第一王子と弟の婚約者 1
魔物が珍しく外出した日のことだった。
その日の朝食の席で、ネアが第一王子の持っているという火竜の卵の話が出たので、ネアがふと思い出して以前にディノが持ち帰った卵の話をしたのだ。
「あの卵も、無事に親御さんの元に帰れて一安心でした」
「………うん」
「ディノ、歯切れが悪いのが気になるのですが」
「……巣には返して来たよ」
「親御さんはいなかったのですか?」
「………卵を取るときに脅したから逃げたのかもしれないね」
「ディノ、今すぐにその卵を見て来て下さい。まだ卵が無事で、そのまま放置されていたようであれば、親御さんか、最悪面倒を見てくれる竜の方に託して下さい!!」
「ご主人様……」
たいそう叱られた魔物は、朝食後にすごすごと出かけてゆき、ネアは魔物が戻ってくるまで一人仕事となった。
なぜか外出を厳しく禁じられてしまったので、仕方なく書庫と中庭の運用となる。
ヒルドには外せない仕事があり、ゼノーシュ達も外に出る仕事だったのだ。
エーダリアはリーエンベルクに残るそうだが、溜め込んでしまった書類仕事で修羅場となる彼の側に居たいとは思わない。
「こういう時に己の無力さを思い知らないように、一人でお仕事の日も良い収穫があればいいのですが……」
雪に綺麗な道筋をつけた部分を選んで歩く。
中庭とは言え、前回の氷室事件の過ちは繰り返したくない。
この中庭の中央にある素晴らしい彫刻のある噴水は、周囲に真っ白な水仙と青紫のアネモネを咲き誇らせておとぎの国のようなロマンチックさがある。
数あるリーエンベルク内の噴水の中でも、ネアが特別に気に入っているものの一つだ。
しぶとく諦めの悪い事を呟いていると、その噴水の辺りに見慣れない男性が居ることに気付いた。
(騎士さんだろうか……)
グラストの部下達とは、ディノが居ない時にしか交友を深められないので、少し得した気持ちで近寄ってみる。
ゼベルは変わり者だが良い青年であったので、ネアは強欲にも味をしめたのだ。
「………む」
しかし、大きな噴水を回り込んでみれば、そこにまさかの一人で立ち尽くしていたのは、鮮やかな金髪に林檎のように真っ赤な瞳をした美しい男性だった。
瞳の色彩は人間よりも鮮やかで強いが、人外者ではなく、手厚い守護を受けて生まれた高位の人間の色彩だ。
はたはたと風にはためくのは、淡い緑がかった白地に暗赤色の豪奢な刺繍のある見事なコートだ。
膝までの漆黒の革のブーツには、守護符代わりのつや消しの精緻な金装飾が雪の白さにぎらりと光る。
(と言うか、この容姿の方は一人しか居ないのでは……)
ちょっと嫌な予感がしたので引き返したかったが、相手がこちらの気配に振り返ってしまってからは不可能だ。
「そなた、……ネアか」
「はい。ご無沙汰しております、ヴェンツェル様。リーエンベルクの方かと思い、失礼いたしました」
早々に消えたかったのだが、ヴェンツェルはなぜか顎に手を当てて、思案げに目を細めた。
オールバックにした金色の髪が、はらりと額にこぼれるのが、いやに扇情的でもある。
(何だろうか、覗き込み禁止で叱られたら嫌だなぁ)
「そなた、狩りは得意なのだそうだな」
「む。……得意だと自負しております。ただ、まだ経験が浅いので、特殊な狩りは出来ません」
ついそう答えてしまえば、ヴェンツェルはにやりと唇を歪めた。
「そうか。弟を誘いに来たのだが、あいつめ仕事を盾に首を縦に振らん。ネア、付き合え」
「………はい?」
「狩りだぞ。好きなのだろう?」
「とても好きなのですが、本日は魔物が己の浅はかさの責任を取るべく不在にしているので、外出禁止令をいただいております」
「弟には言っておこう」
「いえ、外出禁止令を出したのは、エーダリア様だけでなく、ヒルドさんとゼノーシュと、私の魔物なのです」
「…………ヒルドは厄介だな」
そこで厳しい顔になったので、この第一王子の元でもヒルドはあのままの生き様だったのだろう。
