雪蛍と銀狐
雪蛍を初めて見たのは、とある夜明けのことだった。
何となく目が覚めてしまったので、窓から綺麗な雪景色を見ていたのだ。
そうすると、雪の上でまあるい光が二つぺかりと輝き、ネアを震え上がらせる。
暗がりに光る二つの光と言えば爛々と光る眼にしか見えなかったので、その時はまさか蛍だとは思わなかった。
後日、このように二個イチで光る雪蛍がいるのだと教えて貰い、その時の恐怖体験は蛍だったのだと安堵した次第である。
因みにこの雪蛍という生き物は、とても儚い生き物だ。
生涯に一度だけ恋をして、番いになる蛍と同時に浮かび上がりぺかりと光る。
この同時に光るだけの儚い恋のダンスが、彼等の人生のクライマックスだ。
三十年間を土の中で過ごし、初めて地上に出てから僅か二日しか生きられない妖精なので、勿論、伴侶を見付けることが出来なかった哀れな雪蛍もいる。
番いを見付けられなかった蛍は、恋のダンスのようには光らない。
絶望と憤怒にごうごうと赤く燃え上がり、消し炭になって死んでしまうのだそうだ。
この燃える雪蛍を見ると恋に破れるというジンクスもあり、孤独死する上に人気もない。
「ほら、これが雪蛍だよ」
「…………蛍?」
ディノが見せてくれた生き物は、小さなお餅のような生き物だった。
適当に手でちぎった白いお餅のような形をしており、よく見れば確かにつぶらな目と、華奢過ぎる羽がついている。
「こやつの餅具合では、重さで羽が千切れるのでは?」
「魔術で浮かぶから問題ないんじゃないかな」
「羽とは何でしょう……」
ディノが見付けてきた雪蛍は、どうやらペアになる相手を探しているのかムームー鳴いている。
不安になって見ていると、遠くから応える鳴き声が聞こえ餅妖精は飛び去っていった。
暫くした後、その方向にある雪溜まりがぺかりと光る。
どうやら恋が実ったようだ。
「光った後はどうなるのですか?」
「どうなるんだろう?死ぬのかな」
「悲しい話になった!」
後日確認してみたところ、恋が実った雪蛍は、しぼんで雪片になってしまうのだとか。
その雪に魔術が籠ることでまた新しい雪蛍が生まれ、もそもそと地中に引き籠ってゆく。
ネアからしてみれば、成体と同じ状態で派生する雪蛍が、なぜ地下で孤独に暮らすのかがわからない。
そして、餅感もそれなりのもので、この雪蛍をうっかり踏んでしまうととても苦労するのだそうだ。
踏まれても頑丈な雪蛍は死なないので、早く解放して欲しくてムームーと急かされながら、必死に靴裏からお餅妖精を剥がす羽目になる。
引っ張ろうとするだけ伸びて厄介なのだ。
なので、ネアはリーエンベルクの庭の片隅で発見した銀狐に、心から同情した。
「…………まぁ、雪蛍を踏んでしまったのですね」
雪蛍を踏んで蹲ってしまっていた銀色の獣は、ネアのその言葉に哀れっぽく鼻を鳴らした。
そんな狐が乗っかっているのは、家事妖精の塵取りの上だ。
家事妖精的には、景観に邪魔な銀色の毛皮は森に掃き出してしまうつもりだったらしい。
あまりにも不憫だったので譲って貰い、たまたま合流して一緒に歩いていたゼノに付き合って貰って雪蛍を剥がしてやることにした。
「…………大人しいね」
「こちらの動物さんは皆大きいですが、この子は可愛いサイズですね」
「まだ若い狐なのかな?」
「可哀想に。打つ手なしで座り込んでいたせいか、すっかり冷え切っています」
「暖める?僕、火も焚けるよ」
しかしその瞬間、身体を強張らせた銀狐はふるふると震え出してしまった。
ネアはこの獣が妖精や魔物ではないことを思い出し、よいしょと膝の上に抱え上げる。
その途端、狐はまた別の震え方をした。
「ゼノ、獣さんは炎を怖がる子もいます。可哀想なので湯たんぽにしましょう」
「持ってきて貰おう!」
ゼノーシュが塵取りで狐を捨てようとしていた家事妖精に依頼してくれ、ネア達はひとまずその場所で応急処置にあたることにした。
膝の上でも固まったままの狐の足裏を確認すれば、お餅妖精がくっついてしまったのは左側の前足だった。
