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人生最悪の日 2

香草畑は、通り雨があったのかしっとりと濡れていた。

香草のいい香りが立ち、雨のお蔭で夜は冴え渡り、何とも素晴らしい。


「巨人の酒を飲むと、雨が降るんだ」

「不思議なお酒なのですね。みんなが飲めば、大変なことになりそうです」


見上げた夜空は晴れており、満天の星が言葉通り降ってくるかのようにまたたいている。


「そんなに多く流通しないから大丈夫だよ。ただ、川の上流域では、毎日雨が降り感傷の街と呼ばれているグローヴァーの生産地がある」

「行かれたことはありますか?」

「恋が終わるとね。僕だって人並みに傷付くんだ………ネイ、顔」

「申し訳ありません。つい本音が顔に出てしまいました」



陽が落ちる前から吹いていた風が、ざあっと香草畑を揺らした。

食用のハーブの香りも好きなのだが、やはりここはリズモが好むというラベンダーの畑に戻って来た。


「いい匂いですね。これだけで少し幸せになります」

「わかる。この満月にラベンダーの香りで、リズモが集まるのもね」

「酔っ払いさんは転ばないようにして下さいね」

「で、どうやって祝福を得るんだい?」

「捕まえてから、解放と引き換えに祝福して貰いましょう」

「わーお、悪い人間だな!」

「狩りですのでやむを得ませんね」


また夜風が、ラベンダーの茂みを揺らした。

その中をぽわぽわした生き物が過ぎったので、ネアは背後の魔物を引き剥がして置き去りにし、駆け寄って鷲掴みにする。


「捕まえました!」

「ネイ、素手で捕まえられるの?!」

「こやつはリズモですか?」

「………うん。まさか本当に捕まえるとは思ってなかった」

「じゃあ、何で畑まで来たのですか?」

「いい雰囲気になるかなと思って」

「消え失せ給え」


ぷいっとそっぽを向かれて、ノアは慌ててネアに取り縋った。


「ごめん、ごめん。ほら、僕が祝福を取り付けてあげるよ」

「怖がらせるのは構いませんが、酷いことはしないで下さいね。祝福以外は用無しですので、すぐに解放してあげるのです」

「何でかな、君の言葉の方が酷いような気がする」


ノアは、手際よく祝福を取り付けてくれた。

と言うより、ノアの握り方がなっていないので潰さないように手を添えただけで、リズモはネアに救いを求めてミーミー鳴いた。

やはり高位の魔物は怖いのだろう。

代わりに持つと祝福をぽいっと投げてくれたので、万事解決である。

すぐに解放してやった。


「ふ。人徳ですね……」

「おかしいな。最初に鷲掴みにして捕まえたの、君だよね」

「見る目のある妖精です」

「それに、どうやって手掴みに出来たんだろう。その指輪、どれだけ厚く守護かけてるのさ」

「この指輪のお陰なのですか?」

「指輪がなければ触れないんじゃないかな。……って、ネイ?!」


早速次の獲物を見つけたネアは、またしても駆け出してゆき、先程よりも大きめの塊を捕まえた。


「………む」


しかし、手の中でギィギィ怒っているのは、ぽわぽわの毛玉ではなく、丸い木の実のような生き物だ。


「ネイ、それは畑の賢者だよ。魔物だから離そうか!」

「食べられますか?」

「何てこと言うんだ、ほら逃げて!!」

「え……?」


木の実の魔物は、不意にネアの手の中でぱちんと弾けた。

つい取り落としてしまったが、愚かにも突進してきたのでブーツで踏みつける。


「………滅びました」

「えー?!何で畑の賢者に勝つわけ?!ネイ、何したの?!」


怒りに我を失って無謀な抵抗をした魔物は、ネアに呆気なく踏み潰された。

と言うより、ブーツの底が当たった瞬間にぱりんと割れて砕けたのだ。

これは殺意ではなく、正当防衛による事故であるので致し方ない。


「さてと。不本意ですが、こやつはもう仕方ないので、リズモ探しに戻りますね!」

「そのブーツ、何製なんだろう……」


ネアとしては、置いてあったブーツを履いてきただけなので、特殊オプションがあるようには思えない。

