70. 新年のボラボラの訪れが始まりました(本編)
新年には冬の星祭りがある。
最初の新月の夜に、その年初めての流星雨が降るのだ。
年明けであるので星屑の精霊や妖精達もはりきり、新年の祝福を込めて多めに星を降らせるのだとか。
そうすると、夜空から溢れた星屑が地上に落ちてくる。
そんな星屑に願いをかけると小さなものはほとんど叶ってしまうので、毎年人々は静かな闘志を燃やすのだそうだ。
エーダリア曰く、幻想的で美しい祝祭なのだが、湖面の下の白鳥が必死にもがいているように、人々は儀式の間中も血眼になって星屑を探している。
この祝祭は人間だけでなく、その他の生き物達も参戦する為に、人気のない山奥程に有利ということもない。
それどころか、人間の居住域の外では人外者達が壮絶な星屑争奪合戦をするので、人間達は人間達の町の中で探す方が安全なのだ。
(もしかしたら、年始の自堕落っぷりは、このお祭りに焦点を当てて英気を養っている?!)
聞けば、大晦日の売れ筋商品には必ず地図が上がるそうで間違いないだろう。
新年の人間達は、各家庭ごとに軍議に明け暮れているのだ。
ネアの狭く強欲な脳内では、もはやそう確定されてしまった。
朝の執務室は新年の清々しい空気に包まれていたが、ネアは頭の中でリーエンベルク内やその周辺の地図の再確認に入る。
願い事が叶うという素敵な星屑なので、是非に多めにゲットしたい所存だ。
「星屑は、リーエンベルクにも落ちてくるのでしょうか?」
「ええ、落ちますよ。王宮に詰める騎士達の福利厚生として、エーダリア様が星祭りの星屑のみ、結界をすり抜けるように調整しましたからね」
「エーダリア様、私は良い職場で幸せです!」
「………そう思うならば、今年から私に攻撃はするな」
「ご婦人の背後から飛びかかれば、反撃されてしかるべきでしょう」
「ヒルド、ネアの場合は一般的なご婦人とは別ものだぞ?」
「エーダリア様、私は一般的なご婦人方より魔術可動域が低い弱者なのです。怖がらせないで下さいね」
「………いや、もはやその域ではないだろう」
しかし、今年の星祭りは、例年より厳しい条件下での開催となるようだった。
「だが、今年はボラボラの訪れが早いのが厄介だな」
そう苦い顔で告げたエーダリアに、ネアは、はっとして顔を上げた。
「エーダリア様!ボラボラを見れるのですか?!」
「な、何故そんな風に食いついたんだ?あれは、立派な祟りものだぞ?」
「………ボラボラは祟りものなのですか?キノコの形に似た毛皮人形では?」
「ヒルド、結界を強化してくれ」
「かしこまりました」
そこでなぜか、エーダリアは固い表情で結界を強化させる。
自身ではなくヒルドを使っているので、かなりの警戒ぶりにネアは首を傾げた。
よく分からないが、ここで不用意に発言を重ねないだけの空気は読める。
その間に視線を彷徨わせたネアは、エーダリアの執務室の奥にある書棚に、イブメリアに贈った術式の本が、附箋だらけになってしまわれていることに気付いた。
あそこまで読み込んでくれれば贈り主冥利に尽きる。
ふわりと心が温かくなり、また珍しい術式陣の本があれば手に入れてあげようと思った。
「ボラボラの扱いはかなり難しくてな………」
「まぁ、存じ上げず失礼しました。ヒルドさん、お手を煩わせてしまって申し訳ありません」
「いえ、まさか今日まできちんとした説明がなされていなかったことに驚きました。エーダリア様?」
「…………睨むなヒルド」
「おや、私は睨んでなどおりませんが」
確かにヒルドは微笑んでいる。
微笑んではいるが、ほとんど殺気を放っていると言っても過言ではない。
エーダリアが真っ青なのは仕方ないが、同席しているネアもぴりりとするので許して欲しい。
「ディノ様からも、ご説明はなかったのでしょうか?」
「詳細の説明はありませんでした。と言うか、珍しく説明が要領を得なかったというか……」
「ふむ。各階層で出現が変わるので、説明が難しいのでしょうかね」
「……早くも謎に包まれております」
「きちんとご説明しましょうね。信じ難いことですが、エーダリア様が手を抜かれていたようですから」
「………ヒルド」
そうして受けた説明は、かなり恐ろしいものだった。
まず、ボラボラという生き物は固定の種ではないのだそうだ。
森に纏わる概念や、森で亡くなった生き物達、そして森に纏わる事象の中から恨みが深く、かつ自意識を研ぎ澄ませる程でもない原始的な者達が、ボラボラという毛皮キノコに成り果てる。
「けれど、ボラボラには同族を見る力がないのです」
