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唐揚げと鴨のコンフィ


市場は懐かしい騒めきに満ちていて、様々な匂いに溢れていた。

売り子の声にご婦人方のお喋り、樽を転がす音に、ガチャガチャと触れ合う瓶の音。


「セロリがお安いですね。ジャガイモも」


ついつい庶民生活の名残で、安くなっているものに心が動かされてしまう。

セロリはつい購入してしまったが、残りは我慢して鶏肉を購入することにした。


しかし、そちらにも沢山の罠が待ち受けていたのである。


「………チーズ」

「ネア、欲しいなら買えばいいのに」


とあるチーズ店の前で呆然と立ち尽くしてしまったネアに、ディノが悪魔の囁きを告げる。


「買うのは簡単ですが、買った以上は美味しく食べる必要が出てきます。既に日常の食事が美味しいのに、余分に食材を抱え込む必要があるでしょうか。今回は必要なだけの買い物に…」


宣言の途中でネアがぎりぎりと首を横に向けたのは、隣のアルテアが躊躇なくチーズを大人買いしていたからだ。


「ヴェルリアとウィームの市場は、やはりいいな」


オレンジの花のチーズと、林檎と月光のチーズ、ネアが欲しかったチーズも含まれており、そちらを見る眼差しはとても冷ややかになる。


「アルテアさん、お元気そうですね……」

「欲しいなら買ってやろうか?」

「魔物達め!」


何とか精肉店に辿り着いた頃、ネアの心はいささか乱れていた。

金銭的感覚の乱れた魔物達が、せっせと唆すせいで、余分な買い物をしている気がする。

なぜ手にチーズの袋を持っているのか、既にもう自分でもよくわからない。


「あ、鴨………」


大好物を見つけて固まったが、慌てて首を振った。

これは幾らでもリーエンベルクの料理人が作ってくれるものだ。

今ここで、未調理の鴨肉を買ってゆく必要はない。


「ネア、鴨はいいのかい?」

「それはプロにお任せしたい食材です。今日は鶏肉だけで良いのです」

「鴨くらい調理してやるぞ?」

「………む」


お店を離れながら、ネアは頭を抱えそうになる。


「唐揚げに鴨とか、どんな食卓……」

「サラダも作るしいいだろ」

「今夜は飲みの席もあるんです。私は、食べるのと飲むのを交互に行うのが好きなので、あんまり重たくない夕食にしようと思ってたのに」

「じゃあ、作ったものを並べた席で飲み始めればどうだ?」


そのアルテアの問いかけに、ネアはちらりとディノを視線で指し示した。

手作り晩御飯は、ディノにとって一大イベントである。

ご主人様に鴨を調理するアルテアが同席するだけでもしょぼくれているのに、最初から大人数など出来る筈もない。


「……うん、まぁ量を調節しろ」

「凍らせられれば長持ち保存も出来るんですが」

「……確かにそうだが、風味が落ちるだろ」

「凍らせ方によりますよ。私の世界では、組織を壊さないような冷凍保存がありました」

「どうやるんだ?」

「技術屋ではないので、その道具の販売時に添えられていた宣伝文句しかわかりません」


しかしながらアルテアがしつこかったので、ネアは覚えている限りの冷凍庫や冷蔵庫の宣伝文句の全てを口頭で伝える羽目になった。


「状態保存の魔術では駄目なのですか?」

「状態保存は、高位の特権だからね。私達には難しいことではなくても、魔術的階位によっては触ることも出来ないんだよ」


伸び上がって顔を寄せてこそっと聞いたネアに、ディノがぎくしゃくとする。

耳元を押さえてもじもじするのは、加害者の気持ちになるのでやめて欲しい。


「と言うことは、アルテアさんは自分の手を貸せないところでの利用を考えているんですね」

「アイザックの商品開発に噛んだりもしてるからね」

「まっとうなお仕事もしているようで安心しました」



そうネアがほっとしていると、アルテアが深い溜息を吐く。


「まっとうな仕事をしてないのは、ウィリアムの方だぞ?あいつは、年がら年中戦争と疫病だ」

「個人の個性を否定してはいけませんよ。それがウィリアムさんのお仕事です」

「………ネア、ウィリアムの評価だけいつも高いよね?」

「ディノまでどうしたんですか?ウィリアムさんが高評価なのは、人徳ですよ」

「人徳……」

「外面がいいだけだろ……」


釈然としない表情で考え込んだ魔物達を引き連れて、ネアは市場の出口に向かう。

途中で見事な純白の塩を山にした、塩屋の横を通り過ぎた。

薔薇塩や湖水塩など、様々な色合いの塩の山を視界の端に収め、ダリルの迷路の向こう側で出会った塩の魔物を思う。


かつて、白持ちの魔物の中でディノの他に唯一の多色を持ち、ウィリアムと同列の王族相当であった高位の魔物。


(アルテアさんも灰被りの魔物と戦ったというし、高位の魔物同士でも争いは多いのかしら……)


