黄金の騎士と国王の指輪
ネアが、カインの都より持ち帰った絵本は、まず丁寧に除菌された。
魔術や呪いの類も調査され、回り回ってネア本人の元に戻されたのは一週間程後のことだ。
臨時冒険者として成果物が手元に戻されると、また何やら誇らしい気持ちになる。
とは言え、鯨が暴れて足元に落ちてきた本を拾っただけなのだが。
(これは、騎士物語の絵本なのかしら)
絵本の表紙には精緻な扉絵があり、森の中のお城を背景にして描かれた、金色の鎧の騎士と緑色の髪をした美しい女王が主要登場人物であるようだ。
読めるかどうか不安だったが、苦なく読めてしまったネアは思わず眉を顰める。
この本は、かつてのカインの古い言語で書かれていると聞いたので、つまりはその文字が読めるということになる。
就寝準備で巣を整えていた魔物に、その疑問をぶつけてみた。
「ディノ、私はカインの古い文字も読めてしまうようです」
「文字のことかい?私が読めるものは何でも読めるよ」
「……謎が解けました。そうなると、ほぼ全ての言語がいけるのでは……」
「そうでもないんだ。殆ど動物に近い妖精や魔物達のものは知らないから」
「それはもはや、知らなくても良い範疇ですね」
ぺらりぺらりとページをめくりながら、ネアは初めてちゃんとその絵本を読んでみた。
物語は、やはり分かりやすい英雄譚であった。
とある国に、森の精霊の女王と領土争いをしている大きな都があった。
その都を治めていたのは、かつて北方で大きな国の国王だった男である。
男は国で勢力争いに敗れ、近しい者達を引き連れて逃げ延びたその土地で、それは見事な都を作った。
しかし、それが緑の女王の逆鱗に触れたのだ。
基本的に土地を治める精霊は、余所者を嫌う。
ましてや、遠方から訪れた者達が土地から豊かな実りを得ていると知ると、その憎しみはとても強くなった。
都の人間達は魔術に長けており、偉大な緑の女王との戦いは長く続くと思われていた。
しかし、偶然都を訪れていた貧しい一人の騎士が、失われていた伝説の魔術を使い緑の女王を滅ぼした。
彼は都一番の美女を妻に娶り、都は千年も栄えたのだという。
「ふむ。……特に過不足のない普通の物語です」
「人間はこういう話が好きだね」
「ええ。善人ですが何も持たなかった方が、評価されたり、思いがけない幸運を得るというものは好まれますね」
「でも、この騎士は黄金の鎧を着ているよね」
「実は、私も最初から気になっていました。宿代に困るくらいなら、この鎧を売れば良いのです」
色の塗りがまずいのかと思えば、文書にも最初から見事な黄金の鎧を着た騎士とある。
そのくせ貧困に喘いでいる意味がわからない。
「ディノ、こちらの世界では黄金の価値は低いのですか?」
「いや、そんなことはないと思うよ」
「……であれば、代々受け継いだ品とかで、売りたくても売り払えない一族の矜持があったりするのでしょう」
「そんなことまで推理出来るネアは凄いね」
魔物は素直に尊敬で目をキラキラさせているが、ネアが推理しているのは絵物語の中の登場人物だ。
しかしながらこのような絵本の物語には、大抵実際の出来事が隠されていたりするものだ。
「この緑の女王様は、本当に居た方なのでしょうか?」
「あの辺りなら、確かに精霊の女王が居たね。ただ、カインが滅んだのと同じ頃に消滅してしまった筈だよ」
「もしや、都の方達とその精霊さんは相討ちだったのでは?」
「それならば殲滅戦になるから、終焉が動いたのではないかな」
「むむう……」
その時、考察はそこで止めてしまった。
翌朝に寝惚けたネアが絵本を棚の上から落としてしまったことで、次の展開が訪れたのである。
「…………おのれ、端がへこんで……おや?」
背表紙の角が凹んでしまったので少し落ち込んだのだが、そこでふと、背表紙の内側を補強している紙の端から文字の様なものが見えている事に気付いた。
角がひしゃげたので、貼り合わせが剥がれたのだ。
(こ、これはもしや、魔法の地図とかが隠してあるパターン!!)
