72. 新年のお祝いが振る舞われます(本編)
その日、リーエンベルク前の広場には特設会場が設けられる。
新年のお祝いと聞いて、ネアはてっきり一日に開かれるものかと思っていたのだが、ヴェルクレアの人々は星祭りに全力投球する為に、年明けのお祝いすら後ろ倒しにしてしまう。
では星祭りの翌日ではどうかと思うのだが、そうなると今度は星祭りで成果の振るわなかった者が荒ぶる為に、そこからも数日置いてから、初めて国を挙げての新年の行事となるのだ。
過去の様々な経験を踏まえるのは最もだが、統一戦争前から四国共にほぼ同じ運用なので、過去よりどれだけ星祭りで人々が荒れ狂うのかよくわかるというものだ。
「今年は淡いピンク色なのですね!」
リーエンベルクのお祝い行事には、毎年テーマカラーがある。
つつがなく儀礼的に済ませる振る舞い料理でもいいのだが、ダリルの発案により毎年変化をつけることになったのだそうだ。
テーマカラーがあるとは言え、王宮としての品位を失ってはいけない。
いかにその色の範囲で上品に、かつ来場者達が喜ぶようなものに仕上げるのかが肝となる。
今年はまだ楽な方で、去年の淡い水色はとても苦労したそうだ。
先代の歌乞いが亡くなった年からの新年という事で、決して派手過ぎず、なおかつ暗くなり過ぎない色彩として選ばれた色だった。
そのような事情があれば、やはり厄介かも知れない。
(第三王子が広報活動に余念がない方だったせいで、前の歌乞いの方は有名だったみたいだから)
美しい女性だったこともあり、また第三王子の婚約者として慈善活動にも積極的に参加していた彼女は人気者だったらしい。
その死は、公人の訃報として衝撃的なニュースだったのだ。
その話を聞く度に申し訳なく思うが、公的活動に意欲ゼロのネアとしてはあまり関わりたくない部分の話題である。
「そ。今年はピンク色なわけ。でも白が多めで上品でしょ?」
「お花も綺麗ですね!これだけの同じ色味のお花は、やはり魔術ですか?」
「まぁね。この色味の薔薇の妖精に、魔術で体力増強して貰ってじゃんじゃん増やすんだ」
「………思ってたより怖い話でした」
その薔薇の妖精は、今も元気だろうか。
寝込んだりしていないと良いのだが。
毎年様々な花が溢れるが、今年はカップ咲きの花びらがみっしり詰まったクラシックな薔薇がメインとなっている。
テーブルクロスは淡い薔薇色のグラデーションのものを重ね、まるで大きな薔薇の花のようだ。
これまた珍しい淡い薔薇色の石から削り出したテーブルには、リーエンベルクの料理人達の特製料理と、外部発注した新年の祝い膳が溢れんばかりに並んでいる。
毎年領主の懐からこの料理が用意され、ウィーム中の名店の料理が食べられるとあって、遠方からもこの日の為にやって来る人々がいるそうだ。
ザハやその他の老舗レストランの料理も人気だが、普段はリーエンベルクでしか食べられない王宮の料理人のものもとても人気らしい。
「取り敢えず、食べたいものがあったら事前に言っておいてね。席に持って行くからさ」
「私はあまり詳しくないので、私が食べた方がいいものを持ってきていただけると助かります」
「お、わかってる!」
各店の料理が揃うお披露目の場でもあるのだから、恐らくそのような采配がある筈なのだ。
(………緊張するな)
今回、ネアにとって重要なのは、この祝賀会にはネアも参加するという事だった。
リーエンベルク側の席に居ればいいだけなのだが、とは言え来訪者に顔の見える席である。
擬態させたディノも隣にいるのだからと思っても、そもそも一般人は観客のいる食事に慣れてはいないのだ。
ともあれ、あっという間に時間になり、祝賀会が始まった。
一瞬だけ会話の持てたダリルは、各種最終調整で忙しく駆け回っているようだ。
毎年、ここで女王様のようにキビキビ働く書架妖精もまた、リーエンベルクの祝賀会の目玉なのだそうだ。
美しく口煩く辛辣なダリルの姿見たさに、各地から信奉者の貴族の子弟達が集う。
暫く見惚れているうちにダリルに見付かり、無償労働者としてこき使われるのが彼等にとっての最高の名誉であるらしい。
そのような裏事情もあり、ウィームの祝賀会は毎年人手不足にだけはならなかった。