「………見えないのですか?」
「認識出来ないと言えば良いでしょうか。ですので、人間はボラボラの毛皮を纏って、その目を欺きます」
「とんでもない光景になると予測がつきました」
「年明けよりまばらに出現が始まり、十日程でピークを迎えます。酷い年は、街中がボラボラで埋め尽くされますよ」
「想像より上をいってしまいました。それは、純正のボラボラでしょうか?擬態したボラボラでしょうか?」
「純正のものですね。そこに、毛皮を纏っている人間も加わるので、それはもう酷いことに」
「ええと、……毛皮を纏っていれば、害はないのですか?」
「ええ。ですので、殆どの者達は自分用のボラボラの毛皮を持っておりますよ」
「………私も仕立てなければなのですね?」
「リーエンベルクには常に控えの毛皮がありますが、外出しなければなくても大丈夫です」
「それなのに、皆さんがボラボラ毛皮を持っているのは何故なのでしょう?」
「安息日ではないので、仕事もありますからね。それに害があるのは子供だけで、大人は見つかっても胴上げされるだけで終わります」
「胴上げ………」
いっそうと謎を深めるボラボラの生態に、ネアはつい前のめりになってしまう。
「便宜上胴上げとされますが、専門家によるとあれは獲物ではないという憤りによる行動なのだそうです。とは言え、獲物となる子供達の親となりますから、傷付けたりはしないのだとか」
「……存外に思慮深い毛皮なのですね」
「ですので、大人達がボラボラの毛皮を纏って街に出るのは、大人になったという通過儀礼でもありますね。ちょっとした羽目外しのようなものです」
「橇遊びといい、この世界の方達は時々無謀さを好まれるのはなぜでしょう」
そしてボラボラは、とんでもない理由で子供達を攫っていた。
書物などに直接的な表記がないのも頷ける凄惨さに、ネアは呆然としたままその説明を受けていた。
「………恋、なのですか」
「一般的には。攫った子供達を巣に連れ帰り、更に好みの伴侶に育て上げるそうです。しかし、好みに育たないと怒って一飲みにして食べてしまうそうですから、困ったものですね」
「いや、困ったどころではない、最低の誘拐犯なのでは……」
しかし、やはり人間とは価値観が少しずれるのか、ヒルドは不思議そうに眉を持ち上げた。
「上手く好みに合致すれば、ボラボラは終生その伴侶の下僕となり命の限りに尽くします。同種を認識出来ない結果、一妻多夫が可能なので、多くのボラボラを夫に持ち、贅沢三昧だった豪傑の話もあるくらいですからね」
ネアは、さもまんざらでもないだろう風に語られたその恩恵を考えてみたが、メリットをあまり感じられなかった。
生活に困窮している国や、今の家庭に問題を抱えているような子供のみの恩恵だろうが、そのような子供達だったとしても、もう少しいい道筋があればそちらを選ぶような気がする。
「ヒルドさん、前提としてボラボラめは毛皮キノコです。一般的な人間にとっては、あまり嬉しくない恩恵では……」
「ただ、大人になると興味が失せるそうですので、連れ去られた子供達も無事に大人になれば解放されます」
「………ボラボラは、男女どちらもいらっしゃるのでしょうか?」
「ボラボラは、多くの場合同性婚らしいですね」
「エーダリア様、逃げて下さい!」
「ネア、悪いが私はボラボラの嗜好範囲の年齢ではない。寧ろ、身の危険があるのはお前の方だ」
ばんと机を叩いて勝ち誇った顔で告げられ、ネアは身の危険に慄いた。
同性婚なボラボラに迫られるのは勘弁願いたい。
というか、同性婚で幼児趣味など最低の生き物ではあるまいか。
「つまり、好みに合致しない子供にとってのみ、ボラボラは脅威となるのですね」
「この先は極秘にしていただきたいのですが、ボラボラに魅力的ではないと判断された子供は、生き延びてもなぜか生涯伴侶も子供も得られないそうですよ」
「………それは可哀想で書物に記載出来ませんね」
「と言うよりこれは仕組みが解明されておらず、対抗策もない事象ですので、王家に悪用されると厄介ですから」
「だから結界を強化されたのですね。でも、ボラボラの好みを判定して、確実に却下して貰うのも厄介なのでは?」
「それは簡単なんですよ。ボラボラは、好みではない子供のことは転がって暴れて嫌がりますので」
「何て嫌な生き物だ……!!」
確実に子供にとってトラウマになるだけでなく、将来にも響くものであるのでネアは渋面になった。
(…………あれ、もしかして私はそれをやられる可能性がある?)
