豆の怪物と火織りの毛布
お出かけの帰り道に、気になる商品を見付けた。
ウィーム中央で言うところのリノアールのような、高級複合商店のショウウィンドウである。
水晶硝子の向こうに色鮮やかな毛布のようなものが展示されている。
赤紫や青緑に瑠璃色などを色鮮やかに、けれども上品に織り上げたものと、その色違いの展開なのか、ラベンダー色にミントグリーンとオイスターホワイトの淡い織模様のものがあり、ネアは淡い色合いの方の毛布に目を惹かれた。
よく見れば、ショウウィンドウは革のトランクをひっくり返したようなコンセプトで作られており、その二枚を中央に持ってきているものの、他にも色々な商品展開があるようだ。
「ディノ、これはグラニのものなのでしょうか?」
「おや、火織りの毛布だね。人間が取り扱うのは珍しいな」
「火織りの毛布?」
「火の精霊や妖精が織り上げる毛布だよ。発熱作用があるから、雪山に向かう者などに重宝される。ただ、製作者達が気難しいから、あまり流通はしないのだけれどね」
「珍しいものなのですね。ちょっと見てみてもいいですか?」
「うん、見てみようか」
買うかどうかというよりも、その特質に興味を持った。
北の王宮付近はやはりどうしても雪や氷の系譜が力を持っているので、あまり火の属性の者達に出会うことはない。
館内に入り該当の店に立ち寄れば、既に火織りの毛布に夢中になっているご婦人が二人いた。
店員が彼女たちに説明している内容によれば、大晦日の夜に豆の怪物に襲撃された商団からの買い上げ品であるようだ。
異国の商団は損失を補う為にこの毛布を手放すしかなく、本来はヴェルリアから他国に納品される筈だった品物が偶然こちらに流れてきたのだそうだ。
ウィームが魔術豊かな土地であることを認識しておらず、大晦日の怪物を甘く見たのだろうとのこと。
ネアはさり気なくお店に滑り込み、更に気配を消してお目当ての色味の毛布のあたりを陣取った。
完璧な隠密行動だった筈が、同行する魔物のせいで早々に店員にもご婦人方にも気付かれたが、やはり排他的な程の美貌は近寄り難いのか、声をかけられることもなく自然に離れてくれる。
片方のご婦人が連れの腕をばしばしと叩いて興奮を訴えているのが気になるが、その視線の先にいるディノは特に気にする様子もない。
ネアが、触れた途端にがっしり掴んでしまった毛布を見て、くすりと薄く微笑んだ。
「それが欲しいのかい?」
「む。何て空気を読まないのでしょう!広げて色合いを見ている風で、値段を確認していたのに……」
「買ってあげるから気にしなくていいよ」
「そもそも、毛布は既にあるのです。その上で買うかどうか、自分会議しなくてはなりません」
「持っておけば、いつでも使えるだろう?」
「おのれ、贅沢ものめ」
「ネアはこの色かな。お揃いにしようか」
「………あの毛布の山は、これ以上積み上げると崩れるのでは?」
「やりようなんて、幾らでもあるからね」
そう穏やかに語るディノに背後でご婦人方がうっとりとしているが、洒落者の贅沢三昧の話ではなくて、毛布をうず高く積み上げた魔物の巣の話なのが心苦しい。
あの山の中に紛れ込ませるのであれば、火織り毛布である意味はきちんと生きるのだろうか。
ネアはその隙に値札を確認し、少しだけ遠い目になる。
高価な毛布であることは間違いないが、決して無理難題という値段でもないのが心憎い価格だ。
大変貴重なものであることは魔物の言葉からもわかるし、一概に値段だけで判断出来る買い物でもあるまい。
小さく唸っていると、手の中の毛布がするりと没収された。
「ご主人様は、プールに連れて行ってくれたからね」
「………謝礼となると、受け取るのもやぶさかではありません」
「この色でいいのかな、あちらにも似たような色のものがあるよ?」
「………ディノ、あちらの棚はサイズが大きいんです」
「では向こうのものにしよう」
「なぜなのだ!」
「こちらの毛布だと、ネアしか包まれないだろう?」
「私の毛布は全て、個別包装用のものです。ペア包装する予定は………ディノ?!」
ご主人様が不都合なことを語り始めたと察したのか、魔物は素早くお会計に向かった。
視線一つで店員を呼び寄せると、降って湧いた上客に笑顔が擦り切れそうな男性店員に、幾つかの商品を差し示してゆく。
(……………ん?幾つか?)
