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銀狐と通信妖精


ネアの部屋からその狐を外に出す役目は、ヒルドが買って出た。

実は日頃からその銀狐には思うところがあり、確認してみたかったのである。


禁足地の森側に返すということで、廊下のところでアルテアと別れた。

ネアには帰ったことにしてあるが、仕事に戻るウィリアムと違い、統括の魔物には日暮れまでの滞在を依頼してある。

ひらりと手を振ったアルテアは、夕方まで客間で寝るとのことだった。


何事もないとは思うが、有事の際にディノが動けるかどうか今の様子では怪しいところだ。

そしてその稀なる隙間から事故が起きていることも、最近の傾向で学んでいる。

関わり合いに気安さが加わり、近頃何かとこちらに訪れていたアルテアも、明日からは外せない用事があるそうなので、今日の内に片付けば良いのだが。


(エーダリア様が呼び出された案件も、あまり良いものではない気がするな……)


不思議なものだ。

今まではなかった筈の手だというのに、その手が欠けることで守りが手薄になるような気さえする。



禁足地の森に面した大きな硝子扉の前まで来ると、ヒルドの腕の中の狐が足を動かして下すように要求し始めた。

あまり流れには逆らわない気質なのか、持ち上げた際にもさして抵抗はしない大人しい生き物だ。


「さてと、あなたが誰なのかはさて置き、今日は手間をおかけしましたね」


小脇に抱えたままだった銀狐を絨毯の上に置きそう言えば、ぎくりとしたように振り返る。

ヒルドは特に警戒することもなく立ったまま、その青紫の瞳を見返した。

狐はいつもは丸まっている足先に力が入り、全身硬直に近い状態だ。


「これでも私は森のシーでもありますので、あなたが純然たる無垢な獣、森の子供ではないという程度のことはわかるんですよ」


そう言ってやれば、今度は尻尾を棒のように凝固させてわかりやすく動揺の表情になった。

何となくだが憎めない所作である。


「ですので、しばらく観察させていただきました」


ネアが、小さな生き物に愛情を向けるのは初めてではない。

自分に復讐の牙を向けた雷鳥を保護したこともあるし、冬籠りの妖精と魔物など、毛皮を持つ生き物には比較的好意を向けることが多い。

なのでヒルドも、最初の段階ではその銀狐を注視していなかった。

誤って騎士達に狩られないようにと免罪符を与えられた獣が、慣れない首輪にもぞもぞするのを見て微笑んでいたくらいだ。


(最初に目に留まったのはいつだろう……?)


ある夜、奮闘しているその狐を見かけた。

どうやらネアの住まう棟の中庭に派生した毛玉の精霊を狩っているようで、傷だらけになりながら害獣たる精霊を駆除している。

また、ある日は外に置かれていたネアの長靴を靴虫から死守していた。

季節外れのサンザシの実をネアの部屋の前に供えていたり、どこからかリズモを咥えてきて献上していることもあった。

それはまるで過保護な母猫のように、或いは母猫を崇める子猫のように、ネアを見上げては尻尾を揺らしている。


そして何よりも際立ったのは、害のある精霊や魔物、妖精などを人知れず狩る度に傷だらけになるくせに、翌朝には無傷で現れることの異常さだった。

その異様さに気付いて注視すれば、ただの獣であれば持ち得る筈の森の加護を持っていない。

そこでようやく、この狐が見たままの獣ではないと気付いたのだ。


とは言え、この銀狐は悪さをするでもなく、ただネアの為に無償の警備を敷いているだけのようだった。

朝と夕と勝手に見回りを行っているようで、その時ばかりはネアに向ける無垢な眼差しを一掃し、どこか老獪で冷やかな目を周囲に向けている。

知れば知る程、奇妙な獣だった。


騎士達や家事妖精が何かを与えようとしても決して口にしないが、ネアからの餌のみきちんと完食している。

暖かな場所を好むが、火やストーブのある場所に連れてゆけるのはネアだけだ。

ネアの膝の上に乗せられてストーブの前に寄せれば、すぐに寝てしまうのだと聞いていた。

それは恐らく、安堵するからというだけでなく、実際に疲弊しているのだろう。


この獣がネアを溺愛しているのは間違いのないことだった。



「あなたが、ネア様に害意を持っていないことはわかります。ですので、このまま自由にしていただいても構いませんが、その姿のままで不自由はありませんか?」


銀狐は少し警戒していたようだが、やがて諦めたように首を振った。

だらりと床に伸びた尻尾が、上手い具合に意気消沈ぶりを示している。


「妙な言い回しになりますが、元の姿には戻れないのでしょうか?」


また首を振る。


「では、あえてその姿で?」


こくりと頷いた。

やはり意思疎通が出来、ある程度以上の知能のある生き物なのだ。


(そうなると、高位の生き物か……)


