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新年の過ごし方と暖炉の会


部屋に戻る道中、窓の外を見ようとしてネアは短く躊躇した。

窓硝子に映った自分の影に、先程見てしまった怪物のことを思い出したのだ。

少ししょんぼりして隣りを歩いているディノにくっつけば、魔物の唇の端が持ち上がるのがわかった。

ご褒美ではなく警戒態勢であるので、あまり喜ばないで欲しい。


「朝起きてからは何をしましょうね。こちらでの新年は、どのようなことをするべきなのですか?」


ネアがそう問いかけたのは、明朝よりリーエンベルクがほとんど空っぽになるからである。

毎年この日は、エーダリア達上の者が各所での儀式で終日外に出てしまうので、大晦日からの新年のお祝いの後は、リーエンベルクも最低限の結界だけを残し安息日らしい稼働になる。


新年のお祝いで盛り上がるのが怪物から解放された日付変更の直後ということもあり、一般階層での新年のお楽しみというようなものは、街中の新年の飾りくらいなものだ。

一月一日は大晦日からの酔い覚ましにひっそりと家で過ごし、二日後の祝祭日にまた街中も活気を取り戻すのだとか。


今年はネアとディノがリーエンベルクに残るので、身の回りの手配をする者を残そうという案もあったが、料理人や家事妖精達もお休みに入る期間だと聞き、ネアはディノに貰った厨房の方に食材を溜め込み辞退させて貰った。


本当は洗濯物も自分で引き受けたかったのだが、ネアの衣類は素材が良いとかで随分と洗濯妖精が熱意を注いで管理しており、決して手を出さないようにお達しを受けている。

汚れ物を洗濯籠に入れると消えて、いつの間にか洗濯済で戻ってくるシステムは、送り出しだけが生きているそうなので、二日間は部屋にあるもので運用することになった。

今回の機会にこっそり洗濯場を覗いてみたかったが、魔術仕掛けの特殊要塞なので断念した。


(とは言え、タオル類も洋服も、部屋が燃えでもしない限り充分にあるのだけれど)


この世界の洗濯技術は、魔術の稼働が大前提となっている。

魔術可動域の低い者達が自立してゆくことが困難であるのは、このような些細なところで自立を阻むような世界設定があるからだ。

生活の基盤に魔術の大前提がある世界。

同じようであまりにも違うと愕然とするのは、こういうことに直面した時だ。


(洗濯洗剤が魔術仕掛けなんだものなぁ…)


火もストーブも魔術仕掛けであるし、衣類の仕立てにも魔術が動く。

縫製というものもまた、魔術の儀式なのだ。


以前の世界のように、お母さんの手作りポーチのようなものは簡単には作れない。

その代わりこちらでは、お母さんお手製の守護魔術のポーチというものがある。

これはお母さんの力量次第では、いじめっ子の男の子を呪い殺したりもするので、かなり激しい。



「ネアは何がしたいんだい?」

「この世界で、新年だけの風習や、ものはありますか?」

「…………確か、家族は暖炉の前で同じ毛布に包まって、話をするんだよ」

「魔物さんは、暖炉は嫌なんですよね」

「明日なら、空間的に蓋をしているから問題ないよ」


リーエンベルクが安息日になるこの日、この王宮の区画ごと大きなボウルのような結界で覆ってしまう措置が取られる。

出入りがないので蓋をしてしまうそうで、ネアは温かい料理を覆う銀製のクロッシュを想像してしまった。

まぁ、あながち遠からずの図式にはなるそうだ。

今年は中にディノが居るので、そのクロッシュ型結界のお役目はこちらで引き受けている。


「………それ、やりましょうか」

「……うん!」


ネアが乗り気だったことが、魔物は信じられないようだ。

目を瞠って頷いてから、ほわりと嬉しそうに微笑む。

魔物らしい艶麗な微笑みなのだが、見慣れてくるその中に種類があるとわかってきた。

これは、感動しつつ照れているやつである。


その約束を取り付けたのが余程嬉しいのか、その晩ディノは、巣の中でも落ち着かなくそわそわしていた。

遠足前の子供か、お散歩前の犬のようである。

一方のネアは、巣の影が時折もぞもぞと揺れるので、その度に怪物のことを思い出しかけてぎくりとする。

やはり今夜は、自分の心の平安の為に寝台に入れてやれば良かったと後悔しながら眠りに落ちた。



朝になると、ウィームは見事な吹雪だった。


「ジゼルさんあたりが、はしゃいだのでしょうか」

「これはジゼルだろうね」

「これはもう、あの子狐さんが可愛くてならないのでしょう」


新年最初の安息日は人間が引き籠りがちになるので、人ならざる者達が人気のない街中を散歩していたりするのだという。

よくある、子供達が人気のない街を窓から見下ろすと、美しい一角獣や竜、妖精に出会ったという物語の多くは、この新年の安息日が舞台になっている。


(ジゼルさんのことだから、子狐を街に連れ出してあげたのかな…………)