慌てて魔物を叩き起こし、金属の定規と爪を使って丁寧に内紙を端から剥がしていった。
途中でびりっとやってしまいネアは激しく渋面になったものの、新発見には犠牲もつきものであるので諦めるしかあるまい。
「で、出てきました!」
「頑張ったね、ご主人様」
「はい。苦労に見合うだけのものだと良いのですが……」
中に張り込まれて隠してあったのは、薄紙に几帳面な文字がびっしりと書かれたものだった。
地図ではないので、手紙だろうかとネアを首を捻る。
「これは贖罪である。……冒頭から重たい文章です」
一文目を読んだだけでネアは心が折れそうになってしまい、仕方なく魔物が椅子になることを許さざるを得なかった。
こちらが落ち込んだ時に椅子になろうとするので、魔物の手口が巧妙化しているのが最大の懸念点だ。
そして読み進めたその贖罪には、あまり知りたくなかった残念なカインの歴史が眠っていた。
「………ディノ、私はこやつが嫌いです」
「奇遇だね。私もあまり好ましくないかな」
「この最後の文章が本当なら、表紙の緑の女王の王冠のところに術式陣が隠されているそうですが、調べた時は何も言われませんでしたよね?」
「もう一度調べてあげようか」
ディノに絵本を渡して調べて貰うと、そこに隠されていたのは、王冠の輪郭を描いただけのとても原始的な術式陣だった。
遥か昔に失われてしまった知識の一つなので、調査班も知らなかったのだろうという事だった。
「ヒルドさんでもわからなかったのですね……」
「ヒルドは、元々こちらの文化圏の生まれではないからね。今の彼が持っている知識は、こちらに来てから学んだものだそうだ」
「尊敬度が跳ね上がりました!」
「浮気………」
どうやらとても珍しい技術であるようなので、ネアは術式陣を解いてくれるという魔物を引き連れて、術式陣愛好家のエーダリアの執務室を訪れた。
ヒルドも呼んでもらい、ざっくりと事の流れを説明する。
途中で気付いて、声をかけないと恨まれるかも知れない勤務時間前のダリルも召集して貰った。
ここまで来るとゼノーシュとグラストにも居てもらいたかったが、彼等は夜勤明けで就寝したばかりなのだそうだ。
愛くるしいクッキーモンスターの眠りを妨げるなど、言語道断である。
そして、臨時歴史の検証会議が始まった。
「何それ面白そう!貸して貸して、読んでみる!」
「ダリルさんもカインの文字が読めるのですね」
「書架守りだしね。ヒルドも少しは読めるけど、……って、これカイン文字どころか更に古いあの地域の公用語だよ」
「む………。一律に読めてしまうのも考えものですね。言語の違いがよくわかりません」
そして、手紙を読み終えたダリルの表情は惨憺たるものに変わった。
「うっわ〜、最低の男じゃん!しかも反省してないでしょうがこれ。贖罪とか言いつつ、自己満足の罪滅ぼしで、おまけにかなり見付け難いところに隠されてたよねぇ」
そう言って、ダリルが贖罪の手紙をぽいっと投げてしまったので、エーダリアが慌てて拾い上げている。
こんな酷い手紙でも、重要な歴史的文献である。
「つまり、この黄金の騎士がカイン滅亡の元凶なわけか……」
エーダリアの声が若干震えているのは、失われた筈の術式陣を目の当たりにして、ほとんどの意識がそちらに持っていかれているからだろう。
頬を高揚させてそわそわしている。
「ええ。偶然カインに滞在していて、勝手にしゃしゃり出てきて、そして一目惚れした緑の女王さんに格好をつける為にカインの領主さんを亡き者にし、実はカインの領主さんに片思いしていた緑の女王さんに死の呪いをかけられ、証拠隠滅で都を滅ぼした不届きものです!」
残された贖罪の文章には、もっと言い訳がましい感傷的な文面が綴られていたが、要はそういうことなのだ。
領主を殺されて激怒したのは、緑の女王だけではなかった。
激昂した都の民達にも追い詰められた騎士は、あの書庫に三日も立て篭もってこの手紙を絵本に仕込み、自らの身にかけられた死の呪いを都中に共振させる魔術を使った。
一つの魔術を震わせることによって拡散させてゆく。
それこそが、絵本にもあった黄金の騎士の固有魔術であり、緑の女王とも対等に戦えていたカインの領主を斃したのも、その魔術だったようだ。
「恐らく、人間性はさて置き、魔術の使い手としてはかなりのものだったのでしょう」
「まぁねぇ、高位の精霊のかけた呪いを、三日も堪えたわけだし」
「そ、それよりも早く術式陣をだな……」
「それにしても、伝承とはあてになりませんね。案外カインの都と森の精霊は、お互いに距離を保ちつつも上手く付き合っていたのではないでしょうか」
「かもねぇ。それにしてもさ、こいつ絵も上手いのが不愉快だね」
