人生最悪の日 1
今回は1話が少し長いです…。
風が渡りきると、ネアは自分が広いラベンダー畑の真ん中に立ち尽くしていることに気付いた。
嫌な予感に振り返ってみても、やはり広大なラベンダー畑が広がるばかりだ。
どうやら、異世界的な仕組みによる迷子になったらしい。
わかりやすく四方を見回していると、先程見かけた男性がこちらに歩み寄ってくるのがわかった。
とても美しい人だが、人外者の美醜は階位に付随する要素だということは覚えていたので、ネアは体を強張らせる。
何か特徴としての差異があるわけではないが、これは間違いなく人間ではあるまい。
薄曇りと、雲の隙間から覗く青空から差し零れる陽光。
雲の影がラベンダー畑に落ち、あっという間に流れてゆく。
「ありゃ、妖精が派生したのかと思ったら人間か。迷い子かなぁ」
不思議な声だった。
美しい男性のふくよかな声なのだが、低く甘い割には少年めいた透明感があって、声だけ聴いても年齢が推し量れない。
(それに、髪の毛は銀髪じゃない。白だ……)
最初は銀髪に見えた短い髪は、純白に淡い灰色や水色が散らばるせいで、青みがかった銀髪に見えていたようだ。
白となると注視するべき問題点が大きくなるので、ネアは呆然とした表情のまま、微かに眉を顰めた。
魔物にしろ妖精にしろ、これはとても高位の生き物であるに違いない。
「安心していいよ。可愛らしい御嬢さんに、悪さはしないからね」
「あの、突然こちらに放り込まれた私が気になるのはもっともですが、お話していた方は宜しいのでしょうか?」
ネアが思わずそう尋ねてしまったのは、先程まで彼が立っていた場所で泣き崩れている一人の女性だった。
背中に羽があり、妖精なのだと思う。
顔は覆ってしまっているが綺麗な女性なのだろう。
淡い緑色のドレスが汚れるのも構わずに、地面に膝を突いて泣きじゃくっている。
「ああ、ソフィのことなら気にしなくていいよ。憂いの多い命を絶つことに決めたのだそうだ。僕は止める程野暮ではないからね」
「お知り合いであれば、止めるべき場面なのでは?」
「残念ながら、好きにしてくれて構わないとしか言えないな」
「何だか、あの方が泣いているのは、あなたの所為だという気がしてきました」
「そうかもしれないなぁ。何しろ僕には心臓がないから」
不穏な単語が飛び出し、ネアはまじまじとその男性を眺める。
青紫の瞳は透明度が高く美しい。
ジゼルやラファエルの紫の瞳とは違う、悲しげで鮮やかな色が目を奪う。
短い髪はきっちりオールバックに撫でつけられ、漆黒のコートが良く似合っていた。
コートはカシミヤのような艶のある厚手のもので、トレンチのようなデザインになっている。
はらりと一筋額に落ちた前髪が扇情的だ。
(どちらかと言えば、アルテアさんやウィリアムさんのように人間的な感情が窺える美貌ではなくて、ディノやヒルドさんみたいに硬質な美貌寄りだわ……)
怜悧な美貌だが、どこか楽しそうにこちらを見ているので、冷たい感じはしなかった。
アルテアと出会った時に感じる微笑みの中の悪意や色香も感じず、身の危険を感じるような気配はない。
しかし、その陰りのなさが逆に異様だった。
「失礼ながら、心臓がない方にしては元気そうですね」
「う~ん、心臓が無くても生活にさして支障はないね。一階位落としたけれど、その方が身軽で都合がいいし」
「支障がないのであれば、幸いですと言うべきなのでしょうか」
「嫌そうだねぇ。気味が悪い?」
「なくなっても支障がないとなると、あなたの心臓とは、そもそも何のためにあったのだろうと、他人事ながらに物悲しくなりまして」
その返答は意外だったのだろう、男性は綺麗な矢車草色の瞳を瞠ってぽかんとしてから、声を上げて楽しそうに笑った。
「いいね、いいね。そういう考え方する子は面白いよ。君、何ていう名前なの?」
「…………見ず知らずの方に名乗ってはいけないと、職場の方に言われたばかりなのですが」
「でも、ほら、もう知り合いだ」
