表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
224/980

寝言と黎明

多分、困った夢を見ていた。

どこか見慣れたけれどもう戻りたくはない街を彷徨っており、早くここに戻りたいと思って必死に歩いていたのだ。


何度目かの曲がり角の奥にそびえる無機質な街並みに落胆していると、文字通り誰かに叩き起こされた。


大きく揺り動かされて目を覚ませば、部屋は真夜中よりも闇を深めており、夜明け前の一番暗い時間帯だとわかった。


明かりは点けていないが、窓の外の雪灯りがあるので辛うじて周囲の様子はわかる。


「………夢。夢でしたか。………ディノ?」


ふと、毛布ごと魔物に抱え込まれていることに気付いた。

ネアを抱き上げて膝の上に乗せているディノは、ひどく傷付いたような目をしていた。


「ディノ?どうしました?」

「………ネアは、家に帰りたいのかい?」


(…………家?)


首を捻ってから、もう一度魔物を見上げれば、切実な眼差しの奥に少し危険な翳りがある。

これは本気で宥めないといけないやつなので、決して眠いのでまた明日と言ってはいけない。


「どうしてそう思ってしまったのでしょう」

「家に帰らせて欲しいと、さっき呟いていたから」

「……寝る前のことですか?」

「ほんの少し前だよ」

「ディノ、それは寝言です。特に深い意味はないので、さらりと放置して下さい」


状況がわかってネアはほっとしたが、ディノはまだ納得のいかない頑固な顔をしている。

膝の上で抱き直されて、しっかりと抱き締められた。

頬があたる胸の温度は、かすかに暖かく鼓動の音がする。

その音が魔物にもあることが、こんな時だけれど少しだけ愉快だなと考えた。


「眠りの中で発する言葉は、心からの欲求なのだそうだよ」

「まぁ、そうなると、子供の頃にお鍋を探して魘されていたという私は何だったのでしょう?」

「…………鍋が欲しかったのかな」

「幼児にはあまり魅力的なものではありませんね」


こつりと、額を合わされる。

視界がディノの長い髪で隠され、真珠色の美しい髪は夜明け前の暗闇でもきらきらと煌めいた。


(きれい…………)


