紙容器の精霊と清掃係
「エーダリア様、ヒルドさんは外出でしょうか?」
昨日の報告などが一通り終わり、ネアがそう尋ねるとエーダリアは分かりやすく渋面になった。
「ヒルドなら、リーエンベルク内の星屑の欠片の清掃の指示にあたっている」
「わかりました。では、お仕事が終わる頃にまた探してみますね。……エーダリア様、一つお聞きしても良いですか?倒した魔物さんの遺体って、すぐに悪くなってしまいますか?」
「明らかにその横に置いた袋のことだな。……今度は何をやらかしたんだ」
「まぁ、酷い言い掛かりです!珍しい生き物を倒したので、お薬になるかどうか見て貰おうと思っただけですよ?」
「お前、まさか星屑を奪い合って……」
「失礼ですよ!星屑なら自力で十分に拾えましたし、そもそも星屑めでは私の願い事には役立たずでした。こやつは、ちょっとした事故で落ちてきただけです」
「……何となく想像が付くんだが、何を狩ったのか見せてみろ」
「………上司命令ならば仕方ありませんね。怒らないで下さいね」
「お前、最近ヒルドが甘いのをわかってるな」
「ヒルドさんは、物事の良い面を見つけるのがお上手なのです」
「物は言い様だな」
渋々と袋ごとエーダリアに手渡したネアに、ガレンエンガディンは顔を強張らせる。
袋から出して渡すと思ったら大間違いだ。
さすがに大きいので、自力で引っ張り出すのは避けたい。
溜息を吐いてから袋を開けたエーダリアは、その直後からたっぷり一分くらい無言になった。
中身を見た途端に目を瞠って体をびくっと揺らし、一度袋を素早く閉じてからまた開く。
次はまじまじと袋の中身を観察して、首を振ったり天を仰いだりしていた。
「………ネア、これをどこで狩ってきた?」
「リーエンベルクの屋根の上ですよ。ぼとりと落ちてきました」
「偶然この上で息絶えたのか?……いや、お前が何かしたな」
「困った方です。穿った見方しか出来ないのですね」
「…………よく考えたら、お前は仮面の魔物すら捕獲して戻ってくるような人間だったな」
「エーダリア様、言い方が」
すぐさまヒルドが呼び戻され、一緒に居たというゼノーシュも付いて来た。
グラストは朝までの任務であった為に、自室で休んでいるそうだ。
一瞬、今の内に火織り毛布のタオルハンカチをとも思ったが、今渡すと賄賂のようになってしまうだろうか。
それとも、晩餐の時の方が賄賂らしいだろうか。
「ネア?」
「いえ、賄賂の判断とは何かを考えていました」
「………お前は、また面倒なことに手を出そうとしているのか」
「昨日の温泉プールの帰り道に、皆さんに昨年はお世話になりましたという粗品を買ってきたのですが、この袋の所為で賄賂のようになるのは嫌だなぁと考えていたのです」
ネアがそう白状すれば、エーダリアはどこか呆れたような優しい目で苦笑みせた。
時折ふと、彼は領主であり、ガレンエンガディンでもある人の上に立つ人なのだと、実感出来るような目をする時がある。
「賄賂なら、お前は渡すときに堂々と賄賂だと言うだろう」
「む。せっかく賄賂として買ったのなら、確かにそう宣言して渡しますね」
「………だろうな」
二人が話している内に、ヒルドとゼノーシュは問答無用で袋の中身を見ている。
あまり反応はなかったが、ヒルドの羽が少し揺れたようだ。
「ネア、どこで星食いと戦ったの?」
「あらあらゼノ、お顔が大変なことになってますよ?」
「僕、星食いは嫌い。昔、グラストに怪我をさせたことがあるんだって。ネアのお陰で一匹減ったね!」
「そう言えば、グラストは何年か前に星食いの群れと戦って傷を負ってましたね」
二人がとても良いことを言ってくれたので、ネアはさっとエーダリアを振り返る。
「なんだその得意げな顔は」
「善行を積んだようです」
「人間として善行なのは間違いないが、これを狩れたことが問題なのだからな」
「ですので、落ちてきたんですよ」
「落ちて来た……?ネア、もしかして星の賛歌を歌った?」
「………う、歌ってません」
「ネア様…………」
「………それだな」
「歌っていません!」
ネアが必死に言い募れば、納得したのか全員が言葉を収めてくれたので、このまま謎は謎のままにしておいて欲しい。
世の中には不思議なことがたくさんあるものだ。
「それにしても、純白の星食いは初めて目にしましたね」
「島国で生まれたお前が言うなら、かなり珍しいのだろう」
「これ、星食いの王族なんじゃないかなぁ……」
男達は引っ張り出した星食いを観察しながら、何となく生温い雰囲気で議論を始める。
「希少性が高いなら、兄上に流すのも手だな」
「最近は個人的にアルテア様と交友を深めてしまっておりますので、この辺りで手札を一枚重ねておくのも良いでしょうね」
「厄抜きしないと毛皮は使えないよ」
「確かにそうですね。エーダリア様、一度ガレンに厄抜きをさせてから毛皮として贈り物にしては如何ですか?その他の部位は、魔術師達にとっても有益なものとなる筈です」
「それが良さそうだな。……またカードで戦うのか………」
(また、カードで戦う?)