履き心地が良く足に馴染み、靴紐が淡くきらきらしていてとても綺麗なブーツだ。




結果ネアは、五匹のリズモを捕まえた。

ノア曰く、財運が二匹で良縁が三匹と、かなり良い収穫のようだ。


「前言撤回する。君は一人でも充分に安全だ」


すっかり呆然としてしまったノアが、そうお墨付きをくれた。


「しかしながら、お迎えがまだ来ませんね。自力で戻るとなると、路銀を稼がねばなりません。妖精って売れるでしょうか?」

「ネイの場合充分にそれで稼げそうだけど、狩りで自活するくらいなら、そのケープの宝石を売ったら?」


そう言われて、真っ白なケープを表面を指先で撫でた。

妖精狩りの間も、しゃがむ際には汚さないように片手で裾を押さえていたりと、大事に扱っている。


(………アーヘムさんの刺繍)


この美しいものを損ないたくない。

そう思う以上に心が動いて、ネアは少しだけ驚いた。

これはきっと、とても大切なものだったのだろう。


「直感ですが、大事なものの筈なのでこのケープは駄目です」

「それを着てると触り辛いのになぁ」

「成る程、あなたの前では絶対に脱ぎません!」

「さっきの店では脱いでくれたのに。カテリーナさえ来なかったら…」

「カテリーナさんには感謝しかありません」


さあっと音を立てて雨が降り出した。

慌てて空を見上げたが、満月も明るく夜空は晴れている。


「……お天気雨」

「わーお、誰かがグローヴァーを飲んでるな。こりゃ本降りになるぞ」


呑気にそう笑ったノアだったが、数秒後には初めて見る仏頂面になった。


「……どれだけ飲んでいるのでしょう」

「良質な酒の飲み方もわからない、愚か者がいるな」


情感のある程度の霧雨が、次の瞬間には集中豪雨のようになったのだ。

すぐさまノアが不可視の屋根のようなものを展開してくれたが、二人ともずぶ濡れになることは免れられなかった。


「このケープは凄いです。綺麗に雨を弾きましたよ。汚さなくて良かったです」

「ネイ、それはフードを被っていてこそ、意味のある言葉だったね」

「被害が少なくなっただけでも充分ですよ。靴の中もびちゃびちゃしてませんし、ブーツも防水みたいですね」

「何で僕より女の子の方が、まだ元気なのかな……」


確かに白いケープは雨を弾いてくれた。

だがそれは、あくまでもケープを羽織っている部分だけだ。

フードを外していたので、ネアの髪の毛は重たく濡れてしまっている。

男前に絞り上げたものの、乾くまでには少し時間がかかりそうだ。

普通に全身濡れた筈のノアより、女性である分、ネアの方が被害が大きく見える。


「まずは乾かそう。雨は止む気配もないし、どこかに入った方がいいね」

「普通にお店でなければ、どこぞの軒下で結構です」

「警戒する方向は、とりあえず体調に向けようか。とりあえず今は冬だからさ」

「世界の反対側のくせに、なぜこの国も冬なのでしょう。解せぬ」

「あ、怒りの矛先はそう向かうんだ……」


警戒心丸出しのネアをノアが避難させたのは、香草畑の一角にある、石鹸のいい香りのする一軒のお店だった。

少し歪な石造りの一軒家で、家壁は見事な蔓薔薇で覆われている。

こぢんまりとした庭は丁寧に手入れされており、店内も丁寧に掃き清められているので、そんな綺麗な床に雨の雫を落とすのは、何だか申し訳ないような気がした。


「営業時間外に入って大丈夫なのでしょうか?」

「店主兼家主が知り合いなんだ。今はここに間借りしていてね」

「………意外です。ノアさんでも、誰かと共同生活が出来るのですね」

「ネイの僕の評価どうなってるわけ?」


くるりと見回したが、店舗の明かりは落ちている。

ノアが手をかざして、室内の照明に魔術の火を入れてくれた。


「タオルを貰ってくるから、適当に見ていて」

「ご迷惑をおかけしてごめんなさいとお伝え下さい」

「はいはい」


ぱたぱたとノアが店舗の奥に消えてゆき、ネアは閉店後の店内に一人で残された。

どうやら、ハーブなどの石鹸を量り売りする店のようだ。

葡萄酒の香りの石鹸があまりにいい香りなので、ネアはその棚に近付き深呼吸してしまう。


(お金があれば買って帰るのに)


