87. 犯人の処遇を思案します(本編)
ネア達が捕獲した水竜を持って帰ると、途端にリーエンベルクは騒がしくなった。
エメルは道中で目を醒まし、なぜか少し嬉しそうにした直後、開口一番で慰謝料をもぎ取られてからずっと顔色が悪い。
何と強欲な人間なのだろうと怖くなってしまったのだろう。
ここ数日は外出気味だったダリルも呼び戻され、ネアは良い報告が出来るのでほっとした。
あえてエーダリアの執務室ではなく会議室を使っているのは、外客であるドリー達が訪れるからだ。
一人、異様に到着が早いのでとても怪しい魔術師がいるが、ヒルドが引っ張ってきたので誰も文句は言わなかった。
エーダリアは初対面の魔術師に少し警戒したようだが、ヒルドにべったりの彼を見て胡乱げな眼差しにシフトしたようだ。
灰色の髪を本日もネアとお揃いのリボンで結んだ魔術師は、自分が荒ぶって騒動を引き起こしたことは理解しているらしく、最初は申し訳なさそうにこちらを見ていたが、持って帰ってきた水竜を見て遠い目をした。
しかしながらネアとしては、お散歩で犬と喧嘩しないようにどうか自制していただきたい。
まず、ネアはダリルに叱られた。
「ネアちゃん、もう竜は狩らないようにねって言ったよね?」
「………はい。申し訳ありませんでした」
「毎回幸運とは限らないんだし、あんたに何かあったらディノが大暴れするんだよ」
「………はい」
「あー、えっとほら、今回は狐が暴れちゃったみたいだし、アイザックも仕掛けていた訳だしさ。ネアも被害者的な感じなんじゃないかなー、なんてね」
「誰あんた」
「………あれ、何でかな、結構傷付いた」
妙なところで誤爆してしまった魔術師がしょんぼりし、ヒルドの方を見ている。
ヒルドが片方の眉を上げたところをみると、ついつい狐としての悪癖が出たようだ。
どうやら、撫でて貰おうとしたらしい。
「アイザックか。……アクスの代表のアイザックだよね?」
「はい。どうやら、今回の一件の基盤を整えたのは、商品の動作確認でもあったようでして」
「何それ?商品の動作確認って?」
「アクス商会で竜の媚薬を購入したのですが、効いてるかどうかよくわからないものなので、商会の方が動作確認の場を設けてくれたそうです」
「…………まさか、この水竜も含めて?」
「はい。まさかの周囲の領民さん達までエキストラという、驚きのサービスでした」
ネアが一番驚いたのはそこだった。
ディノに隔離された影絵から出てくると、ネア達が揉めている最中に消えたのを見ていた筈の野次馬達はちっとも騒ぎになっていなかった。
猫は空を飛ぶと教えてくれた男性が、ネア達に一礼して退出したので、彼等がエキストラだと判明したのだ。
「水竜さんが介入して事を起こしやすい環境を作って待ち構えていたようです。まんまと引っかかり、水の系譜の犬さんを暴れさせて隙を作ったつもりのエメルさんは、こうして無事に被験者になりました」
「ネア、それは無事というのだろうか?」
「…………やはり残虐でしょうか。でも、悪い竜でなければ蹴らないのでご容赦下さい」
「ドリー様は、例え管理された上であっても、ネア様が危険に晒されたのではということを仰っているのだと思いますよ」
何だかよくわからない平べったい布のようなもので拘束されたエメルは酷評されて項垂れていたが、微笑んではいるが怒っているに違いないヒルドに、ネアも少し視線を下げる。
今回はどうもディノも怒っているので、ネアとしては肩身が狭い。
「はい。短気な己を恥じています………」
「そもそも、お前はなぜ攻撃したのだ?媚薬があるなら安全だったろうに」
「竜の媚薬で無効化出来たのですが、逆に竜の媚薬の効果で腕を掴まれまして…」
「ネア様、そう言う場合はいくらでも蹴っても宜しいですよ」
「ヒルドさん!」
「ヒルド………」
「ただ、今回はやはり側にいたディノ様をすぐに呼ぶべきでしたね。殺してしまう方が厄介なこともありますから」
「………はい。その通りでした。これからは気を付けますね」
そこで気を取り直し、今後のことが少し話し合われた。
どうやら中央から水竜達に一報を入れてくれた結果、このエメルはウィームに託されることになってしまったらしい。