「ヒルドさん、私もそれをやられると生涯伴侶を得られないのでしょうか?」
不安のあまり細くなった声に、ヒルドはふわりと微笑んだ。
微かに光った羽の色に、ネアはどうして怒ったのだろうかと途方に暮れる。
「ネア様は大丈夫ですよ。その為の守護を強化しておきましょう」
「…………ヒルド」
なぜかエーダリアが頭を抱えたので、ネアは眉を顰めた。
甘やかし過ぎていると思われているのであれば、辞退するべきだろうか。
しかし、そう考えたところでヒルドは先手を打った。
「ネア様、これはあなたの将来を害する恐れのあるものですので、安易に辞退されませんよう。ボラボラは祭り当日以外でもおりますからね、当日だけ逃げるという訳にもゆきませんから」
「はい。……ヒルドさん、ご迷惑をおかけします」
そこでふと、ネアは一つのことを思い出した。
「ところで、ディノから、アルテアさんはボラボラが得意だと聞いたのですが、それってどういうことなのでしょうか?」
「……アルテア様が?」
「………ボラボラが得意だと聞いたのか?」
執務室は、一気に微妙な空気に包まれた。
ややあって、エーダリアが複雑そうに口を開く。
「先程、階層ごとにボラボラは扱いが違うと話しただろう?魔物の場合、ボラボラは無反応なんだ。……ただ、とある魔物のみ、ボラボラを使役することが出来ると聞いたことがある。ただ、仮面ではなく選択の魔物だということだったが……」
「…………選択の魔物」
思わず胡乱げな顔になってしまったネアに対し、エーダリアは何とも言えない疑わしい表情になった。
「ネア、アルテアは仮面の魔物なのだな?」
「他にも呼び名がないかどうか、ご本人か、うちの魔物に聞いてみて下さい。魔物さん方にとってどこまでが秘密の範疇なのかわかりませんから」
「……どちらかが通り名なのかもしれませんね」
ネアの言葉で大体の事情がわかったのか、ヒルドは顎先に手を当てて何かを思案している。
とても冷ややかな悪巧みの表情が一瞬見えたので、ネアは見ないふりをした。
以前ディノから、選択の魔物は望まれるものだと聞いたことがあるのを思い出したのだ。
「他の、妖精さんや精霊さん、竜の方達にもボラボラの対応は違うのですか?」
「妖精は人間とほぼ同じ条件ですが、さすがに毛皮は被りませんね。精霊はボラボラを食べます。竜にとっては、害獣にあたるので遭遇すれば大騒ぎになりますね」
「精霊はボラボラを食べる………」
「季節の味覚だと聞いたことがありますが」
今度はなにやら不憫なボラボラ具合なので、ネアの脳内はいたく混乱した。
更に竜がボラボラを嫌がるのは、ボラボラにかぶれるからだと知り途方に暮れる。
何とミステリアスな存在だろう。
「………ところで、そのお前の魔物はどうしたんだ?」
「……救難活動に参加出来なかったことで、ストライキ中です」
「救難活動………?」
ネアの返答に、ヒルドが少し笑う気配がした。
何があったのか知っているのは彼だけだが、あまり詳細まで報告を上げないでもらえると有難い。
因みに、とてもお世話になってしまったので、今度のお休みにお礼のお菓子を買って渡す予定だ。
仮眠に戻った人の寝台を占拠して爆睡していたなど、あまりにも申し訳なくて悲しくなる。
今朝も、早めに執務室前でヒルドを待ち伏せして、丁寧にお礼を重ねておいた。
「どうすれば降参するのかわかってはいるのですが、あまり甘やかしてもいけないので、今朝は放置してきました」
「ネア、あまり拗らせるなよ?」
「ええ。私自身もそうなると面倒……可哀想なので、心得ています」
