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第一王子と弟の婚約者 2


狩り競技が執り行われたのは、リーエンベルクの防壁だと言う禁足地の森であった。


一応何かの機密に触れないようにと、エーダリアに相談してから執り行うことにしたが、呆れると思っていた彼は、かなり深くネアに頭を下げて、兄がすまないと謝罪してくれた。

王子としての執務を離れてプライベートになると、言い出したらきかないのだそうだ。

つまり、第一王子はまさかの休暇中に弟と遊びに来ていたのだと判明した。


(何だろう。ちょっと可愛く思えてきたけれど、やはり含んだものがあるのだろうか)



「では事前確認です。獲物はこれぞという一匹を持ち寄るのですね」

「ああ。エーダリアにくれぐれもと念を押されたからな。そなたはそんなに残虐なのか」

「大変に遺憾な評価ですが、狩りが残酷なものであるのは確かですね」


エーダリアが追加したルールが一つあった。

ネアが森中の獲物を狩り尽くさないようにと、一匹を持ち寄りその獲物の価値で競うこととなった。

審判を務めるのは、終了時間にはリーエンベルクに帰ってくるヒルドとなる。

帰宅そうそう厄介な仕事をさせられるヒルドは気の毒だが、公平な審判で第一王子を黙らせて欲しい。



禁足地の森は、不穏な気配を察したのか、やけにしんとしていた。

昨晩にまた積もったばかりの雪が音を吸い込み、以前は荒れ狂っていたハシバミの木も静かなままだ。


「で、では開始です」


凛とした美しい声で、けれどどこか頼りなげに開始を宣言したエドラに、ネアは微笑んで頷いた。

厄介な主人と恐ろしい魔物に囲まれたエドラは今や、ネアの微笑みに縋るような目をしてくれる。

このまま上手く好意を調教出来れば、良い女友達になることだろう。


「ネア、今日こそ素手は…」

「ていっ!」


何やら素敵な手袋を用意して微笑んだ魔物は、開始の合図と共に側の大木の根元に駆け込んで何かを素手で駆逐したご主人様に、悲しげな顔になっておろおろとする。


「ネア、素手はやめようか」

「ディノ、こやつは何でしょう?初めて見ました!」

「初めて見たのに、どうして素手で倒してしまうんだろう」


ネアは、スタート地点でヴェンツェルとエドラがぽかんとこちらを見ているのが気になった。

早く狩りを始めないと、簡単に負かしてしまうではないか。

つまみあげた最初の獲物こと銀色の蝶は、さっと魔物に取り上げられてしまい、摘んでいた指先を厳しくチェックされる。



「………それは、ユムレイトだな」


獲物情報を教えてくれたのは、ヴェンツェルだ。

呆然とした顔を見せたのは一瞬のことで、すぐにひどく打算的な悪い顔になる。


「ユムレイト?」

「古き蝶の精霊の一種で、最高位のものの一つだ。どんな毒も消し去る薬効がある。言い値で買い取ろう」

「王宮の方には使い勝手が良さそうですね。稀少なものなので、エーダリア様が了承してくれれば構いませんよ」

「なぜ弟の判断を仰ぐのだ?これは業務時間外のことだろう?」

「エーダリア様の管理である森の資源ですし、あの方は歌乞いとしての私の統括であるだけでなく、家主でもあります。大人の社交術ですね!」

「家主………か」


エドラがそこでまた呆然としてしまったが、ヴェンツェルはすんなりと納得して頷いた。

この第一王子の優秀なところは柔軟さにもあるのだろうなと、ネアは考える。

自分の価値観にないものであっても、会話のリズムを崩さないぐらいの速さで判断をつけられるのが凄い。


「エドラ、この狩りが終わったらエーダリアに交渉しろ」

「かしこまりました」

「しかし、素手か………」


真っ青な顔のエドラにじっとこちらを見られたので、ネアは傷一つない自分の手をまじまじと眺める。

そもそも、蝶は繊細なくらいの生き物なので、怪我をするわけもないのだが。


(きっとエドラさんは、優しい妖精なのだろう!)


