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大晦日の夜と約束のあらまし



その日アルテアは、スールという南方の小さな国を訪れていた。


スールの国母である精霊を信仰する狂信的な国で、良質なエメラルドの産地でもある。

数日前に仮面のつけ替えをされた男の顛末を見る為に、一年の最後に訪れた国では、長雨が晴れ上がったばかりの真っ青な空の一日であった。


スールは季節を二つしか持たない国だ。

春と長い夏を行き来する国には珈琲色の肌を持つ緑の瞳の人間達が暮らしており、アルテアが仮面のつけ替えを行ったのはその国の第一王子である。


狡猾なその王子は、信仰と弾圧の踏み分けを上手く利用し、ほの暗い恐怖の絨毯の上に陰惨な笑顔で座るような男だった。

この欲深く単純な男に近付くのは、それはそれは簡単であったとだけ付け加えておこう。

面白いかどうかで仕事をすることもあるが、今回ばかりは嫌悪感で早々に終わらせたい仕事であった。


慎重さを求められる極秘裏の同盟があり、国内には彼の圧政に牙を研ぎ続けてきた国民が居る。

その最高のタイミングで仮面を剥げば、自分の罪も置かれた立場の危うさも何も知らない道化が出来上がった。


(同盟に関することと、自分の敵だけをすっかり忘れてるからな……)


仮面の使いようは幾通りもある。

完全に剥ぎ取ればその人物はまっさらな状態となるが、一部分だけの剥ぎ取りであれば、特定の記憶や認識を奪う。

付け替えとなるとそこに、他者から剥ぎ取った仮面をかけさせて自意識すら書き換える代物だ。


今回は仮面の一部の剥ぎ取り、上手く思考がまとめられないくせに軽率な発言を繰り返す男の仮面をかけてきた。

まさしくスールの第一王子派閥にとって、最悪の主に仕立て直してきたわけだ。



翌日からすぐに、この小さくも獰猛な国は揺れに揺れた。



そうなると、困る者達がヴェルクレアにもいる。

彼等と極秘裏に手を組もうとしていた、第四王子の派閥だ。

軍師としてのシーを一人失っても、驚くべきことに彼等にはまだ活動が可能なだけの頭がある。

悪運が異様に強いという評価は間違っていなかったようだ。


「やれやれ、あの凝りの竜からここまで足掻くとはな」


イブメリアのこの事件から、アルテアが注視してきたのがヴェルクレアの第四王子であった。

あの日に王子の姉が亡くなり、軍師の一人であったレーヌも滅びた。

丁寧に戦支度を解いてきたのだが、まだ倒れない。

そして今回、極秘裏の同盟を崩すという意味で、アルテアがスールの第一王子の排除をしている。


勿論、これは依頼というものではない。

ヴェルクレア側の意向と、アルテア自身の欲求が一致したからこそ引き受けたに過ぎない。


(ま、ヴェルクレアと言うか、ヴェンツェルとエーダリアの意向だがな……)


