トンメルの宴と白の公爵
「トンメルの宴……でしょうか?」
「そう。二人じゃないと入れないんだよ」
「こちらの世界にも、そういうものって多いのですね」
「開催者が面倒臭いからかな」
その日、ゼノーシュから持ちかけられたのは、トンメルの宴という不思議な催しだった。
ウィームの森深く現れる時期指定型のイベントで、本日の夕方から出現するのだとか。
まさかのボラボラアレルギーでグラストがあまり体調が良くないらしく、ネアに白羽の矢が立ったようだ。
仕事中は抗アレルギー薬を飲んでいるが、強い魔物の薬なので業務時間外では飲まないようにしているそうだ。
ペア参加の宴で邪なものも居ないので、ディノも特に過敏にはならない。
トンメルの宴は甘党の古竜が仕切る宴で、宴と銘打っているもののスイーツ会のようなものだと教えて貰った。
お酒だけではなく紅茶や珈琲でも参加出来るので、本気でスイーツを楽しむ者向けの会である。
変にはしゃがないように同伴者がいなければ入れないのだと知り、食に貪欲なネアはほっこりした。
「と言うかゼノ、グラストさんを連れて行こうとしたのですね?」
「男性同士でも怪しまれないよ」
「グラストさんの心が削られたかもしれないですね」
「ネアは大丈夫?」
「ええ。ゼノであればとても素敵なパートナーなので誇らしいくらいです」
「じゃあ行ける?」
「はい。ご一緒させて下さい!」
ディノには予めゼノーシュが手を打っておいてくれたようで、揉めずに外出許可が取れた。
その代わりに今夜はネアの寝台で眠るようだが、お泊まり会の範疇なので特に支障はない。
過保護な魔物にラムネルのコートに守護をかけられ、首飾りとヒルドの靴紐の最強ブーツを義務付けられて、お出かけ準備完了となる。
立食パーティーなので、持ち物は全て首飾りの金庫に放り込んだ。
このように使ったのは初めてだったが、あまりにも便利すぎて楽しくなってくる。
この首飾り一つで旅行に行けると思うと、何だかわくわくしてきた。
「ゼノ、お待たせしました」
「ネア、こっちだよ!」
どうやら禁足地の森側から転移するようだ。
ゼノーシュが擬態していないので、そのような配慮は必要ない会であるらしい。
淡い水色の盛装姿をしたゼノーシュは、雪の王子様のようで麗しく、ネアは何だか誇らしいような気持ちになる。
そして到着したのは、まるで氷の城のような素晴らしい建物だった。
「なんて素敵なんでしょう!」
「開催者の屋敷なんだ。氷竜だからね」
「若干、雪竜さんとの住み分けが難しそうな種族ですね」
「竜はいっぱいいるよ。僕は雷竜が好き」
「まぁ、格好いいのですか?」
「雷菓子を作れるし」
「雷菓子………」
それがどんなものなのか想像に苦しみつつ、入り口で招待状を見せて館内に入る。
招待状の確認があるのは、様々な事情から擬態する参加者もおり、その見分けが面倒だからだとか。
招待状は、宛先になっている本人にしか持てない魔術がかけられている。
「ネア離れないようにね。僕にぴったりくっ付いていてね!」
「私はぴったりくっ付いているので、ゼノが食べたいものの方に先導して下さいね」
「わかった!」
会場は壮観であった。
おとぎ話のスイーツ会と言うよりも、甘党にとってはもはや神話の域だろう。
どちらかと言えば辛党のネアですら目がちかちかするので、とんでもないお菓子の量だ。
天井は見上げる程高く、氷のシャンデリアも素晴らしい。
氷の噴水には淡い黄色の薔薇が溢れ、水面の底には宝石が煌めいている。
見事な氷の円卓にはお菓子が溢れんばかりに、けれども美しく並べられ、会話に興じると言うよりもお菓子に邁進している参加者達がたくさんいた。
この会には社交会話というものはないようで、談笑している人々も会話の内容はお菓子の品評会である。
(物凄い玄人向けの会場だけど、大丈夫かしら……)
ネアが不安になるくらいの熱気に包まれた会場だった。
早速手前の卓に歩み寄ったゼノーシュが、見目も素晴らしいお菓子を指し示す。
「ネア、これ見て。綺麗でしょう?美味しいんだよ」
「わぁ!氷の中に果物が入っているみたいです」
「発泡酒の中で果物を育てるんだ。それをゼリーにして食べるの」
「初めに考案された方は天才です」
「…………美味しい!」
「…………やっぱり天才の御技でした」
ゼノーシュとネアがほわほわと喜びながら食べるので、卓の側にいた菓子職人は頬を紅潮させている。
