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86. お散歩には注意が必要です(本編)


その日、とある竜に対する注意喚起が成された。

ドリー発信による、正式な通達によるもので、水竜の一人が宮殿から姿を消しているのだという。

ネアが標的にされることも考えうるので、警戒するようにとのお達しである。


その注意喚起をされる際に教えて貰ったのだが、水竜は随分と特殊な世界観を持っているようだ。

不安になってディノを窺えば、それは知っていたらしく僅かにげんなりした目になっている。


「水竜さんは、世界で最初に生まれた生き物だったのですね」

「元々自分達より古い光竜がいるのに、どうしてそう思えるんだろう」

「だからこそ、光竜は天上のものさんの配下なのでは?」

「それが何なのかもわからない………」


(大陸が象の上に乗っているって思う人達がいたくらいだからなぁ………)


そういった過去の事例を知っているネアと違い、エーダリアやヒルド達は苦虫を噛み潰したような顔になってしまっている。

説明しながら不可解過ぎて気持ち悪いと話していたが、それくらいの過剰反応をしてしまう内容であるらしい。

閉ざされた世界で生きているとは聞いていたが、ネアとしてもそこまでのものだとは思っていなかった。

だからこそのあの気質なのだと思えば、少し不憫な気もした。

外に出ろと言うのは簡単であるが、免疫上脆弱なのでは気の毒だ。


「では、その十枠の竜のお一方は、現実を受け入れたくなくて脱走した可能性もあるのですね?」

「本人の問題というよりも、王の権威が失墜すると思い動揺しているのだろう」

「失墜も何も、今迄もこれからも、アンヘルさんは変わらないような気がしますけれどね」

「お前もそう思うのか………」

「あの方は多分、閉鎖的な社会で生きやすい気質の方なんだと思います」


注意喚起に伴い、姿絵のようなものが提示された。

下手なところへ被害が及ぶとまずいので、水竜の方でも積極的に情報を発信しているようだ。

まさかの竜姿のものなので困惑したが、竜サイドで姿絵となるとこうなってしまうのだろうか。

ヒルドが差し出してくれた紙に描かれているのは、淡い水色に翼の先と尻尾の先が黒い水竜だ。

名前をエメルと言うらしく、竜なので姓はない。

ネアが今迄に見てきた他の竜達よりもすらりとしており、咎竜のような龍と、見慣れたがっしりとした体躯の竜との中間の種であるように思える。


「………………綺麗な竜ですね」


ネアが思わずそう言えば、隣りの魔物がさっと振り向いた。


「ネア、浮気…………」

「ディノ、竜はこの通り四足の生き物です。恋のお相手としては成立しません」

「お前、それを決してドリーには言うなよ。落ち込むからな……」

「む。ドリーさんに置き換えると、無きにしも非ずですね」

「浮気…………」


ネアは空気を尖らせた魔物はさて置き、もう一度その姿絵をじっくり眺める。

途中でディノに隠されてしまったので、脳内で見たことのある男性の容姿と並べて考えてみた。

実は水竜の宮殿で険悪な視線を向けてきた男性がおり、その男性とこの竜の配色が似ているのだ。


(考え過ぎかしら。でも、あの中の誰かなのは間違いないだろうし、案外あの人な気がする……)


そしてネアの見立てでは、来るかもしれないではなく、ほぼ確実にこの竜はこちらに向かっていると思う。

早ければ、今日にでも遭遇しそうだ。

自分の敵札の引きの良さは、ネア自身も承知している。


(レーヌさんの時のように、罠タイプの仕掛けだと嫌だなぁ。直情型でありますように……)