この世界に来てから、夜には夜の輝きがあるのだと知った。

それぞれに相応しい美しさがあるけれど、でも、やはりこの魔物以上に美しいものはないと贔屓目もあって感じてしまう。


「元の世界に戻りたくなった?」

「不安になってしまいましたか?……ディノ?!」


突然視界が暗くなった。

一瞬混乱してから、慌てた魔物に毛布で梱包されたのだと理解する。

勢いよくかぶせられてしまったので、自分の髪の毛が口に入ってざりざりした。

吐き出そうにも、毛布で顔面を巻かれているので改善が難しい。


「ちょ、ちょっと一度出して下さい!梱包が雑すぎて大変不快な状態です!ディノ!……おのれ、解放しなさい!!」


口の中の髪の毛を引っ張り出したいのに、梱包の上から抱き締められているので、手が動かせない。

動こうとしたらいっそうに強く抱き締められて、ご主人様は荒れ狂った。


もし何も知らない第三者がこの光景を見たら、魔物は一体何を捕まえてしまったのかと、とても不安になる光景だったことだろう。


「離すとネアは逃げるだろう?」

「逃げません!それよりも、口の中に髪の毛が入っています!これをどうにかさせないと、怒り狂いますよ!!」

「………ご主人様」


さすがにご主人様の剣幕に慄いたのか、ディノは慌てて顔のところだけ毛布を剥いでくれた。

唸り声を上げるご主人様にびくびくしながら、顔を覆うように巻き込まれていたネアの髪の毛をきちんと直してくれる。


髪の毛があるべきところに落ち着くと、ネアはすとんと怒りを収めた。

後は、あまり長くかからずに二度寝に戻れれば心の荒波も鎮まるだろう。


「ディノ、実力行使に出る前に、何かするべきことはありませんでしたか?」

「………髪の毛を巻き込んでごめん」

「それではなく、私を毛布で梱包する以前のことです」

「………離すのは嫌だな」

「…………困った魔物ですね」


がくりと頭を垂れたネアに、悲しげに息を飲む音が聞こえる。

荒ぶるのであれば教育は致し方ないが、よりにもよって、どうしてこの時間帯なのだろう。


「ディノ、そもそも寝言で私が帰りたいと呟いたのであれば、私が夢の中で帰ろうとがむしゃらになっていたのは、このお部屋です」


毛布で簀巻きにされたまま、顔を上げて水紺の瞳を見上げた。

夜明け前の暗闇の中だと、虹彩の淡い金色や銀色が際立ち、いつもとはまた違う気配を帯びる。


「…………この、部屋?」

「はい。私が住んでいるのはこのお部屋なのですから、今の私にとって帰りたい家と言えば、このお部屋です」

「元の世界じゃないのかい?」

「その元の世界のどこかの都市を彷徨っていた夢でした。どうにかして、ウィームやリーエンベルクに繋がる道を探そうとしていたんですよ」


ふうっと吐き出された安堵の吐息に、両手が使えないネアは、ごつりと魔物の胸に頭突きしてやる。


「ご主人様……」

「ですので、少し怖い夢でした。起こしてくれて有難うと言いたかったのに、荒ぶらないで下さい」


余程気が張っていたのか、そう言えば、ディノはくたりとネアの肩に頭を預けて萎れてしまった。


「それに、昨日までの流れを見て、唐突にこの世界を嫌になってしまう理由もなかったでしょう?」

「………星屑で願い事が叶わなかったから」

「………蒸し返さないで下さい。泣きそうになります」

「ご主人様……」

「でも、星屑ごときではディノを嫌いにならないと言ったのに?」

「……歌えなかったから?」

「…………死者に鞭打つ発言ですね。私はとても傷付きました」


とても心を抉ることを二連続で重ねられてしまって、ネアは荒んだ。

空気が変わってしまったことを察したのか、途端に魔物がおろおろし始める。


「ディノは意地悪ですね。こんな時間に、ご主人様の悪口を言うなんて!」

「ごめんね、ネア。そんなつもりは……」

「まったくもう!こんなに酷い魔物なのに、なぜ私はまだディノが大好きなのでしょう。困った魔物です!」

「ごめん…………大好き?」

「そうですよ。こんな暴言を吐かれても大好きなので、ちょっとやそっとのことでは、ディノから離れたいとは思えません。こんなに大事な魔物だなんて、大変に遺憾なことです」

「……………」

「ディノ?」



その直後、魔物はご主人様をそっと寝台に戻した。

巻きつけた毛布から解放して貰い、ネアは無言のままのディノをじっと観察する。

二度寝に戻る為に自分でも毛布を整えながら見ていると、ご主人様を元の形に戻しながら、魔物は少し震えていた。


まるで泥酔者が必死に意識を保っているかのように唇を引き結んで、何やら必死の様子で作業を終えると、一目散に巣に逃げ帰ってゆく。


「…………なぜ逃げるのだ」


ぴゃっと巣に逃げ帰った魔物に、ネアはかなり険しい眼差しになったが、これはもう当然の作用だと思う。



「ご主人様は、ずるい………」



しかし、巣の方からはそんな抗議の声が聞こえてきた。

巣の中でじたばたしているので、大きな毛布の塊が暗闇で揺れるのはホラー映画のようだ。


「ずるい。………可愛い」


ばたばたと暴れる毛布妖怪を暫く見ていたが、ふと、体感的に限界値として設定した十五分を過ぎたようだぞと思い、ネアは寝台に横になって就寝することにする。


毛布妖怪はまだ荒ぶっていたが、事件は解決したので是非に寝かせていただこう。


(毎回、加害者にされるのは解せないけれど、今日も私はいい仕事をした!)


最短で問題を解決し、睡眠時間を死守した自分の采配の素晴らしさに乾杯しつつ、ネアは目を閉じた。



「あんな凄いことを言っておいて、寝ようとしてる……」


背後が静かになってしまったことに気付いたのか、少しすると魔物の怨嗟の声が聞こえてきたが、ネアは目を開ける手間はかけなかった。


「…………ずるい」

「…………ディノ、大好きなので夜はきちんと眠って下さいね」



そう言って雑に宥めると、またしても毛布の塊が揺れる気配がした。

しかし、その後魔物がどうなったのかは、熟睡してしまったのであずかり知らないところとなる。



翌朝、先に目が覚めたネアが巣の毛布をめくると、魔物は幸せそうな顔で眠りこけていた。

可愛いので頭を撫でてやれば、幸せそうにふにゃりと口元が緩む。

毛布を元に戻して巣を後にしながら、ネアも何だか弾むような気持ちになってしまう。

可愛いやつめと、脳内で気持ちを落ち着ける為の呪文を五十回くらい唱えて何とか冷静さを保った。



今日は、とても幸せな朝だ。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