水竜の王であるアンヘルの決定で、一族の決定を脅かす者として、エメルは追放処分になったそうだ。
つまりこの会議は、その結果を踏まえて話し合う為のものなのだ。
「ま、体良く切り捨てられたね。下手に戻して難癖をつけられても嫌なんだろう。あちらさんも、今は複雑な時期みたいだし」
「とは言え、預かっても頭が痛いだけだな」
「不穏分子を取り込むようなものですしね………」
リーエンベルクサイドは、やはりかなりシビアな意見であった。
貰ってもいらない竜というものもあるらしい。
(アンヘルさんも、自分の思い通りにならない相手を気にかけるだけのゆとりはなそうだしなぁ)
何しろあちらは、今、世界とは何だろうという荒波に揉まれているところだ。
どれだけ余裕がないのかは推して知るべしである。
「エーダリア様、こちらの竜さんは用無しですか?」
「むやみに解放する訳にもいかないが、引き取るのは難しいだろう」
「………そうなると、随分と選択肢が少なくなりますね」
ドリーが口を挟むだろうかと思ったが、場合によっては冷酷にもなるようだ。
今回は難しい顔で黙り込んでいる。
彼にもまた守護を与える者がおり、それを脅かすものには酷薄なのだろう。
最も暗殺等が警戒される王都に、エメルは不安定な要因となる。
少しエメルが可哀想になったので、ネアは魔物の腕を外して椅子を立つと、ディノ側の床に置かれて拘束されたまま唇を噛み締めているエメルを覗き込んだ。
ディノが後ろから三つ編みを投げ込んで来たので、せめて三つ編みだけは握っていてやる。
「エメルさん……」
「………あなたも、俺など邪魔なだけか」
少し硬質で透明感のある良い声だ。
淡い水色の髪と緑の瞳に黄色い虹彩で、どこか遠い夏の郷愁を思わせる色彩である。
僅かに拗ねたような物言いは途中からのものなので、竜の媚薬の効能なのだろう。
竜の媚薬の恐ろしいところは、その効果が生涯使えることにある。
あまりにも危険なので、竜達は見付け次第処分しているとも聞く。
しかし、なにぶん自然のものなのでこうして世に出てしまうことがあるのも仕方のないことだった。
変に警戒されて騒動になっても良くないので、いずれは竜の媚薬を自分の意思で使い分けられるように選択の守護を得ようということになっている。
(長期間離れれば効果が抜けるというから、もうエメルさんには会わない方がいいのだけど……)
しかしまず、今回の処遇からだ。
ネアの素人考えではあるが、水竜の祝福の子ともなると潜在能力は高いに違いない。
不安要因だけではなく、心根を入れ替えさせることが出来れば動力になるのではなかろうか。
何しろ時代はエコなのである。
「さて、このままいくと、恐らくエメルさんは竜鍋コースです」
「…………り、竜鍋?」
「役に立たないけだものなど、鍋にして美味しくいただくしかありません」
「……………鍋。処刑ですらないのか?」
「考えて下さいね。処刑するだけでは、ただの手間損です。こちらにも得るのものがあるお鍋が一番現実的ですね」
「………外界は、………なんて残忍なのだ」
「仕方ありません。これが世知辛い世の常です」
彼なりに少しだけ哀れっぽく媚びてみたのだが、まさかの鍋一択だったエメルはもはや真っ青になってしまっている。
最初から水竜があまり得意でないので、ネアの今回の説得はとてもいい加減だ。
「しかし、幸いにも水竜さんは世間知らずだと判明していますので、初回の失態くらいであれば、働きによっては取り戻せるのではないでしょうか」
「……………では、戦場で働けと?」
「お外で暮らせないひ弱な竜にそんなことが出来ますか?すぐに風邪で死んでしまいますよ」
「………か、かぜ?」
「水竜さんは病原菌に弱いので、外の世界は危険がいっぱいなのですよ。もしや、知らなかったのですか?」
愕然とした眼差しでふるふると首を振ったエメルに、向こう側でエーダリアが頭を抱えるのが見えた。
ダリルはもっとやれと手を振っているので、ネアはこのまま押し切ることにした。
「そちらのお国では、感染症対策はしていなかったのですか?」