見事な毛皮が仇となり、お餅妖精が頑固にへばりついてしまっている。
「こやつ、触ると私にもへばりつきますかね?」
「切り落としたら剥がれるかな?」
「ゼノ、雪蛍さんを切り捨てる気満々ですね……」
「何だろう、僕も狐になってたことあるから、狐を見ると他人ごとに思えない」
「ゼノがこの子を他人に思えないのであれば、私にとっても他人ではありません!」
ネアは試しに雪蛍の背面を指で撫でてみたが、ムームー鳴くだけでくっつきはしなかった。
これならいけそうなので銀狐の足先の方についた雪蛍を引き剥がそうとすると、毛が引っ張られて痛かったのか、狐が小さく悲鳴を上げる。
「わ、ごめんなさい!痛いようでは困りましたね……」
「やっぱり、雪蛍を切り落とす?」
「何だかもうそれでもいい気がしてきましたが、やはり全ての命を大事にしたいですね」
「大きいところだけ先に剥がせば、生きていけるんじゃないかな」
「成程、それで生存可能であれば、狐さんの毛先をカットするだけで剥がせますね!」
ネアは他にも何通りかの方法を考えてみたが、そもそも雪蛍がただのお餅ではないのが厄介だ。
ガムとかであれば氷で冷やすのも手だが、この場合、雪蛍は雪の中でも元気に柔らかいままなのが作戦を実行不可能にする。
「ひとまず、毛足をカットさせて貰って雪蛍めを切り離しましょう!」
かくして登場したのが仕立ても出来る家事妖精こと、裁縫妖精だ。
ネアがやってもよかったのだが、ここはやはり鋏のプロに頼みたい。
うっかり肉球を切ってしまったら取り返しがつかないからだ。
鋏を持った裁縫妖精にぶるぶる震える銀狐を後ろから抱き締めて、ネアはしっかりと押さえる。
「雪蛍を取るだけなので怖がらないで下さいね。ほら、私はあなたの味方ですし、ここにいますから」
ふっと、震えが止まった。
青紫の瞳をこちらに向けて、振り返った銀狐はじっとネアを見ている。
「大丈夫ですよ。ほら、私がついているでしょう?」
向こう側ではジャキリと鋏の良い音がしているので、ネアは甘い声を出してなんとか狐の注意を惹いておこうとした。
甘い声の割に両手でがっちり拘束しているので、そこの矛盾に狐が気付いたらおしまいだ。
「ムー!」
最後の鋏の音と共に、接着部分は切り落とされたが元気に飛び去った雪蛍の鳴き声がした。
飛び去ってゆく餅妖精を見送り、素晴らしい活躍を見せてくれた裁縫妖精にネアは深々と頭を下げた。
本来の仕事を止めて駆け付けてくれた狐の救世主なので、後で雪菓子でも届けておこう。
「ゼノ、狐さんが自由の身になりました!」
「ネア良かったね」
「はい。ゼノも付き合ってくれて有難うございます。クッキー食べますか?」
「食べる」
ネアがポケットから出したクッキーをゼノーシュがもすもすと食べていると、今度は湯たんぽが届けられた。
気を利かせて持ってきてくれたブランケットで包むように、狐と湯たんぽを膝の上で抱き締めてやる。
ふきゅんと切なげに鼻を鳴らしたのは、逆に心が落ち着いたからだろうか。
「狐さん、こんなに憔悴しててお外に戻れますか?それとも、狼大好きゼベルさんに診て貰いましょうか?」
ただの獣とは言えこの世界の生き物なので、話しかけた言葉がわかるのだろうか。
銀狐は耳をぺたりと寝かせてしょげると、ネアの腕の中に体をぐいぐいと押し付けた。
「ネア、懐いたのかな?」
「何だか私の大事な魔物に似ているので、放っておけない生き物ですね」
「ネアは送り火も懐いていたもんね」
「あれは調教でしたが、今回の狐さんはただ可愛いだけで心が潤いますね」
「飼うの?」
「………魔物が荒ぶるので無理そうです」
「だよね………」
しかし、その魔物は現在お風呂中なのだ。
こんな千載一遇のチャンスもないので、ネアは少し落ち着いて甘えん坊になってきた可愛い銀狐を、さっとリーエンベルクの中に持ち込んだ。
勿論、ゼノーシュに危険がないかどうかくまなくチェックして貰っている。
外客用の共用部屋に持ち込んで、ブランケット巻きの銀狐と一緒に長椅子に座った。
