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84. 交渉チームは有能です(本編)



その日、ネア達はカルウィを再訪することとなった。

倒した咎竜を隠し持ち、あらためて今度はヴェルクレアとの和平交渉の為に訪れたのだ。


しかし、交渉の中身の全てはネアにも明かされている訳では無い。

やはり国と最高位の竜王の一人とのものになるので、言わばネアは交渉を円滑に進める為の道具の一つ。

過度を求められない代わりに、全てのことを教えて貰えるわけでもないが、それは安全性を考慮するからでもあった。


その程度の位置に置いてもらうと、ネアとしてもとても安心感がある。

もし何かがあったとしても責任が取れる立場にないからだ。



「……ご無沙汰しております」

「ん。相変わらず小さいな」


久し振りに会ったような気がする、そしてやはり豪勇なイメージから想像がつかないくらい、はっとする程穏やかに笑うのだ。


ネアが思い浮かべるドリーは、諸外国を震撼させた歴戦の将軍が退役して気のいいおじいちゃんになったような、そんな印象の火竜である。

わしわしと大きな手で頭を撫でられて頬を緩めると、隣の魔物にさっと腕の中に納められた。


その行為に、真紅の短い髪に金色の瞳をした火竜は少し驚いたようだ。


「………ディノ、ドリーさんですよ。ご挨拶を…」

「浮気かい?ご主人様」

「…………ドリーさんには、ヴェンツェル様がいらっしゃいます」

「ネア?ヴェンツェルは契約の子供だ」

「ドリーさん、紛らわしくて御免なさい。ディノの浮気の定義はとても広いのです。一番のものが他にあると知れば、心が鎮まりますので」

「……万象の魔物、俺には契約の子供がいる」


妙に毒気を抜かれる何かがあるのか、ディノは生真面目にそう伝えたドリーに、小さく溜め息を吐いた。


「……ならいいけれど、この子は私の婚約者だ。あまり不用意に触らないように」

「わかった。婚約したのだな、おめでとう」

「………君みたいな火竜は珍しいね」

「かもしれない。早くに人間の手に渡されてしまったからか、人間に近い考え方をするのではないかと言われたことがある」


寡黙な印象があるが決して寡黙ではないドリーがきちんと答え、ネアは首を傾げた。

ドリーに関しては第一王子の守護竜であり、祝福の子と呼ばれるとても強い竜であるということ以外は知らないのだ。


(確かその称号も、種族によって様々なのだとか……)


諸事情から竜について調べた時、それについても書いてあった。

同族では祝福の子供と呼ばれるが、祝福の子供という言葉を別の意味合いで持つ妖精や魔物からは、祝いの子だとか、祝福の子と呼ばれる。

しかし、精霊からはグランルー、厄介なやつという意味合いで呼ばれるそうだ。



「俺は、火竜の王が誤って殺してしまった王女への賠償として、ヴェルクレアに贈られた竜なんだ」


不思議そうにしているのがわかったのか、ドリーがネアにも事情を教えてくれる。

優しい声だがあまり穏やかな話ではなかったので、ネアは小さく息を飲んだ。


「大丈夫だ。当然のことだと思う」

「………そう、なのですか?」


ネアの心の動きがわかったのか、そう言ってドリーは小さく微笑んでくれた。

鋭敏だが、反応が優しいのでひやりとはしない。


以前に狩ってしまったときは気弱な印象が強かったが、こうして接してみればただ穏やかで優しい人なのだろうと思う。

ゆっくりと穏やかに喋るので、気弱に感じてしまうのだ。


「人間はとても小さいのだから、大切に扱うべきだ。ましてや、大事にしなければならないか弱い女性を殺してしまったのだから償うべきだし、悲しむ人達を守ってやるのも当然だ」

「けれど、悪さをしてしまったのは王様なのですよね?ドリーさんは嫌ではなかったのでしょうか?」

「王には王の仕事がある。誰かがやらなければいけないのなら、俺がついていてやれば、たくさんの人間を守れると思ったのだが……」


そこで、ドリーは少しだけ寂しそうな顔をした。

聞けば、逆に力が強すぎた結果、彼の力を扱い切れずに命を落としてしまった人間達もいたのだという。


「人間の方にも負荷がかかるのですね……」

「やはり国として、俺が害悪にならないように都度の契約を交わすからな。その時に倒れてしまう」


その結果、貰い受けた火竜を扱いかねた人間達は、王都の塔の上にドリーを幽閉していたのだとか。


「……それでも怒らなかったのですか?」

「俺の力を借りなくてもいいくらいに国が平和なら、それは良いことだ。統一戦争の時には呼び出されたが、また暫くは眠っていた。平和なのに呼ばれたのは、ヴェンツェルが初めてだな」