「こちらの竜さんの瞳の色はわかりますでしょうか?」

「淡い緑色だそうですよ。青みですが、黄色の光彩模様があり黄緑にも見えると」

「と言うことは目立つ色彩なのですね。とても特徴的ですもの」


残念ながら男性の瞳の色まではよく見えなかったが、何となく淡い緑色系統だった気がしなくもない。


「なので、この色彩を持つ者がいた場合はご注意下さいね」

「はい。一人で外に出ないようにしているので大丈夫かと思いますが、充分に気を付けておきますね」

「確か、本日は午後から外に出られるのですよね?」

「狐さんがすっかりしょげてしまっているので、大聖堂に連れていってあげようと思いまして」

「ああ、送り火の魔物がこちらに入れなくなりましたから」

「いや、あの狐は一体何なのだ?」

「狐です。というか、完全に狐になりました」


エーダリアは疑惑でいっぱいであるが、狐になってしまった魔物についてはそっとしてあげておいて欲しい。

最近はボールでよく遊ぶようになり、犬用のシャンプーにも慣れてきたのだ。

今回のおでかけに際しては、首輪とリードにも挑もうとしている。

そんな自分を見つめ直すことなく、このまま狐として生きた方が幸せであると、ネアは密かに思っていた。


銀狐にリードをつけると言うとヒルドは頭を抱えてしまったが、暴れたり攫われたりしてもいけないので飼い主の義務である。

ひとまず注意喚起も終わり、午前の仕事も終わった後でネア達は狐を連れて街に出た。




そして外に出て発覚したことは、銀狐がとても美狐であったことだ。

本日は銀色に映える瑠璃色の上等な首輪とリードをつけて、落ち込むかと思えば上機嫌になった。

ニス加工したような艶々の革の首輪は美しく、ちょこんとお座りしてこちらを見るときなど、良家の狐のような居住まいだ。


「どうしましょう、ディノ。狐さんを連れていると人気者です」


道行く人々に綺麗な狐だねと褒められ、よく毛だわしになりがちな尻尾はふっさふっさと振られている。

本人としても毛並みを褒められるのは嬉しいようで、毛皮を整える犬用シャンプーも効果を発揮していた。


普段はディノの人ならざる美貌からかあまり声をかけられることがないのだが、狐の散歩中ともなれば、ご年配の方々が甘い声で狐を褒めつつ声をかけてくれた。

お勧めのワクチンや、犬用の玩具やおやつなども教えて貰い、ネアとしても嬉しい収穫だ。



しかし、まさかここまで狐が人気になるとは思ってもみなかった。


(前の世界ならともかく、こちらでは狐ぐらい珍しくないだろうと思っていたのに!)


「この子は大人しいねぇ」


その台詞をかなりの数聞かされたが、ネアもあまりこの狐の鳴き声を聞いたことがない。

恐らく正しい狐の鳴き方がよくわからないのだと踏んでいるが、緊急時には謎の狐語で喋ることもある。


「見て下さいディノ、あまりにも褒められ過ぎて、こやつの歩き方がこれ見よがしになってきました」

「もう元には戻れないのかな……」


艶々の尻尾が風に揺れるように意識して歩き始めた銀狐は、反対側の通りにいた大型犬を一瞥して馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

