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魔物の水難事故


その日、今日もプールに行くのだと知り、エーダリアは何とも言えない顔になった。

隣りで何やらヒルドと話していたアルテアも、ものすごい勢いで振り返る。


「………泳ぎの練習?いや、泳げるだろ?!」

「溺れはしませんが、泳げないですよ」

「………泳げないのですか?」

「あんなに高位の魔物が、泳げないだなんてことはあるのか?」


三者三様に驚いているが、そもそも泳ぐ必要がないのだ。

必要に駆られて泳ぐなどという機会のない高位の生き物だからこそ、ディノは遊泳が出来ない。

そして最近、ご主人様に浮き輪を引っ張って貰うだけでなく、ご主人様を浮き輪に設置して、自分が引っ張ってみたいという欲求を持つようになった。

ネアとしては別にやらなくてもいいのだが、そう正直に発言して、頑張る魔物の意欲を削いだりはしない。


「ですので、今日もお仕事の後はグラニの温泉プールに行ってきますね。業務時間外ですので普段はそのままするりと出掛けますが、例の魔術師さんのこともあるので、念の為に報告しようと思いまして」

「気を遣わせてすまないな。だが、………そうか、泳げないのか」

「ええ。アルテアさんのような方が、ボラボラに弱いのと同じようなことです」

「やめろ」

「しかし、………泳げないのか。意外だったな」

「………エーダリア様、うちの魔物の前で、間違ってもその笑顔で同じことを言わないで下さいね」

「ネア様、エーダリア様は、この通り脆弱に見られがちですが、実は身体能力が高いということを自慢にしております。一つでもディノ様に勝っているところを見付けられて嬉しかったのでしょう。後で厳しく叱っておきますので大丈夫ですよ」

「ヒルド………」

「もしや、アルテアさんも泳げなかったり…」

「悪いが、俺は普通に泳げるぞ?」

「残念です」

「何で残念なんだよ……」



そしてグラニの温泉プールに行けば、ディノは既にそこそこ人気者になりつつあった。

郊外のグラニとはいえウィームの民。

プールのお客さん達は皆、凄艶な美貌の男性が擬態している魔物だろうと判断出来るぐらいの知識はある。

なので、決して冷やかしたり気軽に声をかけたりはしない。

それでも、好意的な視線というのはわかるものだ。


(確かに、これだけ綺麗な生き物が頑張って水泳教室していたら、ほんわりするかも……)