そう微笑んだ目の優しさに、この竜は本当に自分の契約の子供が好きなのだとわかった。

自分を解放しているから可愛いのではなく、単にヴェンツェル本人が好きなのだろう。

それこそ、祖父が孫を愛でる眼差しなのである。


「ドリーさんは、ヴェンツェル様が大好きなのですね」

「ああ、契約の子供はとても可愛い。時々、出張先からの土産で文句を言うが、怒りながらも大切に飾っている」

「…………縫いぐるみもでしょうか」

「確か、羊の縫いぐるみは、寝室に飾ってあった」



そこでネアは話題を変えた。

有能で冷酷と言われる第一王子の秘密を、あまり知ってはいけないと判断したのだ。

こんな情報ごときで消されるのは御免である。



「だから、ディノがネアを大事にするのもわかる。今日は、同行者として俺もしっかり守ろう」


最終的にはさらりと魔物もたらし込んでいるので、案外この竜はただ者ではないのかも知れない。

ヒルドが以前、あの方には何一つ勝てた試しがないとさえ言っていた逸材なのだ。



「何だろう。今迄の誰よりも危ない気がしてきた」


しかし、ディノはドリーに好感を持った反面余計に危機感を募らせたのか、しっかりとネアに三つ編みを持たせてきた。

とてもやめて欲しかったが、ドリーがそうやって使うと両手が空いて便利だなと感心してくれたので、事なきを得ている。



「今回、道は俺が開くが、先に交渉の場を整えてくれたネア達に不快感を与えたらすまない」

「いえ、お仕事として上に委ねた案件です。こちらこそ、今日はどうぞよろしくお願いいたします」

「わかった。困ったことがあれば、すぐに言ってくれ」

「はい!」



二度目になる水竜の門は、やはり素晴らしかった。

しかし、気のせいか前回より豪華絢爛になっている気がする。

ところどころを飾っている宝石は前回にはなかったもののようだ。


「色々な門の種類があるんですね」

「見栄っ張りだね………」

「あら、ご自身の持ち物なのですから、色々取揃えるのは水竜さんの自由ですよ」

「………これは、君に見せようとしているんだと思うよ」


そう判断して既にうんざりとし始めてしまったディノは、水竜の領域に踏み込んだ途端に更に嫌そうな顔をした。

微笑んではいるが、あからさまに冷めた表情なのは間違いない。



「………アンヘル様」


ネアもいささか驚いたことに、水竜の王その人が門まで迎えに来ていたのである。

お付きの竜達の目が、若干悟りを開いてしまっているのが妙に怖い。


「そなたは二度目だからな。迎えに来てやった」

「お気遣いいただきまして有難うございます、アンヘル様。この前もお茶を贈っていただき、有難うございました」

「ふん、あれは元々贈答用のものだ。蔵を整理したついでに過ぎん」


ネアとしてみれば大人としてお礼を言ったまでなのだが、途端につんとされてしまい、お付きの竜の一人が頭を押さえている。


「アンヘル、久し振りだな」


そこでアンヘルは、目が合い微笑まれて始めて、ドリーの存在に気付いたようだ。

ぱっと驚きに目を瞠りかけて、慌てて目を逸らしている。


「………火竜が交渉役とは、ヴェルクレアの王は何を考えているのだ。これだから人間は愚かなのだ」

「アンヘル、俺が来たのは同じ竜の立場であれば話がし易いからだという配慮だろう。嫌かも知れないが、この話し合いの間だけは我慢してくれ」


ざわりと他の竜達が囁き合い、ネアはドリーという竜が同族達の間でもとても有名なのだとわかった。

中にはわかりやすい憧憬の目をした者もおり、強さに好意を結びつける竜らしい反応とも言える。

同族らしく、初見のネアが感じたように、ドリーの穏やかさを弱さだと感じる者もいないようだ。


それを示すように、宮殿の中に移動すれば女達は露骨なくらいにうっとりとドリーを見ていた。

まだ少女である竜達の中には、無邪気に手を振っている竜もいる。

気付いたドリーが会釈すれば、きゃあっと嬉しそうな声が上がっていた。

少年達も目を輝かせて見上げており、大人から子供まで大人気だ。


対するディノを視界に入れると、今度はまた違う反応となる。

今日のディノは擬態もしていないので、あまりの白さに竜達はあえて視界に入れないようにしている節がある。

子供達は震え、大人達もうっかり見てしまって真っ青になっていたり、畏れの入り混じった陶然とした目をしていたりする。


(何だろう、この二人で何でも解決出来そうな気がする……)


