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ご主人様が魔物を狩ってきた



その日は、朝から細やかな雨が降っていた。

傘をさして楽しめる程度であれば、雨の風景も好きだとネアが笑う。

一番好きなのが、初夏の雨だと付け足して教えてくれた。


新しいことを知るのは嬉しい。

それを、彼女が教えてくれるのであれば尚更だ。


何とも言えない幸せな気分になって、ネアのくれたリボンを手に取る。

今日はどの色で、髪を結んで貰おうか。



赤い傘を手にして、庭に続く硝子扉をネアが開けるところまでは見ていた。

ほんの目と鼻の先、守護に守られた安全な敷地内の筈だった。



パーシュの道と呼ばれるそれは、高位の魔物の魔術汚染で生まれる。

日常のそこかしこに入り口を広げ、迷い込んだ人間はほとんどの場合生きて帰らないらしい。


らしいと続けるのは、私がその現象を良く知らないからだ。

私は、道に迷い込んで失われた人間には関わらなかったし、自分の領域に誰かを招き入れる程、酔狂でもない。



パーシュの道は、高位の魔物程作りがちだが、高位の魔物のほとんどは、介入を煩わしいと感じて道を閉じる。



つまり、ネアが迷い込んだ道の主は、意図的に入口を放置したのだろう。



とは言え、私の守護を受けるネアが、そんな道に入り込むことはない。

唯一の可能性と言えば、ネア自身がその先にいる者に、心惹かれてしまった場合だ。

自らの願いで迷い込むものを止める程、強い拘束はかけていなかった。



(もし、君がここから逃げ出したいと思っていたら?)


そんなことを考えれば、不愉快になる。

ネアはそんな風に姿を消したりはしない。


考えたくもないけれど、もしその時が来たら、最後に丁寧な挨拶をしてから去ろうとするのだろう。




“ディノ、私は遭難中です。救助に来なさい”



すぐに、ネアからの短い言葉がこちらに届く。


あの指輪が繋いだのだろうし、あの指輪がある以上、彼女は誰にも傷付けられない。

名前を呼んでくれたことでとても安堵したけれど、

危機感の薄い彼女が助けを呼ぶ程、そこは怖い場所だったのだろうか。


一人で怖い思いをしているネアが、とても可哀想になる。



後から聞くところによると、私がネアを取り戻すまでの時間と、ネアが森を彷徨い歩いた時間には相違があるらしい。

軸の歪みが生じないようにしっかりと繋いでいたので、長く彷徨ったようにと感覚を狂わせる場所だったようだ。



道を書き換えてネアを取り戻そうとしていたら、誰かが魔術の浸食を察したのか、ゼノーシュを先頭にしてわらわらと駆け込んでくる。

追い返そうとも思ったが、その猶予すら煩わしくて書き換えを続行した。



「そんな、……」


誰かの声が聞こえた気がしたけれど、あの妖精だろうか。



道を書き換えてしまえば、後は造作もない。

彼女は元通りの場所に帰ってくるはずで、それだけだと考えていた。



「ところで、ネア。…………それは何だろう?」


当然のごとく、ネアは戻ってきた。

怪我をしている様子もないし、見えないものも損なってはいない。

けれど、その眦には確かに涙を溜めた跡が残っていた。



そして、ネアが知り合うには相応しくない魔物を、その腕に抱えている。



座っている椅子ごと掴むくらい、気に入ったのだろうか。

アルテアは私に気付くと、目を細めて驚いたようにこちらを窺う。



もし、この状態こそが、ネアが迷い込んだ理由なら。

繋がない筈の道を繋いでしまった理由なら。


最近は他の魔物へと乗り換えようとしていたりもするし、浮気だろうか。

それにしても、公爵位を素手で捕まえてくるなんて。


他の公爵達の中でも、アルテアの指先は器用な方だろう。

ある程度の階位に定まると、器用かどうかでその魔物の強さはまた変わる。



(まったく、君はいつだって手当たり次第だ)


高位の魔物を狩ってはいけないと、後でしっかり教えてあげる必要がある。


公爵を手に入れた歌乞いはこの場にもいるが、その気のない公爵位の魔物を、素手で捕まえた人間など聞いたこともない。

ネアは本当に、放っておくと何をしでかすかわからない。



その後、庭の槿の木の話を聞いて納得した。

両親や家族という括りに引っかかっただけならば、もうアルテアは不要だろうから。

腹いせにアルテアの命を少し削ってやったお蔭で、防壁を展開した彼本来の精神圧に怯えてもくれた。



でもやはり、この腕の中で怖かったと泣いてくれるわけではない。

アルテアの体からは、ネアの涙の香りがした。



「ネア、魔物の公爵を、素手で捕まえてくるなんて悪いご主人様だ」

「何でしょうその言い方は。私が狩りにでも行ってきたように言いましたね」

「魔物を拘束したんだから、あれは狩りそのものだよ」


「…………ディノ、心配させてしまいましたか?」




不意に。

本当に不意打ちで、ネアはそう言うと、手を伸ばして頬に当てる。

気遣わしげに目を伏せた表情の艶やかさに、息が止まりそうになる。



「………ネアは、狡い。こうやってすぐに、魔物を手当たり次第誑かしてしまうんだね」

「なぜそうなるのでしょう………」

「私だけだよ。私だけのご主人様でいないと」


他に、この執着と恐れをどう言えばいいのだろう。

どう言えば、君は頷いてくれるのだろう?



「心配かけてごめんなさい」


ネアはやはり、応えてはくれなかった。

けれども綺麗に微笑んで、髪を撫でてくれる。

もっと離さないように、強く掴んでいて構わないのに。



「体当たりしてくれる?」

「………この状態でやると、諸共地面に倒れる構図が見えますね」



その後、随分と我儘を言ったように思う。

そのほとんどにネアが応えてくれて幸せだったので、勝手に狩りをしてはいけないと言い含めるのが弱かったようだ。



後日私は、ネアの狩りの腕を甘く見ていたことを、後悔することになる。

持ち帰った獲物を捨てに行くのは、久し振りに面倒な仕事になった。






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