「申し訳ありませんが、通りすがりの他人です」
その時、風に交じって小さな嗚咽が聞こえてきた。
あんな様子のそのさなかに、相手に通りすがりの者と雑談されれば、それはしんどいだろう。
(それに、命を絶とうとしていたって)
「私は失礼するので、あちらに戻ってあげて下さい」
「それ僕の問題だから、君には関係ないことだよね」
「ではその流れで、関係のない私は失礼させていただきますね」
「どうして?君は迷い子だろう?一人でこんなところにいたら危ないよ。人間を食べる異形がうじゃうじゃいるし」
「人っ子一人いないこの広大な畑で、そやつらは何をしているんでしょう?」
「あれ、信じてないね。その辺をうろうろしている筈だから、呼び寄せてあげようか」
「その場合、私はあなたを撃退した方がいいのでしょうか」
呆気に取られたように一度動きを止めて、彼はさも嬉しそうに微笑みを深めた。
怜悧な美貌で子供のように笑うので、つい、ネアも目を瞠ってしまう。
「出来る?やってご覧」
完全に馬鹿にした挑発を受け、ぎりっと眉を顰めたネアは、純白のケープの裾を片手に取り纏めると、身体を捻ってそれをばしりと相手に叩きつけた。
「……………ぐっ」
両手を広げてハグを求めるような軽薄なポーズを取っていた男性が、左大腿骨付近を押さえてがくりと地面に膝をつく。
急に尻尾を踏まれた猫のように涙目で呆然としているので、ネアは冷やかに上から見下ろした。
「では、ごきげんよう」
確実に面倒臭い人種なので、早々に立ち去ろうとしたネアは、ケープの裾をがっしりと掴まれた。
最悪の場合ブーツで踏もうと思って振り返ると、彼はまだ痛そうに太腿をさすりつつ立ち上がり、ほわりと嬉しそうに笑った。
「ねぇ、お腹空かない?美味しいパテのお店に行くんだけれど、一緒に行かない?」
「……………パテ」
一瞬確実に心を動かされてしまってから、ネアは慌てて首を振った。
「良く考えたら、財布一つ持たずに迷子中です。呑気に食事をしている余裕はありません」
「でもさ、君、端っこが繋がってるよ。それを手繰り寄せて、すぐに誰かが迎えに来ると思うな」
「端っことは、……何でしょう?ケープの裾でも引っかかっていますか?」
「存在的なものだね。繋がってるから安心。お金のことは気にしなくていいから、食事に行こう」
「いや、その前にあちらのお嬢さんを………あれ、いない……」
先程までソフィという女性が泣いていた場所には、もう人影はなかった。
呆れて立ち去ってしまったのだろうか。
そうであれば、自分の出現にも意味があったということだ。
「君の気掛かりも去ったし、美味しいパテに興味はない?この辺りは香草の産地だから、美味しいお店が多いんだ」
「通りすがりの人に奢ってもらうと、何だか後で手痛い目に遭いそうなのですが」
「何でさ!この世界は一瞬の出会いに満ちてるんだよ、甘い蜜だけ吸わなきゃ損だよ」
「む。そこは意見が一致しますね。パテだけ奢って貰って、お支払いの後にポイっとしていいのなら、やぶさかではありません。どちらにせよ、迎えが来ないと帰れませんし」
「よーし、ガルゾの店だ!」
そうしてはしゃぐ魔物に連れて行かれたのは、ラベンダー畑を突っ切ったところにある、小さな村だった。
生活の為の村と言うよりは、香草の産地であるこの土地に訪れる、外客の為に作られた商店やレストランの集まりだ。
住人達の為の生活区画は、もっと山間にあるのだとか。
「あなたは有名なのですね」
店に入ってからネアがそう言ったのは、たまたま買付けに来ていたらしい女性達が、彼を見付けて歓声をあげていたからだ。
知り合いというよりも、人気者に出会ったという感じだったので不思議になる。
「需要の多いものを司っているし、僕を好きでいてくれるみんなのことは大好きだからね」
店はテーブルごとに仕切りがあり、簡易の個室のようで寛ぎやすい。
薄暗い店内は、砂岩の壁に岩塩のランプの影が揺れる。
ふんだんに香草を使ったフレッシュリースの爽やかな香りには、心を落ち着かせる効果があった。
