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ロクサーヌと二人のシー

「あの馬鹿王子は元気なの?」


そう問いかける声に微かな柔らかさが滲み、ヒルドは口元をほころばせた。


「ええ。元気にしておりますよ。最近は、特に伸び伸びとしていらっしゃる」

「歌乞いのお嬢さんとの恋は駄目だったみたいね?」

「元々、恋のようなものではなかったそうです。私から見ているに、初めて出来た同じ目線の友人同士のようで微笑ましい」

「だから、あなたは安心して主人の元婚約者をつまみ食いってわけ?」

「おや、私は節度を保っておりますよ」

「シーが羽の庇護を与えておいて、そう飄々と言うのだからあなたは食えないのよ」


魔術の回線の向こうで、ロクサーヌがわざとらしく溜息を吐く音が聞こえた。


「……でも、誰かを愛することは良いことよ。私達のように、感情を糧とするシーは特にね」

「第五王子はお元気ですか?」

「ええ!今朝も短い手足で、私の羽をよじ登ろうとしていたわ。本人曰く、森狼のつもりだそうよ」


ロクサーヌは、第五王子の代理妖精だ。

年齢的に王位継承権からは最も遠い王子の一人だが、国家というものは何が起こるかわからない土地でもある。

アルビクロムの王族の出であり、まだ幼子と言ってもいい年齢だが、年齢に似合わず存外に聡明な王子なのは、このロクサーヌの教育の賜物と言っても良かった。

この王子が居る限り、ヴェルクレアの王権は層が厚く揺らがないとまで噂されている。


ロクサーヌは真紅の薔薇の妖精である。

薔薇の妖精達に君臨する、妖精界では最もシーが多い一族の一人。

数が多いからと言っても優秀さは変わりなく、特に数多の生き物達からの好意を集める赤い薔薇の妖精は強く美しい。


誰のものにもならなかった彼女を射止めたのは、母親と乳母を事故で亡くしたばかりの幼い王子であった。


毎晩枕を引きずって部屋を抜け出しては、ロクサーヌの薔薇の茂みの下で眠っていた幼子。

周囲の者がそれを止めなかったのは、彼がそこでしか眠れないくらいに追い詰められていたからである。

記憶を調整するという案も出ていたが、それを制止し、自分の微笑み一つで心を安定させてのけたのは、ロクサーヌだった。


温もりを亡くしたばかりの幼子にとって、婉然と微笑む美しく優雅な妖精は、慈愛の象徴のように見えたのだろう。

無自覚に救いを求めて伸ばされた小さな手を、ロクサーヌが取ったのだ。


先代の王族にはロクサーヌの愛を求めて、あの薔薇の茂みの前で命を絶った王子もいる。

幼子だからとロクサーヌが自分の人生を差し出す筈もなく、第五王子は彼自身の価値で偉大なシーを射止めた傑物だ。


「この頃は強い男に憧れているようよ。狼や虎、騎士達が大好きね。まだはしゃぎ過ぎると転ぶくらい手足が短いのに、なんてお馬鹿さんなのかしら」


そう口にするロクサーヌの声には、深い愛情が溢れている。

あの子供がやがて大人の男になり、更にその先の晩年までずっと、彼女は第五王子を手放すつもりはないのだそうだ。

薔薇のシーの守護は大いなる祝福だが、彼女達の情愛は激しく深い。

それが薔薇というものの愛し方なのだろう。



「それで、レーヌはやはり王都を離れましたか?」


話題を切り替え出したのは、ロクサーヌが最も嫌うシーについて。

彼女の最愛の王子を一人にした要因の一人、ヴェルクレアの王都で暗躍する、最も欲深い妖精の一人だ。


「あの派手好きの黄昏が舞踏会にいないのだから、まず間違いないわね」

「となると、こちらに顔を出すのも時間の問題ですね」

「あなた、そろそろ四番目を処分したいのではなくて?」