気分はもう、厳しい親の目を盗んで捨て犬を拾ってきた子供である。
「ゼノ見てください、甘えん坊になりました。尻尾がふりふりで愛くるしいです!」
「餌もあげてみる?」
「そうですね、お腹がいっぱいになれば野生に帰る活力になるかもしれません。冷え込んでいたので、あったかいものをあげたいですね」
「ポリッジみたいなのなら食べるかな?僕、ポリッジ好き」
「少し冷ましてあげてみましょうか?」
そこでネアは、狐をゼノーシュに任せて誕生日プレゼントの厨房に行こうとしたのだが、ネアが手を離すと、銀狐がまた震え始めてしまった。
「困りましたねぇ」
「僕が厨房に頼んであげる」
「しかし、時間外なので心苦しいです」
「僕もポリッジ食べるから大丈夫!」
「それなら万事解決ですね」
よく食べるゼノーシュは、料理人達のお気に入りだ。
時間外だろうが真夜中だろうが、ゼノーシュを甘やかすことに生き甲斐を見出している料理妖精もいる。
魔術の通信でさらりとオーダーを済ませ、ネアは子守のように狐を抱えたままストーブに歩み寄った。
冬場、猫や犬はストーブ周りに集まるというし、気に入るだろうかと考えたのである。
しかし、ストーブの方を見た銀狐は、張り裂けんばかりに目を見開いて体を強張らせた。
可哀想なくらいに体に力が入っており、ネアは慌てて離れようとして、ふと足を止める。
(…………この子、ストーブの火を見てる)
まるで、嫌で堪らないが目を離せないとでもいうかのように、銀狐はストーブの火を凝視している。
そして、哀れなくらいに怯えていた。
「ゼノ、ちょっと荒療治しますので、狐さんが暴れても気にしないで下さいね」
「ネア?」
そこでネアは、狐を抱えたままストーブの前に座り込んだ。
絨毯の上なのでいささかお行儀が悪いが、今はじたばたともがく狐が最優先だ。
抱かれたままストーブに近付けられてしまったので狐は暴れてもがき、けれどネアのことを力一杯蹴り飛ばしてしまってから、ぎくりとしたように固まってしまう。
「何か火で怖い目に遭ったのですか?」
そう声をかけて目を覗き込めば、野生の獣なりに悲痛な心の動きを見た気がする。
優しく首回りの毛を撫でてやりながら、ネアは狐を膝の上にもう一度抱き上げながら、ストーブの前に座った。
「きちんと学んで気を付ければ、怖いことはもう起こりませんよ。ほら、これはストーブというものです。管理された安全な火なので、ほこほこして暖かいでしょう?怖くない火もありますからね」
撫でてたり微笑みかけてやったりしている内に、狐は少しずつ強張りを解いていった。
やはりある程度の意思が通じるのか、とても利口な獣なのかもしれない。
どうにか普通の目に戻ってくれたので、ネアは一息ついた。
「ふふ。私のセラピストとしての腕も中々なものですね!」
「ネアは狩るだけじゃなくてこういうことも出来るんだね」
「と言うより、この狐さんがお利口でもあるのでしょう」
「ポリッジ、そろそろ来るかな?」
「む。そうですね。早めに食べさせてしまわないと、うちの魔物が戻ってきてしまいそうです。………あら、どうしました?」
突然、狐の尻尾がぶわりと膨らんだ。
それまでは火への恐怖が抜け落ちたことが不思議であるように、ネアの腕の隙間からストーブを覗いたりしていたのだが、また突然の変化にネアも驚く。
「あ、ポリッジが来た!」
「もしやこの尻尾、ポリッジ探知機だったのでしょうか。狐さんならお鼻もいいですものね」
「僕はチーズのね」
「こちらの薄味が狐さん用ですね」
ゼノーシュが魔術で適度に冷ましてくれたので、ネアはまず、お皿を床の上に置いてみる。
まだ尻尾がけばけばになったままではあるが、銀狐は少しだけお皿の匂いを嗅いで、またネアの腕の中にもぐってしまった。
「むぅ、お皿は見慣れなくて嫌なのでしょうか」
野生の狐にポリッジをあげたことがないネアは、苦渋の選択で大きな木のスプーンにポリッジを掬って口元に寄せてみた。
動物なのだから床に置いておけばいいのだが、意外に賢いので育児のような感覚になってしまう。
