湖の晩餐会と毛皮の伴侶
ヴァレーの古城に面した湖の上で、年初めの舞踏会が行われた。
この舞踏会は各国の統括の魔物やシー達、竜の王や精霊の王が集い、六日間隔で三夜続く。
厳密に代表者達だけではなく、高位の者の多くが集う会であるのでアルテアも以前から参加していた。
何しろ、氷河の葡萄酒の新酒も振る舞われる。
湖の上は念入りに氷を厚くし、滑り止めを兼ねて精緻な模様が彫られている。
湖畔の木を大きく茂らせシャンデリアを吊り下げ、氷の下からも、湖の精霊たちが結晶石で会場を照らしていた。
今夜ばかりは月の魔物もいるせいか、細い筈の月が真円で会場を照らしている。
「ごきげんよう、アルテア」
そう微笑んで横を擦り抜けたのは、ステラータ。星の魔物だ。
未だに男なのか女なのかわからないが、ウィリアムは男だと断言している。
短い星色の髪に同色のトーガを着て、同じ星の系譜の妖精達と誰かを探しているようだ。
「ねぇ、万象の方はどちらにいらっしゃるの?」
「……ん?あいつは来ないと思うぞ」
「じゃあやっぱり」
「ふうん、やっぱりそうなの?」
「憎たらしいけど、万象の庇護があるなら無理ね」
星々達がさざめくのは、シルハーンが歌乞いを得たという噂だろう。
アルテア自身、無駄なものには首を振ったり曖昧にしたりしているが、やはり漏れるところからは漏れる。
「駄目よ皆さん、あの歌乞いは恐ろしいわ」
なぜか流星のシーがそう表情を翳らせ、媚びるようにアルテアの腕に手を這わせる。
流星の銀灰色の瞳を持つ美しい女だが、いささか感情的であるのがあまり趣味ではない。
「あら、でも人間でしょう?」
「なぁに、嫌なやつなの?」
また星々が喧しく騒ぎ立て、うんざりと天を仰いだ。
いつも大勢で群れている厄介な星達でなければ、早々に振り切ってしまうところだ。
大抵はそうするところであるが、何しろ星達は面倒臭い。
「星祭りの夜に、あの歌乞いが歌ったのよ。特殊な歌のようで沢山の星の妖精や魔物が死んだわ」
しかし次の瞬間、アルテアは堪えきれずに渋面になった。
なぜよりにもよって、魔物や妖精達がひしめいている星祭りの夜に歌ったのだろう。
保護者達は何をしているのだと思えば、恐らくシルハーンあたりは初めての星祭りではしゃぐ彼女に、好きなようにさせていたのだろう。
「まぁ、なんて残虐なんでしょう!」
「星食いの古老も殺されてしまって、あんな恐ろしい夜は初めてよ。だから皆さん、あの人間に迂闊に手を出さない方がいいわ。きっと、万象の君はその残虐さがお好きなのでしょう」
「確かに、あの方が心を奪われる程の歌乞いなのですものね。それなら納得だわ」
「でも、来年の星祭りはどうするの?」
「近付かない方がいいかしら」
ネアが祝祭の全てを楽しみにしていることを知っているので、アルテアは益々渋面になった。
「星屑を得られないと知ったら、あいつは怒り狂うぞ。程よくばらまいて怒りを買わないようにしろ」
「そう言えば、アルテア様はヴェルクレアの統括でしたものね」
「そうね、確かにその方が安全だわ」
「たくさん落とせば怒らないかしら?」
「そうよ、そうしましょう」
知らずして来年の星屑は多く得られるようになった歌乞いを思いつつ、アルテアはその隙に星々の輪から離れ、すぐに月の魔物に捕まった。
月の魔物は白を持つ階位ではないが、その代わり需要と神格性が高く能力としては最高位にあたる。
それを誇示する為に纏った背中の大きく開いた純白のドレスを翻し、引き摺る裾をお付きの月の精霊達が持っている。
高く結い上げた金髪の髪には、月の魔物を示す三日月を模したティアラを飾っていた。