心臓を無くし、公爵位に落ちた美しい魔物。



「……ネア?」

「何でもありません。殺意がぶり返しただけです」


ネアの言葉に、ディノの眼差しが微かに鋭利さを帯びる。

どきりとするようなその輝きの美しさに、ネアは小さく息を飲んだ。


「殺したいなら殺してあげようか?」

「憎しみからの殺意ではないので、大丈夫ですよ。ただ、死ねばいいのにと思うだけです」

「………それは違うのかい?」

「ええ。もし、……すごく嫌ですが、また会うことがあれば、あのキノコの薬をかけてやります」

「人型の生き物にキノコだと、外見的に洒落にならなくなるぞ……」



市場を抜ければ、外は晴天だった。

夏を思わせるような濃い青空に雪が眩しく輝く。

外し忘れた店舗前の硝子のオーナメントが虹色に煌めき、ラッカムと花火をした日のことを思い出す。


あんな風に心が動いた日のことだから、残照のようにきらきらと蘇るのだろう。

感傷もあり、喜びもあったあの日から、記憶喪失のせいで一気に色んなことが流れていった。



(ラッカムさんは今頃どこにいるのかな?)


その心の一端に触れたような気がしていたのに、きちんとした記憶と心を添えたまま挨拶も出来なかった。

ジークに何かが似ていたので妙な親しみを覚えたとは言え、相手は女性だ。

もう少し時間があれば、きちんとラッカムという女性としての彼女と友達になってみたかったのに。


(何となく、離された理由もわかるけど……)


この国やウィームのあり方とは違う、独立した価値観を持つ強い人だ。

人を動かすだけのカリスマ性もあるので、悪影響を受けることを懸念されたのだろう。

しかしながら、ラファエルという伴侶を得た彼女なら、ゼノーシュの条件をクリア出来たのではないだろうか。


「ネア、どこか寄ってゆくかい?」

「いいえ。いいお天気ですが、買い物はもうないので戻ります。どこか寄って行きたいですか?」

「私は特にないかな。アルテアはあるかもしれないから、置いてゆこうか」

「安心しろ。特に用はない」


(あ、でも得るものもあったんだわ)


記憶を失ったというだけで、アルテアやウィリアムが駆け付けてくれたのは嬉しかった。

何だかちょっと友達めいているではないか。

特にアルテアは、思いもかけない気遣いを見せてくれた一面もあり、少し見直しているところである。

ただ、元凶が反省しただけなのかもしれないが。


年が明けたら南の方の国に用があると話していたので、定例会は少し先になるかも知れないけれど、次の開催の時はウィリアムに口添えしておいてあげよう。


(何だかんだで仲良しみたいだし)



「まずは、各種の香辛料を挽いたものと、粉を合わせますね」


厨房に戻って来てさくさく下拵えをしながら、ネアは自分の魔物のことを考えていた。

話を聞けば、やはりそれぞれに友人のいる他の魔物達と違い、ディノにはあまり広がりが見えない。

知り合いという意味では多くとも、この排他的な魔物は個人的な付き合いとなると途端にものぐさになってしまうのだ。



あの花火の日に思ったことが一つある。



(いつか、私もいなくなる)



煌めき幸福な日々はどれだけ安定していても、その場から少しずつ過去になってゆくものなのだ。

いつかその全てが終わったとき、大事な魔物が火の消えたような思いをしないようにしたい。


下味をつけた後にサラダ作りを挟み、ネアはちらりと横の魔物達を一瞥する。


「揚げてしまいますか?もう少し待ちます?」

「……食べる」


唐揚げか、或いはご主人様の料理に前のめりな魔物がすぐにそう決めたので、ネアは油を加熱し始めた。

地道に火をつけるコンロではなく、魔術の火なのでとても早い。


「揚げるのはきっとアルテアさんも得意に違いないので、お任せします。ディノ、バットに上げるお手伝いをしてあげて下さいね。私はこちらで洗い物をしてしまいますから」


「揚げるのは構わないが、何でここを組ませた」

「え、ご主人様、アルテアの手伝いは嫌だな」

「男同士仲良く唐揚げて下さい。私はもう、洗剤を出してしまいました」

「ネア……」

「ほら、終わったらそっちにも行きますから、さくさく進めていて下さい。料理は手際が命ですよ!」

「俺一人で構わないから、こいつは連れて行け」

「食器洗いは一人の戦場です。そちらで、ディノにもお手伝いを覚えさせてあげて下さいね」


かなり強引に二人を仲良くさせようとしたが、背後のコンロの方からは何とも言えない嫌そうな空気しか伝わってこなかった。

ボウルやお皿を洗うまで我慢させてから、ネアは溜息をついて揚げ作業の交代を申し出る。


「ディノも揚げてみますか?」

「…………放り込むだけでいいのかい?」

「放り込むと火傷しますので、そっと沈めるようにして下さい。こうです」

「わかった」

「………何だか物凄い光景だな」


もう一気に夕食にしてしまうつもりなのか、鴨の調理も始めてしまったアルテアが、唐揚げを揚げている魔物の王に何とも言えない顔になる。

確かに不似合な光景ではあるが、何事も経験だ。

人間を遥かに凌駕している頭脳の生き物に作業工程から見せたので、これでいざという時には、ディノは唐揚げを作れる筈だ。



「さてと、明らかにまだ夕方ですが、温かい内に食べましょうか」


色々と環境が変わってはいたが、上手に出来たのではないだろうか。

香辛料を挽く為の小型の臼のようなものは魔術仕掛けでとても軽く、油の加熱も魔術で温度を上げてから火で維持するためとてもスムーズで、便利な機械がなくとも全てが早く仕上がる。