すると、狐はどこか観念したように、はぐはぐとポリッジを食べてくれた。
お腹が空いていたというよりは、どこか好意に応えなければなるまいという意地のようなものが垣間見えたが、気のせいだろう。
「ゼノ、食べてくれました!」
「…………うん」
「さてはポリッジに夢中ですね」
クッキーモンスターあらため、ポリッジモンスターも可愛いので、ネアはしばし狐の育児に専念することにした。
どうやら狐は、鼻先や口周りの毛にポリッジがつくのが嫌なようだ。
かなり器用に食べているのが面白い。
妙な達成感でご機嫌になってきたネアを見上げながら、丁寧に綺麗に完食してくれた。
「良い子ですね!何だか情が移りそうです。お風呂に入れて、毛先に残った餅妖精のがびがびを取ってあげたいですね」
銀狐の綺麗な毛並みは、左の前足部分だけ毛足が短く不恰好になってしまっている。
保温の意味もある毛皮なので、爪先が冷たかったら可哀想だ。
ふさりと尻尾を揺らし、狐はネアの膝の上でとことこと体の向きを変えると、まるで向かい合うようにお座りした。
「あら、私の観察ですか?」
端麗な顔立ちの銀狐なので、首を傾げるようにしてじっと見つめられると可愛さに頬が緩んでしまう。
その時だった。
「ネア、ここにいたんだね」
「ディノ、お風呂はもういいのですか?」
「ネアを探していたんだよ。………それ、どうしたんだい?」
「お庭で、家事妖精さんの塵取りに乗せられて捨てられそうになっていたのを拾ったのです。………まぁ、尻尾がけばけばになっちゃいましたね……」
ネアの膝の上で、銀狐は尻尾を今迄にないくらいに逆立てて凍りついていた。
手で押したら、このままの形でこてんと転がりそうなくらいだ。
やはり擬態もしていない高位の魔物は怖いに違いない。
(ゼノも擬態はしていないけど、そもそも身長が違うから圧迫感も違うだろうし)
「ネア、浮気………」
「ディノ、この子は野生の狐さんです。雪蛍めを踏んでしまって、酷い目に遭っていた可哀想な子なんですよ」
「膝の上に乗せてる……」
「普段は私の大事な魔物にも開放しているので、時には弱者に譲ってあげて下さいね」
「ご主人様…………」
魔物がすっかり荒んだ目になってしまったので、ネアはやれやれと溜め息を吐いた。
ここで荒ぶって狐を外に捨てなかっただけマシだと思うしかない。
ディノが来たので安心してお役目を解かれたゼノーシュが部屋を出てゆく。
ポリッジのお皿はネアから戻すことにし、ポケットに残っていた個包装のクッキー三枚を献上して謝礼とした。
グラストに狐を助けたことを自慢するそうで、どこか得意げなのが可愛らしい。
「ネア、こっちにおいで」
「む。何故に勝手に椅子になろうとしているのでしょう?ご褒美を貰えるようなことはしていませんよね?」
「ご主人様が浮気をした」
「これは保護活動です。それに、万が一のことにならないよう、ゼノにずっと傍にいて貰いました」
「でも、こっそり誰かに触れさせてはいけないと話しただろう?」
「やはり一度、その低すぎる基準値を見直しましょうね」
膝の上に乗っているのは狐である。
その狐ですら、先程の怯えようが嘘のように困惑した気配でディノを見ている。
狐なりに、よからぬ因縁をつけられているのがわかるのかも知れない。
「もう元気そうだね。早く森に返しておいで」
「まったくもう、困った魔物ですね」
そこでネアは奥の手を使った。
もう少し狐を愛でていたかったので、膝の上の狐を抱き上げると、諸共、魔物の椅子にどさりと座ったのだ。
これには、膝の上の狐も、膝下で椅子になった魔物も同時に固まった。
「ほら、こうして椅子にしたので落ち着いて下さい。これでお互い幸せです」
「ご主人様の膝の上に余計なものがある………ずるい」
「はいはい、あとで膝枕もしてあげますから」
ぽいっと投げ込まれた三つ編みに、銀狐がびくっと体を竦めた。
それを引っ張ってやりつつ、ネアはどちらの方が手がかかるのかわからなくなってきた。