ふと、それを誰かと共有したいと考えて、自分の思考回路の一端に、記憶から溢れ落ちた他者がいることに驚いた。


もしかしたらそれが、ネアが雪食い鳥に引き剥がされた記憶が成した、幸福なのかもしれない。

記憶があれば、それがどんな幸福なのかわかったのだろうか。


(………と言うより、こんなところに一人で居なかったかな)


まだ迎えとやらは来ない。

あの、部屋の扉を開けるまでの心のざわつきを思い出して、またそこに蓋をする。

どうしてまだ迎えは来ないのか、あの後に一体何が起こったのか、そもそもどうして自分はこんな風に迷子になったのか。


(パーシュの小径のことは覚えているから……)


魔術的な迷い道から、アルテアの領域に迷い込んだことは覚えている。

アルビクロムの屋敷の扉から、アルテアの領域に迷い込んだことも。

今回もその手のものだろうと考えていたけれど、誰かに繋がったと言うよりは、どこかに放り出されたと言うのが正しいようだ。



「…………それか、これも全部、私の見ている夢だったりして」



ぽつりと呟いた声は、妙にしんみりとしていた。

手をかざして、綺麗な乳白色の指輪を眺める。

これがお守りだと言う割には、ネアを置いてさっさと部屋を出て行ったまま、ディノはここに迎えにきてくれる気配もない。

ノアが言う繋がっているというのは、この指輪のことではないのだろうか。



記憶を無くしたせいで、目を覚ましたら眩いばかりの宝物に囲まれていた気分だった。

あまりの豪華さに煩わしさ半分、嬉しくないと言えば嘘になる。

心配してくれる人達が居て、自分にすっかり懐いた美しい魔物がいて。


(よくわからないままに期待するから、こんな風に落ち込むんだわ)


だからきっとノアのような、

まさか彼のようなものに出会ってしまうのだ。


(まるで、夜明け前に見る怖い夢みたいに)