「時期を図りますよ。今であれば四番目の守りをいとも簡単に剥ぎ取れるツテは多いのですが、国内で人外者に殺されたとなると、過激派はガレンの責任を問うでしょうから」

「それを考えれば、人間同士で殺し合ってくれるのが一番だわね」

「公爵夫人が亡くなって少し楽になりましたがね」

「凝りの竜を飼っていたときに、疫病の手に触れられて死んだそうじゃない。あれもあなたの采配かしら?」

「いいえ。偶然通りかかった死者の王のご采配ですよ」

「まぁ!死者の王に行き合うなんて、どれだけ運が悪いのかしら。あの方は醜悪な死の斡旋に否定的ですもの。ご機嫌を損ねたのでしょう」

「祝祭に凝りの竜でしたからね。それに、あの方はネア様の良いご友人のようでしたし」

「ふうん。あなたの羽の庇護を受けたお嬢さんは、随分と良い守りばかりを集めているのね」

「とも言い切れないのが心苦しいですね。高位の者と関わるからこその事故も多いですし、やはり王宮は特殊な場所ですから」



高位の人外者達からの祝福や好意を一身に集めていたのが、かつてのウィーム王族達だ。

けれども、どれだけ頑強な防壁があったとしても、押し寄せる奔流はどんなところから侵食するのかわからない。

中にはシーを二人、魔物の公爵を一人、高位の雪竜を二人という、破格の守護を集めた王子もいたが、彼とて捕らえられ処刑された。


完全なものなど、この世界にはないのだ。

だからこそ、慎重にもしたたかにもなろう。


統括の魔物の興味を惹くのは本来なら幸運だが、彼の気質のせいで引き起こされた事件が良い例である。

あの事件は、ネアが雪食い鳥に興味を持ったことを面白くないと感じたアルテアの嫌がらせに始まり、雪食い鳥の王も、自分の誇りを損なった魔物への嫌がらせとしてラッカムを手駒としたのだそうだ。



“あの領主を選んだのは偶然だよ。ネアのことを少し話したけれど、僕は、彼女がどこの誰かまでは話していない。アンナが調べるにしても、少し行き過ぎた知識だと思わない?”


ぼんやりしているように見えても、ラファエルは雪食い鳥の王だ。

群れを統括するだけの王としての頭はあり、彼が指摘したのはその部分だった。


“アンナは強くて若いからこそ、あまり深く考えないんだ。今回だって、我欲から馬鹿なことをしただろう?僕達雪食い鳥は他種に決して膝を折らないけれど、それは無謀さだけでもいけない。僕達が無茶を通すのは、攻撃を受けた時と、自身で解決できる範疇のときだけだ”


確かにアンナ自身が手段を選ぶとき、彼女は真っ直ぐに標的に向かった。

守りの硬いリーエンベルクに誰かを忍ばせ、その庭に落ちた血を盗むだけの忍耐強さはあるまい。

奪いたいなら彼女は自分で奪いに来るだろうし、そうであれば守護結界に必ず触れる。

雪の上から何かを奪うということが雪食い鳥の得意分野であったが為に、誰も気付かずにいたその疑問に、兄であるラファエルが気付いてくれたことが幸いであった。


ラファエルが噛んでいないのであれば、恋をしたアンナが、ラッカムが最後に会いたいと口にしたネアを標的にしてから血を盗むとなると、明らかに時系列も狂う。


(ラッカム側の情報は、あまり得るものがなかった)


彼こと彼女が雪食い鳥の群れを討伐しようとしたのは偶然だったし、その結果アルテアを煩わせるための玩具にされたのも偶然。

無自覚に雪食い鳥の王に恋をしていたラッカムは、試練を乗り越える為のヒントを得ようとして、他の雪食い鳥に王が話していた“可愛いあの子”とやらの情報を尋ねたが、それもラッカム自身の心から生まれた行動だ。


そこに、群れの知り合いからラファエルの試練のことを聞きつけ、兄を困らせようとしたアンナが現れ、兄が試練を与えた人間を見て恋に落ちた。


(ここまでも、偶然)