専門的な感想を言われるよりも、拙い感想を貰える方が喜び易いらしい。
「ゼノ、これは何でしょう?」
「木の実のペーストを乾燥させたお菓子だよ。薄く円形に伸ばしてこの形にくり抜くんだ。何枚か重ねて薄紙に包んであるから、合間に食べると口がすっきりするんだよ」
キャンディのような包み紙を剥がすと、小指の先くらいの星型のものが出てきた。
崩れてしまいそうなくらいに薄いラムネ菓子のようなもので、好きな枚数を口に放り込んで溶かすのだとか。
「………酸味の強いラズベリージャムのようで美味しいです!」
甘さと酸味が程よく、ネアはこの素朴なお菓子がすっかり気に入ってしまった。
「僕はこれが好き!」
「飴……細工みたいで綺麗ですね。宝石に見えてしまいます」
ゼノーシュが教えてくれた本日一番のお気に入りは、薔薇菓子を淡い金色の飴でコーティングしたものだった。
小さな円形になっており、表面の飴には精緻な模様が施されている。
淡い金色の中に薔薇色が透けて見え、食べてみると薔薇菓子の中をくり抜いて、ふわふわの林檎のムースが入っていた。
「味と食感がどんどん変わって、口の中であっという間に溶けてしまうので、濃厚さもあるのにさっぱりしていて、バケツ一杯食べられそうです」
「僕、これ注文する」
ゼノーシュは余程気に入ったのか、卓の側にいた菓子職人に声をかけて注文を取り付けていた。
隣でこっそり料金を盗み聞きしてから、ネアも一箱だけ便乗注文する。
せっかく新しいものを見付けたので、ディノにも食べさせてあげたい。
「作られた方がいらっしゃるのは、このような形で注文を受ける為でもあるんですね」
「うん。職人のお披露目でもあるんだよ」
「このような後援の場があるというのは素敵ですね」
「大勢の前で世に出さないと、誰かが閉じ込めて自分だけの菓子職人にしちゃうからね」
「…………そちらの理由でしたか」
こうして会場を回ってみれば、やはり文化というものの織りが深い生き物たちが作るだけあり、効率的にたくさんのお菓子を食べられるような工夫があちこちにあった。
人間的な発想でしょっぱいものを合間に挟むとかではなく、そもそもお菓子そのものが何個でも食べられるような秀逸な味わいなのだ。
(不思議。濃厚な味わいのお菓子も、口の中でさっと消えてなくなるから、後味が爽やかだし胃にももたれないし)
甘党にとっては、永久運動の出来る楽園に違いない。
楽しみ方が分かってきたので、余裕が出てきたネアは周囲を見回してみた。
やはりゼノーシュは高位の魔物であるので、時折すれ違い様に会釈をしてゆく者もいる。
ご客人方は皆それぞれに美しく、その上お菓子天国でとても幸福そうにしているので、眼福の度合いも上がっていた。
(…………あれ、)
ふと、人波の向こう側でこちらを見ている男性がいることに気付いた。
華やかに着飾っている男女の中では珍しく、簡素な漆黒のロングコートを羽織っている。
ぼさぼさの長い銀色の髪をゆるく結び、コートの下には白いドレスシャツと、これまたシンプルな黒いズボン。
斜めに額を隠した前髪の部分の影になっていて目の色まではわからないが、その男性がこちらを見ていることは何となくわかった。
視線の圧のようなものが随分と強いのだ。
「………ネア?」
「ゼノ、向こうのテーブルに行きますか?」
「うん。次はクッキーね!」
「なんと。ここでゼノの本領が発揮されるのですね!」
「うん!でも僕、クッキーは人間が作るものの方がいいかな」
「ふふ。人間としては嬉しいお言葉ですね」
ゼノーシュの声で我に返ったネアは、次の卓まで手を繋いで案内される。
余程気が急いているのかと思ったが、クッキーの卓に着いてからゼノーシュがふんすと胸を張ってお小言をくれた。
「ネア、あんまりあの魔物を見たら駄目だよ」
「先程の黒コートさんですか?」
「そう。多分あれは公爵なんだけど、誰なのかわからないんだ」
「む。謎めいているのですね」
「時々見かけるけど、人間嫌いだし偏屈で皮肉屋だから気を付けて」
「わかりました。用心します」
魔物達がその黒いコートの人物を公爵だと判断しているのは、彼が髪を縛っている純白のリボンが原因であるようだった。
擬態をしている上に気配の隠し方が完璧過ぎて、他の高位の魔物であっても正体がわからないのだとか。