豪奢な王族らしい、とは言えどこか質実剛健で動きやすく戦いにも長けているような服装のヴェンツェルは、男らしい大きな手で前髪を搔き上げる。
「厄介なのは、ヒルドさんなのですね」
「狩りに誘うだけなのだ。そなたの魔物は、アルテアがどうにか出来るだろう」
「それは、アルテアさんは死んでしまうやつなのでは……」
「あの魔物がそんな失敗をするものか。あれは、したたかで有能な男だ」
第一王子の評価は尤もなのだが、ネアとしてはやはり酷い目に遭う気がするので、やめて差し上げて欲しいところだ。
特に、うっかりウィリアムの耳に入れば、終焉の魔物はまず間違いなくアルテアにお仕置きしてしまうだろう。
「エーダリアに説得させても良いが、……ふむ。禁じられているのは、外出なのだな?」
「………はい。あの、ヴェンツェル様?」
「では、リーエンベルク内の禁足地の森があるだろう」
「あの森は、お外ではないのですか?」
「あの森も含めて、リーエンベルクの防壁とされている。何だ、離宮の見取り図は見ないのか?」
「見取り図はとても機密性の高いものです。私は一般人なので、あまり厄介ごとには触れたくありません」
「ふ。………一般人か」
さりげなく言葉の端々に、解放していただきたい旨を詰め込んでいるのだが、第一王子はその階位に見合った高慢さで取り合う様子もない。
「よし、森に向かうぞ」
「……私は兎も角、ヴェンツェル様はお付きの方を早急に呼び戻して下さい」
「あいつ等は弟のところに交渉に出したからな。すぐに戻るだろう」
「すぐにとか、ちょっとだからという慢心で死にかけた私としては、心に響くお言葉です」
「なんだ、死にかけたのか!弟は何をしているんだ」
「まさか、一人で散歩中に氷室に落ちるとは思ってもいなかったのでしょう」
レーヌのこともあったが、それは政治的な采配が絡むかもしれず口を噤んだのだが、どうやら第一王子は知っているようだった。
「レーヌにも敵視されたようだな」
「その方のことはほとんど存じ上げませんが、そのようです」
「あれはシーの一人だが、その貴重さから惜しまれない程には欲深い女だった」
「…………ヴェンツェル様、森の方に移動しないで下さい。必然的に付いてゆくしかなくなりますので大変に遺憾です」
「では来れば良いだろう。おかしな奴だな」
「………我が儘王子様め」
「ネア、聞こえているぞ」
「幻聴かと思われます。ほら、お身体の調子が悪いようですので、あまり動かない方がいいですよ」
「………そなたは、どことなくヒルドに似ておるな」
「ヴェンツェル様、あまり言いたくはありませんが私の周りには時々予期せぬ事件が起こります。巻き込んで殺してしまったら、私の穏やかな老後の生活に響きますので、どうか自重して下さいませ」
「ふむ。清々しいくらいに我欲だけなのだな。珍しい人間だ」
「なぜに移動ペースを上げるのですか?!」
(これはもう、狩りではなくて、寧ろこの王子様を捕獲するべきなのでは?!)
しかし、天がその願いを聞き届けてくれたのか、ヴェンツェルが取り返しのつかない程の距離を移動してしまう前に、一人の代理妖精が駆け付けてきた。
「ヴェンツェル様!なぜ守護結界から出られたのですか?!……リーエンベルクの歌乞い殿?」
「ああ、良かったです。保護者さんが来ましたよ!ちゃんと言うことを聞いて大人しくしていて下さいね!」
「ネア、そなたはヒルドと変わらぬ口煩さだな」
「もし周囲がいつもこのような感じであるのならば、概ねご自身の所為ですからね」
「う、歌乞い殿…………」
肩口までの髪の毛の美しい女性である代理妖精は、ぴしゃりとヴェンツェルを叱ったネアを呆然と見つめた。
黄緑色の瞳は雫をたたえた若葉のようで、この雪景色の中ではとても映える。
肩口で切り揃えたミントグリーンの髪がさらりと揺れて妖精の女騎士のようで眼福だった。
(………というか、女性だ!)
