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ウィームの迷い子と塩の魔物


「アルテア、シルハーンはどうしてここにいるんだ?」

「いや、俺に聞くなよ。っていうか、苛々するな。言葉に出てるぞ」

「そして、アルテアもなんでいるんだろう」

「……シルハーン」


どおんという遠い爆音。

空が赤く染まり、硝煙の香りと魔術の断末魔の煌めき。

世界がずしずしと揺れ、見事な椿の木が燃え落ちる。


小さな美しい国が一つ死んでゆくのを、ウィリアムは慣れない悔恨をもって眺めていた。

せめて万象の介入さえ防げれば、この国の大地は死なずに済んだのだろう。


「………で、シルハーンどうしたんですか?」

「ノアベルトのことを思い出していたんだ」

「……そう言えば、ネアは記憶喪失中にノアベルトに会ったそうですね」

「そう。ネアはノアベルトのことを、ノアと呼んでいるよ」

「成る程、ノアベルトの過去の女性達のように、ですか?」


熱気を孕んだ風に長い髪を揺らして、魔物の王は、燃えてゆく命と文化をつまらなそうに見ている。


「嫌っているようで、ネアがあそこまで誰かを自分の思考に入れるのは珍しい。あの子はね、誰かを気に入るとしても、外的要素としてのお気に入りにするばかりなんだけど」


静かな声で語られるのは、不安というよりは単純な困惑に満ちていた。

子供が嘆くように、シルハーンは微かな歪みを持て余している。


なぜ、全てが思うようにいかないのだろう。

なぜ常に安心していられず、なぜ特に意味もないことで心が揺らぐのだろう。


初めて恋や執着に心を動かす時、長く生きた者ほどにその扱いに困惑する。

そのことには覚えがあるので、こうして表情なく世界を眺めているときの空気の味も知っている。


(確か、俺がこうやって過ごしたのは数百年も前か……)



「だから、ウィームが落ちた日のことを考えているんだよ」


「統一戦争ですね。あの時、あなたは南に手を貸した」


「たまたま私が何者なのかも知らず、妻の出産に間に合いたいという理由だけで力を借りようとした愚か者がいてね。それを愉快に思っただけだよ」


「とは言え、ウィームの宰相が落ちなければ、ウィームがあの年に陥落したかどうか。翌年になれば、他の要素が覆ったでしょう」


大屋根の上にしゃがみ込んで、こつこつと杖で瓦を叩きながら、アルテアが笑う。


「噂によればノアベルトが、千年ぶりに王に反旗を翻そうとしていたのだとか。なぁ?ウィリアム」

「確かに、ウィームにノアベルトを入れたのは俺ですが、戦争終結の直後だった。間に合いませんでしたけれどね」

「おや、ノアベルトを哀れに思ったのかい?」

「ノアベルトが望んだのは、愛する者の救出だけでしたよ。彼がウィームの王宮の迷い子に恋をしていたのは、有名な話でしたからね」

「当時のウィームの迷い子は、結局どうなったんだろう?」

「あなたは、そこまでの興味を持つこともなかったんですね。彼女は、……ネリシアという名前だったかな、王宮制圧時に、婚約者であった騎士と、契約の魔物と一緒に亡くなっています」



塩の魔物がウィームの迷い子に恋をしている。


それは、一時期とても有名な話の一つであった。

肝心のノアベルトはのらりくらりと否定したり、大袈裟に公言したりと、決して本心を明らかにすることはなかった。

ただ、ウィームの王都より外れたシュタルトに城を作り、王都に足を踏み入れることなくそこに留まり続け、ウィームの迷い子が婚約した年に彼は国を出た。


その直後にあたる時期に偶然顔を合わせた時に、すっかり酔い潰れた彼の介抱をしたのでよく覚えている。

城を用意して待っていたが、彼女は来なかった。

誰かを選んでしまった以上、もう二度と自分を省みることはないだろう。

確か、そんなようなことを涙ながらに語っていた。

さして仲がいいわけではないが、誰とでも容赦なく距離を詰めてくる男だったので、酔い潰れると終わった恋の話を聞かされるのはいつものことだったし、実際彼は、すぐに新しい恋人を作っていた。



『お願いだ、ウィリアム。ウィームの王宮への道を通してくれ。彼女だけは死なせたくない!!』



あの年は酷い有様だった。

最も栄華を誇った国が幾つも倒れ、ウィームはその中でも悲惨さを極めた土地の一つ。

大きく裾を広げた鳥籠の中をあくせく駆け回り、その途中で人間に擬態していたノアベルトに取り縋られたのだ。


『シルハーンが介入している以上、この戦争はウィームが負ける。ヴェルリアは、リーエンベルクの生き残りを許さないだろう』


聞けば、シルハーンは既に彼の嘆願を切って捨てていたところだった。

王にとってそれは暇潰しの余興の一つであり、ノアベルトの絶望はあの頃の彼には理解出来なかった。

殊更に奪いはしないが、遊びはやめないので勝手にしろと素気無く伝言しただけだったらしい。



そしてノアベルトは、その時、間に合わなかった。



シルハーンの策ではなく、たまたま、彼がウィームの王宮に辿り着けないだけの条件が整い過ぎていたのだ。


まずは、火薬の魔物と火竜による王都の包囲網があったこと。

その外周では死者の行列や災厄が跋扈し、鳥籠が更に厳重に閉ざされていた。

加えて、外敵から身を守る為にウィーム側が立ち上げた防壁も頑強であった。

ウィームは魔術の愛し子であり、数多くのシーや魔物達、そして竜達が必死に戦っていたのだ。



鎮圧されたウィームの王宮前広場で、人々の啜り泣きが響く中、王宮から引き摺り出され並べられた遺体の一つ一つを、ノアベルトが丹念にひっくり返していたのを、暫く隣で見ていたあの日。