イブメリアのミサにまで連れてきていたので、ジゼルはアクティブ溺愛パパの素質がありそうだ。

まず間違いなく、子狐に新しい体験として街遊びをさせている気がする。


「ネアは、今日は部屋着なんだね」

「はい。誰もいない王宮を部屋着でうろうろ出来るなんて、何だかワクワクします!」

「可愛い……」


人気のないリーエンベルクは、窓の外の雪影に沈んで薄暗く幻想的だ。

降り続ける雪の影がはらはらと舞う薄暗い廊下に、がらんとした大広間に生けられた新鮮な花。

その中を、簡素な部屋着ワンピースのようなものでうろうろすると、物語の中に迷い込んだようでとても楽しい。


実際に異世界に迷い込んでいる身なのだが、これはまた違う感覚だった。


(いや、異世界とは言えこの世界とはどこかが繋がっていたのかもしれないのだから、であれば、ますます物語の中に迷い込んだようだとも言えるのかもしれない!)



幾つかの共用スペースは自由にしていいそうなので、ネア達は中庭に面した程良い談話室を占拠した。

暖炉のある部屋の一つである。


「魔術仕掛けの暖炉は、不思議なものですね」

「火鉢は暖を取るためのものだけれど、王宮の暖炉は、術式を燃やすことが多いんだ。古来からの規則で、暖炉でしか破棄出来ない魔術が幾つかあるんだよ」


例えば、人事などの機密書類は暖炉でしか燃やせないのだそうだ。

暖炉以外で情報を処分すると、呪いや侵食などの魔術に侵され易いとされている。

魔術上重要な装置であり、場でもあるのがこちらの世界の暖炉だ。

そのくせ侵入経路としての一面もあり、必要とされる反面デメリットも多い。

暖炉に火を入れること自体魔物の呼び寄せになるので、通常の場合、契約の魔物は暖炉が大嫌いだ。


「ディノ、私は体が硬いので、寄りかかるものがない長座は辛いです。暖炉前の毛皮にくつろぐという典型的な態勢が取れません」


残念ながら、ネアはほどほどに体が硬く、腹筋と背筋をそこまで育てていない。

支えるもののない長座では、数分後には後ろにばたんと倒れてしまうだろう。


「座るだけでも大変なことがあるんだね」

「柔軟性の高い選民どもめ!」

「長椅子に座ってもいいけど、私に寄りかかるかい?」

「……椅子になろうという魂胆ですね?」

「ご主人様………」


魔物のご褒美になってしまうので、ネアはゆったりとしたソファを暖炉前に寄せて、そこで暖炉の会を執り行うことにした。

こちらには、放射熱で家具を傷めない魔術があるので、暖炉の側に置いてもソファが燃えたりはしない。


「暖炉の中で、火がぱちぱちするのを見ているのは素敵ですね」

「浮気…………」

「暖炉にも薪にも、火にも恋はしないので安心して下さい」


本日は新年早々朝寝坊する贅沢を堪能したので、遅めの朝食も兼ねて、テーブルの上にはパンやジャムに紅茶もある。

昨晩がかなり遅くまで飲食していたこともあり、夕食まではこんな感じで手を抜くこととなった。

時折もそもそと食べつつ、自堕落に暖炉の火を見るのは心が解けるような穏やかさだった。


(と言うか、暖炉の会に夢中で食べ物どころじゃないんだろうか……)


包まってうとうとする時間ではないので、毛布は膝の上にかけて、思いつくままに色々な話をしている。

視線の動きを見ている限りやはり暖炉はあまりお気に召さないようだが、このイベントそのものはとても楽しんでいる様子だ。


ネアが沢山質問すると、ディノがとても嬉しそうにするのが新鮮だった。

一人上手のネアにしては珍しく、ディノはいつまででも話していられるような相手だったが、こうして会話そのものを目的として寄り添ったことはない。

これだけ一緒に生活していると長らく話していることが多いので、寧ろ、一人で静かに過ごす為の時間を取る方が多かった。


だから今日は、自然発生した会話ではなくて作り上げる会話の日だ。

ぽつりぽつりと、とりとめなく議題を変える。


「実は、手帳用のペンのインクを変えたいのです」

「どうして変えなかったんだい?」

「支給された文房具で、インクは黒一色でした。でもあれは備品なので、きちんと活用したいです。しかしながら、薄灰色のノートですから、本当は濃紺のインクの方が素敵ですよね」