「で、君は何か悲しいことがあったの?」
「なぜですか?」
「あのラベンダー畑はね、巨人達が管理しているんだ。巨人の居住地程ではないけれど、感傷の地とも言われていて、毎日のように雨が降る。感傷に囚われたものが道に迷うと、よくあそこに落ちてくるんだよ」
彼の言葉にふと、聞き覚えがあるような気がしたが思い出せなかった。
「感傷の一つもあるかもしれません。何しろ記憶喪失中なので、落ち込む要素は多々ありますし」
「わぉ、記憶喪失なんて劇的で面白いね!でも、記憶を無くしたことは悲しくなさそうだ」
そこでネアは、ざっくりと要所は省き、忘れてしまったのは最近出会った大切な人達だけなのだと説明した。
「………率直に言えば、忘れてしまったものを惜しむのは難しいです。私は元々一人暮らしでしたので、孤独感を覚えるのも難しいですし。ただ、今の私には見知らぬ素敵なものを、たくさん見せられました」
「素敵なのに悲しいの?我儘だなぁ」
コートを脱いだ魔物は、シンプルな白いシャツ姿だった。
抜群に素材が良さそうで縫製も素晴らしいのだろうが、特に装飾等はない。
彼の美貌には甘さがないので、このくらいに削ぎ落とされた服装の方が良く似合う。
逆に装飾的なものを好むアルテアや、制服系統のものを愛用しているウィリアムといい、魔物は己に似合うものがよくわかっているようだ。
救いようがないファッションセンスの魔物など、いないのだろうか。
「素敵なものですから、強欲な人間は過剰な期待をしてしまうんです。なので、それが思ってたより優しくなかったとき、何だか貰い事故に遭ったような気がしてもやもやしました」
「……君は何だか面白いな。調整が取れていないのに、とてもすっきりとしている」
「褒められたというより、けなされた文法ですね」
「どこか他人事で執着がないくせに、無垢なところもあるんだ。どう育てばそうなるんだろうね。あ、これ美味しいよ」
のっけからかなり重たい会話をしながら、彼はメニューにあるとあるお酒を指差した。
「巨人のお酒?でも強いという印がついてますよ。泥酔されてお会計を疎かにされたら嫌です」
「もしかして君、お酒強いの?」
「ええ。ただ、翌朝疲れるので沢山飲むこともしませんよ。あ、この鴨とフォアグラのパテは必須です!」
「白レバーと香草のもね。あとは、香草のサラダも土地の名物だし、葡萄のピザも食べてみるといい。ガルゾ!僕にはグローヴァーね。君は何飲む?」
「白葡萄のジュースを」
「えー、お酒じゃない」
「せっかく美味しそうなものを食べるのですから、味の好みに邁進させて下さい」
ネアがそう窘めると、オーダーを取りに来た熊のような店主もその主義に強く同意したので、魔物は黙るしかなかった。
しかし次の瞬間にはからりと笑っているので、初対面の割には話しやすい男だ。
「で、何て呼べばいい、お嬢さん?」
「適度な通り名で呼んで下さい」
警戒してそう言えば、彼はまた声を上げて笑った。
きらりと光った瞳に、初めて微かな老獪さと酷薄さか浮かぶ。
「それは駄目だよ。高位の魔物に名付けられると、魂を一部持っていかれるから。ほら、取られたくなかったら自分で考えて」
「では、ネイで」
ネアハーレイの、最初と最後の文字を引っこ抜き、尚且つ反応し易い名前にした。
学生時代に愛称でレイと呼ばれたこともあるが、名前のままの響きを使うのも警戒してしまった。
「では、ネイ。僕はノアって呼んでね。今夜は君の保護者代わりだ」
「まだ明るいのに、もう七時になるんですね。そして保護者代わりは結構です」
「この国は太陽の系譜が強いから、夜遅くまで遊べるんだよ。それと、君みたいな物知らずのお嬢さんが、無駄に意地を張らないこと」
「いえ、明らかに高位の魔物さんに頼る程に自暴自棄ではないだけです」
「中途半端な知識で自衛する子は、可愛くないぞ?」
「可愛く言ってみても響きませんよ。では、本音を言いますね。ちょっと苛々してきました!」