アフガンハウンドのような素晴らしいカフェモカ色の毛並みの犬なのだが、今や銀狐にとっては敵にもならないようだ。

しかしながら、その仕草がお気に召さなかったのか、犬の方が低く唸り出した。

銀狐はその様子にますます調子に乗り、見せつけるように尻尾を揺らしてからつんと顔を背ける。


「困りましたね。ここまで来ると自意識過剰な狐になりかねません」

「とうとう犬と争うところまでになったね」

「あちらの犬さんも、だいぶお綺麗ですけれどね」

「あれは、水の精霊とのかけ合わせだろう。人間は美しい犬を作る為に、よく精霊と合わせるんだよ。魔術可動域も高いから、護衛としても有能だから」

「そんなすごい犬さんなのですね!」



その時、予期していなかった悲劇が重なった。


水の精霊という気位の高い生き物の要素を汲んだ犬がとうとう我慢の限界に達し、ネアが犬を褒めてしまったのを耳にした銀狐もいきり立った。

飼い主の老婦人が持つ細いリードを振り切り、アフガンハウンド感満載の犬が銀狐めがけて飛びかかってきた。


「えっ?!」


まさか犬が転移するとは思わなかったネアはすっかり油断しており、いきなり眼前に現れた犬に驚いて、荒ぶる銀狐が強く引っ張ったリードが指先をすり抜けてしまう。

すぐにディノが追いかけて捕まえてくれたが、犬も狐も荒れ狂っているので、ギャワギャワ大騒ぎの狐を抱えたまま、慣れない獣の喧嘩の仲介をする羽目になっていた。


愛犬を追いかけて道路を渡ってきた老婦人がディノの腕を掴んでいるようなので、もしや飼い主同士も喧嘩沙汰になるのだろうか。

魔物はそのような交渉に慣れていない筈なので、ばくばくする胸を押さえて一息ついたネアも、慌てて側に行こうとしたのだが、周囲の野次馬に止められた。


「あらあら、可愛らしい喧嘩ね。お嬢さん、お連れさんに任せて離れていた方がいいわよ」

「…………あれは、可愛らしい範疇でしょうか」

「うちの犬も、よくああやって喧嘩するよ。時々暴発するが、ウィームではまぁよくあることさ」

「………暴発?」

「まぁ、犬は魔術を使うからね。猫のように飛ばないだけマシだろうが」

「猫は飛ぶのですね……」

「その点、普通の狐は可愛いわよねぇ。魔術も使わないし、猫程大きくならないし」

「猫、………そんなに大きくなるのでしょうか?」

「そりゃ大きくなるよ。下手すると、人間より大きいからね!」

「ねこ…………」

「危ないですよ。犬は魔術の使い手ですから、あまり近付かない方がいい」


既に銀狐人気で周囲に人が多くいたので、集まった野次馬達からわいわいと話しかけられる。

新事実に驚きながらも、最後に声をかけてくれた人は心配をしてくれたようなので、視線を持ち上げてお礼を言おうとして、ネアは目を瞠った。


深々と商人用の帽子を被った男が立っている。

縦長の瞳孔を持つ淡い緑色の瞳に黄色の光彩は、どうも記憶を刺激する色合いではないか。

と言うかこれは間違いなく、エメルという水竜だろう。


「…………む」


ついつい不審そうに眉を顰めてしまい、ネアは一瞬で分を悪くした。

気付いてしまったことに気付かれたのがわかったが、ディノを呼ぼうとして、ふっと唇を噛む。


実は最近、少々ややこしい変遷を辿ってきたところなのだ。

冷静さを欠いて罠に落ち、咎竜とやらの死の呪いを授かったかと思ったら授かっていなかった。

でもそれはまだ、確実に大丈夫だと確かめた訳ではない。


(竜に関わると時々心臓のあたりが熱くなる現象が、竜の媚薬のお蔭だと判明すればもう間違いないのだけれど……)


もし、この竜で薬の効果を確認出来るのであればまたとないチャンスだ。

元々、竜くらいであれば一人で倒せるという自負もなくはない。

注意喚起の後であるし、最悪蹴り倒してしまえばいいのだから。


(とは言え、心配をかけてもいけないのでこっそり少しだけ……)


ネアは、助けを呼ぶのを一拍だけ遅らせて、体の向きを変えて真正面からその男性の瞳を覗き込んだ。


敵意ある者に、視線をしっかり合わせることが条件なのだ。

そうではなくとも不可侵の効果は出るが、酩酊と表現される魅縛にはこの条件が必須となる。

元々ネアを傷付けるつもりがないのだから参考にはならないものの、会ってから暫くして効果の出たドリーが良い例であるし、咎竜とて最初の頃は応戦してきたものだ。



「お前……………」


何かを口にしかけて男はぎくりと凍りついた。

ただの数秒で、その目元が朱を差したようにぱっと染まる。

一見リズモの効果とさして変わらないように見えるが、その効果と決定的に違うところは、竜の媚薬は嗅覚からも浸食するというところで、それを示すかのように男は口元を片手で覆った。