まさに飴と鞭だと納得して頷いていたら、とある一角に目が止まった。


「……………わぁ」


大きく手を振られて、ネアは遠い目になった。

掴んでいた三つ編みを引っ張ってディノを呼ぶと、あんまりな仕打ちにすぐ側にいた竜がぎくりとしたが構っている余裕はない。


「ディノ………」

「あれは無視しようか」

「良いのですか?物凄くこちらを見ていますが」

「ご主人様、もうあちらを見てはいけないよ」

「いや、ちょっと待とうか!先に来て待ってた僕にそんな扱い?!」


慌てて駆け寄って来た黒衣の男に、こちらを見たドリーが少し驚いたようにする。

意味ありげに微笑んだ魔術師に、ネアはこの二人が知り合いなのだと考えた。


「ほら、何があるかわからないから、人手は多い方がいいよね?」

「魔術師さんは、向こうにいらっしゃる素敵な女性とお茶をしていたように見えましたが」

「………わぉ、よく見てたね」

「こちらには、頼もしいドリーさんがいますし!」

「君もそんな扱い?!」


ネアにもあまり庇って貰えずに眉を下げた魔術師だったが、意外なことに彼を掬い上げたのはドリーだった。


「ネア、彼は頼りになると思う。同行して貰おう」

「む。ドリーさんの判断に従います」

「ご主人様………」

「ディノ、本日はドリーさんが主役です。ここは大人の対応をして下さいね」

「何だと?わたしは火竜を招いたわけではない!」

「………面倒なことになってきましたね。魔術師さん口先で何とかして下さい」

「どうしよう、僕悲しくなってきた……」

「ご主人様……」

「面倒………」


面倒臭い男達がそれぞれにしょんぼりした結果、結局はドリーが一人で状況を上手く回してくれた。

ネア自身も発言できたのだが、人間であるネアが表立って動けば反感を買いかねない。

ドリーの好感度であれば、お付きの竜達も目を輝かせて従ってくれるので頼もしい。


(…………あ、あの時の竜だ)


大きな円環の場が設けられ、食べ物やお茶とが用意された席に入る時だった。

またしても床に座るのかとがっかりしていると、強い視線を感じて顔を上げる。


真っ直ぐにネアを見ている若い男性がいた。

若いと感じてしまうのは、水竜はとても長命なのでアンヘルの周囲には年配の竜が多いからだ。


(そりゃ、餌指定の人間を突然王様が特別扱いすれば、困惑もするし嫌な気分だと思う…)