この国の現体制を維持しようとする者の要。

そして間違いなくこの国のこれからを維持してゆく者達。


『スールのエメラルドか。あれは魔術の貯蓄をするには最高の道具になるからな。あの国の第一王子なら、仮面を剥いでやらないこともないぞ?』


そう提案したアルテアに、ヴェルクレアの第一王子は微笑んだ。

アルテアの目から見ても、よくこの大国にこれだけ相応しい跡取りが現れたと思うような人間である。

経年で聡明さの階段を踏み外す者も多いが、この王子であれば暗殺でもされない限りは大丈夫だろう。


『明らかにエメラルド目的の参入だが、こちらにも利益があるのだから、統括の魔物殿には何かお礼をするべきだろうか』

『スールのエメラルドと、先週ここの港に入ったゼラクメータの葡萄酒を一樽で構わないぞ』

『やれやれ、あの葡萄酒は狙われると思った』


あれはヴェンツェルの個人的な買い付けであるので、いささか腹立たしげでもあったが、兎も角第一王子は渋い顔で頷いた。

これは氷河の葡萄酒と同じ、世界での残量が決められた希少な酒だ。


そうして、アルテアは意気揚々とスールに向かったのだった。



しかし、スールの仕事は思いもかけないことで中断を余儀なくされた。

詰めどころであり、あと一押しで国が倒れる大舞台で、よりによっての呼び出しがかかる。


「は?………」


夢の入り口から、誰かの強引な呼び掛けが聞こえる。

稀にあることであったし、普段なら無視してしまうその呼び掛けに足を止めたのは、その声が誰のものだかわかったからだ。



「………ネアか?」


無視しきれない相手に顔をしかめ、短く躊躇してから深く溜息を吐く。


(まぁ、ここでひっくり返さなくても、あとは片手をかけるだけだが………)


ほんの一押しで崩壊する深い傷は、数日や一月くらいでは変えようもない。

乱雑に前髪を掻き上げてから、スールの王宮に背を向けた。


「ま、熟した実の方が崩れやすいからな」


一つ頷き、アルテアは王宮という特異な場に設けられた転移の規則を無視して、リーエンベルクに乗り込んだ。

本来であればここまで入り込むのはアルテアとて難しい場所であるのだが、内側に呼び込むだけの道筋があれば別だ。

今回は、自分を呼ぶネアの声がその道標になる。



そして、その現場に辿り着いた途端に絶句した。


「おい、………何があったんだ?」


流石に呆然として、唸り声を上げるネアを捕獲していたシルハーンに問いかけた。

振り返ったシルハーンは優美な眉を顰め、露骨にものすごく嫌そうな顔をする。


「やはり来てしまったのか。アルテア、今の救助要請は誤報だから、仕事に戻っていいよ」

「アルテアさんがいないと、こやつらを見続ける羽目になるのは私です!」

「ネア、もうカーテンを引くから大丈夫だよ」

「部屋の中にもいるのに、カーテンごときでどうにかなるでしょうか。おのれ、なぜにまた蜘蛛の形の新参者なのだ!」


あの容赦のない設定のブーツを履いた足をバタつかせるネアは、抱え上げた魔物の王も苦労させていた。

ネアは泥酔しているようで、足元に派生した蜘蛛の形をした地下妖精を排除しようとしている。

と言っても顔色が変わっているわけでもなく、通常よりも声が低く目が据わっているくらいか。


やれやれと溜息を吐いてから、部屋全体に選択の術式をかけて醜悪な者達を排除する。

害にはならないが、見ていて楽しいものでもない。


「おい、シルハーン、……まさかとは思うが、この騒ぎは大晦日の恒例行事か?」

「………まぁね。少しやり過ぎたかな」

「さてはお前の悪巧みだな」


暴れるネアを長椅子に下ろしながら、シルハーンは唇の端に魔物らしいしたたかな微笑みを深める。


「おや、君がそれを私に言うのかい?ほら、可愛いだろう?」


確かにネアは、普段であれば考えられないくらいに自分の契約の魔物にべったりだった。

離れようとすれば袖を掴んで引き止め、涙目で絶対に自分から離れないように厳命している。


(…………この為かよ……)


「ほら、このブーツはひとまず脱ごうか」

「む。……これは武器です!ご主人様を武装解除してはなりません。エーダリア様とヒルドさんの件は、不幸な事故でした」


「お前がやったのか………」


窓際で倒れたまま動かなくなっているのは、このウィームの領主とその片腕のシーだ。

通常、倒そうと思っても倒せるものではない。


「ネア!僕は四杯目なんだよ!」

「おいおい、こっちも酔っ払いか……」


そこに少し離れた位置からゼノーシュが声を張る。

大人しく飲んでいるのかと思ったが、それなりに酔っ払っているらしい。


「まぁ、ゼノは格好いいですね!可愛らしくて酒豪だなんて何とも奥深いギャップです」

「もっと強いお酒もあるんだ。コルヘムっていう名前で、美味しいけれどほとんど誰も飲まないやつなんだよ」


ネアに褒められて嬉しくなったのか、ゼノーシュはあっさりと道を踏み外した。

思わず半眼になれば、見聞の魔物の隣に座っている歌乞いは焦るでもなく、微笑ましく見守っている。


「ゼノーシュは、俺よりかなり強いんだな。ははは、頼もしい」


(おいおい、火に油を注ぎやがって……)


