな」
「はい。折角の機会ですので、白の祝福をお渡ししておこうと思いまして」
「ネア殿、有難うございます。………白いリボンは初めて見ました」
エーダリアとグラストが若干慄いているが、これは強めの祝福を与えておこうという作戦なので、ヒルドは微笑んで綺麗に一礼してくれた。
「ネア様、有難うございます。このようなものがあると、我々も心強い」
「いえ。日頃から皆さんにお世話になっていますから。折角良い人材が居るのに、なぜか騒動を引き起こす側ですし……」
「おや、そもそも通常のお仕事でいただく薬だけでも、充分なくらいなのですよ」
「ヒルドさん、…………あら、どうしました?」
気付けば、足元にぶつかってくる毛玉がある。
「狐さん……?」
「………自分のものがないと言いたいようですね」
身体中の毛をけばだてて抗議しているのは、どうやら自分の腕輪が用意されていなかったかららしい。
「……しかし、狐さんに腕輪をつけられますか?」
「そうだな、狐なのだから、………いや、狐であるのなら、腕輪はいらないだろう?」
これが見たままの狐ではないと疑い始めたエーダリアにさえ窘められて、銀狐は怒りのあまりぐるぐると円状に走り出した。
「ディノ………」
「ネア、あまり獣を甘やかさない方がいいんじゃないかな」
「しかし、確かにペットも家族の一員だというのが世の風潮です。やはり狐さんの分も………あら」
「…………家族?」
いきなり出てきた随分な上位待遇に、ディノは目を瞠ってふるふるしている。
「そう言えば、まだディノは家族ではないですね」
「浮気…………」
しょげた魔物の頭を撫でてやっていると、歩み寄ったヒルドにそっと耳打ちされた。
「………ネア様、そろそろ限界かと」
「む。………ゼノにもすっかり懐きましたね」
銀狐は、途中から相手にもされなくなってしまったとわかり、ゼノーシュの両足の間に頭を突っ込んで蹲り、こちらにお尻を向けて不貞腐れていた。
「狐さん、作って差し上げるのでどこに装着するかを会議しませんか?」
椅子から立ってしゃがみ込み、そう甘い声を出してやると、ちらりとこちらを向いた。
大変に恨みがましい目をしているが、まずは狐であることを理解して欲しい。
手を出してちょいちょいと招くと、尻尾がふさりと揺れた。
これは本能的に隠しきれない反応であると、この前ヒルドに教えられている。
「でも、どこにつける?前足だと毛が絡みそうだよ?」
「確かにゼノの言う通りですし、その前にリボンを引き摺りますよね」
「首輪にかけてみましょうか?」
顎に手を当ててそう提案したヒルドに、エーダリアが更に大胆な案を出す。
「寧ろもう、首輪代わりに結んでやればいいのではないか?」
「しかし、そうなるとリードがつけられません。狐さんがお外で脱走すると困ります」
「ネア様、リードがなくとも逃げないように、本人に………この狐に言い聞かせますから」
「ヒルドさんが躾けてくれるのなら、お祭りの日はリードなしでも良いでしょうか」
「いや、そもそも、やはりこれはただの狐じゃないんだな?!」
つい荒ぶってしまったエーダリアに、ゼノーシュがちょこんと首を傾げた。
「ネア、これは狐じゃないの?」
「………立派な狐さんですよ!」
どこか悲しげな様子だったので、ネアは力強く頷いて保証しておいた。
もはや狐そのものなので、決して嘘ではない。
「でも、階位の近い同族に祝福は与えられないから、リボンはどうにかして貰わないとだね」
「ディノ!」
ネアの必死の弁解も虚しくそんなことを言ってしまったディノに、ゼノーシュは足元に挟まったまま固まった銀狐をじっと見つめた。