近頃、エーダリアは以前のように、ただ魔物の欲を満たしてやれとは言わなくなった。
ネアの扱い方に信頼を置いてくれた証でもあり、あの魔物はわからないと諦めてしまったからでもある。
「ひとまずは、今夜から始まる流星雨の儀だが、お前はリーエンベルクに残ってくれ」
「儀式に参加しなくても宜しいのですか?」
「お前の魔物が同席することで、星屑がどうなるかわからないからな。星屑が減ると暴動が起こる」
「確かに、誰かさんが降らせているものであれば、あえて避けられる可能性もありますね」
魔物の王の頭上に星屑を降らせるかどうか、場合によってはネアにとっても由々しき問題だ。
何しろ今回のネアは、このリーエンベルクに信頼足る女性が来て欲しいという切実な願いをかけるのだから。
「ではお留守番しておりますね。念の為に、騎士さん達の区画にも近付かないようにします」
「ああ。すまないな。ただ、遠目でも美しい儀式だから、前の花火の時のようにリーエンベルクの屋根から見てみるといい」
「そうなのですね、楽しみです!」
ここでふとネアは、ディノを完全擬態させれば連れて歩けたのではないかと気付いた。
しかし、エーダリア達が気付かない筈もないことなので、あえてその方法に言及しなかった理由があるが、儀式に参加させてやれない後ろめたさから口に出来なかったのだろう。
何となく部屋の雰囲気からそう判断し、ネアも特に顔色を変えることなく頷く。
不憫そうに言ってくれるだけで良しとしよう。
今年見てみて行ってみたいお祭りであれば、来年は魔物を置いてゆけばいいのだ。
(多分、星屑がディノにどう作用するのか知りたいんじゃないかな)
諸説あるが、かつて鹿角の魔物の頭上には、祝福の星屑がたくさん降り注いだという伝承がある。
ゼロにしてしまう危険性は無視できないが、その可能性も探りたいというところだろうか。
民が熱狂するものなので、多く確保出来るのであれば汎用性が高い。
「そう言えば、ネア様は星屑に何を願われるのですか?」
考え事をしている隙に尋ねられてしまったので、ネアは素直に答えてしまった。
「リーエンベルクに、頼れる女性従業員の方がいるといいなぁと思っています」
「そう…」
「成程。興味深い願い事ですね」
何かを言い掛けたエーダリアを遮り、ヒルドが穏やかな微笑で頷く。
その微笑みを見ながら、ネアは何だか自分の願い事が叶わないような気がしてきて悲しくなった。
一度あまりにもヒルドが鉄壁なのでダリルに聞いてみたところ、結構根深い女性嫌いの可能性があると教えてもらったので、ネアもある程度の覚悟はしていた。
(まぁ、これだけ美しい妖精さんで王都にいたのだから、色々厄介ごとがあったのだろうし)
その厄介ごとの重さが、場合によってはかなり醜悪なものであった可能性もある。
そのくらいの想像力はあるのだが、世の中にはそんな心の傷を払拭出来るような素晴らしい女性も沢山いると思うのだ。
ヒルドは案外溺愛の人のような気がするので、幸せな家庭を築いて貰いたいのだけれど。
(………でもそうすると、エーダリア様が荒ぶるのかな)
その場合、ウィリアムとサラフに相談して、可愛い風竜のお嬢さんなど斡旋すればいいのだろうかと、まだ第一関門すら突破出来ていないのに夢想してしまう。
竜は強くて美しいものが好きなので、エーダリアなら頑張ればいけそうだ。
加えて、今年こそは同性の友達が欲しいのだが、星屑は足りるだろうか。
そんなことを考えながら、今はまだ明るい空を思った。