「隣にいるシーが恋人みたいだから、あの子にも近付かないでね」
「はい、気を付けますね。……ものすごい美人さんです」
ゼノーシュが教えてくれた件の人物の同伴者は、足元までの引き摺るような長い金色の髪を持つ儚げな美女であった。
羽の色も淡い金色なので、陽光の系譜のシーなのだろうが、そうなればかなり高位のシーであることは間違いない。
人間とはあまり接点を持たない階層のシーである。
「そう言えば、ヒルドさんの属性は複数なのですよね?」
「うん。ヒルドは、森と湖と宝石のシーの各王家が統合した一族なんだよ。でも、本人は気付いてないけど少しだけ海のシーも混ざってる」
「すごい並びですね!」
「だから、ヒルドの一族は強かったのかな。複数のシーが混ざることは、本来あり得ないから」
「そういうものなのですか?」
「シー同士はあんまり恋をしないんだって。無関心か、敵対することの方が多いみたい」
見聞の魔物だからこそわかる興味深い話だったので色々と教えて貰うと、エーダリアも随分と複雑な血脈のようだ。
「竜………」
「うん。エーダリアの父親は南の王族だけど、北の王族だった母親の方に竜の王族の血が混ざってる。だから、普通の人間より頑丈で長生きするよ」
「驚きました!子供向けの冒険活劇の主人公のような素敵なお話ですね。でも、個人的には長生きしてくれるとわかって何よりです」
「ネアは、エーダリアが好き?」
「とても良い上司兼家主さんなので、末長くお世話になりたいです。ゼノとも一緒にいられますしね」
ネアがそう言えば、ゼノーシュは照れてしまったのか、頬を染めてお奨めのクッキーを一枚くれた。
ふわふわの白混じりの髪を撫でたくなる愛くるしさに、ネアは微笑みを深める。
「グラストの寿命も削ってないし、僕もずっといるよ!」
「まぁ、嬉しいお話がまた増えました!」
「時々加減を間違えて若返らせちゃったりもするから、グラストも長生きする」
「……最近、グラストさんの肌艶が良くなったと思っていたのですが、若返ってしまわれてたのですね」
これは後でグラストが驚くやつなのではないだろうかと少し心配になったが、二人の問題は二人で解決するだろう。
「そうなると、私の老後はしっかりみなさんが側に居てくれそうで、安心して歳をとれますね」
「………ものすごい数の守護があるし、ネアが一番長生きなんじゃないかなぁ」
「ゼノ?」
「ううん。何でもない」
その後ネアは本戦からリタイアしたが、ゼノーシュと共に全ての卓を回った。
その行程でゼノーシュは五人の菓子職人に注文を取り付け、惜しみない散財の様を見せてくれる。
見聞の魔物であるゼノーシュが上手く動線が被らないようにしてくれたので、先程の黒いコートの男性と行き合うことはなかった。
けれど、ゼノーシュと手を繋いだまま最後のテーブルに着くとき、人波の隙間からちらりと姿が見えた。
ふわりと、視線の向こう側で黒いコートが揺れた。
まるで映画のワンシーンのスローモーションみたいに、一瞬だけ開けた視界の向こう側にその姿を見付ける。
(……………またこっちを見ている)
すぐにその姿は人混みに隠されてしまったが、ネアは内心首を捻った。
ゼノーシュが知らないという事は、ゼノーシュの見知らぬ同伴者を訝しむお友達説は消えてしまったので、ネアが知っている人物だったりするのだろうか。
人間嫌いだから見ているのかとも思ったが、視線に棘がないのが不思議だった。
(でもまぁ、擬態をしているということだし)
甘いものが苦手なウィリアムはないだろうが、案外、甘党のアルテアがこっそり紛れ込んでいるという可能性もなくはない。
とりあえず、帰ってからディノに尋ねてみた。
「ディノ、ディノは素敵な妖精さんを同伴して、今日の会に来ていませんでしたよね?」
軽い気持ちで尋ねようとしたのだが、問うべき内容に気付いて後半は声が不穏な響きを帯びる。
唐突にご主人様に責められた魔物は、呆然とした後に水紺の目を見開いてぶんぶんと首を振った。
「行ってないよ!妖精とも会ってない!!」
あまりにも必死なので犯人ではないと判断し、ネアはこくりと頷く。
であればアルテアか、或いは相手を傷付けない環境に優しいタイプの人間嫌いの魔物かもしれない。
しかしその夜、浮気の嫌疑をかけられたと思ってしまった魔物が情緒不安定になったので、ネアは魔物を疑ってしまったことをとても後悔した。