優秀なウェイターが、まさかの王都宰相の息子だったりするので、それも民衆には受けが良い。
「ほらディノ、始まりますよ」
「人間は儀式が大好きだね」
「今回ばかりは、お仕事感の強い会ですね。とは言えここに住まう以上必要な会ですので、きちんとこなしたいと思います!」
「出たくないならどうにかしようか?」
「いいえ、こういう立場は苦手ですが、仲間達と助け合うのはやりたいです。一緒に頑張って下さいね」
「ご主人様!」
ある意味見世物ではあるので、魔物が不快になったりしてご機嫌を損ねたりしないよう、本日のネアはご褒美をどんどん与えてゆく方針である。
結果、ディノはエーダリアの新年の挨拶の間中、嬉しそうにしていてくれた。
斜め横を通り過ぎたどこぞの貴族の子弟が、魔物の髪の毛をリード代わりにしているネアに、びくりと体を揺らしたが見なかったことにしよう。
わあっと歓声が上がり、花火の音がして上空から花びらが降ってきた。
華やかな新年の儀に相応しい素敵な演出だ。
花びらは魔術の効果なので、地面に落ちる前には淡く光って消える。
勿論、料理に入ることもない。
会場の経路以外の地面は咲き乱れる花々でさりげなく区分けされているので、何とも艶やかな会場だ。
「さぁ、挨拶が終わったのでいよいよです!」
一般区画に並んでいた民衆達が入り始めた。
きちんと順番通りに進んでおり決して荒ぶることはないが、皆お目当のテーブルにさっと歩み寄り、狙っていた料理をピックアップすると、領主達がよく見える位置を通ってからはけてゆく。
こうして見ていると、歴戦の経験者と、初参加者の違いが動線でよく分かった。
プロはオペラグラスのようなものすら持ってきている。
「ネア様、こちらのテーブルにどうぞ」
「はい。ではこのお席に失礼しますね。ディノ、こっちですよ」
「……隣がいい」
「角ですが、これは事実上隣というものです」
「………隣」
「ネア様、一席ずれましょうか」
「皆さんを動かしてしまってごめんなさい……」
こらっと叱られた魔物がしょんぼりし、一般区画がざわついている。
公の場には滅多に出て来ないので、多くの民衆が初めて見るヴェルクレアの新代の歌乞いだが、明らかに隣の魔物の美貌が抜きん出ているからだ。
それは、薬の魔物だと聞いていたが明らかに階位がおかしいぞと察せる者達にとっては、衝撃的なことだった。
保安上の問題もあり、ネアもディノも擬態しているが、とは言え造作を変えていないので仕方ない。
ネアに至っては、あまり容姿を具体的に記憶出来ないという選択の魔物特製の術式がかけられていた。
「グヤーシュ………」
「ディノ、どれを食べたいですか?」
「白い方かな」
「こやつはシチューですね。老舗レストランのお料理みたいで、とってもいい香りですよ」
「ネア、それ美味しいよ!」
「む。ゼノが言うなら、私もお味見したいです」
「ネアが先に食べていいよ」
会話そのものも、音の防壁があり一般区画には届かない。
これは執拗な声がけや、不届き者が入り込んだ場合の対策としての措置であり、例年のことだ。
しかし、雰囲気や動作からある程度のことは察せるのだろう。
和気あいあいとした雰囲気が伝わったのか、先頭に並んでいたウィーム各地の中堅お偉いさん方は何やら満足げであった。
もう少し上の階位である地方伯達は、ご家族連れで貴賓席を通り、エーダリアに直接挨拶をしている。
一言程度で綺麗に流れているので、有名人の握手会を見ている気分だった。
それぞれに食事もしているので、会話でお互いを煩わせることは決してない。
「ゼノの選んだものは流石ですね!これは美味しいです」
「僕、美味しいもの選ぶの得意」
本日のゼノは、対外的な見聞の魔物として、氷色の髪の青年の姿に擬態している。
ネアとしては初めて出会った頃の姿なので、何だか懐かしい。
今日ばかりは、グラストも見聞の魔物の歌乞いとして席に着いている。
貴賓席には彼の知り合いも多いのか、何度か笑って会釈していた。
やはり人柄が良いせいで人気者である。
「グラストさん、向こうのご夫婦が手を振ってますよ」
「ネア殿かたじけない。……おお、ブラーレットか!」
どうやら退役した元部下らしく、グラストが顔を綻ばせた。