「ネア、この蝶は、一匹でガレンの魔術師一人を食べてしまえるんだよ。気を付けて」

「なんと、食いしん坊なのですね!悪いやつです!」

「まずは手を拭こうか。ほらこちらに手を出して」

「ディノ、獲物です!!」

「ご主人様?!」


既に勝負は始まっているので、そのユムレイトとやらを魔物に預けたまま、ネアは木の陰に見えた生き物を目指して走り出した。

二時間しか猶予はないので、狩りの女王とて油断は出来ない。


あっという間に第一王子達を引き離し、森の奥に辿り着く。


「ふ、計算通りです」

「ネア、危ないから走らないでね」


追いついた魔物に抱き締めて捕獲されるが、ディノはネアが狩りをする時特有の精神状態で謎に頬を染めていた。

やはり、狩りに興じるご主人様にハラハラすると、ときめいてしまうようだ。


「これで敵から距離を置けました。正直、あの王子様の面倒を見つつ狩りをするのは、疲れ……困りますので作戦通りです」

「ネア、あんまりあの王子のことは好きじゃないんだね?」

「ディノ、なぜものすごく良い笑顔なのでしょう?ただ、扱いに困る方なのであまり交友は深めたくありませんと言うだけですよ?」

「うん、交友なんて深めなくていいよ」

「はい。ですので、ここで二度と私に勝負を挑みたくなくなるよう、圧倒的大差で勝ってみせます!」

「もう、ユムレイトで勝てるんじゃないかな………」

「慢心したら負けるのが人生です!私は油断しない狩人でありたいです」



かくしてネアは、真剣に獲物の選別を始めた。

しかしながら見たことのあるものばかりで、中々に新規の獲物が見付からない。

制限時間が近付いてきたので、一瞬ユムレイトで良しとしようかと思ったが、この蝶は群れるそうなので、ヴェンツェルも捕まえてしまう可能性がある。

イーブンでは、決して勝ちとは言えない。


「ネア、木の根元はあまり踏まないようにね」

「木の根元は厄介なのですか?」

「魔物が潜んでいるかもしれないから」

「わかりました」


事前のルール設定の際に、ディノとエドラは狩りには参加してはいけないルールとされたので、うっかりネアが危険に瀕してしまうと、魔物の手助けでペナルティーとなってしまう。

魔術の誓約でカウントされてしまうので、相手の目がなくともずるは出来ない仕組みだ。


(ディノの手助けが発生しないようにしつつ、上等な獲物を見つけなければ!)


「ディノ、離れて歩いて下さいね。獲物が逃げてしまいます」

「ご主人様………ひどい」

「この勝負に勝ったら、祝杯を上げましょう!良い魔物も労う所存です」

「わかった。少し離れよう」


容易く魔物が言うことを聞いてくれたので、ネアは悪人策士の眼差しで微笑み、再び獲物の捜索に戻る。



けれど、ふと視線を感じて顔を上げた。



「む…………」



立派な菩提樹の枝の上に、しゃがみ込んでこちらを見下ろしている男がいる。

下から見上げていても男らしい美貌の持ち主なのだが、繊細な美貌の生き物を見慣れてしまったネアからすると、いささか男臭い。


がっしりとした肉体に、短い深紅の髪。

こちらを見下ろしている瞳は淡い金色だろうか。

どこか鷲のような印象で、ヴェンツェルと対になるような色彩である。


見上げてしまった方も、見下ろしている方も、想定外の出会いだったので双方固まった。



(………何者?!)