下位だからこそ、姿を変えていることに気付かれない生き物もいる。

かろうじて知恵はあるが、ほとんど獣に近いような妖精や魔物だ。

だが、この銀狐はその正反対、擬態を周囲に気取らせない程の高位の生き物であるらしい。


「元の姿に戻れるようであれば、お茶くらい御馳走しますが」


そう誘いかけたが、狐は困ったようにゆるりと首を振った。

まんざらでもないが、止むにやまれぬ事情がある。

どうもそういう風に見えた。


「もしや、ここに居るとわかるとまずいご事情があるのでしょうか?」


また狐はこくりと頭を下げる。

ヒルドは顎に片手を当てて思案し、小さく頷いた。


「恐らく、ディノ様やアルテア様方あたりですね」


そう判断したのには理由があって、この銀狐は時折じっとネアを見ていることがあるのだ。

まるで何かに気付いてもらいたいように、何かを思い出して貰いたいように、ただひたむきにその姿を見つめている。

けれどもネアは特に何かに思い至る様子もなく、可愛いと頬を緩めて首回りを撫でてやっていた。



そして、そっと彼女の部屋の前に置いてゆくサンザシには、ただ一つの恋という花言葉があることも。



見事な銀色の毛皮から覗くのは、青紺色の細い天鵞絨のリボンだ。

最初免罪符を与えるにあたり、通常の保護観察用の首輪が提案されたが、この狐はそれをとても嫌がった。

そこでネアが、自分のリボンに免罪符である小さな結晶石を通し、首から下げてやったのだ。

その贈り物はとても気に入ったようで、たいへんな尻尾の振りようであったとグラストから聞いている。

枝葉に引っかからないように魔術を施し、野生の狐であっても紛失しないようにと失せもの防止の守護までかけられた手作りの首輪。

この狐は、それがいたくお気に入りであるらしい。

事あるごとに泉や氷に映してみては、喜びに震えているのだとゼノーシュが話していた。


これが何者であれ、まるで請うようにネアを見上げるこの狐を見かける度、ヒルドは僅かばかりの共感のようなものを感じずにはいられない。

もし、この狐が何かを請い寄り添うばかりではなく、何かを奪うものであれば嫌悪感もあっただろう。

しかし、銀狐が得ている幸福は、ごく稀にネアの膝の上でストーブにあたるくらいだ。



「何やらご事情があるのは理解しました。もし、今後ネア様の周りで何かありましたら、私にご連絡下さい」


そう言われた狐は、またこくりと頷いた。


「私は通信妖精をしておりましたので、伝達にかけては幾つかの道筋を構築しております。幾つかお伝えしておきましょうね」


道具などなくても構築出来る回線を伝えれば、狐は熱心に覚えているようだ。

ある程度の魔術を消費する手段であるので、魔術の不足は気にならない階位に違いない。

今度は見事な尻尾もふさりと揺らし、協力者が出来たことに満足気な様子である。



開かれた扉から、軽快な足取りで森に消えてゆく銀狐を見送りながら、ヒルドは少しだけ微笑んだ。

まったくもって身勝手な話だが、自分の羽の庇護を与えている少女が、愛されている姿を見るのは気分のいいものだ。

自身の領域を冒す程のものでなければ、特に忌避感もない。



その後、銀狐は心を許したのか、時折ヒルドのところへ避難してくることがあった。

ゼベルに目をつけられたようで、餌を持ったゼベルに追い回されている姿を何度か見ている。

固形の家畜用の餌を持って追いかけられている姿を見ると、さすがに不憫になったが、とは言え狐の諸事情を明かすわけにもいかない。

ゼベルにはグラストを通じて注意しておいたが、銀狐を目の前にすると忘れてしまうようだ。



一度、ゼベルに追われた銀狐が不凍湖に落ちたことがある。

リーエンベルクの庭園の景観の為に凍らないようになっているが、恐ろしく冷たい。

慌ててネアが救い上げ浴室に放り込んでいたので、心配になりその作業を引き取ると、彼女は不思議な眼差しでふわりと微笑んだ。


「そうですね。狐さん的には、その方がいいかも知れません」



時々、彼女は全てを承知の上でこの狐を愛でているのではないかと思う。

それは銀狐も同じだったようで、尻尾の毛を激しく逆立てたまま、茫然とネアの背中を見送っていた。











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