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恋愛禁止令


真夜中の薄闇の中で、ぱちりと目を開いた。

昨晩は迷路の中で徹夜しているので、そのままぱたりと眠り込んでしまった。

朝起きてから隣りに魔物が寝ていることに気付いて、何だかほっこりしたぐらいである。

翌日は通常通り仕事をして、仕事終わりにウィリアムから貰ったスパイスを活かしてお茶を淹れたり、夜は唐揚げパーティになったりした。

結構遅くまでお酒を飲んだりしつつ、寝入りばなはやはりぱたりと落ちたようだ。


(二時間くらいは眠ったのかな………?)


そう言えばどうやって眠ったのだろうと少し不安になる。

部屋に戻って来て歯磨きをしていたあたりまでの記憶はあるが、一度睡眠を挟んでしまったせいか寝台に上がった頃の記憶が曖昧にぼやけていた。

少しぼんやりしたまま手でぱすぱすと寝台を探ったが、今夜は魔物がいないようだ。

巣に戻ったのだろうかと体を起こしたが、巣にも魔物が入っている様子はない。


「………いない」


その途端に目が冴えてしまった。

寝台の上に体を起こしたまま暫く考えてから起き上がろうとして、寝台から足を下す。


「……っ?!」


ふにゃりと何かを踏んだ。

心臓が止まりそうになって竦み上がっていると、寝台から下した足をひんやりとした手に掴まれる。


「眠れないのかい?」

「変なところで寝ないで下さい!踏んでしまって、心臓が止まりそうになりました!!」

「ああ、ごめんね。ちょっと色々まずいと思って下に行ったんだけど、考え事をしている内に眠ってしまったみたいだ」

「…………ディノ、具合が悪いんですか?」

「具合が悪いわけではないよ。ネアは大丈夫かい?」

「私は、ディノが行方不明だと思って目が覚めてしまっただけです。見付けて安心したので、もう大丈夫ですよ」


寝台の下でふわりと微笑む気配がした。

幸せに微笑むのとはまた違う、どこか途方に暮れたような切ない微笑み方だった。


「ネア、迷路の向こう側で怖いことがあったのかい?」

「ディノ、隣りにいってもいいですか?」

「………うん」


返答までに間があったので嫌だったのかなと寝台の下を覗くと、寝台の下に座り込んだ魔物は、絨毯に視線を落としてもじもじしていた。

恥らっているのであれば不快ではないのだろうと、ネアは一安心する。

寝台から下りてひんやりとした絨毯の上に座ると、寝台の側面に寄り掛かるようにしてディノの隣に並ぶ。


「向こう側で、塩の魔物さんに、私は元の居場所と繋がってるから大丈夫だと言われたんです。それなのに、中々帰れなくて悲しくなりました。でも、こちら側では一瞬のことだったので、戻ってきたら不安は払拭されましたよ?」

「どうして私をすぐに呼ばなかったんだい?」

「考えてみて下さい。その時の私は、ディノに出会ってからまだ二日目です」

「…………おいで」


伸ばされたディノの手に、ネアは素直に収まった。

うっとりするような魔物の香りと、じわりと肌に染み入る体温。

涙が滲むような安堵感にくるまれて、ネアは深く息を吐いた。


「ディノは、どうして床に行ってしまったんですか?」

「………………ネアが触るから」

「……………大変申し訳ありませんでした」

「嬉しかったんだけれど、私があまり触るとネアは嫌がるだろう?」

「……私に触られてしまったのが嫌だったんじゃないですか?」

「それは嬉しいだけかな」

「つまり、私に触られて仕返ししたくなってしまったんですか?」

「………うん」

「別に構いませんよ?ディノに触られて嫌なことはありませんし」

「え…………」


なぜか魔物が絶句してしまったので、ネアは首を傾げた。

突然控えめになってしまったのか、或いはまた、手を繋ぐ儀式のように魔物なりのお作法があるのだろうか。


「今だってこんなにくっついているでしょう?もしかして、寝ているときにくっつくのは嫌だといったことを気にしていますか?それは、単純に眠り難いからですので、睡眠の邪魔にさえなければ、特に気にしません」