リーエンベルクには居なかった筈だが、ジゼルのことを思えばお客人かもしれない。

じっと見つめてしまえば、男の方も気になったのか体を更に屈めてネアの観察に入った。


暫し見つめ合っていると、離れて歩いていたご主人様が立ち止まってしまったことに気付いた魔物が戻って来るのが視界の端に見えた。


「ネア、どうしたんだい?」

「見たことのない生き物がいます」

「見たことのない生き物?」

「赤いです!」

「赤い……?」

「こやつなら、ヴェンツェル様に勝てるでしょうか?」


「ヴェンツェル……?」


しかし、その名前を聞いた途端に木の上の男の表情が険悪になった。

目を細めて野生の狼のような凶悪な眼差しになり、ぐっと体をたわめた。


(あ、………これ、)


攻撃前の体勢だと、色々な経験を積んでしまったネアにはわかった。

となれば、容赦なく反撃しても良いだろう。



「ネア、変な生き物に触らないように…」


ご主人様の眼差しが険しくなったのを察したのか、ディノが慌てるのがわかった。

しかし、それよりも前に木の上から飛び降りてきた赤い髪の男性を、ネアは容赦なく拳で張り倒した。


「おや、………」

「ネア?!」


がすっという鈍い音がして、男は一瞬驚愕に目を瞠ってからぐらりと雪の上に倒れた。

かなり長身なのと筋肉質なので、どうっと雪煙が上がるような倒れ方だ。


「ネア、無事かい?!………ネア?」


ネアが彼に駆け寄るよりも早く、魔物がご主人様を持ち上げて危険要因から遠ざける。

持ち上げられたご主人様は、罪悪感に俯いているところだった。


項垂れてしまったネアの頬に、ディノが慌てて手の平を添える。


「…………ディノ、攻撃されるのかと思って、木から降りて来ただけの方を殺してしまいました。罪を犯した私はどうすれば良いでしょう?」


じわりと涙が滲んでしまい、見捨てられないように魔物の首に手を回す。

ディノはぱっと目元を染めてから、滅多にないご主人様からの甘えを幸せそうに享受した。

ふわりと宥めるように額に口付けられ、ネアは眉を下げて魔物を見上げる。


「大丈夫だよネア、竜は頑丈だから」

「………竜?」

「火竜がウィームに居るのは珍しいね」

「この方は竜なのですか?」

「ほら、目元に薄紅色の鱗があるだろう?この竜が、ネアに悪さをしたのかい?」

「いいえ。誤解してしまいましたが、この方は木から降りたかっただけのようです。きちんと私を脅かさないように木に沿って降りて下さったので、良い方なのでしょう」


そう考えればネアのしたことは極悪な仕打ちであるが、相手は竜なのだという。

一拍考え込んでから、ネアは晴れやかな微笑みを浮かべた。


「ディノ、この獲物ならヴェンツェル様に勝てますか?」

「………ネアにとって、竜は獲物の区分なんだね」

「四つ足です!」

「この竜なら、どんな獲物にも勝てると思うよ」

「やりました!あやつをぎゃふんと言わせてやります!!」

「ネア、目的が変わってきたね」

「そして、敗者にこの竜の方への慰謝料をお任せします」

「ご主人様………」


悪辣なネアの策略に、ディノは慄いたようだ。

しかしながら頬を染めて恥じらっているので、やはり狩りの女王モードはとても役に立つ。



幸いにも目新しい獲物を探して彷徨っていた時間が長かったので、ネアは倒した竜が目覚める前に持って帰ることが出来た。


引き擦ると流石に可哀想なので、ディノに橇のようなものを用意して貰い、胸を張って持って帰った。

勿論、逃げないようにロープで固定はしてある。

意識を取り戻せば声ぐらい発する筈なので、そうしたら事情を説明すれば良いだろう。



制限時間ギリギリで森を抜ければ、既にヴェンツェルは集合場所に立っていた。