ネアが首を傾げたので、エーダリアに代わってヒルドが説明してくれた。
「エーダリア様も、魔術師として欲しい材料があるのでしょう。ガレンでは、良い素材が手に入ったときに特別な専門分野の者がいない場合は、カードで勝敗を競って、勝者にその権利を与えるんですよ」
「カードで決めるんですね。驚きました」
「各部門の能力に優劣をつけるのは難しいですし、下手に話し合いにしても死者が出ますからね」
「……………死者が出る」
「魔術師には、厭世的な研究者気質の者が多いのです。魔術回路の構築に自分の魂すら生贄にしてしまうような極端な人間もおりますから」
「何となくですが、とてもよくわかりました」
「悪人という者はいないんだが、どうにも暴走しがちで常識外れの魔術師が多いからな………」
頷いたネアに、エーダリアはどこか疲れた表情でそう付け加える。
(きっと、ガレンという組織に属してないとまずい人達なのだろう)
ある程度の枷や組織があるからこそ、彼等は社会の中でも権威を持ち、尊敬される役職となっているのだ。
そう言えば、魔術師の離婚率はほぼ百パーセントと聞いたのを思い出し、ネアは遠い目になる。
その半数以上は、捨てられて半年以上過ぎてからその事実に気付き、一週間程傷心で寝込んだりするのだとか。
(そんな組織を統括するエーダリア様が凄いと思うべきか、エーダリア様もその仲間だと思うべきか……)
魔術師とは、実に業深く特殊な人間なのだ。
「それにしても、ネア様は流石ですね」
「ネアは狩りの女王だもんね!」
その時にふと、ネアは重ねて褒めてくれたヒルドとゼノーシュの表情が、昨晩のディノのものに似ていることに気付いた。
「………そう言えば、ヒルドさんは星屑にどんなお願い事をしたんですか?」
「さて。特別なものは何も。例年通りですよ」
「そう言えばヒルド、今年は随分と星屑を集めていたな」
「おやエーダリア様、お記憶違いでしょう」
「いや、あれだけ集めていれば流石に目につく………、そうだな。私の勘違いだった」
「……ですので、別段お話しする程のものではありませんでした」
確実に何かを隠しているヒルドだが、そう微笑まれてはネアも頷くしかなかった。
執務机に視線を落として、エーダリアは明らかに怯えている。
一瞬そちらを向いた瞬間に、一体どんな顔を向けられてしまったのだろう。
「……ゼノは…………」
「僕、昔のことはあんまり覚えてない!そうだ、ネア。美味しいお菓子を貰ったから、分けてあげるよ!」
「ゼノのお菓子をですか?」
「うん。すごく美味しかったから」
またしても非常に不可解な様子に、ネアは眉を顰める。
ゼノーシュが自分の分のお菓子を分けてくれるなど、今迄になかったことだ。
しかも話の流れ方がいかにも不自然であった。
「ネア様は何を願われたのですか?」
さらりと会話を引き継いだヒルドに、ネアは昨晩の星屑がいかに役立たずだったかを控えめに伝えてみた。
口に出すのも切なかったが、それを伝えた時のヒルドの様子を見てみたかったのである。
案の定、ヒルドはネアの悲惨な出来事をなぜかとても良い笑顔で聞いてくれている。
(容疑者だ!容疑者がここにもいる!)
ゼノーシュの願い事は、恐らくグラストに紐付くものだろう。
グラストの周囲に女性を配置しない為に、結果、ネアの願い事を潰すようになったに違いない。
しかしヒルドは何故なのだろう。
女性不信だとしても、ご年配の女性従業員など、幾らでもその対策はあるのではなかろうか。
頭のいい人なので、是非に妥協案を見出して欲しい。
「それはお辛かったでしょう。今夜の晩餐には、ネア様のお好きなローストビーフにするよう料理人に伝えておきましょう」
「ローストビーフ!」
「ネア、お前はそれでいいのか……」
エーダリアはげんなりしていたが、ひとまず目先のローストビーフで手を打つことにして、ネアは穏やかな気持ちで執務室を出た。
部屋に戻る道中、窓から何やらわちゃわちゃしている騎士の詰所が見えた。
わいわいとしているのではなく、どうやら騒動が起きているようだ。
心配になって廊下を曲がり、詰所の方へと足を向けてみる。
しかし、詰所のある棟に向かう為の扉を開いて中庭に出ると、こちらの棟の入り口に上がる為の階段に見慣れないものがいることに気付いた。
「……おのれ何者!」
あまり好ましい容姿の生き物ではなかった。
ベージュ色のヘドロの精のような生き物が、どろりとこちらを見上げている。
あまりにもふてぶてしいヘドロの精の眼差しに、ネアはさっと渋い顔になる。
(毛玉のこともあるし……)
迫り来るヘドロに、ネアはすぐに屋内に避難した。
パタパタと廊下を走って部屋まで戻ると、明け方に暴れたせいでまだ巣の中にいた魔物を引っ張り出す。