そもそも、気付かずに寝ている状態であれば、気になっていないということだ。

特殊な方面のご褒美でもない限り、魔物が甘えてくるくらい、特に厳しく取り締まる必要はないと思っている。


「気にしないのかい?」

「起きないのであれば、特に気にならないのだと思います。悪さをされるのは困りますが、普通に触れるくらい大丈夫ですよ」

「…………起きなければ、いいんだね」


奇妙にも、魔物は絶望的に困惑を深めてしまった。

綺麗な目を瞠って考え込んでいる様子はあまりにも無防備で、ネアは少し体を離して頭を撫でてやる。

こうして自分の領域の内に収まっている美しい生き物が、とてつもなく愛おしく思えた。


「でも、私はディノのことを起こしてしまったんですよね、ごめんなさい」


「ネアが寝ていてくっついてくることはあまりないから、少し驚いただけだよ。…………ノアベルトは辛辣な魔物だ。君は彼に傷付けられていないかい?…………或いは、彼と何かあったのかい?」


微かな躊躇の後で、ディノはその名前を出した。

散々ネアが嫌がった後なので、だいぶ悩んでから聞くことにしたのだろう。


「困った人だなとは思いますが、辛辣さはあまり感じませんでした。ただ、あれだけ浮ついていらっしゃる割には、現実的で厳しい言葉を選ぶこともある方ですね。少し人生について考えさせられました」


「では、殺したいと思ったのは、他の理由?」


声に潜んだ淡い鮮烈さのようなものが、微かな緊張感を残す。

ネアとてノアがどんな魔物なのかを知っているので、ディノが心配していることもわかるような気がした。


「かなり節操のない方ですが、そういう意味での被害もありません。……いえ、あるにはありましたが、堅実に報復しているので、きちんと損失を補っています」

「…………ネア、何があったのか詳しく話そうか」

「軽く口付けをされたのと、触られたくらいですね。でも口付けに関しては、私は誕生日の一件で、こちらのお作法ではあまり過敏になってはいけないのだと学びました。触られたことに関しては犯罪の領域ですので、ノアが気絶するくらいの報復は済ませています」

「え、………どうしようかな、ネア」


ネアがきちんとした報告に対して、ディノは頭を抱えてしまった。

小さく呻いたり首を振ったり悩ましくした後に、やや疲れた顔で真っ直ぐに視線を合せてきた。

悩んだ際に乱れてしまった髪を直してやりつつ、ネアは魔物の言葉にしっかりと耳を傾ける。


「ネア、まずは口付けに関しても、あまり油断するのはやめようか」

「お誕生日の後に書庫で調べたところ、親友や家族相当の、祝福や、親愛の情を示す行為だと学びました。そのような好意を向けてくれるのであれば有難いことなので、恥ずかしくはありますが、お相手によってはやぶさかではありません。ただ、ノアはその範疇ではないので、きっちりと爪先を踏み潰してきました!」

「……………うん。でも、あんまりしないでね。それから、どこを触られたんだい?」

「……………女性的に、触った相手を痴漢だと断定しても良い場所です。気絶させたので報復は完了しました」

「………ずるい」

「え、ディノも気絶させて欲しいのですか?」

「そっちじゃないからね」


ディノは慌てて否定したが、もう一つの方となると、であればどうぞと許可するわけにもいかない。

物凄く嫌という相手でもないが、セクシャルな部分だという説明をするのも複雑だ。


「ディノ、痴漢の真似をしてはいけませんよ」

「ご主人様………」

「ノアは男性としては限りなく屑の部類です。あんな風にならないように……」


ここで、ネアはぴたりと押し黙った。

ご主人様が不穏な沈黙を帯びたので、身体を寄せた魔物が不安そうに身じろぐのがわかった。


「………かつてディノが悪い遊びをしていたと、ノアが話していました。具体的にディノの名前は出ていませんが、魔物の王様の話でしたのでディノのことですよね?」

「ネア………!」


あんまりな話題を引っ張り出されて、魔物はとても動揺したようだ。

ひとまず抱き寄せていたご主人様を膝の上に引っ張り上げて勝手に椅子になると、ぎゅっと拘束してくる。

こうなるともう、触ることを躊躇っていたあの流れは何なのだという気もしないではないが、ネアは拘束を図るディノの腕に手をかけて、ご主人様的注意喚起に入る。

黄菊の魔物の件もあるので、ネアとて他人事ではない。


(石鹸を投げつけられるのは、もう二度と御免なので!)