心が弱くなっているときに、良くないものに魅入られたのではないだろうか。

だから、よく似たものを引き寄せてしまったのだとしたら。



「ネイ、考え事かい?ほらタオル」


ばさりと、頭の上にふかふかのタオルを乗せられた。

わしわしと拭かれて、何だか子供に戻ったような気持ちになる。

タオルはお日様の香りとバーベナの匂いがした。


「素敵なタオルですね。丁寧に洗って香りづけをして、持ち主の方の人柄がわかるようです」

「ん?そう?ネイはよく気が付くね」

「手間がかかっているので、気付けて嬉しいです。きちんと感謝して使わせて貰いますね」


新品のタオルではないからこそ、丁寧に洗濯されているのが気持ちよかった。

ノアの手をばしりとはたき落とし、自分で髪を拭きながら小さく安堵の息を吐く。


「また感傷かな。僕に話してご覧。それと、一口でもいいからこれを飲んでおくこと。お酒も入っているけど、ホットミルクでは酔わないよね」

「全部お酒でも、ひと口では酔わないと思います」


ノアが持ってきてくれたのは、白いマグカップに入ったホットミルクだった。

雨に濡れたので体を温めるようにと気を遣ってくれたらしい。

このあたり、女性に人気があるのも頷ける。


しかしながら、このシチュエーションで飲み物をいただくのは、いささか抵抗がなくもない。


「安心して飲んでいいよ。僕はとびきり高位の魔物だから、君に悪さをするにしても、こんな小細工は必要ない」

「……む。確かにそうですね。いただきます」

「………ネイ、そこは、疑ってなんかなかったって嘘でも言ってくれる場面だよ?」

「申し訳ありません。全力で疑ってしまいました」

「懐かないなぁ……」


ふーふーと息を吹きかけ、頭にタオルを乗せたままホットミルクを一口飲む。

じわりと温かさが胃にしみて、仄かな甘さとお酒の風味にほっとする。

宝石でタオルの繊維を引っ掛けたくないのでケープを脱ぎたいが、今は危ないので我慢するしかない。


「で、何を悩んでたんだい?」

「………私は、近頃呪われているのかもしれません」

「わぁ、物凄い悩み方してるね。どうして?」

「最近、昔好きだった方に雰囲気が似ている人に会いました。その方は女性でしたが、……何というか、したたかなようで諦観に満ちた無防備さが、とても良く似ていたのです」

「うん。造作は似ていなくても、誰かを思わせる顔や心の表情ってあるね」


窓を叩く雨の音がする。

雪のない土地で雨の音を聞くと、やはりあの日々を思い出すのは確かだ。


「なので、私は今、絶賛感傷的になっていたところでした。そんな折に記憶喪失になり、そのせいで今の居場所にうまく馴染みきれないまま悩んだせいで、またちょっぴり感傷的になり、挙げ句の果てにあなたに出会う始末。もしかして、過去の怨念か何かに呪われているのでしょうか」

「あれ、文末がおかしいな。一気にわからなくなった」


同じような白いマグカップを持ったノアが、遠い目をした。


「よくお伽話の悪役で、亡くなった筈の知り合いにそっくりの姿をした悪い怪物が出てきます。あなたは、そんな感じなのです」

「ネイ、僕にかなり酷いこと言っているって意識を持とうか!………でもその男が僕に似てるってことなのかな?」

「一概に似ていると言うには、あなたの方が抜群に綺麗です。でも、あなたと彼は、何というか輪郭がとても良く似ているんです」


ネアの表現に、ノアが首を傾げる。

不似合な無防備さのようで身に馴染んでいるので、ある程度使い古したものなのだろう。


「輪郭?」

「大まかな顔の造作や、背格好に髪型。服装の感じに、髪や目の色彩の系統。因みに、性格と言動はこれっぽっちも似ていません。その結果、何とも言えない複雑な気持ちになるのです」


以前にも、アルテアの服装に郷愁を覚えたことがあった。

しかし、ウィームの服飾文化は貴族寄りのものが多いので、男性の服装も少しふわりとする。

似たようなシルエットの者がいなかったせいで、既視感を抱いただけだった。

なので、ラッカムの表情やノアの容姿など、もう少し深く抉ってくるものがあると、さすがにはっとしてしまう。


(雰囲気が似ている人ならともかく、姿形が似ているのはさすがに………)


「私は今、悩み過ぎたせいで、ジークの劣化版が出てくる悪い夢を見ているのではないでしょうか。時々、こういうよくわからない夢を見たりしますよね」

「ネイ、ここは、昔好きだった人に似てるって気持ちが盛り上がるところじゃないのかな?」


ぱしぱしとおでこを指先で軽く叩かれて、ネアはがっかりした。


「………夢ではないご様子」

「そう、夢じゃないからさ、さり気なく僕を傷付けるのは反対」

「おのれ。あまりにものタイミングなので、夢オチかと思ったのですが、これが夢ではないのなら、さすがにそろそろ帰りたいです……」

「可哀想に、色々あって疲れたんだね。僕が傍にいてあげるから安心していいよ」

「パテも食べてリズモ狩りも終えて、この土地にもはや用はありません」

「ネイ……。僕は割と繊細なんだけどな」


小さく苦笑交じりの溜息を吐いてから、ノアはマグカップを置いて立ち上がった。

コートを脱いできているので、白いシャツに黒いズボンだけのシンプルな服装だ。

男性らしいしなやかな筋肉のついた体のラインが、見ていると優美な獣のようにも思える。

どれだけしょうもなく気安く思えても、やはり魔物としてのその立ち振る舞いは美しい。


「でもいいなぁ、君の心には彩りがある。僕も早く、新しい恋人を探さないと」

「もう亡くなった方の思い出を引っ張り出してきているだけですよ。寧ろ、何だか情けないと思うのですが」

「僕はそうは思わないな。今も心が動くなら、それは死ごときで断ち切られない深い思いだったんだろう。そういう出会いがあるというのは、悪くないものだと思うけど」


(ああ、そうだ。だから私は、ジークを殺してしまったことを忘れたくはなかった)