仕事で離れてしまった為に、彼が愛する者の遺体を見付けたのかどうかは知らない。

気になって調べたところ、その迷い子の最後の瞬間を知る者が居たらしく、彼女の死に様は一つの美談として後に語られるようになっていた。


婚約者である騎士を殺され、その亡骸と共に侵食の魔術で消滅したのだ。

その最後の魔術を編んだのは、歌乞いでもあった彼女の契約の魔物。

彼もまた、娘のように愛した彼女と共に自らの命を絶っている。



「……あなたが気にかけているのは、ノアベルトの愛した人間と、ネアが立場的に似ているからですか?」

「かも知れないね。ネア曰く、ノアベルトは珍しく辛辣ではなかったようだ。人間嫌いの彼には珍しいだろう?」

「……なんだ、てっきり俺は、ノアベルトに散々言い込められたのかと思ってたが、違うのか?」


アルテアが驚いたように目を瞠る。

塩の魔物の人間嫌いは、更に有名なもので、それはウィームを落とした指導者が、ヴェルリアの人間の王だったからだと言われている。

今でもヴェルリアの人間は、ウィームの商人を通さなければ塩を手に入れられないのは困った話だ。

それこそが、ヴェルクレアの現王が、かつて頭痛の種であったウィームを、統一戦争後に強く弾圧しなかった理由でもある。

塩というものは、多くの命を左右しかねない軽んじる訳にはいかない要素であった。


(現在ではそれこそ、統一戦争時の事情に詳しい高官か、塩の流通に関わる上部の者くらいしか知らないだろう)


あのエーダリアという領主は勿論知っているだろうが、現王はその塩の魔物の呪いを、上手くヴェールに包み込み、ウィーム領のシュタルトを塩の産地として器用に盛り立てた。

最高級の品質と潤沢な生産量を誇る産地から塩を仕入れることは、別段特異なことではない。

そこから仕入れるしかないからなのだとは、もはや誰も思うまい。



「あれだけ倦厭したのは、人生最大の恥辱を知られたからだそうだ」

「何だその最大の恥辱って」

「さあ。私も教えては貰えなかった。口付けられたり、触られたりしたが報復したからもういいそうだ」

「シルハーン、それは勿論詳しく聞いたんですよね?」

「触られた場所は教えてくれなかった。反撃して気絶させたから、本人的には終わったことみたいだ」

「ノアベルトを気絶させた……?」

「いや、それよりもまず、確かに女性と見れば見境のない屑ですが、人間に関しては、触れも触れさせもしない筈ですよね?」

「……ウィリアム、お前ノアベルトのこと結構嫌いだろ」

「根は悪い男ではないんですけれどね」

「嫌いなんだな………」



また遠くで炎が巻き上がる。

今回の戦乱には火竜も出ており、どこかウィームの終焉の日に似ていた。

だからこそ、シルハーンはここに来たのかも知れない。


(そうか、あのノアベルトがネアを気に入ったのだとしたら、シルハーンの憂いも確かに……)


