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箱庭の糸



「悪いが出られないよ。それに話すことも出来ない」



そう答えれば、ある程度の手を打つだろうとは思っていた。

終焉が鳥籠を作るように、選択は箱庭を作れるのだ。

かつて迷い込んだネアが辿り着いたのも、彼の箱庭の一つだろう。


ややあって、瞬き程の間に周囲の風景は一変していた。


寝台が置かれているのは深い森の中であり、天井があった場所には星空が広がった。

大きな木々の足元には結晶石の輝きが揺らめき、ふくよかな太古の森の香りがする。


想定外だったのは、血濡れた剣を手にしたままのウィリアムも同席していたことだ。

無言でアルテアを睨んでいるので、恐らく仕事中だったのは間違いない。

彼が剣を手にしていたのだから、鳥籠が成す終焉の舞台は佳境であった筈なのだ。


「………シルハーン、一体どういうことですか?」

「私が呼び出したわけではないよ」

「では、アルテアに答えて貰うしかないのかな。あれ………、彼女は置いてきたんですね」


ディノが座っている寝台には、中身のない毛布のふくらみがある。

箱庭で閉ざされたその向こう側で、ネアがそこにいるという証だ。

これだけのことがあった上で目を離すわけもなく、ディノはアルテアに声をかけられてから全く動いていない。


「ほら、一切の誓約と条件を無効化してやったぞ。………で?何があった?」

「アルテアが、箱庭に俺達を招き入れるのは珍しいな。何かあったんですか………?」

「おい、シルハーン」


急かされて何を言うべきか、少しだけ考える。

とても単純なことなのだ。

だが、それを説明することが嫌で堪らない。


「…………咎竜の呪いだ」


小さく憂鬱そうに呟けば、アルテアが短く舌打ちした。


「くそっ、やっぱりそうか」

「咎竜の呪い?……………会っているときには際立った終焉の気配はしなかったが、ネアの場合は元より終焉の子供なので、区別をつけるのが難しいかもしれないですね」


ウィリアムは顎に手を当てて何やら考え込んでいる。

鮮血を滴らせていた剣はどこかに戻したのか、先程までの硝煙の香りももうない。


「残り時間はどれくらいだ?」

「……………一年だ」

「彼女の様子はどうなんです?」

「普段はあまり変わらず過ごしている。今夜も、あの子の希望で狩りに出ていたくらいだ」

「おい、呪いがあることは本人も知ってるんだろ?」

「そうだね。それを、呪いの道筋から外れたダリルに話していたのは彼女自身だ。あの妖精は迷路の主だから、上手く調整してくれたお蔭で私も偶然その場に居られたが、………」

