ガーウィンの天上湖と揚げ物屋台
ガーウィンの天上湖は、文字通りガーウィンの空中都市にある見事な湖だ。
あまりにも美しく近隣諸国からも大勢の観光客が訪れてしまう為、入場制限が設けられており、年間にその空中都市に上がれる人数は厳しく制定されている。
観光資源を生業としている都市の一つだ。
「あとは、天上湖の結晶も有名だよ。窓辺に置いて太陽が当たるようにしておけば、波紋が揺れるからね」
「聞いただけで欲しくなりますが、高いのですか?」
「どうだろう。買ってあげるよ」
「では、私がお昼ご飯を奢りますね」
ガーウィンは、ヴェルクレアの旧西の王都となる教会文化と信仰を司る都市だ。
統一戦争前にはここにも見事な王宮があったそうだが、本宮は統一戦争時の大火で焼失している。
寧ろ、統一戦争を経ても残っているリーエンベルクが異例なのだそうで、最も凄惨な殲滅戦であった割に、主要な建築物が綺麗に残っているのは、魔術の恩恵を受けた土地らしい奇跡であった。
転移で到着したガーウィンは、円環状に広がったウィームと違い、見事に四角く区画整理されている。
商業用に開発されたもののどこか雑然としているアルビクロムと違い、ものすごく几帳面な誰かが都市開発したのだろうと思ってしまう整然ぶりだ。
かつて鹿角の聖女が亡くなったことで、この土地の古い文化は滅びたらしく、今も目立つのは教会建築ばかりである。
千の教会があると言われているだけあり、教会しか並ばない区画などは見て驚いてしまった。
「ディノ、ここの都市はやはりレイラさんの力が強いのですか?」
「全体的にはね。でも、教会によって主神が違うものもあるから、与えられた守護はそれぞれだよ」
「と言うことは、他の魔物さん達も訪れるのですね」
「教会の軍備もあるから、軍装の魔物達もよく訪れるみたいだ」
「そうなんですね。信仰の土地という言葉から想像出来なかったので、それはちょっと意外でした。………あ、パンの魔物さん!」
ここにも生息しているパンの魔物こと、四角い食パンに見える生き物がもさもさと歩いてゆく。
よく通行人に踏まれて亡くなってしまうそうなので、普段は路地裏に潜んでいることが多い。
心配で見守っていれば、さっそく角を踏まれかけて素敵な正方形が崩れていた。
「……………む」
その時、ネアは何者かが素早く教会の屋根を飛び回っていることに気付く。
目を凝らせばガーゴイルのような生き物がいかにも楽しげに屋根を闊歩していた。
やはり見た目がガーゴイルなので、何となく背筋が寒くなってしまう。
「ディノ、あの生き物は何でしょう?」
「雨どいの精霊だよ。こらえ性がないから気を付けたほうがいい。すぐに暴れるそうだ」
「雨どいの精霊としてのお役目を果たせるのか不安ですね」
「ほら、通行人に悪さをしているだろう?」
「…………そして、何者かに狩られました」
一匹の雨どいの精霊が自分の真下を通った通行人に向けて、雨どいに詰まった落ち葉を丸めたものを投げつけていた。
しかし、横からすっと現れた大きな鰐のような生き物に捕食され、一飲みで食べられてしまう。
教会の屋根に鰐が居る光景に、ネアはふるふるしながら魔物を振り返る。
「あれは、屋根瓦の精霊だ。雨どいの精霊が汚れてくると、ああして食べてしまうらしい」
「もしや、汚れるのは心のありようなのでしょうか」
「さぁ、悪さをする雨どいは食べられてしまうと言うから、そうなのかも知れないね」
「………ディノ、連れてきてくれて有難うございます。既にすごいものを見てしまいました」
土地に住む精霊や妖精は特徴が偏るそうで、哺乳類寄りに偏るウィームに対し、ここガーウィンでは爬虫類系統のものが多いのだそうだ。
アルビクロムでは煙や影などが多く、王都のヴェルリアには水に纏わる特徴を持つ者が多い。
ヴェルリアにはラッコ型の魔物や、イルカのような妖精もいると聞き、ネアは何となくほっこりとした。
「やはり、その土地に適した形状の進化を遂げるのですね」
「そうかも知れないね。ほら、またパンの魔物がいるよ」
「あやつには、是非路地裏に住まないように進化して欲しいものです」
朝から訪れて、まずはガーウィンの中心部を観光したネアは、ディノの忠告に従ってあまり教会の中には入らないようにした。
祀られているものの影響もあるので、この世界では教会に入るのは決して簡単なことではない。
その土地に紐付き、信徒となってこそ、主神の加護を受け取り厄を払ってくれるのだ。
途中お土産屋さんがあったので立ち寄り、街の全景を収めたスノードームのようなものを買った。