「ディノ、三つ編みが落ちてきたら狐さんがびっくりしてしまいます」
「………ひどい」
「椅子になった上に髪の毛も引っ張って貰おうだなんて、ご褒美の過剰請求ですね!」
「もっとしたい?」
「解せぬ………」
ネアの膝の上にいた銀狐が、ぽんと床に飛び降りた。
落ち着かなくなってしまったのかと不憫になったが、ととと、と後退りしながら離れると、魔物の拘束椅子に座っているネアを困惑の目で見上げている。
「………何でしょうか。そこはかとなく心を抉る眼差しです」
ここまで呆然と見られると変態の仲間だと思われたくはないので、ネアも立ち上がった。
「ご主人様………」
椅子を解除された魔物がしょんぼりしていたが、最初からご褒美を貰える場面ではないのだ。
「狐さんの抱っこが終わったので、そちらの椅子も用無しです!」
「ネア………」
「ほら、邪魔しないで下さい。お皿を片付けて、狐さんをゼベルさんに預けるかどうか決めないと」
「野生のものだから、すぐに返した方がいいと思うな」
「正論のようですが、この件に関しては専門家の意見を優先させましょう」
「浮気………」
「午後からまたプールで水泳教室をするんでしょう?ご主人様の邪魔をしてはいけません」
「する………」
ネアが近寄って膝を折ると、まだどこか困惑したように銀狐は視線を彷徨わせた。
「急に困った魔物が来たので、不安になってしまいましたか?」
尻尾がくたりと床についており、頭を撫でてやりたくなる。
しかしそうすると魔物が荒ぶるので、ネアは微笑みかけるに留めた。
「ゼベルさんという、獣に詳しい騎士さんがいます。その足で大丈夫かどうか、診て貰いましょう」
「怪我をしているのかい?」
「いいえ。ただ、お餅妖精を剥がす為に毛を刈ってしまったんです。随分と凍えていたし、雪の中に戻すのは可哀想で」
「では、治してあげるよ。それで森に返せばいい」
「早く追い出したい感じが強すぎますが、狐さんが元気になるのが一番です。毛皮も復活しますか?」
「大丈夫だよ、ほら」
ディノが手をかけたのは一瞬のことで、驚いたようによろめいた銀狐は、足先の毛皮が元通りになっただけではなく、全身艶々の素敵な状態にされていた。
ついでに生えてきたばかりの毛も成長してしまったのか、毛皮の密度が上がり丸々として見える。
「元気にもなった筈だから、すぐに外に出しても大丈夫だよ」
「有難うございます、ディノ。毛並みもふくふくになって、とても元気そうになりました!」
魔物が良いことをしたのは事実なので、ネアはばすんと体当たりしてやりディノを労えば、目元を染めて恥じらった魔物が、やっぱりご主人様は狡いと呟いている。
そんな魔物を見て、銀狐は再び困惑の目を深めた。
異種族にまで伝わってしまうのだから、魔物の症状は深刻だ。
「ディノ、狡いの基準も再検討しましょうね」
「…………ずるい」
「………あら、」
視線を戻すと、銀狐は自ら窓の所まで歩いてゆき、かりかりと爪で掻いた。
中庭に面した部屋なので、その窓を開けばすぐに外に出られるようになっている。
あまり奥まった部屋でも怖がるといけないので、森が見える部屋にしたのだ。
「森に帰りたいんですね。元気になって良かったです」
少し寂しくはあったが、窓のところまで行って開けてやる。
背中にへばりついた魔物を押さえつつ、雪の上に足を踏み出しながらちらりと振り返った銀狐に手を振った。
「もう雪蛍を踏んでは駄目ですよ。森には妖精や魔物もいるので、気を付けて下さいね。怖いことがあれば、いつでもここに逃げてきていいですから」
「ネア、浮気………」
「ここは感動の場面なので、あらぬ疑いをかけないで下さい!」
少しだけ名残惜しそうにしてから、銀狐は、ぱっと雪の中に駆け出していった。
あっという間に小さくなってゆくその姿に、ネアは何だか切ない気持ちになる。
「……ディノに気付かれてしまうのが早過ぎました」
「………浮気」
その後、魔物がとても萎れてしまったので、ネアは暫く椅子にしてやるしかなくなってしまった。