「………確かに、戦などで外に出た後は必ず沐浴するようにと。………何百年か前に、病で仲間達が沢山死んだのだ」
「もやしっ子ですね!」
「…………もやし?」
「特別にひ弱な子のことですよ」
「なっ、俺はひ弱などではないぞ?!」
「人間はこの時期、推定十人中五人くらいは風邪をひいてますよ?そんな一般的で軽度の病が致死相当なのに、どこがひ弱ではないのでしょう?」
「は、半数も…………」
「どのみち、お国からは追放されてしまったのですから、風邪で死にたくないのであれば、感染症から守って貰える環境を与えてくれそうな方に頭を下げるしかありません」
そこでネアは思案した。
エーダリアは風竜贔屓なので、彼等に嫌厭されてしまう水竜を側に置くのは嫌だろう。
中央から打診がないのは彼等もいらないからだろうし、となると行き先など限られてくる。
何しろ、ネアはいらないのだ。
「………ダリルさんの下僕になるか、竜好きな騎士さんのペットになるか、アクス商会に奉公に出すか、……やはり鍋でしょうか」
「ネア、どうしてアイザックを入れたのかな?」
「ディノ?現在好感度が高めなのと、あのようなお仕事の方とは、きちんと繋がりを作っておくのも良いかなと思ったのです」
「アクスにやると、割と早い段階でバラされて売られると思うなぁ」
「む。魔術師さんならそうします?」
「うん。頑強でもないなら使い勝手は然程良くないしね」
「ネア、なぜダリルを入れた?」
「個人的にお世話になったので、ご入り用であれば改心させます」
「………うーん、水竜かぁ。汎用性はあるんだけどどうしようかなー」
「エメルさん、香辛料系のスープと、濃厚なブイヨンとどちらがいいですか?」
ふるふると震えているエメルに縋るような目で見上げられ、ネアはちらりとダリルを見た。
美しい瞳を邪悪に細めているので、この水竜が使えるかどうか考えているのだろう。
「お鍋は嫌ですか?」
「い、嫌だ!当たり前だろう!」
「………では、下僕の方が幸せかもしれませんね。ご主人様に気に入って貰えれば、時々頭も撫でて貰えますし、やり甲斐もあります」
「そ、それでいい!」
「…………それでいい?あんまり積極性が感じられないので、素直になれないものの本当はお鍋に憧れが…」
「ない!鍋にされるくらいなら、この場で殺してくれ!!」
「絨毯が汚れるのでご迷惑です。そういう意味でも、厨房は画期的な設計ですから」
「…………礼を尽くし、きちんと働こう。俺を僕にしてくれ」
余程香辛料と一緒に煮込まれてしまうのは嫌なのか、エメルは自分でダリルの方を向き、縛られているながらに丁寧に頭を下げた。
「……………よし、引き取るよ。とは言え、信奉者には不自由してないからね。お前にしか出来ないことを探さないと」
だいぶ悩んでから、ダリルはこの水竜を引き取ることにしたようだ。
目が醒めるほどに美しい妖精にまじまじと観察されて、今度は媚薬なしの反応でもエメルは目元を染めている。
アンヘルはあんなハーレム状態であったが、こちらの竜は案外純情なのかも知れない。
引き受けを宣言した同僚に、ヒルドもしれっと頷いた。
元々、躾が出来るならばいい労働力にはなるものだ。
「まぁ、手元に置いて動かせるのならば、川の氾濫などが懸念される時期には重宝しそうですね」
「水となると、他にもあれこれ使い道があるよ。魔術階位が高いから相手の守りを崩しやすいしね」
「ダリル、まさかとは思うが対立派閥への嫌がらせに使うんじゃないだろうな」
「それが効果的ならね。でもまずは、使える下僕になるまで鍛えなきゃね。その歳で箱入り竜なんて可愛くもない」
ダリルは効率主義なので、その場で手早くネアからの譲渡手続きが行われ、ネアは心配をかけてしまった分を挽回しようと、竜の媚薬の効果を如何なく発揮してダリルに忠誠を誓わせた。
しかしその後、エメルはぽいっと迷路の一つに隔離されてしまったので、今はさぞかし心細い思いをしているだろう。
「今は忙しいからね、躾はまた今度にしよう」
「もしや、それまで迷路でお留守番ですか?」
「そ。あんな風に誰かを盲信してた奴はね、存外に孤独が一番怖いんだよ。餌はあるし、これもまたいい躾になるさ」