その時まで、彼等はネアに対して、ウィームの歌乞いという情報しか持っていなかった。

ラファエルですら、ネアがどこに暮らしているのか知らなかったくらいだ。

そしてその先のどこかで、ウィームの歌乞いがリーエンベルクに住んでいるという情報と、盗み取られたネアの血を、誰かがアンナに提供している。


ここで介入したのは、一体誰だったのか。



雪食い鳥の一件が解決した直後に議論されたのが、その問題であった。

標的にされたのはネアであり、それはさも偶然が積み重なった事故のように見えなくもないが、背後に明確な一本の軸がある。


「シルハーンには言うなよ」

「なぜだ?彼にこそ言うべきだろう?」


議論の中で、統括の魔物はそう釘を刺した。

エーダリアが眉を顰めたが、アルテアはどこか投げやりに笑う。

その片目の色彩が曖昧なのは、雪食い鳥の死兵により死の呪いで傷を負ったからだという。


「街の中から林檎を拾い上げるのが面倒で、街ごと更地にするような奴だ。ああ見えて、常識がない」

「いや、最初から普通だと思ったことはなかったが……」

「俺やウィリアムにすら、よくわからない部分がある。何をされようが相手は自己責任だが、あまり広範囲に害を為されると、俺も統括の魔物としての責務があるからな」

「……この前、兄上と飲み比べをしたそうだな」

「まぁな。あの第一王子は気に入った」


第一王子であるヴェンツェルは、幼いころから白持ちの魔物に思い入れがある。

魔物の王との接点を持つことは諦めたようだが、折よく、アルテアという白持ちの魔物がヴェルクレアの統括となり、会う機会を持つことが出来た。

何の話をしているやら、関係者は背筋が寒いところだが、仮面の魔物がリーエンベルクに害を為すことはまずないだろうと、あまり追求しないことにしている。


第一王子付きの代理妖精より、エドラがアルテアに恋をしたようだと一報がもたらされ、頭の痛い問題を抱えたのはつい昨日のことだ。

妖精の情愛は深い。

妖精の種族によっては、恋の終わりと共に儚くなってしまうものもいるくらいなので、仕事に支障をきたさなければ良いのだが。


「ネア様に明確に狙いを定めることが出来るとなれば、ある程度絞り込めますね」

「こっち絡みはシルハーンが掃除した後だからな、人間のご事情だろうよ」

「そうなると、やはりイブメリアの一件か。外部にネアの情報が漏れ出る、尚且つリーエンベルクに干渉出来るともなると、ジュリアンの界隈だろう」


ジュリアンは第四王子である。

ヴェンツェルという突出した継承者がいる王族には珍しく、野心と現実の折り合いが取れない種類の人間が生き延びた、そんな評価を得る王子だった。


「悪運に恵まれた王子か」


アルテアがぽつりと零すのは、第一王子から話を聞いているのか、彼等の領域でも有名な存在なのか。


ジュリアン王子は、決して幸運に恵まれた王子ではない。

それどころか、決め手となるべき場面で、よりにもよってという貧乏くじを引くような男だ。

しかしながら、彼にはそれでも何故か生き延びてしまうという悪運の強さがある。


「度重なる悪事に、度重なる失態。何度も粛清の対象になり、何度も死地を彷徨ったが、なぜかあいつだけはいつも生き残るんだ」


うんざりとした顔でエーダリアが呟く。

白けたような物言いだが、彼にはあえてそう軽く扱わなければならない事情がある。


「その程度の澱みならあえて残しておいた方が、毒が集まり易くて良いのですが……」

「まぁ、清廉潔白にしようとすると、灰色のものが黒に落ち零れるのが世の常だからな」

「あの方はいつも、最悪の事態を引き起こす力はないのですが、ある程度の損害を出すだけの技量はあるのですよ。そのある程度の成果があるからこそ、不満を持つ者達を集めやすいのでしょうが」

「ある程度の結果……?」

「あれは案外、周囲に良い人材が集まるんだ」


例えば、第五王子の生母と乳母を謀殺したのは、第四王子の一派である。

仕組んだ事故そのものは証拠一つ残さず成功させたのだが、よりにもよって大本命であった第五王子は、父王の元を訪れており一緒の馬車に乗っていなかった。

大多数の者達が知り得た情報を、なぜか第四王子一派だけが取り零したのだ。

その上、その一件で第五王子の庇護者となったロクサーヌは、大切な王子を悲しませた罰として、第四王子に“愛を得られない”というかなり悪質な呪いをかけた。

毎度そんなことを繰り返すのが、ジュリアン王子なのである。


そのあらましをざっと説明すれば、アルテアは気の抜けた返事をした。


「イブメリアの一件でも、偶然ウィリアムに見付かっているくらいだしな」

「あの一件で亡くなったのが、常日頃から王子にあらぬ発破をかけていた、彼の姉の公爵夫人です。我々はそれで少し安堵していましたが、思えばあの一件で、ネア様が彼等の視界に入ってしまった可能性が高い」