「ネアはあまり髪を結わないんだね」

「あれこれ試してみるのですが、何だかしっくりこないのです。本当は髪飾りなどを使いこなしたいのですが、あまり似合わないみたいで……」

「そうかな。ミサの時の髮型は綺麗だったよ?」

「………あれは、髪結いの妖精さんがやってくれたんですよ!でも、ディノはどちらが好きですか?」

「どちらも好きだけれど、選ぶなら下ろしている方が好きだな。可愛いし、すぐに触れられるからね」



「ディノが入浴剤に夢中なのは元々ですか?」

「ここに来て、初めて自分で入れて使うようになったんだよ。ネアと同じ香りになるから」

「あら、でもディノ自身の香りも良い香りですよ。魔物さんは皆さん良い香りですが、ディノが一番いい香りです」

「自分ではわからないけれど、私達にはそれぞれの香りがあるようだね。ネアが好きなら良かった」



「ディノは、色鮮やかな色のお洋服は着ないのですね」

「着ようと思えば着るよ。そっちの方がいいかい?」

「………想像してみたら、あまり好みではありませんでした」

「やめる………」

「でも、深みのある紫などは似合いそうです。いつもだと派手でしょうが、ここぞと言う時とかいいですね」

「ここぞというとき………か。どういうときなんだろう?」

「でもいつもの白が一番似合います。は!濃紺のコートも好きでした!」

「ネアはあのコート大好きだよね。着ると嬉しそうだ」

「あのコートだと、ディノがきりりとして恰好いいですからね」

「ご主人様………」



そこでネアは大切なことを思い出して、アルテアに教えられた守護の件を切り出した。


「そう言えば、増えた分の守護がわかりましたよ。一つはウィリアムさんでした。ただ、私自身にというよりも、あのヒルドさん特製の靴紐のブーツが上手く扱えるように、技術補佐という意味での守護であるようです」


「死の舞踏は強力だが扱いが難しい。その調整をかけたのかな。むやみに蹴り殺さなくて済むように、ネア自身の意志を反映させるようにしたのかもしれないね」


「………心から感謝しました。そしてもう一つは、ノアではないかということでした。意識しない内に言質を取られているのであれば、こやつはぽいっと放棄したいのですが出来ますか?」


ゆっくりと目線を上げたディノは、何かを反芻するかのように動きを止めた。

こちらを見たまま考え込んでから、安堵と落胆の入り混じった複雑な眼差しになる。


「君がその守護に執着を持たないのは良かった。……でも、一度結んでしまったものを解くと、当人に知れてしまうからね。今それを捨てるのであれば、君の居場所がノアベルトに伝わってしまうだろう。出来れば、あと一年くらいは我慢して欲しいな」


「む。それは確かに嫌ですね。……………一年後ならいいのですか?」


そう尋ねたネアに、ディノは不思議に切なげな美しい微笑みを浮かべた。

薪が崩れる小さな音が聞こえ、部屋の壁には、雪の影がしんしんと降り積もってゆく。


「その頃であれば、私も少し安心出来るだろうから」


綺麗な指先の動きを目で追いかけていたら、三つ編みをひょいと投げ渡された。

ディノの言葉とその行為に、ネアはがくりと崩れ落ちそうになる。

そうか、その頃合いを見計らって安心するのかと得心するのと同時に、あらためて一年という期限が設けられたことを痛感した。



「あ、そう言えば忘れていました」

「ネア?」

「昨晩酔っぱらった私は、アルテアさんの大晦日の予定を、この先暫く差し押さえしたのだそうです」

「…………いらないから、断っておいで」

「そうですね。大晦日用のカーテンがあれば、アルテアさんはいりません。さくさく契約破棄しますね」

「どうしてだろう。安心してもいいはずの言動でも、時々自分に置き換えて不安になるんだ」

「まぁ、ディノがですか?私は何か、不安になることを言ったでしょうか?」


首を傾げたネアに、ディノは何やら拗ねたような顔をしてぼすんと膝の上に落ちてきた。

不貞腐れた子供の様に膝に突っ伏している魔物の頭を、不思議に思いながら撫でてやれば、その内に膝枕が気に入ってしまったのか、ディノは確信犯的にべったりと甘えだしてしまう。



「………おや、寝た」


そして、驚くべきことにそのまま眠ってしまった。

初めてこんな風に無防備なディノを見たので、ネアは妙に嬉しくなりながら暫くその頭を撫でてやった。

思わず鼻歌を歌いたくなったが、うっかり体調不良にしてしまっても可哀想だ。

昨晩はしゃぎすぎて寝ていなかったようなので、その反動が来たのだろう。


(やっとディノと、こういう話が出来た)


チェスカの石鹸店で、ノアと語り合った夜を思い出す。

あの日に深めてしまったお互いの思考や嗜好の彩りが、ネアはなんだか息苦しかった。

本当はそれよりも先にディノとそうしたかったのだと思っていたから、この暖炉の風習はとても有難かった。


そこで抱えた息苦しさは、罪悪感ではない。

上手く表現出来ないが、淡い悔しさのようなもので。

自分が何を受け取り、何を選択したのか、最近はよくわかるようになってきた。



「私の大事な魔物が、私自身にとっても何でも一番であって欲しいのです」


ディノが眠っているのをいいことに、髪を梳きながら気恥ずかしい本音をほろりと零す。

まだ自分でも気付いたばかりの思いだからこそ、本人に伝えてしまうには頼りないこの言葉を、いつかきちんと呑み込んで自分のものにしてから、ディノに伝えられるのはいつになるだろう。


膝の上の魔物は、すーすーと寝息を立てて幸せそうに熟睡している。

安心しきった緩み方に何だか幸福な気持ちになりながら、夕飯のメニューを考えることにした。









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