振ると細やかな雪が降り、聖堂の屋根にいるガーゴイルや鰐精霊が動くので面白い。
なかなかに美味しそうなチョコレート屋さんもあり、ゼノーシュの分のお土産を買っておく。
(最近、失踪した公爵さんの行方を追っていて忙しそうだから……)
「ネア、そろそろ上がるかい?」
「はい。こういう時は、特権階級万歳と心から思います」
本来、空中都市に上がるには一年くらい前から予約を入れ、順番を待った上でなければ入れない。
今日も、空中都市に渡る特殊な遊覧船に乗る為に並んでいる人たちがいた。
この船は時間通りに乗らないと容赦なく置いていかれるので、時折乗り場で泣き崩れている人が出るのだとか。
一度乗り逃すと、また一年待ちになってしまうのだ。
ディノと一緒のネアは、この遊覧船には乗らずに自由転移で勝手に空中都市に入ることが出来る。
街の入り口での検閲を待つこともなく、ほんの一瞬でもう街の中だ。
そうして、降り立った空中都市はまさに絶景であった。
「………っ、…………すごいです」
思わず、ふわっと声にならない声を上げてしまった。
空中都市というだけあり、そこは雲の上にある不思議な街だった。
全体的に柔らかな緑の草木で覆われており、細やかな白い花がどこまでも咲いている。
もっと緩やかな街並みを想像していたが、塔のような建物が多く全体的にとげとげしているのが面白い。
だが、その背の高い建物に靄のような雲がかかり、何とも幻想的な街並みだった。
(少し曇り空だから、何とも言えないくらいに綺麗……)
曇天の灰色から差し込む陽光の筋に、雲間から覗く鮮やかな青い空。
そして、街中を清涼な小川が流れている。
ずっと先まで見通せば、それはまた違う浮島から落ちてくる滝へと繋がっていた。
「上にも幾つも島があるだろう?あのずっと上の方から水が循環しているんだ。でも上は滝ばかりだし、足場があまり良くないからね。この本島にある大きな湖が一番有名だよ」
「これは、強風の日に浮いている島が動いてしまったりしないんですか?」
あまりの幻想的な光景に、はわはわしながら尋ねたネアに、ディノは虚を突かれたようだった。
風でこの島が動くなど考えてみもしなかったに違いない。
「どうだろう、動くのかな。ネアは面白いことを考えるんだね。一応、固定魔術のようなものがあるから、流されることはなさそうだけれどね」
「こんなに不思議で素敵なものを初めて見ました!わ、見て下さい!向こうの滝の方が、水飛沫で虹がかかっていますよ」
「あれだけ大きいと虹の精霊がいるかもしれないね」
「虹の精霊さんは、どんな方なのですか?」
「下位のものは、蛇の姿に蝶の羽がある。高位になると竜に似ているかな」
「…………蛇で竜」
少しトラウマが刺激されたネアが遠い目になり、ディノはご主人様が虹の精霊をお気に召さなかったようだとわかって慌てて話題を変えてくれた。
「虹の魔物は、ネアの好きな狐だよ」
「む!機会があればお会いしてみたいです!」
「……………雌だがいいのかい?」
「浮気を前提にお話をするのをやめましょうね。雌でも可愛い狐さんなら見てみたいですね」
「かなり気位が高いから、可愛いという感じではないかな」
「…………虹を見ているだけで充分満足出来るので、狐さんはやめましょう」
お喋りをしながら草花が可愛らしい道を歩いてゆくと、やがて街の中心に出た。
そこには真円の見事な湖があり、そのあまりの青さに目を奪われる。
湖の縁は淡い水色に始まり、一度鮮やかなエメラルドグリーンになる。
そして中央に向けて青の深さを増してゆき、青玉のような湖になっていた。
「…………きれい」
他に思いつく言葉がなくてそう呟けば、ディノはこちらを見てふわりと微笑んだ。
ネアの語彙力では表現が難しいが、この湖に反射する光は全て、きらきらした淡い水色のものなのだ。
それが炭酸水の中ではじける泡のように、街の中央のあちこちでしゅわしゅわと煌めいている。
すっと湖に影が落ちたと思って上を見上げれば、雲が穏やかに流れて行った。
「ディノ、あのしゅわっとした光はなんでしょう?」
「流星や陽光が蓄積されて、光の祝福が通常の土地よりも多いんだ」
「湖に手を浸している人達がいますよ!近付いてみましょう」
「落ちたりしないかい?」
「私は幼児ではありませんよ!」
少し興奮していたので、ネアは魔物の腕をがっしり掴んで湖の方に引っ張ってゆく。
この行為は手を繋ぐよりもすごいことなのか、魔物がとても恥じらってしまったが正直そちらを気にしている余裕はなかった。
近付けば近付く程、湖は鮮やかに見えた。
インクを零した水のように強い色ながらに、すっきりと透明でもある。
