半竜の占い師と水竜の伴侶
会場で男達が深刻そうに話し合っていた。
魔術可動域の低いネアは、魔術における誓約の現場には立ち会えないので席を外している。
すると、不意に背後から一人の女性に話しかけられた。
「ちょっと、歌乞いさん」
振り返れば、淡い水色の瞳をした柔和な顔立ちの女性が立っている。
とびきり美女というわけではないが、なぜか彼女の前に立つと微笑み返したくなるような穏やかな目の人だ。
「はい?」
「咎竜を倒してくれて有難う」
柔らかくそして真摯な声だった。
ネアは目を瞠り、彼女の綺麗な目を見返す。
「いいえ。我欲の為に倒したのですから。でも、このことで何かお役に立てたのなら嬉しいおまけです」
「私の伴侶の兄はね、咎竜の討伐隊にいたの。優しい人だったのに、戻ってはこれなかったわ。だから、あなたが咎竜を殺してくれて嬉しい」
「討伐隊にいたのですから、きっと強くて素敵なお兄様だったのでしょうね」
ネアがそう言うと、女性は笑顔で何度も頷いた。
栗色の髪を結い上げて、シャンデリア型のキラキラと光る耳飾りをつけている。
背後で彼女を心配そうに見つめている男性は、いささか年上に見えるが伴侶の竜なのだろうか。
「ところで、あなたに私の占いは届いたかしら?」
「……占い、でしょうか?」
「ええ。私は占い師の仕事をしているの」
「何かを私宛に届けて下さったのですか?」
竜がそのような形で職を得ているというのは驚きだった。
けれど、女性は微笑んで首を振る。
「個人的に顧客も持っているけれど、私の占いは大衆向けに発行された冊子に載っているだけよ。でもそれはね、本当に伝えたい一人の人にきちんと届くような運命になっているの。だから、あなたを見たときに、灰色の瞳の人宛の占いは、あなたの為に書いたのだわとわかったのよ」
その言葉に、かつてグラストの部下が持ち込んだ占いの冊子のことが思い出された。
忘れようにも忘れられないくらい、あの冊子は大きな騒ぎを引き起こしたのだ。
「なんと!その冊子であれば、同僚の方から貸してもらって読みました!確かに、厄介なものに好かれるので注意するようにと…」
一瞬、見知らぬ者の接触で危険が及ばないようにとネアの腰にがっちり手を回しているディノを見てしまいそうになって、慌てて首に力を入れる。
「良かった、届いたのね。ああして咎竜が死んでいるのを見る限り、あなたが無事なようで良かったわ」
「…………待って下さい、あの占いで適応されていた厄介なお相手は、咎竜なのですか?」
「既にそれが解消され、あなたが相手を滅ぼしたという相が見えるの。まず間違いないでしょう。最も効果的な道具を得ていたことが幸いだった」
小さく息を飲み、その道具はもしやあの時に使用した数々の武器だろうかと考える。
決してネア一人の力ではなく、様々な人達の好意や守護から得ていた道具達だ。
(………でも、呪いは受けてしまったけれど)
「咎竜の花嫁にされなくて良かったわね」
「むぅ、確かにそれはとても嫌でした。滅ぼせて良かったです」
(そうか。あの占いには、注意するようにと書いてあったんだった)
それは決してこんな風に大事なものになった魔物ではなく、もっと根源的な注意を促す為の文書だったのか。
(そんな風には読めていなかった………)
そこでなぜか、背後でネアを拘束していた魔物がくしゃりと肩の上に顔を埋めた。
落ち込んだときにする仕草なので、訝しく思う。
「………ディノ?お仕事中ですよ」
「…………うん」
困った感じなので驚いたようにこちらを見ていた女性に苦笑すれば、彼女も同じように笑ってくれた。
「私の夫も時々そうなるわ。あなたの伴侶程特別な存在ではないけれど、強くて高位の生き物がそんな風になってしまうのは困ったものよね」
そう言った彼女は、会議の席にいた誠実そうな目をした一人の男性を指で示して教えてくれた。
ものすごく不安そうにこちらを見たので、恐ろしい竜狩人と伴侶が話しているのが心配でならないらしい。
「困った人ね。お父様も一緒なのだから、危ないことなど何もないのに」
どうやら、背後の竜は彼女の父親であるようだ。
「とても素敵なご主人ですね。あなたと同じ目の色をしていて、ぴったりのご夫婦に見えます」
「有難う、歌乞いさん。あの人はね、目の色からもわかるように王の系譜なの。だから、普段は滅多にそんなことを言って貰えないわ」
「あら、不思議ですね。あなたもとても素敵な方なのに」
「ふふっ、ここでそう言う者はいないわ。私はね、半竜なの。母が人間で、だからほら、目の瞳孔も他の竜達とは違うでしょう?」
そう言われて初めて、彼女の容貌が目に馴染んだ訳に気付いた。
目が普通の人間と同じような瞳孔なのだ。
かつて、やはり王の系譜の竜であった彼女の父親が、一人の巫女姫に恋をして生まれたのが彼女なのだそうだ。