彼に配慮して対応を変えるわけではないが、あの男性の気持ちが想像出来ないこともない。

少し可哀想になったが、気付かなかったことにしてあまりそちらを見ないようにした。


ネアが気にしていると知れば、魔物が荒ぶるのであの竜にも被害が及ぶ可能性があるからだ。



「ドリー、なぜお前がわたしの隣なのだ」


かくして会議が始まれば、ネアの座る席は実に巧妙に配置されていた。

左右をがっちりディノとドリーに囲まれ、隣の席から弾かれたアンヘルは冷ややかな目になる。


「アンヘル、彼女は今回補佐官だ」

「お前の隣など、無用心で話も進まぬな」

「同じことがネアにも言える。彼女は人間なのだから、知らない竜はとても怖いだろう」

「な、……前回はわたしの隣だったぞ!」

「前回は彼女の仕事だったから、一人で頑張ったのだと思う。偉かったな、ネア」

「はい。頑張りました」

「落ち込まないでよアンヘル。今日で年長者らしい穏やかさを見せてやればいいさ。この子だって本来は綺麗な生き物は好きだしね」

「何を言っているんだろう。ネアは私のものなのだから、交渉のテーブルに乗せられるだけ不愉快だよ」


そちらでわいわいしてくれている内に、ネアは本日のメニューをまじまじと観察していた。


積年の恨みを晴らすべく前回断念した料理を見付けると、晴れやかな気持ちで首飾りの金庫から秘密兵器を取り出す。

一瞬、ネアの動きに警戒の姿勢を見せた水竜達は、取り出されたものに呆然とした。



「アンヘル様、本日はお食事にスプーンを使っても宜しいでしょうか?」

「………構わないが、持ってきたのか?」

「はい。普段から手でのお食事に慣れておらず無作法になってしまいそうでしたので、前回は泣く泣く諦めたお料理があるのです」

「な、ならば好きに食べよ。前回とて、人間なのだから無作法でも驚きはしなかったが……」

「前回は、水竜さん達がとても食べ方が綺麗ですっかり萎縮してしまいました。やはり、古くから生きていらっしゃるので、皆さん所作がお綺麗なのですね」

「いや、結構普通に食べてたよね……」


魔術師が何か呟いていたが無視することにして、ネアは念願の料理を心置き無く食べる準備を整えた。


スプーンの準備をしたネアにとても期待に満ちた目で見つめられてしまい、目元を染めたアンヘルは慌てたように杯を取り上げる。

水竜の文化では、最も位の高い者が食事に手を付けないと宴席とならないのだ。


(というか、今回は会議なのだけど、やはり食べながら話すんだ………)