そこでようやく相手の性別に気付き、ネアはぱっと喜びに顔を輝かせる。
凛とした美しさの誠実そうな女性だ。
是非に、連絡先など交換出来ないだろうか。
「エドラ、弟は出不精なのだろうから、ネアを連れて狩りに出るぞ。裏の森になるが、仕方あるまい」
「ヴェンツェル様?!その歌乞いの方には関わらないようにと、あの魔物に念を押されたのを忘れたのですか?!」
「敷地内から出すわけでもないし、狩りに誘うだけではないか。何を惚けている?森は向こうだぞ」
「さも決定したかのように言わないで下さいね。せめてうちの魔物を呼び戻し…」
その瞬間、ネアは涙目で懇願する美しい妖精に飛び付かれた。
お友達になって欲しいと思っていた女性に抱きつかれてしまったので、ネアは思わずあわあわしてしまう。
とりあえず、大変に華奢な妖精であるので転んだりしないよう男前に抱き止める。
「え?!ど、どうされました?!」
「歌乞い殿、どうかそれだけは!それだけはご勘弁下さい!」
「いえ、ですが私も勝手には…」
「既に会話をしただけでも、禁を犯しているのです!この事実を知られるのだけはどうか……!」
「あの魔物は、あなた方に何を言ったのでしょう?ですが、ならば尚更に、きちんと対応したのだという姿勢を見せるべきでしょう。大丈夫です。私も口添えしますし、隠すと余計に拗れますよ?」
「二人とも遅いぞ!」
「ほら、あの方は全然諦めていないんですよ。ここで失礼しても良いのであれば、魔物は呼びませんが……」
「では、」
「エドラ、ネアを離すなよ。命令だ」
「ヴェンツェル様?!」
またしても我が儘王子が暴走し、エドラと呼ばれた代理妖精は激しく動揺した。
半眼になったネアは、仕方なく指輪に唇を寄せる。
第一王子も大切だが、ネアとしては魔物を荒ぶらせない方が大切なのだ。
「ディノ、……今戻ってこれますか?」
ネアの囁きにエドラは頭を抱えて蹲ってしまったが、ネアはそんなエドラの頭を母のような気持ちで撫でると、エドラは呆然とした顔で蹲ったまま顔を上げた。
任せておけという気持ちで雄々しく頷いたネアは、腰に手を当てて仁王立ちになり、振り返った第一王子に男前に指示を出した。
「これからうちの魔物と交渉しますので、くれぐれも口を挟みませんよう」
「そなた、つくづく物怖じしないな……」
ディノは直ぐに戻ってきた。
戻って来たが、手には記憶にあるのと同じ火竜の卵を無造作に持っている。
ふわりと長い髪を揺らしたディノの姿に、エドラは慌てて後退して第一王子の前に立った。
微かに震えているのが労しい。
「おや、これはどういうことかな」
「ディノ、その卵の親御さんは行方不明なのですね?」
「……うん。ネア、彼等はどうしてここにいるのかい?」
「その卵を引き取って貰う為にです!」
「え…………」
「考えれば、第一王子様は既に卵を一つお持ちですし、火竜さんとの交友もあります。そちらに任せるのが一番でした」
「…………うん。うーん」
「ディノ、卵さんは無事ですよね?」
「うん、まだ生きてるよ。竜の卵は丈夫だからね。一年くらいは放っておいても孵らないだけで生きてるよ」
「孵らないなら駄目なやつですね!」
「ご主人様……」
「ほらほら、ご主人様は大事な魔物の手間を省いたので、その卵をお願いして下さいね」
ちらりと第一王子の方を見たディノは、微笑んではいるもののどこか露骨に嫌そうな空気を纏ったまま、無造作に卵をエドラに差し出す。
「はい。好きにしていいよ」
「こらっ!お願いの仕方がなっていませんよ!」
「ご主人様……」
「悲しい顔をしても誤魔化されません。エドラさん、この卵をお願い出来ませんか?ディノが、巣から持って来てしまったのです」
「え、………いえ。はい。……はい、お預かりします」
エドラは大いに動揺した後、主人に判断を仰ぐことを思い出して、鷹揚に頷いたヴェンツェルを確認してから了承してくれた。
受け取った卵を大切そうに王都に転送してくれたエドラに、ネアはひとまずほっとする。
王都には、第一王子の守護者である火竜が一匹常駐しているのだそうだ。
彼に預ければ安全だと保証して貰ったが、雄の竜には色々な思い出のあるネアとしては、早めに雌竜に託して欲しいと思う。
「引き取る代わりに、私の狩りに付き合えよネア。リーエンベルク内の森なのだから問題あるまい」
さすがに第一王子らしく、ヴェンツェルは直ぐに会話の裏を読みそう提案してきた。
ネアは隣の魔物の微笑みが仮面のようになったので、慌ててディノの手を掴む。
「ではチーム戦です!私はディノとペアになるので、ヴェンツェル様とエドラさんがペアですね!」
「ほう、面白い。エドラと狩りをしたことはないな」
「…………はい」
エドラが可哀想にもまだ震えているので、ネアはまだ不快感を鎮めきってないディノを叱りつけた。
「ディノ、あの美人さんな妖精さんを怖がらせないで下さいね。ディノと同じチームで狩りをするのは初めてなので、楽しみです!」
「………ネア、ずるい」
ディノの片腕を両手でぎゅっと掴んで拘束しつつそう言えば、魔物は残された片手で顔を覆ってしまった。
「チーム戦で良いが、狩りをするのは実質人間だけにするぞ。収拾がつかなくなるからな」
「ええ。では、森を損なわないようにもして下さいね」
「殲滅戦ではあるまいし、燃やしはせんぞ」
「破損も駄目です。あくまでも狩りは自然に優しく、環境保全がきちんと出来てこそ狩りの名手と言えます」
「成る程、良いだろう」
とても不穏な逸材なので、ネアは厳しく制限をかけた。
勝手な印象でとても申し訳ないのだが、獲物一つの為に森を焼くぐらいしそうな俺様王子に見えるのだ。
かくして、ヴェンツェル対ネアの狩りが始まった。