「あはは、ほらこれ食べなよ。怒らないで楽しい話しよう。今、恋人はいる?」
ノアが差し出したのがお通しのチーズだったので、ネアは素直に受け取ってむしゃむしゃ食べ始めた。
契約の魔物の素っ気ない態度にもやもやしていたので、美味しいものには癒される。
「恋人はいない筈です」
「その指輪は?見える程ってことはさ、もう何度も更新してるんだと思うよ」
確かにネアの指には、乳白色の魔物の指輪がある。
ノアが高位の魔物なら、気付かずにいる筈もなかった。
「私も言われて気になったのですが、そういう意味で貰ったものではないようでした」
「へえ、ではその魔物は、愚かなのか、憐れなのかどちらかなのかな」
「どちらかと言えば、手のかかる大型犬ですね」
「何それ、変なの。でも君は、野生の夜渡り鹿みたいだ」
一品目で運ばれてきたパテに笑顔になりながら、ネアはナイフで鮮やかにパテを二等分してくれたノアに感心した。
(双方でつつき合うより、こうやって元から分けてしまうのが好き)
彼自身もそのタイプなのか、鋭敏にネアの好みを汲んだのかのどちらかだが、こういう嗜好が合うと一緒に食事をしていても楽だ。
「夜渡り鹿とは、どんな生き物なのですか?」
「大人しくて綺麗な夜色の鹿だよ。真っ黒な瞳でじっと見つめられると、男はふらふらと付いていってしまうんだ。そうすると、森の奥に引き摺り込まれて、ズタズタに引き裂かれてしまう」
それは多分、大人しいとは言わないのではなかろうか。
「不当な評価に傷付きました。とは言え狩りとはとても残酷なもの。仕方ありませんね」
「……あれ、君本気で夜渡り鹿の化身とかじゃないよね?」
「身の保証が手薄なところですが、夜渡り鹿さんではありません」
そこで、店主がコツコツと仕切り板を叩いてから顔を出した。
おやっと顔を上げたノアに、苦々しい顔で誰かの名前を伝えてゆく。
「カテリーナだ。どうする?」
「僕はここにはいないよ。まったく、あの子も困ったものだね」
店主が去った後、やれやれと肩を竦めているノアに、ネアは半眼になった。
要点を押さえていなくても、前後の雰囲気でわかることもある。
「その方は、あなたに会いに来たのでは?」
「困ったことに、僕はもう二度と会いたくないんだ。一緒に楽しい時間を過ごして別れたのだから、こうやって押しかけてくるのはマナー違反だよ」
ワイングラスのようなグラスに注いでくれた葡萄ジュースを飲みながら、ネアは小さく息を吐く。
「上手に別れられなかったのか、きちんと弁えられる相手を選べなかったのですね」
「酷いなぁ、きちんと付き合ったよ。その上で飽きてしまうのは、仕方のないことだよね。僕は心臓がないから、あまり長続きしないよって言ったのだけど」
「それはもう、心臓の所為にしている悪い奴なのか、或いは、そもそも心が心臓に宿るものなのかどうかの議論からですね」
「君は困った女性だな、こんなに傍にいるのに少しも優しくないんだから。……おっと、」
わざとらしくノアがウィンクしたところで、物凄い音を立ててテーブルの横に一人の女性が乗り込んできた。
顔色を悪くして両手を上げたノアに対して、明らかに怒りに満ち溢れた藍色の髪の女性は、同じテーブルに着いたネアを睨み付けた。
「あなた、誰?」
美しい声のグラマラスな美人さんなのだが、如何せん、声に殺意が篭り過ぎている。
店主が防げなかったのもやむを得ない。
「迷い子のところを、家人が迎えに来るまでの期間限定で餌付けされております。恋愛感情も興味もありませんので、お支払いだけ済ませてくれれば、どうぞ連れて行って下さい」
「何で迷子がノアと食事してんのよ?」
「では、私はあちらで食べていますので、ここに座られますか?お会計だけ片付けば、満足です」
「ネイ、待って!君にとって僕って何?」
「通りすがりの、パテを食べさせてくれた人です」
「…………終わり?」
「寧ろ、他に何がありますか?どうやら男性としては屑やもしれないという評価も付け加えますか?」