「ゼノはそのお酒も飲めるんですか?」

「いや、飲まない方がいいと思うぞ」

「アルテアさんは飲めないのですか?」

「……俺もさすがにな」

「ゼノが一番酒豪だなんて、凄いですねぇ」


その言葉が決定打になり見聞の魔物がテーブルに沈む頃、慌てて湿布薬を取りに走ってゆく騎士に後を頼まれた。

うっかり了承してしまってから、首を傾げた。


「………これでも、仕事中だったんだが……」


「ではさっさと帰るがいい。ほら、ネア。こちらも脱ぐよ」


長椅子にだらりと座ったご主人様の足元に傅いて、魔物の王がブーツを脱がせるというのは、中々に凄い光景であった。


「いやお前が元凶だろうが」


雑に貶したがシルハーンはご機嫌なまま、靴紐を解きつつ、引き寄せたネアの足に口付けを落としている。

ブーツを脱がせる為にドレスの裾を上げてあったので、淑女としてはやや危うい位置。

とは言え、ふくらはぎに口付け程度のことを魔物がはしたないと思うわけもない。

それなのに何故か、その光景を見ていると、ネア相手に途方も無いことをやってのけたような気になってしまう。


次の瞬間、ごすっという音がした。

重たい音が続き、シルハーンが床に沈む。



「悪い魔物です!」


不埒な魔物を撃退してからそう吐き捨てたネアは、足から脱げ落ちて転がったブーツを、最初に脱がされたブーツと合わせて丁寧に揃えると、眉を顰めたまま長椅子の上に膝を抱えて座り込む。


「誰もいなくなったな……」

「時に人間は、己を不利としてでも尊厳の為に戦うのです!それにアルテアさんがいます。アルテアさんは、この怪物達を見えなく出来ると聞きました!」

「とっくにやってる。美意識上、見てて愉快なものじゃないからな」

「神様!」

「………お前に褒められると不安の方が勝るのは何でなんだ」


そう言ってやれば、ネアは眉を顰め悲しげな顔をした。

とても無防備な表情なのだが、足元に蹴り倒した魔物の王が転がっているので全く信用出来ない。


「完全なとばっちりだな。……食事でもして帰るか」

「………助けを求めたから、来て下さったのですか?」

「恩を売れるからな」

「それは狡賢いですね」

「足元の奴にも言ってやれ」

「悪者は倒しました!」

「………かなり激しい音がしたが、そいつは生きてるんだろうな」


部屋を動くと目で追いかけるようにして、こちらに体を向ける。

背面に回れば、長椅子の背もたれに掴まるようにして膝立ちでこちらに体を捻っていた。


「食事くらいさせろよ」

「……お好きにどうぞ。でも視界におさめていたいのです。今やアルテアさんは、私の命綱ですから」

「………ここまで追い詰められる前に、もっと早く呼べ」

「………呼んでも良いのですか?」

「こんな惨状に呼び出されるくらいならな」

「では、この先の大晦日のご予定を差し押さえられて下さい!」

「………ん?」


思わず皿を置いて振り返ると、ネアは鳩羽色の瞳を煌めかせて見たことのない笑顔を浮かべている。


「……この先の?」

「はい!当分ずっとです!」

「お前、全く遠慮しないな」

「大晦日の夜に私を一人にしないで下さい!」

「いや、カーテンを引けよ」

「…………悲しいです」

「おいおいおい、何で泣くんだ?!落ち着け!」


ほろりと涙を零したネアに、慌てて長椅子の方に歩み寄る。

爪先でシルハーンを少しどかしてから肩に手をかけると、ネアはかなり恨めしい顔をしており、不本意にもぎくりとする。


「今夜、怪物達を排除してくれたのはアルテアさんだけでした。心強い味方だと頼ってしまいましたが、そうであれば私は殺戮者としての技量を磨きにかけます。来年の大晦日までに、怪物達を狩り尽くさなければ!」