娘を出産するときに母親は亡くなったが、以後は父親がとても愛情深く彼女を育ててくれたらしい。
水竜は人間を食べるので決して恵まれた環境ではなかったそうだが、竜は己の宝物を命をかけて守る習性がある。
父親が高位の竜だったので、幸い疎まれてもその身が脅かされることはなかった。
「それでも、成人してからは自立する為に人間の社会に入り、巫女姫の職に就いていたわ。途中で上と意見が合わなくて占い師に転じたけれど、今の仕事はとても好き。偶然、お忍びで人間の街にいたラグにも出会えたし」
半竜の寿命は純血の竜のようには長くないのだそうだ。
けれども、今はとても幸せだと彼女は笑う。
「たくさんの愛情が散らばった、素敵なお話を聞かせてくれて有難うございました。あなたのお父様があなたを大事に育てて下さったので、私はあの占いに出会えたのですね!」
ネアがそうお礼を言えば、背後にいた父竜は厳つい容貌に見合わず涙ぐんで頷いている。
意外にも涙もろい御仁であるようだ。
「あらあらお父様、また泣いてしまったの?優しい優しい、困ったお父様ねぇ」
どんなスイッチが入ってしまったものか、妻と出会ったあらましを涙交じりに語り出してしまった父親を引き摺り、女性は苦笑交じりに去っていった。
「可愛らしい方でしたね」
「………よくわからないけれど、あの占いには確かに強い魔術の軌跡があったよ」
「まぁ、だからあの時にあんな風に萎れてしまったんですね?」
「………ネアは私のものだから」
そうぽつりと呟き、ディノは議場に横たわった咎竜の包みに視線を向ける。
議論が紛糾しているのは、和平交渉が大詰めに入っているからだ。
そこから先はネアの仕事ではなく専門的な交渉に入るので、誓約が終わるまではと、他の者達の気が散らないようにディノとネアは少し離れている。
(魔術師さんはがっつり参加してるけど、ドリーさんが気にならないならいいのかな?)
とは言えドリーの言葉を補填してくれたり、絡まりそうな会話をうまく解いているので、良い意味での潤滑剤として機能しているようだ。
「ディノ、このお仕事が終わったらカルウィの市場で乾燥させた果物を買ってもいいですか?」
「いいよ。好きなだけ買ってあげる。帰りに寄るかい?」
いつものようにほわりとした微笑みを浮かべた魔物に、ネアは微笑んで首を振った。
「今は国家間の関係があまりよくないので、万が一の危険を避けて無茶はしないようにします。今回のことが終わったら、また一緒に来て下さい」
水紺の瞳が一度見開かれ、滲んだ微笑みが綻んだ。
「………そうだね、そうしよう」
「その時の為に、カルウィの美味しい果物を下調べしておきますね。………あら、」
ふと気付けば、一向に泣き止まない父竜を宥めるべく、先程の女性の伴侶が駆け付けているのが見えた。
困ったような優しい微笑みでさっと伴侶を抱き上げており、一度見ている方が恥ずかしくなるような甘い微笑みで頬ずりすると、素早く彼女の父親を泣き止ませた。
「あの方の伴侶さんは、少しドリーさんに雰囲気が似ていますね」
「あれは、アンヘルの直系だよ。時期が合えば、次の水竜の王になる男だ」
「王子様だったのですね………」
少しだけ、あんなに大きな子供のいるアンヘルの年齢が気になったので聞いてみると、まさかの竜王の中で最も長命な一人だと知り、ネアは混迷の渦に飲み込まれた。
「竜の方々の容姿年齢がわからなくなりました……」
「水の魔術は、体力がなくとも扱えるものだ。竜は最盛期には己の望む姿を止め、衰弱に従い歳を取ってゆく生き物だからね」
「使う魔術の特性上、大人の男性の姿でなくても支障がなかったんですね……」
見上げた天井の高さに、目眩がする程に精緻なモザイク画。
宝石の装飾と金と青のタイルに、水竜を象った彫刻の数々。
アーチ状の窓からは、睡蓮の花を咲かせた水庭が見える。
こうして異国だと痛感する文化に触れる時程、ネアはここが異世界で、今隣に居るのが魔物という生き物なのだと痛感した。
日常に馴染む土地ではないからこそ、異質さを再認識するのだろう。
「…………ネア」
「どうしましたか?もうすぐ会議も終わりそうですね」
退屈してきたのかと思って視線を戻せば、ディノは仲睦まじい水竜と先程の女性の姿を見ていたようだ。
(…………あれ、嫌な予感がする)
「爪先…」
「帰ってからにしましょう!」
若干食い気味に提案したので、魔物は悲しげにうな垂れた。
「体当たりでもいいよ」
「ここで行えば、人間の評価は地に落ちます。種族の為に頑張らせて下さい」
「ご主人様が冷たい」
「ほら、手を繋いであげますから、元気を出して下さいね」
「…………大胆」
「どうすればいいのだ」
その後、ようやく会議が終わり魔術師が呼びに来る頃には、ネアはすっかり疲弊していた。