これは明らかにアンヘルの時とは違う症状だ。

と言うか、リズモ産の二十九個の祝福を得た人間が、実は竜の媚薬も服用していたのだから、アンヘルは症状が軽かった方なのかもしれない。


「うむ!」


効果を確かめられたネアは、思い残すことなく不審者の処遇を魔物に任せるべく、今度こそ声を上げようとする。


(ディノを……)


「ま、待ってくれ………!」


けれど、魔物を呼ぼうとしたその瞬間、男は焦ったようにネアの手を掴んだ。

離れないように引き留めようとしたらしく、傷付けられるような力は入っていなかったが、掴み方が悪かったせいで魔物の指輪に鋭い爪先がかかってしまう。

外せないような効果もないのでするりと指輪が回り、男は自分が爪をひっかけた指輪を見て露骨に嫌な顔をした。


「何でこんなものをしているんだ。外し…」


ぱっと閃いたのは怒りだろうか。

単純に、この指輪を奪われかねない方法で触れられたことが我慢ならなかったのだ。


「その手を離しなさい!」


次の瞬間、柔軟体操により前よりも上がるようになった足で、ネアは容赦なく男を蹴り飛ばした。


死の舞踏かウィリアムの守護か、ものすごい勢いで地面に叩きつけられた男の背中を踏みつけてから、おやっと視線を巡らせればいつの間にか周囲の雑踏は消えていた。

先程と同じ場所に立っている筈なのだが、自分達以外の人影が消えている。

周囲の風景も、どこか色を曖昧にしていた。


(これ、…………影絵のようなものかしら?)


あまりにも暴力的なので、通報されたりしないようにと慌てて隔離されたのかも知れない。

そんなことを思った途端、勢いよく肩を掴まれた。



「ネア!何をしているんだ?!」


ぐっと低い声に目を瞠った。

初めて聞くような暗く鋭い声だ。


「ディノ?」


こちらを見た瞳にあるのは何だろうか。


(焦燥?激怒?それとも………悲しいのかしら)


「………君は私のものなのだから、……お願いだから無茶はしないでくれ」


驚いたネアに、何とか激昂を鎮めたような声の軋み方で、ネアは首を捻りたいのを何とか堪える。

さすがにそんなことをすれば怒られるだろう。


「………はい。なので、自分ごとはもはや自分一人の問題ではないのだと己を戒める為にも、こうして指輪を大事にしています」

「指輪なんていくらでも新しいものをあげるよ。………それよりも、君自身を大事にしてくれないか」

「………それは、……この指輪は宝物なのでついつい無茶をしてしまうのは今後も否定出来ませんが」


するりと本音が溢れ、ネアは片手で口元を押さえた。

ディノの眼差しがぞっとするくらいに冷ややかになる。


「………もう、無理矢理にでも手に入れてしまおうかな。どうせ君が逃げるなら、その方がいいかも知れない」

「む。……そういう扱いは好きではありません。そしてディノ、さらりと私の史上最高の告白を無視しましたね?」


ネアは、ブーツで踏みつけていたエメルを転がすと少しだけ遠ざけた。

倒したときに転がった帽子は魔術産なのか、もうどこにも見当たらなかった。

晴れて自由の身になりご機嫌なので殺しはしないが、ずっと足元に置いておく程に気に入ってもいない。

無力化されたことがわかれば用はないし、どうやらこの空間の調整はディノの仕業のようだ。

このままにしておいても問題ないだろう。


「………告白?」

「………気付いてくれない人に言う必要はあるでしょうか。それから、もう終わったので安心して下さいね」


ディノが困惑したように瞬きする。

怒っていたのは自分の筈なのに、なぜネアに叱られたのかわからないのだろう。


ネアはそこから視線を外し、あまりの衝撃に剥がれたのか、地面に散らばった鱗をいそいそと拾い上げる。

人型の状態でも激しく戦えば鱗が落ちるシステムだとわかったので、今度またやってみよう。

エーダリアにもあげるとして、今回の最大の功労者であるアイザックにも一枚くらい賄賂としてあげておく必要があるかもしれない。

ドリーは同族なので、鱗ではなく彼の好みそうなものをきちんと買って送ろうか。


(まずは、この鱗が消えてしまわないように、起きたら慰謝料として譲渡する旨を約束させないと!)