そして、何やら大きな生き物が湖の中をゆうゆうと泳いでいた。
「………鰐と魚を合わせたような、獰猛そうな生き物がたくさんいます」
「この湖の精霊達だね。落ちると食べられてしまうので気を付けるように」
「…………ディノ、パンの魔物さんもいます。というか、湖に成す術なく浮いていますが………」
「湖の精霊の餌になるんだよ」
「餌…………」
「うん」
「あまりの不憫さに胸が痛くなりました。この、世界の優しさに裏切られたような感じはなんでしょう」
「パンの魔物は、需要の割になぜか脆弱だからね」
「……………どうか進化してくれ給え」
悲しくなるので、湖はあまり近くから見ない方がいいと判断し、ネア達は少し離れた広場にある屋台村のようなところを訪れた。
様々なお店があるのかと思えば、土産物などではなく飲食店ばかりで、フードコートのような区画だ。
茅葺き屋根の可愛らしい簡易小屋が立ち並び、とてもいい匂いがする。
広場の中心にある時計塔を見れば、お昼を少し回った頃合いで昼食には最適だ。
もう一時間くらいすると、時計の文字盤で居眠りをしているアルマジロのような生き物が邪魔で針が進まなくなりそうである。
あの時計で正確な時間が計れるのは、もってあと半刻程だろう。
「ディノ、食べたいものはありますか?」
そう聞いてみれば、魔物は困惑したように屋台を見回した。
やはり文化が違うと食べ物も変わってくるようで、ディノが体験したことのない屋台ご飯ばかりなのである。
周囲をぐるりと見回し、どこか途方に暮れた目を向けてくるので、自分では判断出来ないに違いない。
「串揚げのお店と、鶏肉を切って串に刺して焼いたお店と、串に刺した焼き魚のお店、そして謎の激辛スープのお店があります。何店舗ずつかありますが、種類的にはそんな感じでしょうか」
「…………辛くないものにしようかな」
「一個しか絞りませんでしたね」
「ご主人様…………」
あまり悩ませても可哀想なので、ネアは串揚げのお店の中でも比較的お客が多く賑わっており、ソースが何種類も置いてあるお店を選んだ。
並んで買ってみれば、素朴な白い植木鉢のようなものに、揚げたての串揚げを沢山詰め込んでくれる。
種類があり彩りも鮮やかなので、このお店で良かったのかもしれない。
お店の横にソースのカウンターがあり、大きな硝子皿に入ったソースをスプーンで好きなだけ盛っていいようになっている。
魔術仕掛けのお皿なのか、ソースは取っても取っても一定量を保っていた。
(タルタルソース!……他にもソースがいっぱいある!!)
串揚げの入った植木鉢的入れ物はディノに任せ、ネアは用意されていたトレイでソースを運ぶことにした。
一種、ここにも激辛風のソースがあるので、この街では辛いものが有名なのだろうか。
話のタネになるかもしれないので、一応そのソースも少しだけ盛ってゆくことにした。
水が綺麗な土地らしく、飲料水がセルフサービスなのも心憎い。
湖が綺麗に見える席をおさえて、さっそく串揚げを食べ始める。
「おしぼりがありますが、もし指が汚れるのが嫌であれば、この紙ナプキンで持ち手を包むといいですよ」
「これはどうやって食べるんだい?」
「アスパラ一本揚げですね。そのまま齧っていって、下の方の硬い部分は残しても大丈夫です」
「二個ずつあるね」
「ええ、戦争にならないように一人一種類ずつにしました。同じものを二つ食べるとルール違反になりますので、ご主人様が暴れます」
「わかった。気を付けるようにするよ」
「そして、ソースは二度漬け自由ですので、足りないものがあれば取ってきてあげますね」
結果ネアは、タルタルソースとスパイシーなクリームソースにはまった。
ディノはアンチョビソースのようなものを気に入ったようで、丁寧に何度もつけ直して食べている。
辛そうなソースは、二人とも一口食べてからその後のお付き合いは辞退させて貰った。
どちらもとても綺麗に食べるのだが、割と大味な動きでざっくり食べるゼノーシュと違い、ディノの食べ方はさらりとしていて上品だ。
けれど小食過ぎることもないので、食い道楽のネアが一緒にいても苦痛もない。
あまり食べないヒルドと二人きりだと待たせることが多いので、実は結構緊張してしまう。
「さては卵が気に入りましたね?」
「………うん。これは初めて食べた」
ディノがなくなった卵を名残惜しそうに見ているので、ネアは全部を食べても余裕があるようであれば、単品買いで追加しようと提案する。
燻製したウズラの卵のようなものに衣をつけて揚げてあり、ソースをつけるとほくほくと美味しい。
(茄子。茄子が美味しい。茄子万歳!)
