スケート靴と猟銃
ウィームの外れには、ザルツに繋がる大きな川がある。
真冬にはその川が綺麗に凍り、魔術師や学生などがスケート靴で颯爽と滑って行く。
首から籠をかけた物売りも滑っているので、何とも楽しい雰囲気だ。
通勤や通学で使う者達は、皆一概に転移が出来ない訳ではない。
年末年始で少し食べ過ぎてしまったとか、今年こそ腹筋を素敵に割りたいとか、運動を兼ねてのスケーティングもありなのだ。
しかし、この自然のスケート場には一つ欠点がある。
なんと、野生の熊が出るのだ。
それも雪熊という特別に俊敏で獰猛な熊で、お気に入りの獲物がいるとさっと捕まえて持ち帰ってしまう。
よって、スケートをしている者達は皆、特製の猟銃を持っている。
猟銃は川岸で貸し出しており、滑り始める場所で借りて、川から上がるときに同じ商店の制服を着た店員に返す。
入っている魔術仕掛けの弾丸を使用すると、返却時に追加料金を支払う仕組みだ。
猟銃を発砲すると、じゅわっとした謎の液体が雪熊を捕獲してくれる。
そうやって捕獲した雪熊はそのまま放置しておけば、管理組合の者達が定時に回収してゆき、残酷な生存競争の顛末として美味しい雪熊鍋になるのだそうだ。
そして今夜、ネアは夜間スケートに来ていた。
スケートの技術にはそこそこ自信があるので、年末にリーエンベルクから支給されたスケート靴を履き、颯爽と滑り込んでいる。
水泳具合からコーチしなくてはならないかと危ぶんでいた魔物も、初めてだと言うくせにとても上手で驚いた。
「ネア、………楽しそうだね」
「む。子供っぽいですかね……」
「いや、可愛いよ」
少し意外そうに言われたので振り返れば、ディノはいつものようにふわりと微笑むところだった。
(何だろう、最初の声の感じ、いつもと違ったような……)
婚約したばかりでスケート狂いなど、呆れてしまったのだろうか。
少し心配になったので、はぐれないように隣に並べば不思議そうにこちらを見た。
「熊でもいたのかな?」
「いえ。暴走スケートではぐれたら、私の大事な魔物が迷子になってしまいます」
「……ネア、滑るの速いね」
「スピードタイプです!」
だから夜間を狙ったのだ。
川岸のカンテラから溢れる光が綺麗だし、顔を上げると綺麗な星空が見える。
ただ、時折仕事帰りの魔術師が黒ずくめで滑ってくるので要注意だ。
ふらふらしているし、無灯火なので危ない。
ネアやディノのように明るい色の服を着て滑るか、カンテラを持って滑るのがマナーである。
大きな川なので、対岸のカンテラはぼんやりと幻想的に煌めく。
少しだけお祭りのような気分も味わえ、運が良ければ気紛れに滑っているザハのクリーム珈琲の売り子までいる。
残念ながら、今夜はドーナッツとホットワインの売り子しか見かけなかった。
両岸には森があり、時折何かがあるのかぼうっと光っていたり、ぼふんと爆発したり。
夜の森はとても賑やかで、積った雪の雪灯りのお陰で明るく見える。
まず、往路はそんな周囲の風景を見ながら滑っていた。
一定の魔術領域があり、頬を打つ冷たい風も、あまり嫌ではない程度の気温だ。
この寒さの緩和を求めて川岸に集まっているのは鳥達だろうか。
今はすっかり丸まって熟睡しているが、昼間はとても賑やかなのだとか。
やがて川の分岐が見えてきたので、ネアはくるりと折り返して帰路についた。
無心で滑れば心が澄んでゆくようで、えもいわれぬ気持ち良さがある。
「ディノ、魔物はスケートをしないのでしょうか?」
「どうだろう。ウィリアムは、人間の友人と一緒にやったことがあると話していたな」
「ウィリアムさん上手そうですものね」
「………ネアは、ウィリアムのことをよく褒めるよね」
「バランスが良さそうだなとは思います。でも、ウィリアムさんとは婚約しませんよ?」
「ご主人様!」
魔物が少し喜び、さっと寄り添われる。
「……ディノ、ご主人様は拘束されたまま滑る程の技術はありません。スケート靴で轢いてしまうので危ないですよ」
「轢いても構わないよ」
「………私には少し難易度が高いやつです」
「ほら、あそこに雪熊がいる」
「…………え」
「獲物を狙っているんだろうね。こちらには来ないから大丈夫だよ」
「むぅ。かなり大きいのですね。でも夜だと、クリーム色なのでとても目立ちます。狩りには不向きなのでは?」
「夜だと、魔術師達は疲れているから狙い易いのかも知れない」
「計算高い獣でした!」
確かに夜に滑っている魔術師は、今朝出勤したようには見えず、最低でも一晩は寝ていないような顔をした者達ばかりだ。
恐らく、そういうヘロヘロな者を狙うのだろう。
悪辣な熊なので、時折駆除されてしまうのも致し方ない。
よく、帰らない友人を探しにでたらスケート靴だけが残っていたという話を聞く。
「やぁっ!」
「…………ネア?」
「氷の下から変なものが出てきていました。スケート靴で轢いたので大丈夫です」
「氷華の精霊かな……」
氷華の精霊はとても儚げだが、やはりこちらもスケートで移動する人間達を狙い、氷の下から滲み出で来て、ぱくりと人間を食べてしまうのだとか。