「傷付いた!もう到底、カテリーナと話す気にもなれない」
「おのれ、痴話喧嘩に巻き込まれるなんて最悪です!早く仲直りして下さい!」
「仲直りも何も、別れた子だよ」
「ノア、あんな自己陶酔した手紙だけで、私と別れたつもりなら許さないわよ?!」
「これだから美人でも精霊は嫌なんだ……」
「……ノアさんは、一度痛い目に遭えばいいと思います」
その後、ネアは早々にその席から離脱し、カウンター席につくと、取り皿に分けてきたパテとパンと葡萄ジュースで楽しく飲食させて貰った。
「実は迷子なので教えていただきたいのですが、こちらは何という国なのでしょう?」
「チェスカだよ。ノアの痴話喧嘩に巻き込まれるとは災難だったな」
店主は気安く会話に応じてくれたので、ネアは当初から目的としていた情報収集に乗り出す。
元より、人を欺くかもしれないノアのような生き物ではなく、お店の店員に助けを請おうと思ってノアの提案に乗ったこともある。
「チェスカ……。ヴェルクレアのウィームというところからは遠いでしょうか?」
「そりゃあんた、ウィームは世界の反対側だよ!」
「なんと……。通信手段もないですか?」
愕然としてネアに、店主は重々しく頷いた。
「この国はな、収穫時期は不正な税金逃れの持ち出しが横行しないように、国を閉じてるんだ。一ヶ月は無理だなぁ。紅茶や香草の相場にも響くから、外部との接触も禁じられちまうんだよ」
「まぁ、とても慎重なお国なのですね」
「収穫は全て国の財産だからな。とは言え、太陽と豊作の祝福のある王家のお蔭で、俺たちは豊かな暮らしをしてるんだ。文句はねぇよ」
「この国独自の管理方法があるのですか?」
「チェスカの香草、チェスカの紅茶という銘柄の価値を落とさないよう、品質の管理がとても厳しいんだ。それを、国の決めたレートで公式のルートでのみ売買出来る。その代わりに、国の保証はしっかりしてるし、常に豊作だから毎年の収入が安定して貧富の差も少ない。太陽と豊穣に恵まれたいい国ってわけさ」
「しっかりとした堅実な方が治めていらっしゃるのですね。羨ましいです」
「ま、あんたのところのウィームに比べたら田舎もいいところだが、心は豊かになる。あいつも少しは落ち着くと思ったんだがなぁ」
「ノアさんのことですか?」
「持て囃され過ぎるってのも、考えものだ。何でも手に入っちまうから、何にも大事に出来ねぇ。常に退屈してる。ありゃ、一種の業だな」
「心臓がないと仰っていたんですが、本当なのでしょうか?」
「ああ。千年くらい前に、魔物の王を怒らせてな。何でも、心臓をえぐり取られて捨てられちまったそうだ。その心臓は今では、見事な月光鳥になって世界のどこかを彷徨っているそうだ。子供の頃に絵本で読まなかったか?
」
「一般的なお話だとは知りませんでした。どうしてそこまで王様を怒らせてしまったんでしょうね」
「“誰も愛せないあなたは憐れだと、塩の魔物は言った”、有名な一節だぜ。そのせいで、塩の魔物は真実の恋を得られない、心臓のない魔物になっちまったってな」
「……果たしてあれは、後天的な病でしょうか。私には、本人の元々の気質にしか思えません」
「……お嬢ちゃん、手厳しいな」
主人はいささか慄いた様子で、その後は他の客の相手もしていたので、ネアは主人の好意で注文したものの半分を全てカウンターに出して貰い、葡萄のピザまで美味しくいただいた。
そろそろ満腹で眠たくなってきた頃、カウンターの向こう側にいた老人二人の会話が漏れ聞こえてきて、ネアははっとする。
(満月の夜の香草畑には、財運の祝福を与える妖精が出没する?)
慌てて盗み聞きを強化し、その妖精とやらがふわふわの毛玉のような風体で、どうやらギズモという名前であることも確認した。
今夜は満月である。
幸いにも外はようやく陽が落ち始めており、これはもう迷い子のついでに一攫千金してゆくしかない。
ぼんやりとだが、自分は妖精狩りに長けていたような気もする。
(私は狩りの女王!)