頑張る魔物の為に一定の距離を空けてやり、その成長を視界の端で見守る会が出来上がりつつある。

時折、非番のプールの魔物も隣りのプールの縁から並んで見守っていたりするので、種族の垣根を越えて心温まる光景というものもあるのだろう。


「もう、息継ぎはやめようかな……」

「人間的には一番大事な要素だと思いますが、魔術でどうにか出来そうですか?」

「息継ぎも覚える………」


ディノは、魔術を使わずに何かをするということに慣れていない。

基本の身体能力も並はずれているので、基本人間に擬態するなりなんなり出来るのだが、あまりにも馴染のない行為の場合は、幼子のようになることがわかった。


とは言え魔物なので魔術を使ってもいいのだが、自力で泳ぐことに憧れを見出したようだ。


揺れる色彩を見ながらふわりと忍び込む感傷めいた愛情に、微かに思う。

ネアは理屈っぽいところもあるが奔放で、諦めるのもやぶさかではないが基本我儘である。

つまり、平均値の岸辺に住んでいないので、世界とはなんぞやという考察は不得手だ。


それでも思うのだ。


こうであるからと納得されて放っておかれていたものを紐解けば、この魔物は何も知らないし、とても愚かなのである。

その無防備さは彼自身も放置していた無残さで、ふくふくと庇護欲をそそる。

誰もがこの魔物が穏やかに安定していると思いもしなかったくせに、なぜか完璧なものだと思ってきた不思議さが、ネアは今でも解せない。



だからネアは、誰もが納得する美貌の魔物の王様よりも、この何にも出来なくなる可愛い生き物が好きだ。

ネアでなければと言ってくれるのは、この頼りない生き物なのだから。



「そして、基本形でも浮くことは出来る人間に対して、なぜ魔物は浮かないのでしょう?」

「………重いのかな?」

「単純な重さで言えば、同じサイズの人間の男性と変わらないと思いますよ?」


膝に頭を乗せたり、寝ぼけて上に乗り上げたりされるので、おおよその重さはわかるつもりだ。

重金属のように重いということもなかった筈だが。


「水との親和性が悪いとか、何か特有のものがあるのでしょうね」

「今度アルテアで試してみようかな」

「もう少し、実験に向いた小さな素材でいいのではないでしょうか?」

「ネアは最近、アルテアに優しいよね」

「いえ。アルテアさんとプールに行くのは面倒だなぁと思いまして」


アルテアには前科がある。

ウエストを掴ませてわからせてやったが、またムグリスに似ているなどと言われたら堪らない。

そう考えたネアに対して、魔物も同じことを考えてくれたのか、水着姿のネアをじっと見つめる。


「………他のもので試そうか」

「ですよね」

「ネアの水着姿を知られるのは嫌だし」

「む。どこを見て言っているのですか!」


思わず叱ると、魔物はぱっと頬を染めた。


「ご主人様……」

「胸は余分な脂肪ではありません。私は決してムグリス似ではなく、その下のウエストは独立していますよ!」


激昂したネアは思わず、胸元を寄せて腹部との境目がきちんとあることを見せつけてしまい、その結果事故が起きた。


「ディノ?!」


次の瞬間、魔物はプールに沈んだ。

驚いたネアが慌てて潜水して引っ張り上げる。

引き上げられた魔物は、なぜかくしゃくしゃになっていた。


「…………ネア、ひどい」

「いや、今は自損事故でしたよね?!私は沈めていませんよ?」

「ネアに沈められた」

「こちらこそ酷い言いがかりです!」


なぜか他のお客さん達が魔物に同意しているのが癪だが、ネアはムグリス疑惑を否定しただけである。


その日、ディノは見知らぬ男性陣から飲み物を奢って貰うという初めての体験をした。

とても同情的な優しい目をしていたので、泳げない魔物へのエールかも知れない。

きちんとお礼を言えるように躾ける場にもなったので、とても有難い。




リーエンベルクに戻ってから魔物が溺れたことを話すと、エーダリア達は呆然としていた。

高位の魔物が溺れるということ自体、初めての症例なのだそうだ。

この部屋にディノが居ないのは溺れて儚くなってしまったからではなく、自室で水泳教室の疲れを取るべくの長風呂タイムだからである。


「溺れたというより、垂直に沈んだという感じでしたが」

「ネア、何をしたんだ……」

「エーダリア様失礼ですよ!」

「その前後で何もしてないんだな?」

「人体構造の話はしましたが………」

「人体構造?」

「ディノが私の造形について不適切な誤解を抱かないように、お腹は平らだと証明したのです!」

「………ネア様、どうしてそのような話になったのですか?」


質問者がヒルドに代わると、ネアはなんだか自分がまずいことをしたのだろうかという気持ちになってきた。


「体型が緩んでいる疑惑をかけられたくないという流れから、ディノが上の方ばかり見たのです。女性の身体構造上胸に脂肪がつくのは普通のことなので、その下はへっこんでいることを…」