「ってことは、伝達を封じる呪いもあるんですね。厄介だな。本来であれば、こうして箱庭に隔離すればいい話なんですが………」


ウィリアムが、そう渋面になるのも、もっともなことだった。

選択を司る者がいるのだから、本来はこのような形で、箱庭の中であれば一時的な条件解除の付加が望める。

だが、それが適応されるには箱庭の資質を生かすだけの魔術可動域が必要であり、ネアではその数値が足りないのだ。

身を浸食する咎竜の呪いを、アルテアの指定魔術を受け入れて書き換えるだけの魔術が、彼女の体に元々存在しないと言えばいいだろうか。


では逆に、外の世界を書き換えてしまうという手段を思いつく者もいるだろう。

だが、その場合は選択では用を成さない。

死ぬかもしれないし、死なないかもしれない、そういう呪いでなければ彼の領域ではなくなる。



残されたのはただ、ただ死を指し示す言葉だけ。



もしこれが呪いを司る咎竜などではなく、理に触れない生き物の残した呪いであれば、どれだけ高位のものであろうと万象の権限において造作もなく書き換えられたのだ。

よりにもよって、この世界を一柱の魔物のおもちゃ箱にしてしまわないよう、万象から守られた絶対的な権利であるのが、万象以外の者に与えられた理の魔術なのである。



或いは、随分昔に滅びた光竜がまだ生き残っていれば。



「光竜は一匹も残ってないのか?最悪、卵でもどうにかなるだろ」

「残念だが、俺が最後の一頭が滅びるところまで確認しています。咎竜と対になっていた光竜がいれば、呪いを解くのは簡単だったんですが……」

「となると、ステラータか」


妙な話だが、息を吸うと酷く疲れた。

身体に力を入れ、声を発することも煩わしいことがある。

ネアがいつものように朗らかに微笑んで一緒に居ると、その苦痛は和らいだ。


「今回のことを仕組んだのはレーヌだ。果たして星は、言うことを聞くかな」

「……………おいおい、レーヌかよ!」


鋭い声で呻いたアルテアが、深い溜息を吐く。

星が黄昏と姉妹のように育ったことは、多くの者が知っていることだ。

黄昏を姉と慕っていたステラータは、周囲の制止を振り切るように、今迄も随分と多くの幸運を彼女に授けてきた。


「まぁ、最悪はどうにでもしましょう。とは言え、星はせいぜい奇跡の範疇ですからね」

「………呪い封じの術式は幾らでもあるが、魔術可動域が低すぎて逆に損なわれるな……」

「と言うか、練り直しの際にもう少しどうにか出来なかったんですか?」

「元々魔術がない世界の生まれなんだ。あれでも限界だったんだよ」


ムグリスの祝福で可動域を増やしてはいたが、それですらあの程度を上げるのがせいぜい。

元々平坦であった場所に増築したプールでは、多くの水を溜め込むには無理がある。

そう言う意味では、この世界に生まれたどんな魔術可動域の低い生き物よりも、生来、受け入れるべき土台を持っていないという圧倒的に不利な資質なのだ。

魂の容量を削りでもしない限り、これ以上の可動域向上は難しい。



「で、どうするんだ、シルハーン?」

「ひとまず、言の葉と星、あとは君の手を借りようかな」


そう言えばアルテアは頷いた。

どのような手を打つにせよ、選択というものの役割は大きい。

呪いが言葉で成されたものであれば、その内容を選択し、星の奇跡によって導いた言の葉に、僅かな調整をさせれば少しはかけられた鎖が緩くなる。

まずはせめて、伝達の禁止だけでも緩めてやらなければ、ネアが哀れだった。



「……………言の葉か。見付けるのは難しそうですね」

「それなら問題ない。随分探したが、チェスカで見付けたよ」

「うわ、あの国にいるのか。近い内に鳥籠案件になるんで厄介だな……」

「引き籠りを引き摺り出すんだ。そこそこに荒れるぞ」

「いや、今回は緊急事態ですからね、俺もどうにでもしますよ。にしても、ネアからよく離れられましたね」

「まさか。部屋から探したから時間がかかったんだ」

「……おい、よくそんな作業方法を取ったな。何日かかるんだよ」



(でも、呪いの鎖を緩めて、その後はどうすればいいのだろう?)


万象として他にも出来ることは幾つかある。

ネア自身をもう一度書き換え直して、不要なものを削ぎ落とすのも可能だ。

だが、その際に削ぎ落とされた小さな部位が、彼女を大きく変えてしまったらどうだろう。

魂を他の器に移したり、滅多に目を醒まさない時司の魔物を叩き起こして調整させたり。

けれども、器を替えれば彼女は己の肉体を諦める羽目になり、時間に手をかければ、その中心地となるネアの魂はやはり歪む。


この手から零れ落ちた悪意が、彼女を傷付けたのだから。

だから、何一つ失わないようにどうにかしてやれないものか。


(ネアが今手にしている全ては、彼女が苦心して自分のものにしたものばかりだ)