「一緒に居た短い時間の間だけでも、ノアは異性関係のトラブルにさんざん巻き込まれていました。ああいうとばっちりは嫌なので、ディノも気を付けて下さいね」

「………………気を付ける」

「とは言え、」


一瞬だけ言うかどうか、ネアは迷う。

この先に続けるのは多分、ネアのエゴだ。

それでこの特別な魔物を縛ることになるのだとどこかでわかってはいても、どうしても手放せないぎりぎりの一線のようなものが譲れなかった。


「……ノアに、耳に痛いことを言われました。契約の魔物とて欲があり、恋人を持つこともあるだろうと。……なので、健全に恋人を作るのであればお邪魔はしません。でも、時々はご主人様のことも構って下さいね」


今は真夜中で、ディノだってネアがお酒を飲んでいたことを知っているから。

こんな風にあまりない心への触れ方をしている今だけはどうか、少しの弱さを許して欲しい。


(わかってはいるのだ)


ノアは多分、だからこそ一線を引けという意味でこの忠告を与えたのだと。

でもネアは、狡い人間なのでそんなノアの言葉を盾に、繋がりを切らずに済む方法を探したい。


「ネア、」


両脇の下に手を入れられ、子供の様に軽々と体を持ち上げられて、向かい合う位置に座り直された。

ふわりと微笑む気配に視線を上げれば、どこか男性的な色香を濃くしたディノがこちらを見ていた。

それこそあまり生々しい欲を見せない魔物に満足げに微笑まれると、ネアはどうしていいのかわからなくなる。

しょんぼりと眉を下げたネアに、なぜかディノはますます上機嫌になった。


「………ごめんなさい、我儘でしょうか?」

「どうしてそんな風に思うのかな。私は、ネアがいれば充分だよ。前にも言っただろう?」

「しかし、過去のただれたお話を伺うに、やはりディノにも私生活の自由さはあってしかるべきです」

「では、ネアが恋人になってくれればいい」

「…………わたし、ですか?」

「うん。それで君も私も満足出来るよ。そうしようか」

「ええと、………早まらないで下さい。私には鬣もありませんし、鱗もありません。ディノが可哀想です」

「え、………どうしてそこが気になるんだい?」

「ノアの恋人さんはみんな、そんな感じでした。馬の姿の精霊さんはたいそう綺麗な方だと聞いたので、おそらく魔物さんはそういう女性がお好きなのでは?」

「ノアベルトの好みがわからない………」


さすがのディノも、一瞬困惑の目になったが、慌てて気を取り直したようだ。

すぐに会話の続きに戻る。


「私は君がいい。ネアは、私では嫌かい?」


さらりと口付けられ、ネアは途方に暮れる。

ベースが変態で寂しがりやな犬過ぎて、唐突にこんな色めいた空気を出されても、どう対応してやればいいのかわからないのだ。

けれど、困り果てて覗き込んだ水紺の瞳に、思いがけず微かな不安が見えた時、何かを理解したわけでもないのにはっとしてしまった。


ここ数日でダリルやノアから散々聞かされた、魔物の指輪の意味。

ディノの充分に男性として羽を伸ばしていたであろう過去に、自分の抱えてしまった執着の狡さや、大事なものを愛したいという欲求。


(そのぜんぶをまとめて、背負う覚悟が先に出来てしまったのは私の方なのかもしれない)