「待ってくださいディノ。明らかに二個を超えてきましたよね?」
「敷布もあったよ。白がいいかい?淡い菫色もあるけれど」
「む。…………菫色」
「ではこれにしよう」
結局ディノは、四枚の大判の毛布と、二枚の敷布を購入した。
その横でネアは、近くの棚に綺麗にディスプレイされていた火織り毛布と同じ素材の、タオルハンカチのようなものを発見してそわそわする。
(ほかほか、タオルハンカチ!)
カイロと兼務だなんて、この季節素晴らしい一品ではないか。
贈答用にとても良いので、お世話になった知人にどうだろうかと枚数の試算に入った。
こちらは織模様が多色ではなく、一色のグラデーションになっており、灰色のものと藍色のものがある。
上品であるし、珍しい火織り毛布素材で発熱作用があり温かいのだから素晴らしい。
(雪食い事件やら何やら色々あったし、エーダリア様とヒルドさんと、ゼノとグラストさん。……ディノにも買ってあげようかしら)
脳内で更に一枚足し、もう一枚足し、結果八枚になってしまう。
計算したら毛布の三分の一の値段だったので、なぜかまぁいいやと太っ腹な気分になった。
リーエンベルクに帰ってから、一度大きい金額を見てしまうと気が緩む現象だと悟って青褪めたが、その時はなぜかすんなりお財布を開いてしまったのである。
結果、記憶を失っている間に流れたゼノとのランチ会や、行けなかった移動蚤の市で使う筈で温存出来ていた金額が吹っ飛んだが、買い物は時の運でもあるので諦めるしかない。
ディノのお会計が終わるまで虎視眈々と機会を窺い、終わった途端にすっとお会計に飛び込んだ。
「ネア?!欲しいものがあるなら買ってあげたのに」
「これは贈答用ですから、自分で買いますね」
「ご主人様……」
「なぜ、しょげてしまうのでしょう。あ、こちら贈り物用に包装して下さい」
「浮気……」
「浮気ではありませんよ。集団生活を円滑にする為の心配りです」
六枚は濃灰紫色に淡い灰色の織模様があるものにしておいて、二枚だけ鮮やかな藍色に、淡い藍紫色の織模様のものにした。
一枚は自分用であるので簡易包装で済ませて貰い、お支払まで終えてから大荷物を転移でぽいっと部屋に送ってしまったディノに、もう一枚の藍色のものを包装して貰った袋を手渡した。
「ネア………?」
ふわりと目を瞠って、驚いたようにするのだから可愛らしいものだ。
これだけの枚数を買っていても、自分用にも買って貰えるとは思ってもいなかったのだろう。
両手でリボンのついた紙袋を手にしてふるふるしている魔物に、一連の様子を見守っていたご婦人方もなぜか口元を両手で覆って大興奮している。
「これはディノの分です。素敵な毛布を買ってくれて有難うございました。私とお揃いの色ですよ」
「………お揃い」
「灰色の方が良ければまだ交換可能ですが、藍色でいいですか?」
「お揃いがいい………」
「ではそちらですね。お揃いは初めてですね」
「ご主人様!!」
すっかりご機嫌になった魔物と店を出ると、いい塩梅に陽が落ちてくるところだった。
焦らずにリーエンベルクに戻って、一息つく頃には星祭りが始まるだろう。
外に出ると、出てきた複合商店も本日は営業時間が短かったことを知る。
早めにプールを出たから、買い物の余裕があったのだ。
(年始の初営業日で、ほとんどの人は星祭りに備えていたから、あの毛布が残っていてくれた気がする)
ウィンドウと店内で合わせて、毛布が二十枚くらいだろうか。
敷布は四枚しかなかったし、タオルハンカチは十五枚しかなかった。
店頭に出ているだけだと聞いたから、選べる内に買い物が出来て幸運だった。
まだ、ネアからのプレゼントを大切に持って、頬を染めている魔物に問いかける。
「ディノ、豆の怪物さんは強いのでしょうか?」
「一匹だと脆弱だけれど、何万もの群れで移動して量が多いから、飲み込まれてしまうんだ。硬いから人間は痣だらけになるみたいだよ」
「地味に辛いやつでした」
「それに噛むからね」
「最悪の怪物です!」
それは、火織りの毛布を手放すしかないくらいの被害が出るだろう。