「アルテア、暫くぶりね」
「ダイアナ、ノアベルトを見なかったか?」
「嫌ね、会うなり他の魔物の話。私を無下にするのはあなたくらいよ」
「シルハーンにも言ってやれよ」
「あの方はあれでいいの、万象なのですもの。手に入らず焦がれる美しいものは必要だわ」
「悪いが暫くは忙しいな」
「つれない人。………そう言えば、今夜はノアベルトを見てないわね。でもあなたが彼を探すの?」
「確認したいことがある」
「どうせ彼のことだわ、美しい魔物や精霊達の誰かと一緒でしょう。昔に比べると随分と陰気になってしまったけれど、私はあの仄暗さや残虐さも好きだわ」
「まぁ、あいつのことだから必ず居るだろうが、捕まえるのが遅れると姿を消すからな」
「あなたとて、その愉しみを邪魔する程野暮でもないでしょうに」
意味深い微笑みを送られ、アルテアは少し考える。
どうせノアベルトのことなので、二日目も三日目もここには来るだろう。
となれば、特に挨拶回りというよりは遊興のようなものであるし、少々姿を消していてもどうにでもなるだろう。
そう考えて無言で微笑みを深めれば、ダイアナは片手を振って精霊達を下がらせた。
普段は手を差し出しエスコートさせるダイアナだが、今夜ばかりは大人しく隣りを歩いて貰うしかない。
しかし、ちょっとした息抜きは思いがけない理由で中断を余儀なくされた。
「おや、ご機嫌斜めでしょうか」
「アイザックか。相変わらず抜け目ないな」
「何しろこちらには、お得意様が大勢いらっしゃいますからね」
「不機嫌ということはないが、強いていうなら不機嫌な女はいるな」
「あちらで伺いましたよ。ダイアナ様を置き去りにし、たいそう悲しませた魔物がいると」
「それどころじゃない大惨事だったんだ。あの騒ぎには二度と巻き込まれたくない」
「そう仰る割には、いつも優先させてしまうようですが」
煙草に火をつけながら目を眇めて見返せば、アイザックは小さく微笑んで一礼した。
立ち去ってゆく黒いスーツ姿を見送りながら、王が泣き止まないなどというとんでもない理由であれば、誰だってああなるだろうと心内で考えた。
生憎、その事情を詳らかにする程物好きではないので、こうしてただ沈黙を保つのみだ。
会場の一角にある休憩所に陣取って煙草を吸っていると、あまり歓迎出来ない知人が歩いてくるのがわかった。
「良かった。ここに居たんですね」
「…………俺を盾代わりに使うな」
「いや、友人達に挨拶をするだけとはいえ、すごい盛況だな」
「盛況だったのはお前の周りだろ。あの崇拝者達の中に戻ってやれよ」
疲れた顔で隣りの席に逃げ込んで来たのはウィリアムだ。
なまじ外面がいいせいか、このような場に珍しく足を運べばあっという間に囲まれてしまう。
その一つ一つに丁寧に応えるものだから、会場を横切るだけであの騒ぎだ。
「うんざりだな」
「お前、その物言いをあっちでやってこい」
「そう言えば、アンヘルが探していましたよ」
「…………何で水竜の王が俺を探してるんだ」
「さぁ。何か苦情でもあるんじゃないですか?彼の領土はカルウィですからね」
「そういや、カルウィの魔物に対して、エーダリアから問い合わせが入ってたがそれか」
「あの界隈も最近はきな臭いですね。鳥籠にはならないだろうが、死の精霊達には大人気だ」
「ったく。統括なんぞやるもんじゃないな………」
そう言えば、ウィリアムはどうだろうとでも言いたげな目をして小さく笑う。
気質だけであればこのような男の方が統括に向いてはいるが、何しろ終焉なので統括を担えば、まず間違いなくその国は滅びるだろう。
「そう言えば、今年は白薔薇がいませんね」