「………エメルさん、強い子に育つのですよ」
会議室は少ししんみりした。
一人ぼっちのエメルが不憫になったのか、ドリーが手の空いた時に様子を見に来ようと言ってしまったが、ダリルがにやりと笑ったのでこれも手の内らしい。
「ダリルさん、そう言えば竜の媚薬の納品時期は、あの咎竜との遭遇前だったようです」
せめて一つくらいいいニュースをねじ込もうとそう言えば、途端に数人が、がたっと椅子を揺らした。
事情を知らないエーダリアが周囲の過剰反応に驚いているが、ネアも元婚約者以外の全員がこちらを見ている眼差しの強さに驚いてしまう。
「ネアちゃん!それじゃ、咎竜の呪いは?!」
「はい、ダリルさん。かけ損です!さっきディノにも確認して貰いましたが、大丈夫でした」
「………そうか、だから魔術の影がなかったのか」
「はい。ドリーさんも、沢山相談に乗っていただいて有難うございました。お騒がせして御免なさい」
「無事なのが一番だ。良かったな」
「ほらー。やっぱりだ!」
「む、やっぱり………?」
「ま、待て。………ネア、まさか咎竜に呪いをかけられていたのか?!」
そこでようやく事情が呑み込めたらしいエーダリアが割って入った。
なぜか隣のヒルドは両手で顔を覆っていて魔術師に慰められているようだが、そこは何があったのだろう。
「ええ、きっちり呪いの文句を聞いてしまったので呪われていると信じていたのですが、そうと知らずに竜の媚薬を美味しくいただいた後の呪いだったと判明しました」
「なぜ言わない!回避出来ていなかったらとんでもないことだぞ!!」
真剣に怒られて、ネアはふわりと微笑んだ。
こういう時、やはりネアは少しだけ幸福感にほろりとする。
空気を読むべきなのだが、この真剣な怒りに見合うだけのものを、自分からも返したいと胸が熱くなるのだ。
「エーダリア様、事後報告になってしまって申し訳ありませんでした。私を守護する方、愛する方、そして同じ屋根の下に住む方には伝えられない呪いだったのです」
「………っ、禁則の呪いもかかっていたのか。それは、軽率に叱ってすまなかった。辛かっただろう」
「いいえ、ダリルさんが居てくれたので心強かったのです。それに、途中からはドリーさんにも相談に乗っていただけました」
「そうか、カルウィで一緒だったのが幸いだな」
「それも、私の様子を見る為にわざわざ出てきて下さったのです」
その瞬間、ネアは隣に座った魔物に椅子ごと体を反転させられた。
びっくりして目を瞠れば、じっとりとした暗い眼差しの魔物に出会う。
「…………ネア、その前から彼と交流があったのかい?」
「…………は、はい。私の舎弟に連絡を取っていただきまして、文通のような形で、ご相談をしていました」
「…………文通」
「ディノ、彼女は自分の呪いを解く為に必死で努力をしたんだ」
見かねたドリーが助け舟を出してくれたが、ご主人様と文通などしたことがない魔物は荒むばかりだ。
ネアは視線を彷徨わせたが、今回ばかりは身内は誰も助けてくれなさそうである。
「舎弟って何だろう………」
しかし、その一言を聞き逃せなかった魔術師のお蔭で、ネアはなんとか危機を脱した。
「グレイシアですよ。一度上位に立ってあるので、あの子は私の舎弟なのです」
「……………舎弟」
「同じ火の系譜ですし、意外に知り合いが多いらしくすぐに繋ぎを取ってくれました」
「うん、君より魔術可動域が百以上大きい魔物がどうして舎弟になったのかなとか、色々疑問はあるけれど、とにかく無事に済んだようで良かったね」
そう言った魔術師と、ダリルまでもがなぜかヒルドの方を見るので、ネアは首を傾げた。
先程からヒルドの様子がおかしいようだ。
見かねたダリルが、教えてくれた。
「ヒルドはね、ネアちゃんの呪いをどうにかしようと果ての薔薇を取りに行く覚悟だったんだよ」
「果ての薔薇を?!」
ぎょっとしたのはエーダリアで、隣で何とも言えない渋い顔をしているヒルドの腕を掴む。
そこはかとなく遠い目になったヒルドは、唇の端で苦く微笑んだ。
「友人に同行して貰えて、本当に幸いだったと思いますよ。やはり、焦りというものは最大の悪手であるようです」