隣のゼノーシュは、夫婦に娘がいないかどうかをちらりと確認し仕事人のように頷いている。
「ヒルドさん、このお料理はどう食べるのかご存知ですか?」
ネアが相談したのは、壷焼きのようなものだ。
レースのように素晴らしい形成をされたパイ生地がかかっているが、上にムースのようなものと海老やホタテも乗っており、崩して食べるのか上から食べるのかわからない。
「一口目はそのまま。その後で崩して下さい。ああ、そちらは魚介のスープですので、この白葡萄酒が合いますよ」
「まぁ、有難うございます」
隣の席で食事をすることは珍しいので、ヒルドは甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。
どこか少し、親密に声をかけることで緊張感を緩和してくれているのかもしれないとネアは密かに感謝した。
「ネア、………浮気」
「はいはい、ディノが一番ですよ」
「ご主人様………」
案の定、膝の上に三つ編みが投げ込まれたので、ネアはおざなりに引っ張ってやった。
体が揺れるので、魚介のスープを食べ終わるまで待って欲しい。
しかしながら、業を煮やした魔物が肩に頭を乗せてきたので、こればかりはと頭を叩いてしゃんとさせる。
「ディノ、お行儀が悪いですよ」
「やっとご主人様がこちらを向いた」
「まったくもう、寂しがりやですか!ほら、このパイも初めて見ませんか?試してみては?」
「………ネアと同じものを食べる」
魔物の面倒を見ながら、もう一皿魚介のスープを取って貰っている時だった。
「この海老のマリネは中々だな」
背後からそんな声が聞こえ、ネアは美味しかったので残してあった生海老のマリネを、肩越しに手を伸ばされて強奪された。
「………海老、……最後に食べようと思って残しておいたのに」
「ん?他にもあるだろ」
「おのれ、海老の恨み!」
「痛っ、それはやめろ!」
頭にきたネアに、ディノの三つ編みでばしりと打たれたアルテアが、もの凄く嫌そうな顔になる。
「立ちながらではなく、座ったらどうですか?」
「俺が来たことに、特に感想はないんだな……」
「最近アルテアさんは見慣れてしまいました。ほら、ディノの隣が空いてますよ」
「グラスがないぞ」
「もう大人なのですから、ご自身で頼んで下さいね」
「葡萄酒よりも、あっちにある蒸留酒だな」
「ええい、我が儘魔物め!」
幸い、蒸留酒は気を利かせたグラストが回してくれたので、席を立たずにすんだ。
「何だ、お前も飲むのかよ」
そんなアルテアも、無言でグラスを差し出したディノには注いでやるようだ。
どうやら、この限定で出される祝賀会用の蒸留酒を狙ってやって来たらしい。
ネアも勧められたが、こんなところで事故になってもいけないので辞退した。
乾杯はシャンパンのような素敵な飲み物をいただき、二杯目からは果実水に切り替えている。
「海老、海老を返納して下さい!」
新しく席に着いたアルテアに、給仕妖精が料理の載ったお皿を持って来た。
その中に先ほど強奪された海老を発見し、ネアは抜け目なく返還要求に入る。
「お前、食べ物の恨みは絶対忘れないな」
「生きる糧なのですから、何の不思議があるでしょう。慰謝料としてそちらのゼリー寄せを要求しないだけの温情に気付きましたか?」
「ほら、隣のシルハーンが差し出してるぞ」
「ディノ、これは美味しかったので、是非ディノにも食べて欲しいです」
「ご主人様!」
目立ちたくないネアとしては大変残念なことに、統括の魔物として立ち寄ったアルテアはとても目立った。
擬態もしていない白い魔物を初めて見た人間も多く、貴賓席もかなりざわついており、その上、ネアは容赦なくその魔物の皿から海老を献上させているのである。
妖精や竜に魔物や精霊など、人ならざる者は高位になればなる程に食事を与えるという行為で親密さを示す。
これもまたネアが知らないところで、余計な新規参入者を蹴散らす為にと、ディノやヒルドもせっせとその行為を見せつけていた。
「何というか、………とても安心いたしました」
「………そうだな。あの通りなので、頼もしいことではあるな」
古い知己に席を立って会話していたエーダリアは、やや呆然とした面持ちでそう評価してくれた壮年の地方伯に歯切れ悪く頷く。