「………どの白薔薇だ?」
「あの、女の子の方ですよ。シルハーンに随分と思い入れていたようだったから、少し心配だったんですが」
「あの地味な方の薔薇か」
「アルテア、もういい大人なんですから口にする言葉を選んで下さいね」
「お前、ネアに似てきたな………」
遠く、白い色が揺れた。
「白百合かな……」
「さっき向こうに白夜もいたな」
「白夜なら話しましたよ。貸した本を返して欲しいとかで、言の葉を探しているようでしたね」
白持ちもちらほら見かけ、このような節目の夜会にしか出てこない者も多いので、会場は目まぐるしく入れ替わり、色鮮やかなドレスや羽が揺れる。
ふと、鮮やかな色の羽を持つ妖精を見かけて、隣りの男に視線を向けた。
「そう言えば、贔屓にしていた朝焼けのシーはどうしたんだ?」
「何度も言いますが、俺は個人的に会ったこともない女性です」
「お前と伴侶になる約束を交わしたらしいぞ?」
「まったく。殺すしかなくなるからやめて欲しいですね」
「何でお前が温厚な魔物だと言われるのか、俺にはさっぱりだな」
「あなただって殺すでしょう。きっと、俺よりも早い段階で」
「いや、その前にああいう女は俺には近付かない」
「殺すにしても、シーの呪いには気を付けないとな……。となると気付かれないように殺すしかないですね」
「お前がどれだけ嫌な奴か、何で誰も知らないんだ?」
朝焼けのシーは、シーとしては珍しく内向的で穏やかな女性であるとされていた。
生まれ持った色彩が華やかである為に、あまり人目に晒されることを好まず、ひっそりと陽光や残照のシー達に付いて回っていたが、どこかで終焉の魔物に恋をしたらしい。
曰く、飲み物を取って貰っただとか、さり気なく会話の輪に加えて貰えただとか、そんなどうでもいいような理由で恋に落ち、愚かにもその恋を盲信した。
そう言う意味では、害はなかった白薔薇の魔物に似ていなくもない。
ただ、朝焼けの妖精は酷く感情的な一面があり、ウィリアムと話せないだけで泣き出したり、どうでもいいことを誇張して周囲をけん制するようなところがあった。
(まぁ、半分以上こいつの所為なんだが………)
終焉は残虐な結実の要因の一つだが、同時に穏やかな収束でもある。
結果、人付き合いがよく常に穏やかなウィリアムは、その階位に似合わず女達に隙が多いのだ。
最終的にはかなり容赦なく排除しているのだが、初見の者を誤解させやすいのは間違いない。
なので時折、こういう被害に遭う。
「ところで、ノアベルトを見ませんでしたか?」
「…………なんだ、お前も探してるのか」
「と言うことは、アルテアも探していたんですね」
このような場にいない筈もない魔物が一人いる。
決して派手に騒ぐ訳ではないが、このような稀有な者達が集う場においても、一際目立つ男であるのは間違いない。
いつも会場に居るのは前半だけで、後半は誰かを伴って姿を消してしまうので、見付けるなら中盤までが勝負なのだが。
「いませんね。…………まだ生きているとは思うんですが」
「案外、シルハーンが排除済かもしれないな」
「となると塩の魔物は、すぐに次代が派生しますね。高階位で若い魔物となると管理が面倒だな……」
「お前、その顔で朝焼けに会ってくれば一瞬で片が付くぞ」
ノアベルトは目立つ魔物だ。
それは、統一戦争を経て彼の気質が変わり、軽薄な物言いが軽減されてからも変わらない。
随分昔に心臓を無くして公爵位に落ちたが、姿かたちが変わることはなく、彼は今でもウィリアムと同列の色持ちの白である。
「………おっと、ロクサーヌがいますね」
「お前、ロクサーヌと何かあっただろ」
