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スープの精とスプーンの魔物



ネアが最近凝っているスープがある。

山羊のチーズのスープのブームが去り、今やトマトのクリームスープの時代なのである。


そんなお気に入りのスープにある日、不埒な盗っ人が現れたのだから、処遇など決まりきっていた。



「ま、待ちたまえ!それはスプーンの魔物だ!」


無言で拳を振り上げたネアは、同じ店にいた見ず知らずの男性に慌てて止められた。


「む………」


振り返った先にいたのは、灰色のウールのジャケットを着た身なりの良さそうなまだ若い男だ。

不埒な盗っ人はスープ皿の横で震えているので、まだ逃げ出す力はないと見る。


「それはスプーンの魔物だ。美味しく出来たスープと、それを喜ぶ者を見付けると現れて、スープにスープの精が生まれるように祝福をかける魔物なんだ」

「誰かが飲んでいるスープに、スープの精を生まれさせてしまうのですか?」

「そ、それは仕方あるまい。良い料理だという証明にもなるから、皆喜ぶものだ」

「現在進行形で食べているものに、見ず知らずの魔物が足を突っ込むのも嫌ですし、精が生まれても困ります」

「し、しかし!」

「ですので、スプーンの魔物さん、この方のスープにお向かいなさい。私のお皿に寄ってくるのは迷惑です」

「ピッ!」


喜ぶかと思った人間に殺されそうになり、挙句残虐な表情で指示をされたスプーンの魔物は飛び上がった。

ぽわぽわのヒヨコのような生き物だが、かといって美味しく飲んでいるスープに足を突っ込まれたくはない。


「この方はあなたに好意的なようです。幸い、飲んでいるのも私と同じ種類ですから、どうぞあちらに」

「ま、待ってくれ。私の皿に乗せるつもりか?!」

「私を止めた責任を取って下さい」

「ほら、あの皿だよ」

「ピッ!」


やり取りを見守っていたディノにも指示され、スプーンの魔物は震えながら小さい羽で隣のテーブルに飛んで行った。


「なっ?!こ、こら!足を入れるな足を!」


背後のテーブルの騒ぎを聞き流しつつ、ネアは続きのスープを美味しくいただいた。



「やはり、トマトのクリームスープは素敵です」

「幸せそうだね、ご主人様」

「はい。香辛料と少しの唐辛子が効いていてとても幸せです。ディノも、このお店でのスープのお作法に慣れてきましたね」

「うん。こういう店で食べるのも楽しいね」


ディノは、ガラス張りのカウンターの向こうに、沢山のスープが並んでいるのが気に入ったようだ。

実際にスープの入ったお鍋を見てから、飲みたいものを決められるからだ。

最初の頃はグヤーシュ一辺倒だったが、最近は本日のスープを選ぶという玄人技がお気に入りである。


ガーウィン以降串揚げも気に入ったようなので、今度のお休みにはウィームの串揚げ屋さんに出掛ける予定だった。


「そう言えばディノ、リノアールについて知りたいのですが、あのお店はどこから商品を仕入れているのでしょう?」

「契約している個人専門店も多いけれど、リノアールそのものの商品のことかい?」

「ええ。この前、転移門の話をしていましたよね。あれはリノアールブランドとして買ったものなので、ふと疑問になりました」

「それであれば、恐らくアクス商会だね。数の出る品は、ほとんどそうだと思うよ」

「アクス商会は、顧客に卸す特別な品物ばかりということでもないのですか?」

「量産品もリノアールのような店であれば受けているようだね。リノアール自体では、製造までは行っていないんだ」

「まぁ、知りませんでした!ディノは物知りですね」


褒めるとはにかんだので、ネアは微笑みかけてやってから少しだけ思案する。

となると、ネアが購入したのは、巧みに混入されたアクス商会製の転移門なのだろう。

どうしてネアがそれを選ぶのか等は、魔術のさかんな土地なのだしきっと仕掛けがあるに違いない。


(………政敵の首という注文にまで、応えてくれる商会らしいしなぁ)