(あ、サラダに栗が追加されてる……)


ネアがサラダ用に、焼き茄子と焼きパプリカを用意していたのを横目で見ていたので、恐らく手を加えてくれたのはアルテアだろう。

焼き栗を砕いてかけてあり、茄子とパプリカと合わせて、葉物の冷たさとの相性が良さそうだ。

さり気ない気配りに、料理上手らしいひと手間が見える。


他にも、セール買いしたセロリとトマトをマスタードとお酢で漬けたもの。

アルテアの鴨のコンフィに、薄くスライスして揚げたジャガイモとチーズクリームでミルフィーユ状にした付け合せなどが並んでいる。

鴨のソースは、赤ワインとバルサミコ酢、もう一種はベリー系だろうか。

ネアの要望を忘れておらず、あまりしっかりとした量ではないのが嬉しい心配りだ。


リーエンベルクの厨房で分けてもらったパンとバターも並べて、何やら不思議な晩餐会が始まる。


「ネアのやつがいい」

「まぁ、味も揚げ具合も変わりませんよ?」


隣りに座った魔物は我儘にも、ネアが揚げたものばかり抽出して食べている。

味は一切変わらないのだが、それなりにこだわりがあるらしい。

自分で揚げたものをさりげなくこちらに並べてきたので、ネアはディノが揚げた唐揚げを取るようにした。

ディノが揚げたとはいえ、中に入れて取り出しただけでタイミングは全てネアの指示なので、これもやはり味は一切変わらない。

もはや、初めて料理した子供を持つ親の感覚である。


「スパイスの方はわかるが、こっちの下味は珍しいな」

「魚醤と大蒜に生姜、コリアンダーに胡椒が多め、それから檸檬です」

「アルテアさん、このチーズソースの香りがとてもいいのはどうしてでしょう?」

「オレガノと少量のマジョラムだな」

「真似します!」


アルテアと話していると面白くないのか、ディノが取り皿をこちらに押し出してきたので、トマトとセロリのマリネを取りわけてやった。

勿論、ディノのものなのでトマト多めである。

トマトソースやサラダのトマトにはさして興味を示さないで、ピクルスとマリネのトマトなど、酢漬けでしっかり味の入ったフレッシュトマトが好きなようだ。



香草たっぷりのサラダを自分用に取り分けつつ、ネアはこっそりマスタードの葉が多めに固まっているゾーンを狙って搾取した。

しかし、ご主人様の様子を逐一チェックしている魔物が、そこが美味しいのかと思ったようで同じ位置を狙われてしまう。

釈然としない気持ちで野菜を食んでいると、ふっと窓の外の陽光が翳った。


「ディノ、時々陽が翳るのはなぜでしょう?前にもこんな風に暗くなったのですが、雲が出ているわけでもなくて不思議だったんです」

「鯨だと思うよ」

「鯨……………?」

「そういや、昔は群れでよく見かけたが、さすがに大国の空では随分減ったな」

「影絵の中だからね。あの頃の夜明けの森には魔術の霧がたちこめていたし、鯨が多かった筈だ」

「…………鯨さんは、今は減ってしまったのですね」


前の世界のように、乱獲されたことがあったのだろうかとネアは首を捻る。


「一時期、随分と狩られたようだから、鯨も餌場を変えたのだろう。人間の警備が手薄な、小さな国の方が過ごしやすいんじゃないかな」

「念の為に伺いますが、鯨さんの食糧は何ですか?」

「人間だよ」

「また物騒な生き物が…………」


鯨は、淡い水色をした大きな魚影のような曖昧な存在で、凝りの竜などと同じ、固定した肉体を持たない生き物として分類されるそうだ。

魔術の霧より生まれ、百年もすると人間を食べるようになる。

代わりに良質な魔術を帯びた水晶を生むので、重宝されることもあり、駆除で意識統一されるまではヴェルクレアでもさんざん議論が交わされたのだとか。


「不思議な生き物がたくさんいますね」

「鯨は大きいから、見付けても狩ろうとしては駄目だよ?」

「さすがの私も、家より大きな生き物を狩ろうとは思いません」



ネアがそう言えばなぜか、魔物達はとても微妙な顔をした。

その表情は大変に遺憾ではあるが、鯨の生む水晶とやらには興味がなくもないのは確かだ。



ついその本音を吐露すると、ディノとアルテアは何やら視線で会話していた。

仲良しになってきたようで何よりである。







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