かなり大きな鳥の様なものを抱えている。


審判のヒルドも到着しており、エーダリアと、イブメリアの時にも見た水色の髪の男性の妖精も一緒に居る。

ネアに気付いた一同が振り返り、そのまま大半の表情が驚愕に凍りついた。



「ネア、………お前、まさかそれは……」

「エーダリア様、こやつを捕まえました!」

「ネア様、良い獲物を捕まえましたね」

「ヒルド、これは褒めて良い範疇を超えてきたぞ……」

「エーダリア様、成果は成果ですから」

「兄上の顔色を見ろ。だから嫌な予感がしたのか。獲物の数を制限しても、ネアは止められないんだな……」



「ドリー様………」


ネアの標的でもあるエドラが呆然と呟き、思わずという感じで怯えながら一歩後退する。

しかし、流石と言うべきかどうか、ヴェンツェルは直ぐに冷静さを取り戻した。


「ネア、そなた、……ドリーを倒したのか」

「はい。森の木の上から降りて来ました。目の前に現れたので、拳で一撃です!」

「………それは、高位の火竜なのだが」

「油断している竜を狩るのは得意です」

「…………成る程。エーダリア、お前の婚約者は剛健だな」


まだ衝撃が抜けないのか、ヴェンツェルの言葉には珍しく覇気がない。

男性の方の代理妖精が、ネアの獲物に駆け寄って火竜の意識を確認していた。


「良かった、生きていらっしゃる!」

「この方は良い竜のようですので、殺しはしません。気絶しているだけですよ?」

「………火竜が気絶」


よく見れば代理妖精の指先は震えているようだが、知人が無事でほっとしたのだろうか。

その光景を見守っていたエーダリアが、苦労人らしく頭を抱えて呻いた。


「……兄上、ネアはもうだいぶ前から私の婚約者ではありませんよ」

「婚約し直せばどうだ?これだけ頑強な女など他におるまい」

「ヴェンツェル様、エーダリア様がディノ様に消されてしまいますので、その提案はやめていただけますか?」

「ヒルド、お前は相変わらず視野が狭いな」

「この件に関しては、狭くて結構ですよ。ネア様はいけません」

「やけに感情が入っているのはなぜだ?」



そこで、低い呻き声が聞こえたので、ネアは慌てて振り返る。

仲間の代理妖精に揺さぶられ、ドリーという火竜が目を覚ましたようだ。


さっと魔物を眼差し一つで黙らせてから、橇の上に拘束されたドリーに近寄った。


眉を顰めてものすごく凶悪な顔の火竜は、はっとするぐらいに穏やかで甘い声をしていた。


「……エルゼ、か?」

「ええ。ご無事ですか、ドリー様?」


うっかり名前を失念していたが、エルゼという名前だったらしい代理妖精が振り向き了承を求めたので、ネアは即座に頷いた。

これ以上の危険はないと判断したのだろうが、客人として踏み入れている領域で勝手に仲間の拘束を解かないあたり、この代理妖精も徹底している。


「ごめんなさい、火竜さん。敵なのかと思って攻撃してしまいました」


橇の横にしゃがみ込んでそう謝ると、何が起きたのか分からないようでさかんに瞬きしていたドリーが、視線をネアに向ける。

見慣れない淡い金色の瞳の澄明さにどきりとした。


(少し、サラフさんに似ている)


僅かに濃い色の蜂蜜色の肌は微かにエキゾチックで、より濃い肌色のサラフを彷彿とさせる異国風の容姿だ。

火竜を見たのは初めてだが、歴代の竜達のように荒くれ者なのだろうか。

激昂されるのを承知で、ネアはきちんと謝罪した。

確かに竜は四つ足だが、言葉が通じるのであれば会話で伝えるべきだ。



「いや、俺の方こそ、突然木から降りてすまない。………よく、怖がられる」



しかし、驚くべきことに、火竜はしょんぼりと眉を下げて謝罪を返してきた。

眼差しは凶悪だが、まるで子犬のようだ。


(なんと!ものすごく良い竜の人!!)