そうなれば話は簡単だ。
さっさと畑に出向いて、妖精狩りをしてこよう。
「あれ、何で外に出ようとしてるの?」
立ち上がるところで、ノアに捕まった。
少し疲れた顔をしているが、特に手足が欠けていたり、顔が腫れてたりもしない。
「財運を授けてくれる妖精さんを狩りに行って来ます!」
「リズモかな?」
「ギズモではなく?」
「毛玉みたいなやつだよね?リズモだ。でも、ネイが夜の畑に行くなんて狂気の沙汰だからね。君はいい加減、自分の魔術可動域が異様に低いことを知った方がいい」
「職場の方に、六だと教えて貰いました」
「………見積もりと一桁違った。それ、もう無事に生きてるのが不思議なラインだよ。あ、でも魔術抵抗値はかなり高そうだね」
「私は財運を取りに行って来ます!」
「わぁ、何でそんな悪い顔なわけ?」
片手を腰に当てたまま思案顔でこちらを見たノアは、確かに大きな力を持ち自由に生きて来た者の風格がある。
王様に口出しできる階位となれば、上位貴族だったのだろう。
「僕も行くよ」
「やめて下さい、痴話喧嘩に巻き込まれたくありません。カテリーナさんを大事にして下さい」
「カテリーナならもういないよ。僕達は意見が合わなかった」
「………いつか刺されますよ」
「刺そうとしてきた子もいたけど、殺してしまうから刺されないなぁ」
「屑の指定を受ける条件を満たしたような気がします」
「あはは。君は案外口を慎まないね!僕が不機嫌になるとか思わないの?」
「あなたはそんなことでは不機嫌にはなりませんよ」
ネアの言葉に、ノアは微かに驚いたようだった。
面白がるような表情を崩さないまま、こちらを見る視線に少しだけ熱心さが加算される。
「少し前から思ってたけど、君に指輪を送った魔物は白持ちかい?」
「ええ。髪の毛は白いですね」
「だから僕を怖がらないし、有難がらないのかな」
「パテはとても有難くご馳走になりました」
「うん。それは構わないけど、白持ちの魔物に、人間はもっと過剰反応するんだけど」
「なんて自信たっぷりなんでしょう。白持ちの魔物さんがどれだけいると思ってるんですか」
「あれ、もしかして周りにいる白持ちは一人じゃないのかな」
「煉瓦と酵母の魔物さんを除き、周りの魔物さんはみんな白かったです。人の形をしている方は、白い方が多いのでしょうか?」
さらりとそう告白したネアに、ノアは額に手をあてて、わざとらしく頭痛のポーズをした。
こういう部分はアルテアに似ているのだが、受ける印象がまるで違うのは、所謂、陰と陽でお互いの持つ性質がまるで違うからだろう。
「それ、異常だよ。っていうか、その中に煉瓦と酵母が居られるのも異常だけど」
「異常なのでしょうか?白い子が白いお友達を呼んだだけなのでは?」
「ん?そう言われると異常じゃないのか?……でも、白持ちに会えるだけでも奇跡、或いは悪夢とされるのが一般的だからね」
「ご本人からそう言われると、何だか頷くのが癪なのはなぜでしょうね」
手品のように取り出した白いカードを店主に渡すと、ノアはネアの背中に手を当てて外に促す。
カードは渡しっ放しの支払い方法であるようだ。
そして、さも一緒に狩りに行くよという雰囲気に、ネアはぎりぎりと眉間の皺を深くする。
「君さ、白に悪酔いするのは兎も角、危機管理をしっかりした方がいい。無防備と言えば可愛く聞こえるけれど、それって一種の愚かさだからね」
朗らかな口調で辛辣な言い方をするのも、曲者らしい持ち札だった。
漆黒のコートにしっかりと水色のストールを巻き、口元付近まで覆っているのは、カテリーナ対策だろうか。
しっかり濃灰色の皮手袋もしているので、防寒対策かもしれない。
そう考えかけて、この土地はさして寒くないのにと思い至った。
(寒がり……?ってこともない筈だから、やっぱり女性対策かな)
「いざとなれば、ばっさり一発終了の手段がありますから」
「君の魔術可動域で攻撃されても、僕達は死なないよ。そのケープは何だか凶悪だけど、致死要因としては決定力不足だ」
「いえ、そちらではなく、自分自身をばっさりと終わらせます」
ノアは、綺麗な瞳を驚愕に瞠った。
ちょうど店を出たところだったので、大きな満月の光を受けて、青紫色の瞳は不思議な煌めきを帯びる。
「ネイ、君は死にたいのか?」
「いいえ。自分が可愛いので、苦労したくないだけです。強いて言うなら、奔放で我が儘でしょうか」
「………人間って時々極端だよね」
「しかしながら、これは売れ筋商品として入手した手段ですので、一般的な概念のようですよ」
「そんな売れ筋商品嫌だなぁ。うっかり死なないようにしてよ」
「…………離れて下さい」
背中に覆いかぶさるように抱き着いてきたので、ネアは仏頂面になる。
どことなく甘え方がディノに似ており、大型犬に甘えられているようでペースを持っていかれてしまう。
しかしながら、たいそう女癖が悪そうなので、女性に触れること自体に罪悪感を持たない確信犯というものなのだろう。
ただの大型犬よりは、随分と性質が悪い。
ほろ酔いでご機嫌になってきた魔物を引き摺りながら、ネアは妖精狩りに向かった。
こちらに落とされて二時間あまり、迎えとやらはまだ来ないようだ。
続きます!