そう言えば、アルテアはそこで何とも言えない複雑そうな顔をした。


「んー、或いはシルハーンが目に入った可能性もあるな」

「ディノ様に曰くのある者が、第四王子の陣営にいるのですか?」

「代理妖精に、黄昏のシーがいるだろう」

「…………まさか、レーヌと由縁があるのであれば、趣味を疑うところですが」

「あまりにも暇を持て余して、悪趣味さで遊んだことがあったからな」

「あなたの入れ知恵のような気がしますが、気のせいでしょうかね?」

「さて、記憶にないな」


嘯いた魔物に目を細め、黙り込んだエーダリアを静かに窺う。

机に両手を突いたまま深々と溜息を吐き、ガレンの長は苦く笑った。



「レーヌか」

「なんなら、ダリルを差し向けましょうか?」

「いや、こちらでどうにかしよう」


第四王子の代理妖精には、黄昏を司るシーがいる。

あでやかな夕暮れ色の長い髪を結い上げ、黄昏の空の羽を持つ美しい妖精だ。

ゆったりとした声で穏やかに話して笑うので、一見、華美なロクサーヌなどより遥かに温和に見えるが、微笑みの下に隠し持つナイフは随分と汚れている、そんなシーである。

虚栄心が強く、高位の魔物に心酔しているという噂があった。

もしそれが魔物の王であるならば、彼女であればさもあらんと思うところだ。


「レーヌと何かあったのか?」

「あのシーは、エーダリア様が自分よりダリルに興味を示したのが、最大の屈辱なのですよ」

「…………ん?」

「人間の権力というものに興味を持ったようで、代理妖精の地位に意欲を示したのですが、当日のお披露目の会場で、よりにもよってエーダリア様は彼女の隣にいたダリルに一目惚れをし、いたく矜持を傷付けられたようです」

「…………ヒルド」

「エーダリア様は、ダリルのことを絶世の美女だと賛美し、隣りの彼女にはとうとう目を向けることもありませんでしたからね。その結果、彼女は第四王子を唆して、エーダリア様の行く先々に毒を落すのがお気に入りでして」


当時のことを思い出したのか、エーダリアは取り繕った表情を脱ぎ捨て、珍しく憎しみに近いものを目に浮かべる。

レーヌという妖精は決して自分の手を汚さず、獲物の心を削ぐのが非常に上手い女性だった。


「あの女の毒は、それなりに厄介だっただろう?」

「あの女の暗躍で、友人を何人か亡くした。だから、もしレーヌを排除出来る機会があるのなら、是非に自分の手で成したいところだな」

「なかなかに抜け目なく、自分の領域から出てきませんでしたからね」



案の定レーヌは数日間姿を隠し、リーエンベルクが脅かされる気配もなかった。

とある日の午後、ダリルがとんでもない報告をさらりと投げてゆくまでは。


「………今、何と?」

「その夜渡り鹿、あそこまで削り難いって異常だよね。多分あれ、レーヌが噛んでるよ」


リーエンベルクの回廊ですれ違い様に、ダリルは何でもない世間話の体で、その推測を切り出した。

豪奢な緑色のドレスを波打たせ、真っ青な瞳に刃物のような悪意を浮かべて。


「ダリル、それをわかっていて報告を削りましたね?」

「大丈夫、ネアちゃんには傷一つつけられないよ。何しろ、ディノが一緒だからさ」

「…………すぐに、合流します。ダリル、リーエンベルクを」

「過保護だなぁ。それに、今はあの二人の邪魔をしない方がいいと思うよ?昔の困った女なんかが現れた日には、ディノだって神経質になるだろうし」



その言葉に滲んだ色濃い悪意に、ふと思い出した。

ダリルもまた、レーヌの標的になった一人だったのだと。


(………確か、当時の恋人を亡くしていたな)


「復讐ですか?」


そう問いかければ、ダリルは背中を向けたまま小さく笑った。


「いつだって本気で恋をする主義だからね、恋人を傷付けられるのは大嫌いなんだ。レーヌ自身を殺すことも出来るけれど、彼女に一番望ましくない死をもたらしてくれるのは、きっとディノだからさ」



愛するものを奪われるということがどれだけの絶望なのか、そんなことを考えて小さく息を吐いた。

想像出来るようになってしまったことが、ただひたすらに厄介だ。


「…………上手く誤魔化しておきましょう」


「ありがと、ヒルド」


ひらひらと手を振って歩いてゆく後ろ姿を見送ってから、森に向かうことにした。






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