「私もディノのことが大好きです」

「ネア!」

「なので、甘えないようにします」

「え、………」


歓喜の表情を浮かべかけた魔物が悲しげに目を瞠る姿は、可哀想以外の何物でもなかった。

けれどもネアはあえて穏やかに、動揺を悟らせないように微笑んで続ける。


「ディノは私の大事な魔物なので、だからこそあなたの心を狭めたくありません。ディノがいつも不安になってしまうのは、まだ私と一緒に居ることに慣れないからですよね?だから、色々な経験や時間を積んで、私がどこにも行かないと不安にならなくなって、それでも私で良ければ、その時にまた今の言葉を言って下さい」


「ネア、どうして今では駄目なんだい?」


「私の大事な魔物が、時々あまりにも無防備だからでしょうか。今のままではいつか、きっとあなたは私を責めたくなってしまうでしょうし、私もいつか、あなたの所為だと暴れるかもしれません。それでは私は、あなたを幸せにしてはあげられないでしょう?」


悄然とした魔物は、玩具を取り上げられた子供のようで不憫だった。

先ほど滲ませた色香さえそこに添わせたまま、ディノは少しばかり責めるようにネアを見つめる。

綺麗な生き物からの露骨なおねだりの眼差しに、ついつい何でも明け渡してやりたくなる衝動を何とか堪えた。


「このままでは、私ばかりが狡いと思うのです。なので、ディノも…」


そこで唐突に、ディノはネアの肩をがっしりと掴んだ。

びっくりして目を瞬くと、ディノはやけに深刻な表情をしている。


「もしかして、ネアは私に恋はしていない?」


「はい。大好きで大事な魔物ですし、可愛いとも思います。それにきっと、こんなに特別なディノが本気を出せば、私なんてイチコロでしょう。しかし、……恋というには、少しばかり家族寄りですね」


「家族……」


「はい。恋ともなれば、女性は少し無理をしても自分を魅力的に見せようと頑張ったり、その人の無神経な言動で苛々したりするものです。私はディノにそういうことは思いません」


「ご主人様………」


「時々あっと言わせてやりたくはなりますが、ディノにムグリスの話をされても見返してやろうとは思いませんし、ディノの言動で都度敏感に苛立ったりは………」


「ネア?どうしたんだい?」


「それを考えると、もしや私はアルテアさんに恋をしているのでしょうか?」


「え、やめて」


「しかし、ムグリス発言を見返してやりたくなりますし、結構な頻度で苛々します」


「ネア、駄目だからね」


「もしくは、好意があるのに一緒にいてハラハラするのも恋なのだそうです。……そうなると、今度はヒルドさん………?ディノ、もしかして私はとんでもない浮気者の可能性も…」


「ご主人様、大丈夫だよ。それは恋じゃないから」


「………どうしましょう。これでも分別のある大人の女だと自負してきたのですが、急速に自分がわからなくなりました」


「よし、一度この問題は忘れようか!ネアは私のご主人様だからね。恋愛禁止」


「む。規則があれば道を踏み外さないかもしれませんね。情けないことですが、分別を取り戻すまでそうします。恋などしなくても、こちらの世界はとても楽しいですしね!」


「……何か変な方向に向かった」


珍しくがくりと肩を落としたディノに、ネアはその頭をよしよしと撫でてやる。

ご主人様が恋の亡者かも知れないと知ってしまい、さすがに落ち込んでいるのだろう。

ネアも自分にそんな罪深さがあるとは知らなかったが、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


翌日から魔物は、今まで以上にべたべたと甘えてくるようになった。

ネアの注意が他に向くとすかさずご褒美を求めて荒ぶってくる。

ご主人様が道を踏み外さないように必死なのだと思えば、ネアもついつい可愛くなってしまう。


(そして、……愛玩犬度合いも上がってしまった)



体を擦り寄せてきたり、頭をぐりぐりと擦り付けてきたり。


「………やっぱり、勘違いしてるんだろうなぁ」



ノアの言うような過去を持つ男性が、異性との距離の詰め方がわからないと言うことなどあるまい。

やはり、この魔物はご主人様への愛情と、恋人への愛情への区別がつかないのだろう。

そう思えば、あの告白は貰い事故のようで切なくなった。



それでも時々考える。

もしあの時、頷いていたらどうなったのだろう。



そうしてしまいたいような衝動も、確かに少しだけあったのだ。








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