「もう三百年くらい前のことなんですが、許してくれないんですよ」
案の定、紅薔薇のシーは、ウィリアムを見るなり露骨に顔を背けた。
矜持も高く滅多なことであのような対応に及ばないロクサーヌだということも加味して、余程な仕打ちをしたに違いない。
薔薇の妖精は愛情深い反面、その愛情を粗末に扱う男は決して許さない。
「で、何をしたんだ?」
「いや、求婚の最中に寝たみたいですね。あの頃は忙しくて」
「覚えてすらないのか。その上断られたらああなるな」
「…………ん?」
「…………あれ、ダリルですね」
そこで同時に通信が入った。
政局に関わるシーらしく、ダリルは場面によっては命取りとなりかねない余計な声を届けずに、端的な文字通信を好む傾向にある。
あの見た目にそぐわない切れ者だが、同時にこうも簡単に呼びつけられては堪らない。
「お前が行けよ。俺はウィームは暫くうんざりだ」
「俺はちょうど、鈴蘭の魔物から貰った手紙の返事も書きたいので、一度顔を出して来ようかな」
「…………手紙の返事?」
「彼女は統括の補佐をしていますからね。人間の戦乱について、助言が欲しいとか」
「おい、随分とあからさまな手に引っかかったな……」
「真意はどうあれ、あの土地の人間の王は昔の友人の孫なんですよ。王のために利用出来そうなので」
「……お前、さては鈴蘭のこと嫌いだな?」
その時、人波の向こうに通り雨の魔物の姿が見えた。
嫌な奴に出会ったと顔を背けようとして、その奥を横切った毛皮の生き物に瞠目する。
「………何でここにボラボラがいるんだ?」
転移しようとしていたウィリアムが振り向き、ああと頷いた。
「洋裁の魔物の伴侶ですよ。ほら、あの魔物は幼い少年の姿ですからね。お互いの趣味を通じて知り合って、ボラボラの王子と恋に落ちたらしい。そう言えば、アルテアは系譜的には……、アルテア?」
「気が変わった。一時間だけ顔を出す」
「………ボラボラと何かあったんですか?」
「……………いや」
結果またろくでもない事件が発生していたのだが、会場に戻る頃にはボラボラは撤収しており安堵する。
しかし二日目の夜もノアベルトは姿を見せず、空振りに終わった。
その時になってふと、ボラボラの一件に紐付く形で、耳の奥に残っていた違和感に眉を顰める。
協力を要請されて訪れたウィームで、単純に聞き流していたその言葉を。
(…………激怒させられたとか、戦ったとか)
咎竜という生き物の求婚については知っている。
咎竜の花嫁の亡骸の骨からは、とても良いパイプが取れるのだ。
だがふと、咎竜の求婚という儀式そのものに、前述のような要素があるかどうか疑問に思った。
咎竜の求婚はとても執念深い。
もし花嫁が拒絶して逃げるのであれば、竜は身を潜め機会を窺い、花嫁の周囲に不幸をばら撒いてその花嫁の心が翳るのを待つ。
求婚している咎竜が、花嫁候補と本気で交戦したなどという話は聞いたことがなかった。
だとすればそれは、本当に求婚だけだったのだろうか。
ぎくりとして煙草を取り落としかけ、転移しそうになった爪先を踏み換える。
魔術は言葉の理だ。
アルテア自身は、今迄魔術の貴賎においてさしたる影響を受けることもなく、あまり身に馴染まない程度のそれを、一人の人間に関わるようになってからあらためて知る事も多かった。
(ネアでは駄目だ……)
先の雪食い鳥の一件では、アルテア自身も厄介な目に遭っている。
その時と同じようにまた、何かを取り零しているのなら。
「くそっ、シルハーン!気付いてないのか?!」
最もありがちで最悪の言葉並びを幾通りも思い浮かべながら、慌てて万象の王へ繋ぎをつけた。