「今度から市販品を購入するときは、ディノにも見てもらうようにしますね」

「そうだね。魔術を展開する品物は特にね」

「はい。こうして一緒にいれば安心ですね」

「………うん」

「ところで、………どうされましたか?」


ふと気配を感じて振り返ると、先程の男性が今度はテーブルの横に立っていた。

スープの入ったお皿を手にしているので、苦情だろうか。



「ほら、これがスープの精だ。知らなかったのだろう?」

「まぁ、見せてくださるのですか?有難うございます!ほらディノ、スープの精さんですよ」

「………魚」


魔物はたいへんに複雑そうな顔をしていたが、スープの精とやらは小さな小魚の姿をしていた。

あつあつのスープの為か、何やら苦しげだ。



「………こやつ、死ぬのではないでしょうか」

「確かに辛そうだが、すぐに消えてしまうので死にはすまい」

「しかし、このスープは唐辛子入りですよね」

「………唐辛子入り」

「何でこんな風に、変な生き物ばかりいるのだろう」



三人でつい見守ってしまった中、スープの精は辛そうにあぷあぷしながら何とか姿を消した。

ネア達はスープの精を見せてくれたお礼を言い、男性はどこか複雑そうな表情で席に戻っていった。


「スープの精………」

「ディノ、またしてもしょんぼりしましたね」

「あれがスープ皿に現れたら嫌だね」

「海系統の精霊さんや妖精さんが多いのですから、ヴェルリアには多く現れるのでしょうか」

「ヴェルリアでスープを飲むのはやめよう……」


スープの精が現れるのはやはり誇らしいことなのか、店主が奥で歓声を上げているようだ。

客達からも拍手が上がり、店内にいた客には次回無料の簡易チケットのようなものが配られた。

スープの精が現れると、領内での星付きの店に昇格出来る為、記念のサービスなのだとか。



「今日は面白い体験をしました。あの男性の方も、お食事代が無料になっていて良かったですね」


スープの精が現れたお皿は、店側で回収して新しいものと取り替えてくれていた。

そうしてスープの精が現れたお皿を鑑定して貰い、正式な認定書が発行されるのだそうだ。

男性はどこかほっとしていた様子なので、やはりあの小魚が泳いだスープは嫌だったのだろう。


「………不思議だね。スープの精が現れたという店には何度も行ったことがあるけれど、見たのは初めてだ」

「ディノでも初めてだったのですね。ふふ。では今日は、二人でスープの精を見た日です」

「…………記念日?」

「プールのお嬢さん達の価値観を真似っこしないで下さい。記念日は、ある程度少ないからこそ際立つものですよ」

「ネアは、あまりそういうのは好きじゃないんだね?」

「メリハリですね。お誕生日や、祝祭は大好きです。しかし無作為に増やしても喜びが分散してしまうので、今あるくらいが順当ではないでしょうか」

「そういうことなんだね。では、次は傘の祭かな……」

「来週には傘選びですよ!楽しみですね」

「………傘選び」



まだ傘祭りの概要が飲み込めていないらしく、またしてもディノは少ししょんぼりした。少し前までは特に考えずに聞き流せていたことが、どうやら最近は真剣に考え過ぎて具合が悪くなる傾向にある。

色々なことに興味を持つのはいいことだが、見ていると不憫になるので、もう少し適当でもいいのではないだろうか。



「ディノ、ほら街中に傘祭りのポスターがありますよ」

「古い傘を解放して、新しい傘を買おう……か。人間は古いものは嫌いなのかな」

「これは売る側のプロパガンダですからね。古いものを愛着を持って大事にする方も多いと思います」

「君はどっちなんだろう?」

「私は強欲なので、どちらも欲しいです。新しいものに心を惹かれることもありますし、古い宝物を大事にもしたいです」

「………新しいもの」

「ただ、これは品物に限りますよ。身の回りの人や、住む土地などはあまり変えたくない方です」

「ネアが一番最初に会ったのは、エーダリアだね」

「あら、私専属なのはディノなので、ディノにはずっと専属でいて欲しいです」

「ネア、」


ふにゃりとなった魔物にぎゅうぎゅう抱き締められて、ネアは歩道横の小さな広場に避難していたことに感謝した。


可愛らしい広場には雪をかぶった大きな木があり、その周りには水仙や椿が満開の花を咲かせている。

木の枝葉の陰には瀟洒な街灯が立っていて、小さな氷柱を下げていた。



「……ディノ、今朝は疲れていたでしょう?」

「…………大丈夫だよ」

「そんなに悲しげにしなくても、置いていったりはしないので、疲れていたら教えて下さいね。私には有給がたくさん残っているので、ディノが疲れていたらお休みを申請して一緒にいますから」