自分が欲して手を伸ばしたが故に、見知らぬものばかりになったネアの世界。

愛おしいと思えば思う程に、何も奪えなくて息が止まりそうになる。

けれどもそれは逆に、何も譲れないという愚かな妄執でもあるのだ。



「………最悪の場合、あなたは彼女を殺すんでしょうね」


ぽつりと、ウィリアムがそんなことを言った。

何を今さらと微笑んでから、自分がその瞬間をどれだけ恐れているのかを思い知らされる。


「抵抗しそうじゃないか?」

「どうだろう。生というものにそこまで貪欲ですかね?」

「自分で死ぬのは構わないが、殺されるのは嫌だとか言いそうだろ」

「でもそれじゃ用を成しませんしね」

「シルハーン、殺すしかないなら、何で殺すのかはきちんと説明してからにしろよ。この前みたいなのは御免だぞ」


ウィリアムもアルテアも、表情を変えなかった。

彼等にとっては、幾つかある選択肢の中の手堅い一つ。

こうして強い抵抗を覚える自分は、異質なのだろうか。



「………そうするだろうね。それしかないのであれば」


あんな竜に奪われてしまうくらいならば、自分はきっとそうするだろう。

けれど、本当はそれだけは嫌だったのだ。

もっと多くのものを与えてやりたいと願っていた筈なのに、命さえも奪ってしまうだなんて。


もし、自分がそうするしかないと判断したならば、その時に彼女はどんな目でこちらを見るだろう。

自分には執着しないネアだが、やはり自分を殺す者は憎むのだろうか。

或いは、こちらの心を壊すような、せいせいした微笑みを見せるのだろうか。



「にしても普通に過ごせるのか。相変わらずだな」

「まぁ、終焉の子供らしいと言えばそうなのかな」

「知らないものではないんだろう」

「………ん?知らないもの?」

「彼女の世界には救いがなかった。それは特別な意味ではなくて、死んだ者が戻らないとか、望まない選択を受け入れなくてはいけないとか、望むような未来が訪れないことを知っているとか、月並みな形かもしれないけどね。だからきっと、救いがない事と、それを飲み込むことには抵抗がないんだよ」



もっと足掻いて欲しい。

そう願うのは執着して欲しいからだ。

けれどもネアは、まだどこかで手に負えなければ放り出してしまおうとしているのがよく分かる。


「だからこのまま行けば、いつかネアは自分など容易く諦めてしまうだろう」



こちらの想いを抱えたままいなくならないでくれと懇願しても、顧みないということも彼女の自由なのだから。



強い風が吹き、箱庭の森が揺れる。

アルテアと少し話し、言の葉に仕事をさせる日程を決めた。

ステラータについては、ウィリアムが説得してくれるのだという。


ふと、こんな風に何かを成したのは初めてだと不思議に思った。


申し合わせて何かをしたことはあるし、箱庭で会うのも初めてではない。

だが、彼等が当然のように無言でこちらの作業を引き取ってゆく、そんな関わり方は初めてだ。


(…………そう言えば、ノアベルトもそんなことを話していたな)


不思議だが、彼等の方が視野が広いような気がして少しだけ安堵した。

そのよくわからない安堵の形に、またネアに出会ったことの恩寵を思う。

知らないものばかりを明るく照らしたその鮮やかさは、失える筈などないものだった。



「もう少しだけ、我慢しておくれ」


そう、眠っているネアの頬を撫でれば、触れられたことが気に食わなかったのか低い唸り声を上げる。

触れている手をばしりと叩き落されて、少しだけ微笑んだ。


(生きている………)


ここに生きていて、息をしている。

だが、そう思えば思う程に、守り方もわからない自分が情けなかった。



「…………ごめんね、ネア。私は知らないんだ………」


他者からの浸食などを受けることもなく当たり前のように自由に生きてきたせいで、人間を、魔術可動域の低い者を、どうやって彼女を守ってやればいいのかがわからない。

拾い集めてきた知識のどこにも、たった咎竜の呪いから自由にしてやるだけの方法すら見当たらない。


どんなことが常識で、どうすれば喜ぶのか。

何を好み、どうすればこちらに心を割いてくれるのか。



どうすれば死なせずに済んで、どうすればこんな日々をこれからも送れるのか。




「もう少しだけ待ってくれるかい………?」



一人で苦しみを堪えさせてしまうのを許して欲しい。

そう言えれば良かった。

だけど彼女は彼女だから、自分を切り捨てるのをどうか我慢してくれとそっと囁く。




窓辺に置かれた天上湖の結晶が、雪灯りにゆらゆらと青く揺蕩う。

初めてプールに行ったときのことを思い出した。



青い青いプールの水に沈み、自分は魔術がなければ泳げないのだと知って呆然としていると、失望しただろうかと心配になって見上げたネアは、微笑んで頭を撫でてくれた。


「誰にも水泳を教えて貰わなかったのですか?」

「…………泳がないからね」

「あらあら、それなのに本人もみんなも、泳げるとばかり思っていたんですね。………む。拗ねましたね?」


拗ねたわけではなかった。


(いつだって、自分すら知らないことをネアが見つけ出してくれる)