こちらの文化では、大事な話をする場では必ず宴席となる。

酒や食事を振る舞い、お互いに隠し立てのないところで重要な話し合いをして決める。

それが水竜達の流儀なのだ。


またしてもネアの前からお酒は遠ざけられたが、その代わりにカームの香草茶のポットが置かれていたので特に問題はない。


やっと食事を始めてくれたので、ネアは暫し食べる専門の任務を遂行した。



「では、ネアも来るがよい」


不意に会話が振られ、辛味炒めに夢中だったネアは顔を上げる。


「御免なさい、素敵なお料理を攻略することに専任しておりました」


素直に謝れば、アンヘルは微かにがっかりした顔を見せた。

どうやら、渾身の一言だったようだ。


「カルウィには良い海岸があるのだ。人間達はよく、海水浴をしている」


言われてみて考え、この竜は何を言っているのだと不審そうな目になってしまった。


「ネア、アンヘルは友好的だ。恐らく、綺麗な海を見せてくれようとしているのだろう」


ドリーが補足してくれたので、ほっとして微笑んだ。


「まぁ、そんな素敵なところがあるのですね。アンヘル様もよく行かれるのですか?」

「そうだな。海は本来は海竜達の領域だが、この国の周囲の海は我々が治めている」

「その海を見せてくれるのですか?」

「人間は泳ぐそうだからな」

「………アンヘル様、この時期に海で泳ぐとなると、割と人間は死んでしまうのでは」


カルウィはウィームよりだいぶ暖かいが、それでもこの国にとっては冬なのである。

南洋の色彩なので油断して迂闊に海水浴をすると、恐ろしく冷たい水温で死んでしまうのだと教わってきていた。


「…………そうなのか?」

「はい。確か、カルウィの海は海流の影響でとても冷たいと聞いています」

「近くに流氷の魔物の住処があるのだ」

「むぅ、確実に死の予感しかしません」

「人間は何と脆弱なのだ。無知な上に何にも出来ないではないか」


がっかりして本音が出てしまったのか、またしてもネアの微笑みを冷ややかにしてしまったアンヘルに、彼の隣に座っているお付きの男性が頭を抱えていた。

どうやらかなりの苦労人に違いなく、案外良い人な気がする。


「アンヘル、それはあくまでも余暇の話なのだろう。また、夏に誘ってみればいい」

「つまらぬな。得るものもないのであれば、この交渉に何の意味があるだろうか」

「ちょっと意味がわかりませんが、つまり得るものがあればお話がまとまるのでしょうか」


ネアの言葉に、アンヘルはなぜか目元を染めた。


ドリーが僅かに眉を顰め、隣の魔物はとても剣呑な空気を纏う。

これ以上それをやると、お向かいの竜が死んでしまうのでやめてあげて欲しい。

先程から手が震えていて可哀想だったのだ。


「ディノ、お向かいの方が死んでしまうのでご機嫌を直して下さいね」

「ネア、海はいけないよ」

「あら、…………そうですね。浜辺を歩くくらいにします」


魔物が遊泳出来なかったことを思い出し、ネアはその頭を撫でてやりたくなった。

一人だけ浜辺でお留守番になることを思って、寂しくなってしまったのだろう。


「わたしに得るものがあるという提案ではなかったのか?」


しかしそうなると水竜の王が不貞腐れ始めたので、ネアは小さく溜め息を吐いてからドリーを見上げた。

頷いてくれたので、アンヘルがごね始めた時用のカードを切る。


「では、水竜さんは、咎竜に悩まされていると聞きました。その咎竜に不利益を与えたならば、ご気分が良くなるでしょうか?」


その反応はとても顕著だった。

柳眉を逆立てたアンヘルが咎竜と呟き、他の竜達も咎竜めと口々にざわめき出した。

中には直接アンヘルに何かを懇願している女性もおり、恐らく咎竜の被害を受けた者なのだろう。


ややあって、アンヘルは他の竜達と交わしていた視線をこちらに戻した。

やはり彼とて王であり、リズモの影響下にあってもこのような目をするのだ。


「ネア、そなたとてその名を気安く口に出してはならぬ。あれは悪しき竜。勿論あの竜が不愉快な思いをするなら願ってもない。しかし、そなたには無理だ。我らの勇猛な兵士でも咎竜との戦いでは命を落とす」


その声音だけで、彼等がどれだけ咎竜に辛酸を舐めさせられていたのかがわかり、ネアはふと親近感のようなものを覚えた。


もし、ここでこのカードを切れば、単純に一匹の咎竜が死んだと言うだけで憎しみが和らぐ者もいるかも知れない。

しょうもないことだが、そのような心の動きはやはりあるのだ。


(私が、それで少なからず溜飲を下げたように)


それで救われる訳ではない。

起きてしまったことは変わらないのだ。

でも、それでも緩和される何かはある。


悲しみや苦しみはそう簡単には癒えないが、憎しみはそのような形でも薄らぐのだと。



「彼女は有能な狩人だ。アンヘル、前例のない和平条約ともなれば躊躇もするだろう。だが、得るものがあれば悪い話ではあるまい」

「ドリー、現実的な対価を提案出来ないのか?こんな何も出来ない人間を咎竜の眼前に差し出すなど、野蛮にも程がある」


それは決して人間を食べる竜の台詞ではなかったが、ネアは得意分野である狩りの手腕を軽んじられたことに目を細める。


竜に暴言を吐かれるのは、咎竜で許容量いっぱいなのだ。


「いや、ネアは俺を狩ったこともあるからな」

「…………何を言っているのだ?」


顎に手を当てて感慨深げにドリーが呟き、アンヘルは目を瞠った。

動揺したその瞬間を狙って、ネアはお仕事用の微笑みで畳み掛ける。


「こう見えても私は残虐です。咎竜を懲らしめたら、今回の交渉に良いお返事をいただけますか?」

「………ああ、それが可能ならばすぐにでも誓約を交わそう。だが無謀なこと…」



ごとん、とネアが引き摺り出したものに水竜全員の視線が集まる。

金庫にしまって持ってくるにはいささか大きかったが、やはり倒した本人が引っ張り出すのが効果的な演出だろうと意見が一致したのだ。


食卓に出すものではないので、座っていた位置の後ろ側に引っ張り出したが、包みから尻尾が見えているので何を出したのかは一目瞭然だったようだ。

言うなら、包みきれなかった角も見えている。



「ネア、……………それはまさか」

「はい、最近倒した咎竜です!」


重たいのでふうっと息を吐いて振り返れば、会議の場は大混乱になっていた。



「む。…………なぜ皆さん離れてしまったのでしょう?」


ものすごく距離を置かれているので、有害なものでも出したのかと誤解されたに違いないと考え微笑みをキープしたが、なぜか更に水竜達は縮こまった。


「それ、明らかに咎竜の王だからねぇ。死ぬ程怖いんだと思うよ」

「魔術師さん?しかし、こやつは立派に死んでいますよ?」

「いやそうじゃなくて、君のことが怖くなったんじゃないかな……」

「なぬ………」


もう一度そちらを見れば、確かにネアを見返すのは恐怖の眼差しだった。

さすがに逃げはしなかったアンヘルも、見事なくらいに真っ青になっている。

隣を見れば、ドリーも重々しく頷いた。



「ネア、咎竜の王を倒せるとなれば、竜はみんな怖い」



遠くの方で、親達が子供の目を覆ってネアから遠ざけているのが見える。

ディノを見るときですら、そんな過激な対応はしていなかったではないか。



「解せぬ…………」

「ご主人様、可哀想に」


何だか不当に拒絶されたような気持ちで、ネアがしょんぼりと眉を下げると、すかさず魔物が頭を撫でてくれた。




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