「ネア様、充分にわかりましたので、その証明は二度と行いませんよう」

「ヒルドさん?」


なぜか、僅かに目を逸らしながら叱られた。

目元が赤いようだが照れてしまっているのかもしれないが、ムグリス疑惑を晴らすにあたり、特に過激なことをしたつもりはない。

今だって実演したわけでもなく、ただ言葉で説明しただけなのに。

こちらの世界の男性は、純粋培養な者が多いのだろうか。

そこで、あまり純粋ではなさそうな参加者を振り返った。


昼過ぎからエーダリア達と何かを議論しているらしいアルテアは、妙に嫌そうな顔をしている。


「…………お前、まさか水着で腰を掴ませたんじゃないだろうな?」

「失礼な!泳げない魔物の両手を拘束したりはしませんよ。体のラインを目視させただけです」

「プールの中でか?」

「潜水もさせていませんよ!胸をどかしてお腹を…」

「もういい、喋るな」


何もしていないのにおもむろに両手を拘束されて、ネアは渋面になる。

これではまるで犯罪者を捕えたようではないか。

完全にこちらを見なくなったエーダリアやヒルドと違い、アルテアはどこか呆れ顔だ。


「なぜ責めるようにこちらを見るのでしょう?」

「いいか、それをやればまたあいつは沈むぞ。二度とやるなよ?」

「何やら不当な罪を負わされているような気がしてなりません」


ネアとしては不本意だったが、何となく孤立無援を感じ取ったので大人しく黙った。

そこでふと、ヒルドがこちらを見ていることに気付く。

視線のやり場を見る限り、ここでもムグリス疑惑なのだろうか。


(………確かに年末年始で、沢山食べたけれど!)


最盛期には及ばないものの、運動もしているのでお腹はきちんと凹んでいる筈だ。

それとも、人ならざる者達の基準値は異様に高いのだろうか。

思えば妖精の女性など、とても女性らしいボディラインながらにウエストは折れそうに細い。

やはり、そのあたりを基準値にされてしまうのかも知れない。


「………もっと細くないと、ムグリス相当なのでしょうか」


少ししょんぼりしてそう呟けば、ヒルドは目を瞠ってから穏やかに微笑んだ。


「私は今のままで充分魅力的だと思いますよ。少なくとも、ムグリスに似ているとは思いません」

「締め色効果な紺色のドレスを着ているからではなく……?」

「おや、何も着ていらっしゃらない時でも充分に問題ありませんでしたよ?」


言質が取れたので、ネアは晴れやかな笑顔で手を掴んだままのアルテアを見上げた。

しかしなぜか、アルテアはものすごく嫌そうな顔をしてこちらを見ている。


「今のはどういうことだ?」

「今の………?」


アルテアに視線で示されて、もう一度ヒルドに視線を戻す。

よくわからないままに首を傾げると、薄く微笑んだヒルドが人差し指を唇に当てて黙秘を示した。

秘密めいた美しい姿に一拍考えてから、年始早々に遭難したことを思い出す。


(あの時のこと?!)


確かにしっかり脱がされているので、お腹周りが緩んでいないかどうかぐらい判断出来るだろう。

そういえばヒルドには、水着程度の状態は見られているのだった。


「も、黙秘します!」


あわあわと逃げていったネアに、アルテアはこの上なく疑わしげな目を向けた。

恐らくほじくり返そうとするに違いないが、ここは交渉上手のヒルドに盾になって貰おう。

さっとヒルドの背後に避難したネアが一息ついていると、エーダリアがものすごい顔でこちらを見ていた。


「…………ネア、お前達はまさか………」

「遭難事件については黙秘します!」

「……ん?あ、ああ。あの時のことか。………いや、いいのか?!」

「エーダリア様、敵に情報が漏れるので黙って下さいね」


その後、ネアの向こう側でヒルドとアルテアがどんなやり取りをしたのかは知らない。

魔術の音の壁があったようで、口が動いているのに聞こえてこなかったからだ。

エーダリアの表情を見ている限り、あまり穏やかな話し合いではなかったようである。



避難生活が暇だったネアは、こっそり考える。

泳げない魔物がすべからく沈むのであれば、木の実型の森の賢者も沈むのだろうか。

とても気になるので、いつか湖にでも浮かべてみよう。



翌日、ヒルドに対抗心を燃やしたアルテアに雪溜まりに沈められそうになったので、ネアはディノに言いつけて懲らしめて貰った。









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