こういうものが欲しかったのだと、何度も何度も思うその先で、また新しいものを提示される。

その欲求が肯定されると、ふと自分というものが希薄になるようで恐ろしくなることがあるのだ。

でも結局、そんな事などどうでもいいくらいにここは居心地が良く、また酩酊する。


泳げるようになりたい訳ではなくて、彼女が与えてくれるものが欲しいのだ。

それは時間や愛情だったり、或いは経験値や品物だったり様々な形をしている。

そうして、当たり前のように彼女がしてくれることを、自分でも返してみたい。



プールでは、人間の恋人たちが楽しそうに遊んでいた。

こちらではネアが引っ張ってくれた浮き輪を、向こう側では人間の男が牽いている。

何度かそういう光景を見ていると、男性側が牽くのが普通のことなのだとわかった。

であればネアは、他の恋人や伴侶を得れば普通のように得られたことを、こんなところでも取り零していることになる。


そう思えば随分と悲しかったので、泳ぎを会得してみようと思った。

少し過度に励んだせいか、途中でネアにプールから出されてしまい、温かい飲み物を飲まされる。


「ねぇ、ディノ。楽しいですか?それとも、泳げなければと必死ですか?」

「ネア………?」

「もし、楽しくもないのに我慢しているのであれば、無理をする必要はありません。そして、それでも泳げるようになりたくて頑張るのであれば、ゆっくりやりましょう」

「……………どうなんだろう」

「では、明日はプールをお休みしてみましょう。それで、行けなくてがっかりするのなら、ディノはプールが楽しいんです。行かなくて済んでほっとするのであれば、また行きたいと思うときに来ればいいんですよ」

「そうなると、君は嫌じゃないのかい?」

「私が行きたいと思えば、ディノの都合などお構いなしにプールに行きたいと訴えます!」

「うん。それなら大丈夫そうだね」




眠っているネアの髪を撫でる。


やっと手に入れたと思えたとき、どれだけ安堵しただろう。

そうではなかったと知らされたとき、どれだけ失望しただろう。


仕方ないから婚約しようかと言って貰えたとき、どれだけ嬉しかったことか。

決して誇れる程の甘やかな言葉でもなく妥協案であったし、シーの呪いに触れることも明白だったが、それでも最後までその言葉を聞いていたかった。

その呪いによるすれ違いも生じたが、何とか無様に取り縋って間に合って。




(…………いや、間に合わなかったんだ)



重ねて、重ねて。

取り上げられたり、拒絶されたり、手を差し伸べられたりしながら、やっとここまで辿り着いた。

ネアからは、まだたった数ヶ月と言われてしまうけれど、でも、また同じことをやれと言われたら成し遂げられるだろうか。

それくらいには長く。



それなのに、守りきれなかった。

守れなかったくせに願うなど、馬鹿げているのもわかっている。



「それでもいいから、どうか諦めないでおくれ」



額を合わせて祈るように囁いた。

ネアの魂の内側には、市販品の厄介な術符がある。

血を浸透させたときに、密かに起動しないように枷はかけられたものの、あまりの親和性に引き剥がすことに苦労していた。

その術符を取り込み、すっかり自分の一部にしてしまうくらいには、彼女にとって死は良き隣人であるのだろう。

だからもしネアが、咎竜の呪いに疲れてその術式を起動してしまえば、何も損なわずには済むまい。



震える指先をそっと外し、何とか立ち上がったときだった。

小さな呻き声が聞こえ、怖い夢でも見たのかと慌てて振り返れば、ネアが眠そうな目を開く。

じろりとこちらを見て、なぜか眉を顰めた。


「…………むぐ。………徘徊ですか?」

「違うよ。ネア、魘されてたのかい?」

「…………魘されてはいなかった筈ですが、もうチキンは食べれません」

「それは夢じゃないかな」

「…………香草チキン」

「ほら、チキンなら明日食べさせてあげるよ。唸ってないでもうお眠り」

「仕方がありませんね、隣りを空けるのでディノも早く寝て下さい」

「……………ネア」


なぜか今夜に限って、自分の包まっている毛布を持ち上げて呼び込まれる。

明らかに寝惚けているのはわかったが、時折、彼女は全てをわかっているのではないかと思う。

気が変わらない内にと滑り込めば、抱き締められ、久し振りにゆっくりと眠ることが出来た。



夜明け前に何度か、チキンと呟いたネアに腕を引っ張られた。

可愛いのでそのままにしておいたのだが、暫くすると本気で噛み付かれたので慌てて起こす羽目になってしまう。



夜明け前に起こされたネアは酷く冷やかな目をしていたが、幸い不法侵入の罪には問われないようだ。













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