「頭は痛くないですか?着地の反動で体を屈めていらっしゃったので、思い切り頭部を攻撃してしまいました」

「………大丈夫、だと思う。竜は頑丈だ」

「縄もごめんなさい。橇から落ちると危ないので、固定しました」

「安全にまで気を配ってくれたのだな。礼を言う」


あまり会話は得意ではないのか、ドリーは困ったように視線でエルゼに助けを求めていた。

ネアがいささか専門的に縛り上げてしまったので、エルゼは何とも言えない表情をしながら必死に縄を切っている。


「ディノ、獲物とは言え良い竜の方でした。お詫びに打撲用の薬など差し上げたいのですが……」


振り返って魔物にそうお願いしたが、なぜかディノは引き攣った微笑みを浮かべていた。

その後ろに見えるヒルドも同じ表情なのが解せない。


「ネア、どうしてその火竜の頭を撫でているのかな?」

「突然殴られてしまったのです。獲物が思いの外善良だったので、気の毒になりました」

「竜は飼えないよ。ほら、手を離そうか」

「ディノ、さすがに私も人様のところの竜を欲しがったりはしませんよ。……ドリーさん、念の為に伺いますが、野良竜だったりしますか?」

「い、いや。……野良竜?」


ますます狼狽えてしまったドリーに、小さく笑う声が聞こえた。

橇の側に歩み寄ってきたヴェンツェルが、愉快そうに笑っている。


「ネア、ドリーは私の契約の守護竜だ。勝ちはそなたに譲るので、取らないでくれないか」

「む。ヴェンツェル様の契約の竜さんだったのですね。無念です……」

「ネア、浮気………」

「違いますよ、ディノ。とても穏やかそうで素敵な竜さんなので、行く宛がなければリーエンベルクに居れば良いのにと少しだけ思ってしまったのです」

「浮気…………」

「傷付けてしまった負い目がそうさせるのでしょうか」


ネアが切ない声でそう主張したにもかかわらず、エーダリアが即座に首を振った。


「橇で引いて来る間、お前は自分がどれだけ満足げな微笑みを浮かべていたのかわかってるのか?」

「エーダリア様、狩りとは残酷なものですから。しかしながら、無傷で野生に帰せるのも自然に優しい狩りの形で良いですね」

「狩りという意識は変わらないのだな。お前にとって竜がどんな認識なのか、そろそろ知りたくなってきた」

「四つ…」

「やっぱり言うな!聞かない方が心に優しい」


言いかけたところを必死の形相で止められたので、ネアはこてんと首を傾げる。


そもそも竜のいなかった元の世界の基準では計れないが、鱗を持つ彼等の姿は大きな蜥蜴に分類される。

しかしながら、毛皮や角を持ち、見事な翼が美しくて人型にもなれるので、変身する不思議動物というカテゴリであった。

本来の姿は人型ではないので、ネアにとってはやはり獣の分類である。


(でも、この火竜さんは……何だろう。この派手で俺様っぽそうな外見なのに、素朴というか、気弱というか、可愛らしい)


さすがにもう頭は撫でていないが、木橇の上に半身を起こしたドリーは、隣にしゃがみ込んだまま自分を観察しているネアに、明らかに困惑して目元を染めている。


何となくもう一度撫でたい気分になっていると、荒ぶった魔物に持ち上げられて回収されてしまった。


「ディノ、許可なく持ち上げてはいけませんよ!ドリーさんがびっくりします」

「浮気………」

「ディノの浮気の定義は、そろそろ基準を設けた方が良さそうですね」

「ご主人様は浮気者だ」

「異議を申し立てます。ドリーさんは竜の方ですよ?」


そこは大事な問題なので、しっかりと窘める。

とは言え魔物もふるふるしているので、ネアは小さく苦笑してから三つ編みを引っ張ってやった。


「戦いには勝ちましたので、後で祝杯を上げましょうね」

「ご主人様………」

「火竜さんは優しいのだと知ることが出来た一日でした」

「ネア、本来の火竜は気性が荒いんだよ。以後は気を付けて、決して狩らないようにね」

「攻撃されたら反撃するのは有りでしょうか?」

「すまなかった……」

「ごめんなさい!ドリーさんを責めたわけでは!」



妙に純朴そうな火竜が落ち込んでしまい、ネアはヒルドからその裏事情を教えて貰う。


この火竜は白持ちではないのだが、所謂、祝福の子とされる突出した力を持って生まれた竜なのだそうだ。

火竜の王族とも同等の力を持ちながら、この通りの気性で、目つきが鋭く自分の容姿で周囲を怖がらせてしまうことに精神的な負い目を感じているらしい。


戦場に出ない限りは、小さくて弱い他の生き物たちを慈しむ、とても優しい竜なのだとか。

加えて、休みの日は絵を描いたり、バイオリンを嗜んだりする趣味人でもあるそうだ。


「そのような方ですから、ドリー様はヴェンツェル様の護衛でこちらを訪れても、決してリーエンベルクには近寄らないのですよ。家事妖精が怯えたことがあり、大変心を痛めてしまわれたので、いつも禁足地の森に待機されておりますね」