意識が逸れたことに気付いたらしく、再びディノに肩を掴まれて視線を合わされる。


「ネア、こちらを向いて」

「…………むぅ、まだご機嫌斜めですね」

「当然だよ。目の前で同じことが繰り返されるのは不愉快だ」

「………同じこと?」


首を捻ると、ディノは小さく溜め息を吐いた。

本気で疲弊した吐息の温度だったので、ネアは少しだけ考えて歩み寄り直すことにする。

拾い集めた鱗をポケットにしまい、両手を広げてばすんとディノに抱き着いた。


ぎくりとして目元を染めてから、ディノは眉を顰めて目を細めた。


「うやむやにしようとしているのかい?」

「寧ろ、同じこととは何だろうと吐かせようとしています」

「………言の葉に仕事をさせたから、もういいけどね」

「言の葉………?」

「言の葉の魔物だ。言葉に纏わる全てを管理するが故に、言葉から成される魔術を緩めることも出来る」

「………そうなのですね。もしやお出かけした日は、その方とお仕事をしていたのですか?」

「…………どうして君はわからないんだろう」

「言わなければわかりませんよ。私がディノに言わなくてもわかって欲しいと思うのは、伝わらなくても心以外は損なわない可愛らしい甘えの一つですが、これはそういうものではなさそうなので説明して下さい」

「…………心を損なうのなら、それを説明してくれようとはしないのかい?」

「その場で伝わらなかったことを説明すると、羞恥心で死ぬので断固拒否します。後で、ダリルさんにでも聞いて下さい」


そう言えばますます魔物は困惑したが、心配のあまり荒ぶったことはネアにもわかる。

身勝手ながら、あまり管理を強められても窒息してしまうので嫌だが、これ以上は可哀想だと思って素直に謝ることにした。


「ディノを呼ぼうとしたところで、あやつが指輪に手を出そうとしたのです!」


(あれ、言い訳になった………)


「それで怒り狂ってしまいましたが、心配させてしまってごめんなさい、ディノ」


まだ抱き着いたままなので、ネアはもう少しぎゅっと抱き締めてみた。

魔物は目元を染めはしたが、どこかまだ頑固な顔をしている。


「それと、手に入れた薬の効果を確かめていました」

「薬………?」

「はい。ガーウィンの空中都市で踏んづけた竜めを売り払いまして、竜の媚薬にしたのです!」

「………竜の媚薬」

「なので、これからは竜の方達に傷付けられることはありません。安心して下さいね」

「ネア、………勿論安全も大切だけれど、元々通常の攻撃のようなものは、指輪で防げるんだよ。……少し精度も上げたからね。だから、竜の媚薬を服用しているということは、竜を籠絡するばかりだ」

「なんと。………ドリーさんはご無事でしたが……」

「ドリーにも試したのかい?いつ会ったのかな?」

「カルウィにご一緒した時ですよ」


ネアの言葉に、なぜか魔物は目を細めた。

酷薄さが刃の様に美しく、ネアは思わず見惚れてしまう。


「君が買い物に行ったのはその後だろう?」

「はい。ですが、アイザックさん曰く、納品はもう少し前だったと発覚しまして。カルウィの時は既に服用済みだったのです」


「…………もう少し前?」


目を瞠った魔物が、呆然としたままこちらを見ている。

囁くほどの声がどこか頼りなげであった。


「はい。実はアイザックさんは、私が咎竜に出会うのを知っていたらしく、その現場に竜の媚薬を届けておいてくれたんですよ!」



そう明かした途端に、ディノはぐらりと体を揺らした。



「ディノ?……わぶっ!」


唐突に抱き締められ、更にぎゅうぎゅうと締められる。

鼻がへしゃげそうだったが、その嵐の中でネアはふと考えた。



「………もしかして、私が咎竜めに呪われたことを知っていたのですか?」


そっと尋ねた途端、顔が押し付けられている胸が震えた。



「………ああ。そうだ、知っていた。ダリルの機転で、知らされたんだ」


「まぁ…………」


その答えでここ半月ほどのディノの不調の全ての原因がわかり、ネアは息を呑んだ。



(それは、………)