「そう、そこなのです!私はこの素敵な絵本を、こやつが作ったことが一番頭にきました!」
「術式陣を………」
エーダリアが何やら言葉を挟んでいたが、ネアは、自分が感じた最大の不快感をわかってくれたダリルの方を向いた。
どうやらこの絵本は、黄金の騎士が都合よく事実を改ざんする為に残したものであるらしい。
「しかし、罪の意識があるからこそ、こうして真実を伝え残したのだろう?」
周囲が盛り上がってしまったので、術式陣へと焦る気持ちを一旦宥めたのか、エーダリアがそう発言したが、すぐさまダリルの白けた眼差しに一瞥されてしまった。
「あのね、この手紙から真実を読み解けたのはこの騎士が文才なしの馬鹿だから!これってほとんど失恋への恨みごとでしょうが、馬鹿王子!」
「なぜ、自分で手紙を読めてもいない私が責められているんだ……」
「このような場合、愚か者に同意する者は、同等の愚か者だと判断されますからね」
「ヒルド………」
この場合、エーダリアに必要であったのは空気を読む力であった。
自力で読めない分、ネアとダリルの解説で内容を知っているので、解説者達の意向に沿うべきだったのだろう。
「なので、この絵本は差し上げます。文献としても使えますし、何より、よりにもよって黄金の騎士めが描いた絵を素敵だと感じてしまった私を思い出したくありません!」
「あ、ああ。良い調査文献になるので助かるが……その前に、術式陣をだな……」
「あら、すっかり忘れていました!ディノ、お願いしても良いですか?」
「金庫の魔術だから危険はないけれど、離れておいで」
「はい」
ディノが美しい指先でくるりとなぞると、表紙に描かれた女王の王冠がゆらりと揺れた。
「…………わ」
逆にたったそれだけのことなので、誰もが声を失ってしまった。
ディノが指を離すとそこにはもう、黄金の騎士が隠したというカイン領主の指輪が現れている。
無造作に絵本の表紙の上に転がった指輪は、大きな青紫色の宝石を中央に配置した、とても見事な指輪だ。
宝石に透かし彫りのように紋章があり、台座には輝きの強いダイヤモンドのような石が散りばめられている。
それでいて、宝石達の透明度が高い為に、華美過ぎると思わせない優美なものだった。
「おや、これは見事なものだね。カインの紋章ではないようだが」
ディノがそう呟いたので、魔物の目から見ても相当な品物なのだろう。
(…………あら?)
ふと、エーダリア達が黙り込んでしまっているので不思議に思って、ネアは顔を上げた。
「………エーダリア様?」
魔術に長けた者らしく、透明度の高い鳶色の瞳が揺れている。
ネアの呼びかけにはっとしてから、エーダリアは呆然としたまま顔を上げた。
「どうされましたか?もしや、この指輪に一目惚れですか?」
「…………これは、ウィームの旧王朝時代の紋章だ」
「…………まぁ」
続けたエーダリアの声は微かに震えていた。
「統一戦争の時に、多くの国旗や紋章が焼かれたそうだが、特にウィームが最盛期であったウィーム旧王朝時代のものは念入りに焼かれた。敗戦国が過去の威光を引き摺り、古の魔術の力を借りて邪な反乱を誘発しないようにと………。これは、かつて国王の指輪と呼ばれたものだ」
あまりにも仰々しい名称が出てきたので、今度はネアも驚いてしまう。
「国王の指輪が、他国に出てしまっていたのですか?」
「恐らく、国を追われた時に持って逃げたのだろう。その時はまだ、王位を取り返すつもりだったのかも知れない。……そうか、あれ程に遠い土地に逃げ延びたウィームの王族がいたのか……」
「と言うことは、その後に伝わった国王の指輪ってさ、後から作り直されたものなんだね」
「ダリル、………と言うことはまさか」
「うん。これが、本来の王の指輪だよ」
またしてもわからない文法が出てきたので目を瞬いていると、隣にいた魔物が丁寧に教えてくれた。
「ウィームの最盛期は、それはそれは潤沢な魔術を誇ったと言っただろう?人間が興した国の中では、もっとも豊かだったくらいだ。その頃に国王の為にと作られた指輪なのだから、この指輪に込められた祝福や魔術はそれなりのものなんだよ」
「 ネアちゃん、ものすごいもの拾ってきちゃったね」
「む。冒険家としても一人前と胸を張りたいところですが、ヒルドさんがエーダリア様へのお土産を持って帰ろうとしたので、落ちてきた本でした」
「でもほら、この手紙見つけたのネアちゃんでしょ!」
「そうでした!となればヒルドさん、この名誉は山分けです!」
「私は何にもしておりませんよ。見過ごしていたこの本を拾い、持ち帰って下さったのはネア様ですから」
「しかしながら、術式陣を解いてくれたのはディノですし、チームの勝利です。………エーダリア様?」
何とも言えない、無防備な目をしたエーダリアがいた。