ネアは恐らく、悲劇や終焉の気配を持つ者に弱い。

それは生き物に限らず、美しい花の終わりや、ものや事象の終焉に於いてもそうだ。

それこそが、終焉の子供達の特性でもあり、サラフにもそういう傾向がある。


その、俺達が少なからず察してしまうその弱点に、ノアベルトが符号してしまうのだ。

単純に言い換えれば、あの二人は、場合によってはかなり気が合うのではという懸念がそこに生まれる。


「ウィリアム……?」

「何でしょうね、苛々してきたな」

「お前、相当ノアベルトが嫌いなんだろ。自覚しろよ」

「確かアルテアは、それなりに仲良くやってましたね」

「あいつが人間嫌いで偏屈になるまではだな。妙な地雷がある男なんぞ、面倒で付き合いきれない」

「まぁ、あなたは遊び相手によく人間を選んでいますしね」

「お前の人間博愛主義には反吐が出るが、人間自体は結構気に入っているからな」



ひときわ強い風が吹き、ばさばさとシルハーンの服裾を揺らす。

気象や外部からの影響を遮断する魔術すら敷いておらず、無防備と言ってもいいくらいだ。



「ノアベルトが、私が過去にただれた遊び方をしていたと、ネアに言いつけたそうだ」

「………おっと!……それは、困りましたね」

「と言うか、そもそも、その情報はあいつに響いたのか?」

「しかし、過去を変える訳にもいかないので、自己責任では?」

「やめろウィリアム、面倒臭くなるぞ」


万象の王は大屋根の上に気怠げに座り込み、どこか悄然とした溜息を吐いた。


「健全な付き合いなら構わないが、とばっちりは御免だそうだ。それに、私を恋人にしたいようには愛していないらしい」


「ん?」

「え?」


アルテアがぱっとこちらを見た。

かなり困惑している無言の問いかけにこちらも首を振って、シルハーンの言葉の意味を脳内で再編する。



「シルハーン、もしかして振られたんですか?」

「ちょ、振られたのか?!指輪まで与えておいて?!」

「今は駄目だそうだ。私がネアが居ることに慣れたら、また伝えてくれと」


つかみ所のない情報に、アルテアが帽子を引き剥がし前髪を搔き上げる。


「意味がわからんぞ。恋人としては無しだが、どうしようもなければ付き合ってやるってことか」

「………アルテア、当分私の前に顔を出さないでくれるかな」

「何のとばっちりだよ?!そういう意味に取れるだろ!」

「そうか。振られたので寂しくなったんですね、シルハーン」

「ウィリアム、何でお前は真正面から乗り込むんだ……」

「…………好きだとは言ってくれるよ」

「しかし、恋人のように愛してはいない好意なんですよね。何だろう、家族愛かな?」

「こっちに同意を求めるな」

「いや、家族愛なら見込みがあるんじゃないか?同僚愛とかだと終わりですけど」

「………ウィリアム、最後の一言を何で足した!」



アルテアの視線に促されて見てみれば、シルハーンは大屋根の上ですっかり落ち込んでいた。

初めて見る姿に、少しだけ笑いが溢れてしまう。


「シルハーン、恐らくネアは、終焉の子供特有の価値観の持ち主です。次なる痛手を恐れて永続的なものは無意識に回避しがちですが、取り付けられたものは大事にすると思いますよ?あなたなら、上手く操作出来るでしょうに」



そう言えば、シルハーンは唇の端に不思議な微笑みを浮かべた。


「不思議だね。ウィリアムの言葉の方がより確実なのに、ゼノーシュの言葉の方が的を射ているようだ」

「ゼノーシュですか?元々彼は、頭もいいですし、感情の機微にも繊細ですからね」

「そう言う意味ではなく、同じ岸辺に居る者にしかわからない言葉のというものも、確かにあるのだろう」


(ああ、そうか………違うわけではないのか)


シルハーンをよく知っているからこそ、そうあるべき彼として話をしていたことにようやく気付いた。


彼は今までの万象としての在りようの全てを裏切って、もしネアが彼を選ばないという危険を冒してもなお、彼女の自由意志を知りたいのだ。

何の手練手管も作為もなく、ただの自分が愛されるかどうかを知りたいのか。



「………シルハーン、そのやり方で進めると、俺みたいに相手にもされずに振られることもありますよ?」


「え………」


「俺の場合は、相手の男も気に入ってたので許せましたが、くれぐれもネアが選んだ相手を殺さないようにして下さい。徹底的に捻れますからね」


「ネアが誰かを選ぶなんて、許さないよ」


「であれば、早々に恋愛感情を持たせるべく、あなたも努力して下さい。大体、これだけ一緒にいてあんなに大事にもされてるのに、どうして男としては駄目なんでしょうね」


「ウィリアム……」


万象の王は絶句し、視線を巡らせるとアルテアの姿はなかった。


(逃げたな………)


シルハーンの恋愛相談などいたたまれないのもわかるが、そもそもこの戦乱の手引きをしたのはアルテアだった筈だ。

その因果関係と負担の配分が腑に落ちない。


「シルハーン、俺はネアが気に入っています。どうか、彼女をきちんと捕まえていて下さいね。ノアベルトが手を出しても揺らがないよう、早く固めて下さい」


「ウィリアム、ノアベルトと何かあったのかい?」


「………いえ」



ずっと昔に、恋をした。

限られた儚い命を持つ人間の女性で、彼女は恋をした男と幸せな結婚をした。

想いを告げることはなく、ただ見守る幸福に徹したその恋を、一人の知人が馬鹿だなと笑った。



『馬鹿だなぁ、ウィリアム。あの子の好みと君はさして離れていなかったんだから、あんな男より先に口付けてしまえば良かったのに!君は、いつかあの女の子が死んでから、きっと後悔するよ』



自分の選択を後悔したことはない。

けれども、ノアベルトの一言が落とした影が、また別の可能性を考える時間を与えたことは否めない。


手に入らなかった恋の欠片は、今も鈍い光で時折煌めく。

この一欠片の棘を心に残したノアベルトを、心のどこかで恨んでいるのも確かだった。



あのウィーム陥落の日以降、ノアベルトには会っていない。

もし出会うことがあれば、シュタルトで迷い子を待ち続けていた彼とであれば、同じ言葉で共に思い出を語れるだろうか。

もしかしたらだからこそ、ネアをノアベルトには渡したくないと思うのかも知れない。







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[一言] ウィリアムさんとアルテアさんのやり取りが漫才のようになってて、面白かった。
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