「ディノ、ヘドロの精に会いました!」
「ヘドロの精……?」
「騎士さん達が騒いでいたのは、あやつの所為なのでしょうか?侵入者です!」
「侵入者なら、困ったものだね」
「今後の為にも、あやつが有害なのかどうか知りたいです。教えてくれますか?」
「いいよ。そこに案内してくれるかい?」
まだ少し眠そうではあったが、ディノはすぐに立ち上がって一緒に現場まで来てくれた。
こういうところはとても優しいので、ネアはご褒美も兼ねて髪の毛を引っ張ってやる。
そしてご機嫌になった魔物と共に件の入り口まで向かうと、ヘドロの精はまだそこに居た。
ガチャリと外扉を開いた途端、おどろおどろしい姿でゆっくりと振り返り、またしてもネアを見上げて馬鹿にするような顔をする。
「ディノ、こやつです」
「………初めて見た。でも、魔術はほとんど持ってないから大丈夫なのかな」
「ディノにも正体がわからないなんて、厄介ですね」
「何の属性だろう………」
二人でその生き物を怖々と見守っていると、慌てたように一人の男性が駆け寄って来た。
「ネア様!」
「ゼベルさん。こやつは何者なのでしょうか?」
「紙容器の精霊なんです。危険はありませんが、触れられると悪臭がつきますので気を付けて下さいね」
「そのご忠告に心から感謝します!何かお手伝いしますか?」
「すぐに掃除妖精が掃き出してくれますので、放っておいて問題ありませんよ」
「そもそも、紙容器の精霊とは……」
ゼベルは一度ディノの方を見て居心地が悪そうにしてから、そんな真珠色の魔物が興味津々で自分を見ていることに気を取り直したようだ。
「毎年のことなんですよ。星祭りで紙容器が大量に消費されますので、捨てられた紙容器から精霊が発生し易いんです。そいつらが、星屑に願いをかけてリーエンベルク観光に来るんです」
「これ、観光なのですね……」
「観光なんだね……」
流石に呆然としているディノに、ゼベルは高位の魔物の可愛さを再発見したらしかった。
ぼさぼさの髪の毛で口元しか見えなかったが、顔色を良くしてふわりと微笑むのがわかる。
グラストからはかなり天然なのだと聞いていたが、ある種の大物なのではなかろうか。
「生涯に一度の観光希望なので、星屑もその願いを叶えてしまうんですよ。臭い以外の害もないので、結界も越えてしまいますしね……」
「特に害はないのなら、大人しく観光させて差し上げては?」
「あまり良い観光マナーではないので、放っておくとどこまでも入り込むんです。悪い顔をしてるでしょう?」
「追い返しましょう!」
「なので、一定の時刻になると、掃除妖精に掃き出して貰うんですが、その前に触られると大騒ぎですね」
「もしや、先程被害者が出ました?」
ネアがそう訊けば、ゼベルはがっくりと項垂れた。
「聞こえてしまいましたか?若い騎士が一人、うっかり背後から触られてしまいましてね」
「触ってくるんですね……」
「タチの悪い観光客なので、リーエンベルクの者に記念で触りたがるんですよ」
「一刻も早く掃き出しましょう」
「ええ。……あ、来ましたね。こちらからいいかな?」
影絵のような曖昧な色彩の家事妖精だが、それぞれの分担は意外にわかったりする。
ゼベルが手を上げて呼び寄せた妖精も、箒と塵取りを持った、遠目でも掃除妖精だとわかる姿をしていた。
少しふくよかな掃除妖精は、ヘドロの精こと紙容器の精霊を、容赦なく塵取りに掃き入れた。
そしてヘドロが滞在していた場所に薬剤のようなものを撒き、今度はモップのようなもので素早く拭き取る。
あっという間に石階段はぴかぴかになった。
「では僕はこれで。………あ、次は向こうなんだ」
ゼベルは一礼すると、掃除妖精を引き連れて慌ただしく立ち去っていった。
ネアとディノは、ぴかぴかになった階段に取り残される。
「………すごいです!掃除妖精さんは何もない空間から、モップやバケツを取り出すんですね。まるで戦士のようです!」
「紙容器の精霊……」
ディノはまだ、初めましての精霊に慄いているようだ。
「ディノ、紙容器の精霊さんは苦手ですか?」
「何だろう、よく分からなくて気持ち悪い」
珍しくきっぱりとした拒絶感を見せた魔物は、見慣れない不思議な生き物が、観光という目的でここまで来てしまうのが怖いらしい。
「…………観光」
「ごめんなさい、起き抜けにしょんぼりしてしまいましたね。今日は祝祭の翌日で安息日ですので、どこか行きたいですか?」
「………プール」
「そこまで気に入ってしまいましたか。であれば、今日も浮き輪を引っ張れるように、筋肉痛を直して下さい」
「ご主人様!」
はしゃぐ魔物に部屋に連れ帰られながら、ネアはこっそりと溜息を吐いた。
暫定一歳とは言え、流石に二日連続は大変だ。
しかし、ご褒美はご褒美なので諦めて拳を握った。