対するネアの心を奪ったのは、茄子の串揚げだった。
食べやすいサイズにカットして細やかな衣で揚げてあるので、口の中で濃厚なソースと混ざりあつあつでとろりとする。
しかし、次の串揚げに移れば、海老とキノコのものや、トマトとチーズのものも捨てがたく、結果全ての種類を美味しくたいらげてしまった。
「どれも美味しかったので、追加の一本を選ぶのが難しいですね………。ディノは卵ですか?」
「香草と魚のものも足そうかな。おや、一緒に行かないのかい?」
「ここが、我々の陣地になりますので、ディノはテーブルを守っていて下さいね」
「わかった!」
きりりとして頷いてくれたので、ネアは安心して追加注文に向かう。
ディノがこうしてお代わりをするのは珍しいので、よほど気に入ったのだろう。
トマトとチーズのものを選ばないあたり、やはりトマトは火が通っていない方が好きなようだ。
追加注文は小さな鉢で渡されたので、ソースの追加と合わせてネア一人でも充分に持って帰れる。
だが、席で待たされている魔物は心配で堪らないのか、随分とハラハラとこちらを見ていた。
ディノにやらせても良かったが、今回は油で揚げてあるものにソースと、素材が安定しないので見送ったのだ。
「ディノ、ここに連れてきてくれて有難うございます」
午後の光は角度を変え、湖をまた違う色彩で照らしている。
風向きで他の島からの水飛沫が流れてきたのか、こちら側にも薄らと虹がかかっていた。
湖の畔で魚に餌をやっているのは妖精の恋人達だろうか。
とても絵になると思いかけて、彼等が投げ込んでいるのがパンの魔物であることに気付き、さっと目を逸らした。
「………まだまだ、色々なものがあるよ」
そう微笑んだ魔物の言葉に、ネアは少しだけ不思議な思いがした。
この世界のものは見飽きてしまったと言っていた筈なのに、今はこんな風にネアを唆している。
あの頃とは心の在り様が変わって、色々なことを楽しめるようになったのだろうか。
(どうして、少し不安そうに言うのだろう?)
あの後、また怖がって暴れないように、きちんと説明したのだ。
ネアの示す、婚約破棄が発生する条件はシンプルだ。
意図的にネアを傷付けたり、愛情がなくなったらぽいっとするが、それ以外のことは怒りはしても安易に破棄とはしないと。
基盤となる価値観が違う生き物なので、魔物らしい失敗くらいでは見捨てないと伝えたのだが。
(でもきっと、基盤が違うからこそ、どこを怖がればいいのかわからなくなるのかも?)
そう思って、伸び上がって頭を撫でてやる。
「じゃあ、またお休みの日に、ディノのお勧めの場所を教えて下さいね」
「…………これからも、ゆっくり見てゆけばいいよ」
「そうですね」
深く考えずに頷いてしまってから安易にそうしてはいけなかったのだと思い至ったが、ディノが何だか嬉しそうに微笑んでいたのでまぁいいやとそのままにした。
その後二人は大量に摂取した揚げ物を消費するべく、天上湖の周囲にある土産物屋や、高台にある小さな庭園などを見て回った。
幾つかのお店で吟味しながら買って貰った、湖の結晶石は鮮やかなエメラルドグリーンから瑠璃紺への変化を閉じ込めたこぶし大のものだ。
心配していた程高価ではなく、罪悪感なく好きな石を選べたのが嬉しい。
光をあてると透かした影の中にさざ波が揺れ、綺麗な波紋が広がる。
夏の日差しに透かしたらとても綺麗に違いないので、先の季節が楽しみになった。
(……………夏かぁ)
しかし、その分刻んでしまう季節の多さを思い、少しだけほろ苦い気持ちで鮮やかな結晶石を窓にかざした。