「一緒に?」


驚いたようにこちらを見た目は澄明だった。

昨日の夜、ネアはこの瞳が冷ややかな怒りのようなものに眇められていたのを見ている。



最近妙にお風呂が長いので、疲れているようだし大丈夫だろうかと探しに出たのだ。

まさか浴室にいないとは思わず、慌てて探したところ、庭の奥でぼうっと立っている姿を窓から見付けて驚いた。


(…………多分……怪我を、していた)


ほんの一瞬だけれど、額を拭った彼の指先が鮮やかな真紅に見えた。

それはすぐに消えてしまったが、決して見間違いではなかったと思う。

その場で問いただそうとしたけれど、あまりにも疲弊して戻ってきたのですぐに寝かせたのだ。


こちらの寝台に上がりたがる余裕すらなく、巣の中で丸まって眠ってしまった魔物に、ネアは胸を痛めて深夜まで巣の隣に寄り添っていたくらいだ。


今朝は今朝で、髪を梳かしながら何かに悲しくなってしまったのか、ネアが買ってやったラベンダー色のリボンを見たまま悄然としており、無言で頭を撫でてやると少しだけほっとしたような目をしていた。



「ええ。一緒にいます。それと、昨日の夜の怪我は、もう大丈夫なのですか?」


綺麗な目をいっそうに瞠って、ディノは途方に暮れた顔をする。


「…………見ていたのかい?」

「お風呂で沈んでいないのか心配になったので、探していたら見付けました。ディノ、もう何日もの間、どこかで危ないことをしていたんですね」

「………昨日で最後だよ。数が合わなくてね、もう一つあるだろうと思って探していたんだ」

「ディノが怪我をするようなものですから、危ないものだったのでしょう?」


真珠色の三つ編みを手に取り、しっかりと握り締める。

朧げながら心のどこかで、この魔物が少しバランスを崩していることは分かっていた。

そしてそれが危うい何かの要因によるもので、彼がとても気を張っているということも。


「……ごめんね、ネア。怖い思いをさせてしまった」

「となるとそれは、私に向けられたものだったのですね?」

「いや、……厳密には私宛てだ。でも君を巻き込んでしまったし、………防ぎきれなかった」

「あら、私は元気ですよ。それなのに、どうして落ち込んでしまうのでしょう?」

「でも、君一人で対処したものもあっただろう?」


(…………ああ、やっぱりその流れなのだ)



毎夜ディノを苦しめていたものが何なのかを知り、ネアは小さな怒りが閃くのを感じる。

その表情を何と捉えたのか、ディノが微かに辛そうな目をした。


「あの方が、ディノにも何かをしたのですね?」

「………ネア?」

「ディノは私の大事な魔物です。なので、誰かがあなたを傷付けるのは腹が立ちます」

「どうして君は、何でこんな目にって、怒らないのだろう」

「怒っていますよ。しかしながら、お相手の方はもういません。なのでどうすればいいのか少しもやもやします」

「………私に対して、不快感はないのかい?」

「む。それは、過去にお付き合いした方の趣味に関してでしょうか?」


そう言われた魔物は、そうじゃないけれどそれも確かにという顔で困ったようにおろおろした。

少し意地悪してしまったので、ネアは微笑んで三つ編みを引っ張ってやった。


「人間は自分勝手な生き物です。なので私は、身内贔屓でディノのことは怒っていません。それに、妖精さんは割とよく呪うそうですしね」

「……君は時々、何でも知っているみたいだ」

「過分な評価なので、きちんと都度報告と共有をして下さいね。仲間外れにされると割と根に持つ方ですので、酷い目に遭いますよ?」

「…………報告する」


ご主人様の陰湿な一面を知らされてしまった魔物は、怖くなったのかこれまでのことを話してくれた。



そこでネアが知ったのは、やはりディノが、レーヌからシーの呪いを受けていたことだった。

しかしその最大の要点を省いて話そうとした為に、ネアに何度か突っ込まれてボロが出た結果の白状である。

隠すとろくな目に遭わないと脅され、ご主人様のあまりの声の低さに、すっかり怯えつつぽつぽつと話す。


(指輪を回収した夜に、すぐ対策に出ているなんて確実に怪しいではないか!)