皮肉っぽい微笑み方に、厭世的な眼差し。

たゆたう煙草の煙と、苦みのある檸檬の香り。

触れることさえ叶わずとも心の深くに根を下ろした思いだったからこそ、ネアはその感情を雑に扱ったりはしなかった。

ひっそりと沈めて、恋だったのだと自覚したその日からずっと、胸の奥に居座らせ続けた。

彼より大切なものなど幾らでもあるけれど、彼のように恋をした人は誰もいなかったから。


だから、それを肯定してくれるようなノアの言葉は、妙に嬉しかった。



「君だって女の子なんだから、心が動くくらい気にしなくていいのに」

「私は多分、何か新しいものを彼よりも大事にしようとしていた気がするのです。それなのに、記憶をなくしたりした所為で、もう一度過去に縋ってしまったとしたら、そんな自分にがっかりしたのかもしれません」

「君は潔癖なのかもね。まず最初に君をがっかりさせたのは、今傍にいる誰かだったんじゃないのかい?」

「過去は過去としてしまっておきたいのは、私自身の問題なんです」

「じゃあ、昔の恋人に似てる僕に、心が揺れたりはしない?」

「それはないですね。寧ろ、逆に嫌です」

「………なーんだ」


小さく笑ったノアは、ふっと瞬きをした。


「………え?」


次の瞬間、そこに居るのはジークに良く似た男性ではなかった。

持っている色彩や造形、髪型などは何も変わっていないのに、もはやジークに似ているという印象はまるでなくなってしまっている。

ただの、美貌の魔物がいるだけだ。


ぽかんとしているネアに悪戯っぽく笑ってみせ、ノアは理由を説明してくれた。


「言っただろう、ここは感傷の強い土地だって。あのラベンダー畑はね、出会う者達に、心を残している相手の姿を重ね合わせて見せるんだよ。それを知っているから、地元の住人達は魔術で目を守護してから訪れる。君が初めて僕を見た瞬間の表情で、僕は誰かに似て見えるのだろうなって思ったけど、あえて解いてあげなかったんだ。だって、そういう出会いがあってもいいだろう?」


ネアはその説明を最後まで聞き終えて、悲しげな表情のまま眉を顰めた。


「私は怒ってもいいのでしょうか?」


そう言ってブーツを踏み鳴らせば、さっと足の届かない範囲に逃げていった。

女性の攻撃から逃げ慣れている感じが大変に遺憾である。


「だって、恋人と別れた瞬間に、君が突然現れたんだよ。運命だと思ってもいいと思わないかい?」

「まっとうな男性は、その時系列で運命は感じません」

「精一杯恋をした後だ。ご褒美があってもいいと思うんだよね」


胡乱気な表情になったネアに、ノアは唇の端を持ち上げて微笑みを深める。

親密さとはまた違う話しやすさがあるので、普段あまり話さないようなことまで話していても不快感はない。

どこかの部分で、価値観やリズムが合うということなのだろう。


「念の為に伺いますが、ソフィさんとはどれくらい一緒に居たのですか?」

「ソフィとは、二か月くらいかな」

「一番長くお付き合いされた方は、どれくらいですか?」

「リシルとは半年くらい。結構長く一緒に居たよ」

「まずは恋愛の持久力を養いましょうか。それから、あらためて運命の恋を探して下さい」

「えー」

「可愛い顔をしようとしても駄目です」



びしりと叱ると、ノアは何やら難しい顔をして考え込んでしまった。

その隙にホットミルクを飲み進め、髪の毛をきちんと拭いて一息ついたネアは、視覚的効果を教えてくれなかった慰謝料代わりに、この葡萄酒の石鹸を一つ強請れないだろうかと悪巧みする。


「わかった!」


突然、ノアが嬉しそうに声を上げる。

満面の笑顔の彼を見て、ネアはなぜかとてつもなく嫌な予感がした。



「何がでしょう……?あまり聞きたくないんですが」


「どうやら僕は、君に恋をしたみたいだ」


そう笑顔で宣言して気障っぽく人差し指を立てたノアに、ネアが手に持っていたバスタオルが、ぼさりと床に落ちる。



「…………え、やめていただきたい」



どうやら、一番面倒な展開になったようだ。





続きます…

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