「ネア、私が見付けるよりも早く駆除に行かないようにね」
「しかし、氷の下から牙だらけの大きな口を開けたアヒル怪物が出て来た以上、轢かざるを得ません」
「………ご主人様が少しも大人しくしていてくれない」
いつもは恥じらいながら言う言葉を、今夜のディノはしょんぼりと呟く。
「もしや、大人しくないご主人様は嫌いですか?」
「不安になってしまったかな。私がネアを嫌いになるなんてことはないよ?」
「でも、アヒル怪物を轢くとしょんぼりしてしまうのですね。残虐過ぎて怖くなってしまうのでしょうか?」
「と言うより、危ないことをしないで欲しいかな」
「あらあら、隣にこんなに頼もしい魔物がいるので安心だと思っていました」
「ご主人様………」
案外容易かった魔物が陥落したので、走行の邪魔をする悪い生き物は轢いても良いことになった。
しかし、氷華の精霊はスケート靴で轢かれても背後で激怒しているだけなので、あまり効果はなさそうだ。
氷の上ではとても丈夫なので、駆除する際には砂糖水をかけて倒すのだとか。
(…………砂糖水)
やはりこの世界の生き物達は奥深い。
「君は、あんな怖い目に遭っても、この世界の生き物を恐れたりはしないんだね」
ふと、ディノがそんなことを言う。
雪食い鳥か咎竜のことだろうが、ネアは特に考えるでもなく肯定した。
「見たことがない生き物ばかりなので、私はまだ選別中なのだと思います。見た目が苦手でなければ、普段はあまり怖くありませんよ」
「怖い時もある?」
「勿論です。怪物全般はとても怖かったですし、百足や蜘蛛の仲間は嫌いです。鋼の奴めも滅べば良いと思います」
「鋼が滅ぶと人間が苦労してしまうよ」
「………仕方ありません。鋼の生存は許容するので、未来永劫、私の前に現れないで欲しいです」
「………それだけなの?」
「これからの出会い次第ですね。でも、きっとまだまだ色んな生き物がいるのでしょう」
「そうだね。夏至祭で現れる一角獣は、きっとネアも好きだろう」
「一角獣!」
そこでネアが想定外に喜んだ為、ディノは少しだけ不安そうな顔をした。
「………浮気?」
「ディノ、一角獣は馬です」
「いや、ネアの好きな獅子なんだ」
「………絶対に出会ってみせます。どうしましょう、すぐにでも会いたくて堪りません!」
「ご主人様…………」
「馬に角が生えたやつはいないのでしょうか?」
「節制の魔物がそうだね。いつも気が立っていて、女性を目の敵にしているから、出会うと刺されてしまうよ。特に髪の長くて青い目の女性が大嫌いだ」
「………過去に何があったのだ」
お喋りをしながら滑ると、帰りもあっという間だった。
結局持っていただけだった猟銃を返却し、スケート靴を雪靴に履き替える。
遠くで物凄い悲鳴が上がったのでぎょっとしたが、誰かが雪熊と戦っているようだ。
日常茶飯事なので、猟銃の貸し出し員達もぴくりともしない。
ネアは脱いだスケート靴の刃から氷を払い、綺麗にスケート靴用の収納袋に入れた。
となりの魔物はどこかにぽいなので、魔術の収納庫のようなものがあるのだろう。
手が空いたのでネアのスケート靴は、魔物が持ってくれるようだ。
こちらの靴は、魔術でぽいっとやらないらしい。
「ディノ、お付き合いいただいて有難うございました。とっても楽しかったです」
「私も、初めてこんな風にスケートをした」
「ふふ。上手でびっくりしました。これもまた来ましょうね」
「今年もだけど、来年もずっと滑れるからね」
「………そうですね」
とても残念なことに、落ち込むという段階はゆるやかに過ぎ去りつつあった。
ただ、こういう会話の時に嘘をつきたくなくて、ほんの少し言葉が彷徨ってしまう。
そして、そうすると魔物が拗ねるのだ。
「いけないご主人様だね。どうして一瞬迷ったのだろう」
「来年が唐突に暖冬の可能性もありますしね」
「ネア…………」
対処しきれない返答だったのか、困惑した魔物の袖を引いて、ネアはリーエンベルクへの帰り道を歩く。
約束した木の花は見れそうだ。
次のエシュカルも飲めるだろうし、また大晦日の怪物にも出会うだろう。
しかし、その先のことは未知数で、考えようとするとストレスのせいか眠くなる。
「ディノ、私は猛烈に眠たくなってきたので、帰ったらパタリと寝てしまいます。お風呂に行くときは、また髪を濡らしたまま寝ないようにして下さいね」
「今夜は乾かしてくれないんだね………」
「ごめんなさい、今夜はご主人様の眠気が限界です」
「スケートが疲れたみたいだね」
「というか、面倒だけどやらなければいけないことを考えると、途端に眠たくなる体質なのです」
「面倒なこと………?」
「休日を圧迫するようなこととか、宿題のようなものですね」
「ご主人様…………」
少し懐かしさも込めてそう告白すれば、なぜか魔物はとても落ち込んでいた。
別に婚約のことではないのだと弁明すれば、妙に荒んだ顔でこちらを見たので、その夜は三つ編みを引っ張って歩くことになった。