「だから、木の上にいらっしゃったのですね」


「おまけに森の動物達を脅かさないよう、極力気配を抑えてしまわれますので、ディノ様も見落とされたのでしょう」


ディノがドリーの存在を見落としたのは意外だったが、ドリーは、小動物を脅さないようにとても高度な気配の殺し方を会得したのだそうだ。

心を鎮め無とすることで、ほとんど植物と同じくらいにまで気配を薄められると知り、ディノも驚いていた。


(あれか、悟りを開いてしまったような境地なのだろうか)


小鳥を飼ってみたいのだが、恐怖で小鳥が死んでしまうので飼えないというエピソードは、涙なしには聞けなかった。

随分と苦労しているようだ。



「ヴェンツェル、負けたのか?珍しい……」

「ドリーが狩られてしまったからな」

「すまなかった……」

「しかし、そなたが人間の女性に自ら近付くのは珍しいな」

「ヴェンツェルの名前を口にしていたから、呼びに来たのかと思った」


ヴェンツェルとの縁は、第一王子が子供の頃に出会い、小さなものが自分を恐れずにいたことに感動し、年の離れた兄のように甲斐甲斐しく面倒を見ているのだとか。

今でも遠征に行った時などに本気で縫いぐるみをお土産に買ってきたりするので、ヴェンツェルを困らせているようだ。

とても微笑ましいので、ネアはいっそうにドリーが好きになった。


(今回の訪問に同行したのも、前回のイブメリアの時に凝りの竜のことがあったから、心配性が爆発したからだと言うし)


過保護で気弱な竜が第一王子を大事にしている様は、何とも心温まる。


「強そうで優しいところが素敵な守護竜さんですね」

「とは言え、ドリー様は本来お強いですよ。戦場では竜らしく一切の情けをかけません」

「好感度が上がるばかりです」

「そう言えば、ネア様は猛獣がお好きでしたね………」


ヒルドが遠い目になり、ディノの表情も暗くなる。

話題を変えようと奮闘したエーダリアに、ヴェンツェルが狩ったのはガムルノイと言う、足が四本あり吹雪を吐く鳥の怪物だと教えて貰った。

これもこれで、かなり高位の怪物であるらしい。




「ネア、また狩りに付き合え」

「……懲りない方でした」

「二度とネアに声をかけないで欲しいな」


結果として毒消しの薬も手に入れ、最後までディノを苛立たせ、第一王子は上機嫌で帰って行った。

お付きの代理妖精達はとても胃を痛めていたようなので、ネアは主にエドラが心配になる。


「エドラさんのお仕事大変そうで心配です」

「お前も充分に怯えさせていたしな」

「エーダリア様の目は節穴でしょうか。お友達を目指して、良い線までいっていると思うのです」

「………まぁ、期待するのは自由だが」

「ドリーさんも控えめで優しい方でしたね」

「あれも、後半はお前に怯えていたんだろう」

「エーダリア様、もしかして情緒不安定ですか?お仕事は終わりました?」

「…………半分以上残っている」

「徹夜ですね」

「徹夜だな………」



ぐったりとリーエンベルクに戻ってゆくエーダリアを見送って、ネアは新しい出会いを噛み締めて微笑みを深める。


(この世界に来て初めて、あんなに穏やかな竜を見たなぁ)


期待していたようなおとぎ話のいい竜の出現は、やはり人間として嬉しいものがあった。

子供の頃に絵本で読んだ、善良な竜の物語を思い出す。



「ネア、浮気………」

「ディノ…………」


しかしながら、あの竜を愛でると、魔物が荒ぶってしまうという厄介なオプションが付いているようだ。

竜をお友達にする野望は叶わないらしい。







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