「で、では使っていないのだな?!」
「ええ。友人から、どうも咎竜の呪いにかかっているようには思えないと忠告されましたのでね」
こちらを向いてネアに微笑みかけてから、ヒルドはもう一度安堵の息を吐く。
「………ご無事で良かったです。……本当に」
「ヒルドさんもご存知だったのですね……」
「ええ。ダリルから」
「果ての薔薇というと、あのリズモを酷使する幻の砂の花のことですか?」
「ネア様?…………その、リズモというのは?」
「前に、スープ屋さんの奥様に教えて貰ったのですが、違うものでしょうか」
「念の為に伺いますが、リズモをどう使うのでしょう?」
「はぐれ魔術師であるお兄様がよくやっていたそうですが、捕獲した収穫のリズモを連れてゆき、解放の条件としてこちらの願い事を叶えるように伝えるのです。紐で括ってえいやっと薔薇に放り投げると、リズモは自由の為に己の収穫の力を駆使して、こちらの願い事の成就をもぎ取ってきてくれるのだそうです。ただ、その果ての薔薇自体が、どこにあるのか知らないと仰っていて……」
「成程。理に適っていますね………」
「ネアちゃんに訊いた方が早かったわ………。まさか、収穫の領域だったとはねぇ」
「やっぱり君は、物凄いことをさらりと知ってるよね………」
全員に愕然とされてしまい、ネアは眉を顰めた。
寧ろネアとしては、このお作法しか知らないのだ。
「あの、……本来はそういうものではないのですか?」
そっと尋ねてみれば、隣で湿った空気を放っていた魔物が教えてくれた。
「果ての薔薇は、一番大切な記憶と引き換えに願うものなんだ」
「…………ヒルドさん!」
あんまりな対価に思わず立ち上がってしまえば、ヒルドはまだどこか落ち込んだ風ではあったが、穏やかに微笑んでくれた。
「どんなものであれ、命が欠けるよりは救いがあるものです」
そう言ってはくれるけれど重ねて何かを言おうとしたネアに、彼は苦笑して小さく首を振った。
「これ以上はご容赦下さい。私もまだまだ浅慮だと、ダリルにまでがみがみ言われたので、これでも少し気恥ずかしいのですよ」
「………ヒルドさん」
「使わなくて良かったね。あれは、咎竜の呪いは解けないから」
しかし、ディノの一言でまた部屋の空気が変わった。
「えっ?!そうなのかい?」
「そうだよ。あの薔薇では上位の理を動かすのは難しいんだ。昔ね、理同士の順列を見るために作ったものだからね」
「………ありゃ、もしかしてシルが作ったの?」
「あの頃はだいぶ暇だったから」
「…………うわぁ。………ほら、ヒルド。僕の勘は当たるでしょ?」
「よくこの顛末をそうまとめましたね。………ですが、確かにあなたのお蔭で冷静になれました」
(もしかして、………)
「この前のお土産は、果ての薔薇を探しに行って下さったときのものだったのですね………」
「毎日、大事なものを大事に出来るのは幸福だからね。そのお返しだよ」
「…………いや、お前は誰なんだ」
エーダリアは、そう言いながら不審そうに魔術師の灰色の髪を見ている。
何だか、エーダリア本人もあまり知りたくなさそうなので、ネアは慌てて会話の流れを変えた。
「香辛料と素敵な飾り箱を有難うございました。あのボールとお花も……あ、」
「ボール………」
その後、最近狐を気に入りつつあったエーダリアが虚ろな眼差しになってしまったので、この会議はここでお開きとなった。
「良かったな、ネア。かかっていない呪いも、長い時間信じられると呪いの残響から呪いに育ってしまう」
「それは知りませんでした!」
「呪いにかかっていないと理解すれば呪いの残響は消えるが、念の為に、こうして声に出して喜んでおくといいそうだ」
「わかりました。喜んでおきますね。………わっ、」
帰り際に、ドリーがふわりと子供にするように抱き上げて労ってくれたので、ネアは心が緩んで泣きそうになる。
こうして円団で良かったねと言って貰えると、あらためて呪いから解放された実感があるからだ。
「…………浮気」
しかし、魔物から漂ってくる気配が更にどす黒くなってしまったので、ネアもエーダリアに続いて虚ろな目になった。