「………お、おう。……いや、やめろ。わかった。大晦日の夜だけでいいんだな。くれてやるから落ち着け」


「………良いのですか?」


少し考えてから、呆れに開いていた口元を笑みの形に刻み直す。

腕を組んで体を屈め、上から覗き込むようにしてネアを見下ろした。


「その代わりに、きちんと日給を支払えよ?」

「…………む。どんなものでしょう?私に支払えますか?」

「そうだな。………これから数年分となると、いささか高くなるぞ?そうだな、まずは相互間守護を受けろ」


ネアは渋い顔をしてから、鉱山の男のように胸を拳でどんと叩いた。


「私と私の大切な方達を傷付けたり、貶めたりしないと誓って下さるなら受けて立ちましょう」

「………死地に赴く様相なのは何でだ」

「アルテアさんの信頼度がとてつもなく低いからです」

「…………お前、自分の発言で価格を吊り上げてるからな?」

「困りましたね。まけて下さい」

「どれだけ我儘なんだよ」

「まずはということは、他にもせしめるつもりですか?」

「そうだな、あと一つくらい上乗せするか。大晦日一晩につき、春告げの舞踏会に付き合え」

「春告げの舞踏会?」

「統括の魔物の仕事な上に、同伴者が必須だからな」

「同伴者になることで、何か私の身に起こりますか?」

「………お前、まだ泥酔してるよな?」

「失礼な!私は酔ってなどいません!」

「よし、まだ酔ってるな」


酔っているのはわかるが、特に言動に変化がないのが凄いと思っていると、ネアはその評価をくるりとひっくり返した。


「……まぁ、不利益が出たらアルテアさんを滅ぼせばいいのか」

「やっぱり泥酔してるな」


そこで、少し限界が来たのかネアの体がぐらりと揺れる。

つい手を差し出してしまうと、ネアはその手を一瞥してからそっぽを向いた。


「何だ今のは…………」

「信用度の問題です。アルテアさんに不用意に接触するのは気が進みません」


その一言に眉を顰めていると、ネアはさらりと問題発言をする。


「ノアはまだ触っても大丈夫だったんですけれどね」


「………ノアベルトの方がマシか」


首を傾げてから、ネアは小さく微笑んだ。


「悪い方向性が限られていますからね。いざとなれば、叩きのめせば良いのです。塩の薔薇は美味しいので死なない程度にですが」


「……それが基準か」


「ふふ。しかしながら、ノアのことはそこそこに好きでしたよ?………とは言え、…」


ごつっと音がして目を瞠れば、ネアが長椅子に横倒しになっている。

ようやく落ちたようだが、かなり気になる会話の途中で意識を失われてしまった。



「とは言え何なんだ……」


溜息を吐いてからネアの隣に座ると、幸せそうに寝息を立てているシルハーンの歌乞いを見つめる。


ふと、触ろうともしなかったことを思い出し、小さな不快感を飲み込んだ。



「………ったく。よくこの環境で寝れるもんだな。………っ?!」


意趣返しで眠りこけているネアを抱き上げようとしたら、眠ったまま暴れられてしまい、どさりと長椅子の反対側に倒れた。

こちらの体を寝台にしたまま、ネアは再び眠りにつく。


「………ま、いいか」


時計を見ればあと少しで一年が終わろうとしていた。

決して一人ではないのだが、一人で年越しを迎えるのは初めてだ。


それなのに何故か、気付けば微笑んでいた。








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