ちょうどテーブルの方では、ネアがヒルドに取り分けて貰った鴨肉にフォークを刺そうとしたアルテアが、ディノに手を払い落とされているところだ。
魔物達が煩いのか、ネアはゼノーシュの話を聞く為に、そちら側の耳を片手で押さえて会話している。
「エーダリア様、あちらの魔物は本当にただの薬の魔物なので?」
「私にももはやよくわからないが、統治の安定に大きく尽力してくれるので深く追求しないことにした」
「そ、そうですな。統括の魔物との様子を見ている限り、なんとも心強い……」
「あの様子を見ておりますと、歌乞いのお嬢さんが一番上位なのではなくて?いいですわね、安心して見ていられますわ」
「……ええ」
地方伯の奥方は世に知れた豪傑でもあるので、エーダリアはその満足げな感想にもそつなく同意しておいた。
地方伯の妻の座に収まっているが、元は王都の公爵家の次女である。
この気弱そうな地方伯とは、両家の反対を押し切っての恋愛結婚なのだ。
恐妻家の地方伯は、自分の妻と歌乞いを見比べて顔色を悪くしている。
きっと魔物達が不憫になったのだろう。
「彼女は社交には興味はないのかしら?」
「魔物達が許さないだろう。なにせ、あの通りなので」
「そうねぇ、残念だわ。とても興味があったのだけれど、契約の魔物達に恨まれたくはありませんものね」
夫婦が去って行くと、エーダリアは苦労人らしい溜め息を吐いて話題のテーブルに戻ってきた。
ヒルドとグラストの間なのが、せめてもの救いである。
「エーダリア様、ダリルさんは食べないのですか?」
「ん、……ああ、ダリルはいつも、向こうのテーブルで信奉者達と食べるんだ」
「確かに貴族のご子息だけでなく、素敵なお嬢さん達にも囲まれていますね。……エーダリア様、落ち込まないで下さいね」
「お、落ち込んでいるものか!」
「男性としての魅力は、学ぼうとして学べるものではありませんので、自ら奮起していただくしかないですね」
「ヒルド………」
何やら公の場でも落ち込まされているエーダリアから視線を移し、ネアは料理も折り返し地点で参加者の戦い方が複雑化した一般区画に目を向けた。
美麗な男性陣がいるからか、うっとりとこちらを見ている女性陣がいたり、家族参加でお料理の方しか見ていなかったり、もはや神なのかエーダリアを拝んでいるご老人がいたりと、実に多様だった。
空は青く、何とも麗らかな新年日和である。
どこか遠くで歓声が上がったと思ったら、貴賓席にジゼルが降り立った。
大きく翼を広げて竜の姿から人型に転じたジゼルの肩には、衣装の一部かのような子狐がへばりついている。
お肉料理の多いテーブルを見て尻尾が振り回されているので、食いしん坊なのだろう。
「ネア、そちらを見なくてもいいよ」
「ディノ、首の建て付け上難しいです」
「お、ジゼルも来たか。子狐が起きないので無理かもしれないと話していたが……」
「酷い理由ですが、育児中なので仕方ないのでしょうか」
「おや、その子狐が逃げたようですよ」
「あらあら、テーブルの上のお肉が目当てですね」
子狐に振り回されている美麗なジゼルに、一般区画の民衆達が楽しそうに笑っていた。
雪竜の王もまた、とても人気があるウィームの人外者なのだとか。
(…………あれ、)
その時、遠くに見える街路樹の枝の上に、何だかモサモサした生き物が見えた。
ネアは慌てて隣の魔物に声をかける。
「ディノ、………もしやあそこにいるのは、ボラボラですか?」
「ほんとうだ。そろそろ時期だから増えてきたのかな」
「ヒルドさん、あそこの木にボラボラがいます」
「こちらから声が聞こえるので、森から出てきたのでしょうね」
「危険はないのですか?」
「ええ。祝賀会には精霊も来ておりますので、すぐにいなくなるでしょう」
「………季節の味覚」
とは言えジゼルがかぶれないといいなと思って目で追いかけていると、木から降りようとしたボラボラは、既に下で待ち受けていたドレス姿の華奢なご婦人に捕獲され、肩にかつがれてお持ち帰りされていった。
「…………狩られた」
祝賀会の翌日から、ウィームはいっきにボラボラ祭りの様相となる。
季節の味覚として運ばれてゆくボラボラに、ネアは何とも言えない気持ちで初めましての生き物を見送った。