まるでプレゼントの箱を開いた子供のようで、老成した大人が最果てに我が家の灯りを見つけたようで。
揺れる複雑な歓喜と切なさを零すように、絵本の上の国王の指輪を見ている。
(そうか。………何も残っていなかったんだわ)
ウィームの街も、この王宮も、彼に手渡されたもので大きな損傷を抱えたものはほとんどない。
けれどもその全ては、一度ヴェルリアの王族達の精査をクリアしたものだけであり、かつてこのウィームが王国であった時代の遺物は、貴重なもの程残されていないのだ。
いつか話してくれた昔話によると、統一戦争時に赤ん坊だったエーダリアの母親にも、ウィームが王国だった頃の記憶はなかったのだそうだ。
けれども、乳母が彼女の両親の記憶を引き継ぎ、ヴェルリアの王宮で寄る辺ない日々を過ごしたエーダリアの母親は、その思い出話を心の支えとして愛していたのだという。
彼女の自慢は、竜や魔物、そしてシーに愛された美しいお伽話のような国。
そして、この指輪はまさしくそんな時代のウィームを象徴するものだ。
「エーダリア様、ヒルドさんがエーダリア様のことを大好きで良かったですね」
「………ネア?」
「経緯はどうあれ、ヒルドさんのお土産奮闘がなければ手に入らなかったものです。エーダリア様がヒルドさんと出会ったことが、こんな風に過去と繋がるなんて素敵ですものね」
その言葉には、エーダリアだけでなくヒルドも驚いたようだった。
同じような表情で目を瞠った二人に微笑んで、ネアは上に指輪を載せたまま、絵本をずいっと押し出した。
「私にはもう特別なディノの指輪がありますし、黄金の騎士めが嫌いなのでこの指輪はエーダリア様に差し上げます」
「………黄金の騎士が、………嫌いだからなのか?」
「はい。黄金の騎士が逆恨みしていた領主さんの指輪なのですから、この指輪が正しいところに戻ってゆくことこそ、黄金の騎士的には腹立たしい結末でしょう。私的には大満足の逆襲です!」
「そ、そうか。………いや、成果物なのだから、せめて報酬を………っ?!」
あまりにも飲み込みが悪いので、ネアは、元婚約者の頭にごすりと拳を振り下ろした。
突然の攻撃にぱくぱくと口を動かして愕然としているエーダリアに、深々と溜め息を吐く。
「いいですか、これは、我々がお休みの日に拾ってきたもので、お仕事で探し出したものではありません。ですので、こういう時は、大人しく懐に入れて下さい。返品と文句は受け付けません」
エーダリアは、もう一度何とも言えない顔をした。
「…………わかった」
「馬鹿王子、ネアちゃんにお礼は?」
「ぐっ、………ネア、礼を言う。ヒルドと、ディノ…………殿にも」
「…………なぜ、エーダリア様はいつも、ディノの名前で動揺してしまうのでしょう?もし恋心が残っていても、そろそろ諦めて下さいね」
「ネア、やめようか」
「なっ、ネア?!」
「あー、それね。ネアちゃん、これでもうちの馬鹿王子は頭の固い人間だからさ、立場的にディノって呼ぶの緊張するみたいで、結果的にああなるわけ」
別に不思議なことではないので、ネアは首を傾げた。
「では、好きに呼べばいいと思います。ねぇ、ディノ?」
「別に何でも構わないよ。興味ないから」
「ディノ、言い方で減点です!」
「ご主人様………」
叱られてしょげた魔物が三つ編みを放り込んできたので、ネアは気もそぞろになってしまったが、どうやらエーダリアは、ディノという呼び名が当初はネアだけに解禁されたものであるのが気になっているらしい。
確かに、アルテアやウィリアムはシルハーン呼びなのでわからなくもない。
だが、今更悩む問題だろうかとネアは思う。
「エーダリア様はややこしいですね。では、私と契約した後のディノはディノとして、それ以前の方と違う呼び方をしていると思えば良いのでは?……………そう言えば、レーヌさんはディノと呼んでいましたね」
途端にネアの微笑みの温度がぐっと下がったので、魔物は慌ててご主人様を回収して部屋に戻った。
その場はなし崩しで解散になってしまったが、王の指輪はその後エーダリアの宝物としてそれは大切に保管されているらしい。
ヒルドから、 時折取り出しては飽きずに眺めていると教えて貰い、臨時冒険者は何だか嬉しいばかりだ。
中央に見付かると取り上げられてしまうので、カイン滅亡の真実と共に、指輪が発見された事実は隠蔽されることとなった。
カインはこれからも、謎の滅亡を遂げた都として語り継がれてゆくのだろう。
カイン滅亡と同時期に消滅してしまったという森の精霊の女王については、ネアはあまり考えないようにした。
愛する人を喪うということを想像すると涙腺にくるからだと告白すれば、魔物が少しご機嫌になるのが謎である。