人員的な被害が出ていないといいのだが。
「見たことはないけれど、胡麻の怪物が一番厄介だと聞いたな」
「胡麻………」
「もっと大きい群れになるそうだよ」
「大晦日に胡麻製品は避けましょうね」
「ウィームにはいないから安心していいよ。ヴェルリアでは被害が出たんじゃないかな」
「胡麻は怪物だけなのですか?胡麻の妖精さんや、魔物さんもいるのでしょうか?」
「……よく知らないけれど、だいたい何にでもいるからね」
ここでディノが心なしか暗い表情なのは、先程プールの魔物という新種の生き物に出会ったからだ。
鍋の魔物の時よりも動揺しているので、あのラケットで打ち返されて喜ぶ生態が怖かったのかもしれない。
(でも、そうなると、ディノの症状は軽度なのかな……)
図らずも変態の度合いが判明して、ネアは一安心する。
猶予が一年しかないので、新年早々にいい情報が手に入ったのは嬉しいことだ。
「………ディノ、どうしました?」
ふと、隣りを歩いている魔物がぴったりくっついてきたので、ネアは眉を顰める。
ご褒美の範疇のものではなく、まるで怯えているかのようだ。
初めて見る姿に腕にそっと手をかけてやると、そこだけは通常運用なのか三つ編みを手渡された。
「………ネアも、星屑が欲しいのかい?」
「星祭りの星屑でしょうか?そやつであれば、願い事が叶うので欲しいですがなぜですか?」
「星屑を手に入れられない伴侶は、捨てられてしかるべきなんだろうか」
「知らない法律があるようですが、そうなのですか?」
「先程すれ違った夫婦が話していたんだ。星屑を満足出来る量確保出来なければ、金輪際縁を切ると」
「あらあら、それはまた随分と厳しい法律ですね」
人間の男女間の会話であれば、特に恐妻家のお宅ではさして珍しくないので微笑んでそう返せば、魔物はいっそうに怯えてしまったようだ。
ネアが驚かなかったせいで、人間社会では一般的な運用だと思ってしまったのだろう。
綺麗な水紺の瞳を伏せて悲しげな表情になってしまったので、ネアは思わず微笑んでしまう。
「ディノ、私はそんなことは言わないので安心して下さい。今夜は、一緒にリーエンベルクから星祭りを見て、星屑を探しましょうね」
「………星屑があまり拾えなくてもかい?」
「星屑が拾えるのは幸運なおまけだと思っています。収穫が少なくても荒ぶりませんよ?」
「……………良かった」
そこでネアは一拍考えて、発言を撤回しておくことにする。
収集物にあたり、自分の精神状態がどうなるのかは事前に読めない。
何しろ願い事が叶う星屑なのだ。
「言い直します。星屑を集める為に私が荒ぶっても、その結果がディノとの関係に響くことはありません」
「………ご主人様」
「人間は元より、農耕民族で狩猟民族ですからね。本能的な反応があれこれあっても、不安にならないで下さいね」
転移に適した一角を目指して歩いていた通りの向こうで、共同戦線を張っているらしい家族が本戦に向けて鬨の声を上げている現場に遭遇した。
この雪深い日に薄着で袖を捲り上げ、林檎などを拾い集める用の大きな鞄を下げている。
少し離れているので表情まではわからないが、父親とおぼしき男性は準備体操に余念がない。
「…………ネアもあれをやるのかい?」
「のんびりしている自分が不安になってきました。そんなに競争が過酷なのでしょうか………。ディノは、星祭りの星屑を拾ったことはありますか?」
「落ちてきているのを見たことはあるけれど、足元に落ちてきても拾ったことはないな」
「ディノの居る場所にも降ってくるのですね。別行動にする必要がなくて一安心です」
「………ネア」
魔物はまたしても悲しげであったが、ネアは微笑んで誤魔化した。
少し減るぐらいであれば構わないが、ディノと一緒に居ることで全く星屑を拾えないとなると話は別である。
何しろ、ネアには同性の友達が欲しいという切実な願い事があるのだ。
(………そうか。拾い集める用の鞄がいるのか)
転移の前にもう一度通りの方を振り返り、深く頷いた。
何事も、先人の知恵はかけがえのないものである。