それはきっと怖かっただろう。

そのことも合わせて、この魔物が眠れなくなるくらいに怯えていたのかと思えば、じわりと目の奥が熱くなる。

誰か大切な人が死んでゆくということは、病気で儚くなってゆく弟を見ていたからよく分かるのだ。



「ディノ、」



それ以上は何も言えなかった。

ただ、全身でしがみついている魔物を精一杯抱き締めてやった。



「………そうか。だからお前はさっき、私を止めたのか。確認させるとは、そういうことだったんだね」


ややあってから顔を上げたディノが、ぽつりと呟いた。


「ディノ………?」


眉を顰めて振り返ったネアは、先程の犬を連れた老婦人が、にこにこしながら背後に立っていることに気付いた。


(この人、人間ではないんだわ………)


「はい。商品の品質確認も、当社のサービスですからね。分かり易い効能のものではありませんから、ご本人に商品の動作確認をいただく必要があります」


「…………もしかして、アイザックさん?!」


愕然としてそう問いかけたネアの視線の先で、老婦人は異質なまでにべったりと黒い、スーツ姿の男になった。

相変わらず手にはリードを持ち、犬も大人しく座っている。

ネアはふと、大事なことを忘れているような気がした。


「商品には満足いただけましたか?」

「はい!本当に咎竜の呪いがかかっていないかどうか、誰かに確かめて欲しいと思っていたところだったのです」

「宜しゅうございました。では、私はこれで」

「あの、水竜さんの鱗があるのですが、要りますか?因みに、好感度を上げんとする為の賄賂になります」

「ふむ。ではいただきましょう。祝福の子の鱗ですからね。このままでは三日ほどで消えてしまいますので、本人より贈与の承認を取っていただけますと幸いです」

「はい。慰謝料としてきちんと約束させます」


ぽそぽそと受け渡しをしていると、ディノがもう一度声をかけた。


「…………アイザック?」


黒い目を細めて、アイザックは小さく微笑んでから、胸に手を当てて臣下の礼を取った。


「我が王。あの日、アルテア様が九番の鍵を開けなけば、或いは、あなた様が与えた彼女の指輪を見なければ、私はこのような取り引きはしなかったでしょう」

「…………そうか」

「そして、ネア様の狩りの腕も見込んでの先行投資でもありましたので、今後ともどうぞ良しなに」

「やれやれ、君は相変わらずだ」

「私は昔からこうですよ。これからもきっとこのままでしょう。では、失礼します」


ひらりと黒髪を翻して犬連れのアイザックが消えてから、ネアは自分を抱き締めたままでいる魔物に聞いてみた。


「あの方は、魔物さんなのですね?」

「彼は欲望を司る魔物だ。公爵位であり、アルテアに次ぐ高い階位の魔物だよ」

「………まぁ!真っ黒なので意外でした。擬態されているのですか?」

「いや、アイザックは血が純白なんだ」

「………血が」



そこでネアはふわりと持ち上げられて、小さく口付けられた。

あまりにも普通にされたので密かにあたふたしていれば、ディノはその隙に素早く倒れている水竜を拘束してしまう。


「ところで大切なことを思い出したのですが、狐さんは……」

「逃げると困るから、リーエンベルクに放り込んでおいたよ」

「さすがにまだ意思が残っていると信じたいので、逃げないと思いますが、お部屋に戻っているなら一安心です」

「………そうか。あれも魔物だったね」

「さては一瞬忘れてましたね」

「うん………」



小さく息を吐いてから、ディノは拘束されて転がっている竜を嫌そうに見下ろした。



「まずは、これを届けてしまおう。その後で、少し話そうか」

「………はい」



とても叱られる予感がして、ネアは神妙な顔でこくりと頷いた。




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