心から疑うことなく、この魔物が格好のいい求婚をする為だけに指輪を回収したのだと信じていたネアは、自分の愚かさに壁か何かに頭を打ち付けたい気持ちだった。

さすがにディノも、そんなことを本気で言う程愚かな筈もなかったのだ。


(それに、こんなに謎に嫉妬深い魔物が、指輪を回収するだけで、何の規制もかけずに姿を消すなんておかしかったのに!)


立ち去ったのではなかったと明かされた段階で、そのことを考えてやれば良かった。

自分のことばかりで、この魔物のことをきちんと見てやってなかったのだ。


(と言うか、この魔物は案外お馬鹿さんなので、このくらいのことを考えかねないと思ってしまった自分が憎い………)



「という事は、あの格好の良さの追求と、万全の状態で求婚したいというのも、私を怖がらせないように言ってくれていたのですね」

「いや、それもあるんだけれど、それは暫くしてからやり直すつもりだったんだ」

「………おのれ、それも本気だったのか」

「ご主人様………」

「………それから、数がおかしいというのは何なのでしょうか?そのような呪いには、お作法の数字があるのですか?」

「呪いには、最も安定する数があるんだ。始まりは流言だったのだけれど、あまりにも多くの者が信じてしまうと、そこにもまた魔術の理が生まれるからね」

「美味しいスープから、スープの精が生まれるのと同じですね。その数は幾つなのですか?」

「二十九だよ。だから、……ネア?」

「…………二十……九」

「う、うん」

「そんなに沢山、昨日の夜みたいなものがあったんですか?!」

「いや、全てがあそこまで頑強な仕掛けではなかった。魔術の理を突いてくる仕掛けには上限があるし、あえて見落としてしまいそうな小さな罠もあったから。……ネア?!」


突然ご主人様に抱き締められた魔物は、分かり易く凍りついた。

少し震えてさえいる魔物を思う存分抱き締めてやってから、ネアは頬を染めて視線を彷徨わせているディノにもう一度微笑みかけてやった。


「ディノ、大変だったでしょう?有難うございます」

「………でも、足りなかったんだ。私は、人間の守り方があまり上手ではないらしい」

「そうですか?一緒にいると幸せなのですから、ディノは私の守り方は上手なのだと思います。後は少し、浮気の定義を緩めて欲しいくらいですね」

「ネア………」

「そう言えば、先程の男性には荒ぶりませんでしたね。実はスープ屋さんで、少し心配したのです」

「彼はダリルの信奉者だからね。他の誰にも見向きしないし、ネアも食事の邪魔をされてトントルみたいな目をしていたから」

「………トントルとは何でしょう」

「鷲の魔物だよ。とても獰猛で、雪食い鳥を倒すこともあるんだ」



トントルの絵姿を確実に調べる必要性を感じながら、ネアはその日は早めに部屋に帰ることにした。

魔物が落ち込んでいるのならと思って仕事を早めに仕上げて街に出てみたのだが、どうやらこれは部屋でゆっくり休ませた方がいい理由だったようだ。



「ディノ、今日は夕食を部屋に運んで貰うようにして、ゆっくりごろごろしましょう」

「…………ごろごろ?」

「とりあえず、ディノはゆっくり寝るなり、寝そべるなり、寛いで下さい。私は側で本でも読んでいますから」

「退屈しないかい?」

「あら、私は元々一人上手ですよ?ディノが側で寛いでいてくれるなら、安心して読書出来ます」



その日、ディノはネアの寝台ですとんと寝てしまい、けれども隣で背中にクッションを挟み込んで本を読んでいるネアの服地を掴んで離さなかった。



そんな様子を見ていて、ネアは少しだけ後悔する。

後悔というものはいつも、手遅れになってからやってくるのだ。



(こうなるとわかっていたら、出会い頭にブーツを二足共投げつけてやったのに!)



ご主人様がそんな残虐なことを考えていると知れば魔物が怯えてふるふるしそうだが、今はもういない黄昏のシーに対して、そう思わずにはいられなかった。




翌朝ネアは、白身魚のお団子の入ったウィーム古来のスープの蓋を開け、ぱたりと閉じた。


訝しげにこちらを見ているエーダリア達に微笑んでから、給仕妖精にスープの精がいるのでと伝えてお皿を変えて貰う。

お団子に挟まって溺れていたので、スープの精は現れるタイミングを考えた方がいいと切に思う。


激辛スープの中にも生まれてしまうのか、少しだけ知りたくなった。






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