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誘惑の隙間とスパイスティー


「ところで、この大袋は何でしょう?」


ネアが見付けたのは、仕事用の部屋に置かれた白い大袋だ。

五袋あり、何となくサンタクロースの袋に似ている。


「ああ、ウィリアムがネアにって言っていたよ。香辛料みたいだね」

「ウィリアム様!」

「ネア、そんなに香辛料好きだった?」


不思議そうにしたディノに、ネアは力強く頷いた。


「はい。私の世界では世界的な流通の発展により、様々な文化の食文化が楽しめました。スパイスティーやエスニックの調味料は、癖になる美味しさです!」


「ふうん。そういう意味では、ウィリアムは仕入先にはうってつけだろうね」


「香辛料分野がお得意なのですか?」


「香辛料の生産国は、大国に次いで死者の行列の発生率が高いんだ。ウィリアムの仕事場になるから、そちらの食文化にも詳しいと思うよ」


「ウィリアムさんとの友情は永遠です!」


「お前が取りに行ってやればいいんじゃないのか?」


「ネアを土地の市場に連れてっていってあげるのは簡単だけれど、あまり不安定な土地に連れてゆくのは気が進まないな」


「実際に使われている現場を知らないと、香辛料の選別が出来ませんものね。ところで、アルテアさんはいつまでここにいるんですか?」


「嫌そうだなおい……」


ネアの仕事部屋にお気に入りの椅子を持ち込んで、アルテアは退屈そうにしている。

途中で読書をしたり、何かの帳簿付けをしていたが、珍しいアルテアの眼鏡姿に一度視線を向けただけで、ネアは無視を決め込んでいた。


お給金を貰って働いているので、仕事中は魔物のご褒美も与えず、真面目に働く主義だ。

本日は休日で書架に篭ってしまったエーダリアに代わり、ヒルドが与えてくれたリストを見ながら薬の精製を行なっていた。


「悪さをしなくて、エーダリア様達にご迷惑でないなら、私には異論はありません」

「がっつり他人事だな」

「自分ごとにするつもりもありませんが、体調が悪そうなのが少し心配です」


ネアの言葉に、アルテアが目を瞠った。

見慣れない眼鏡姿なので、何だか不思議な感じだ。

読んでいた本の魔術的影響を避ける為のものらしいが、とても似合っていたので、外してしまうと少しがっかりした。


「……体調が悪いと思うのか?」

「何というか、いつもより少し色褪せて見えます」

「おい、言い方……」

「……少し、質が劣って見えます?」

「元の言い方でいい」

「もしや、雪食い鳥さんの時ですか?」



心配になってそろりと伺ったネアに、ディノが朗らかに微笑んだ。


「ウィリアムを怒らせたからだろう」

「………え、ウィリアムさんに何かされてしまったんですか?」

「……暫く、あいつの話はするな」

「瞳を損なったのも、不調なまま雪食い鳥狩りをしたからだろう。今回のネアの件だけでなく、ウィリアムの仕事を増やしたりしたからね」


片手間に振り返っていたネアは、一度椅子の上で姿勢を変えてアルテアの方に向き直ると、顎に片手をあてた名探偵スタイルで観察する。


「何だ。余計なことはするなよ?」

「体調が悪いのなら、寝ていなくて大丈夫ですか?魔物さんの看護方法が謎なのですが、暖かい飲物でも頼みましょうか?」

「いや、……ああ。大丈夫だ」


せっかく心配したのに、なぜかアルテアは大変に慄き、不安そうに周囲を見回した。


「見知らぬ土地で落ち着かないなら、完全防御の私の部屋で仮眠を取りますか?確か、ディノのお部屋には、素敵な寝台がありましたよね?」


とても良い案だと思ってそう提案すると、魔物達はそれぞれ何とも言えない顔になった。


「え、ネアやめて」

「ディノの部屋なら、知り合いなので安心出来るのでは」

「ネア、やめようね」

「男性同士でも嫌なものですか?」

「………普通に考えろ、お前だって嫌だろ?」


渋い顔のアルテアに言われ、ネアは半眼になる。


「私の場合、アルテアさんは異性ですから。ただ、どうしてもと言うなら、寝具さえ換えてくれればお貸します」


「ネア、駄目だよ」


「む。でも、寝具を換えれば土台をお貸しするだけのこと。特に感慨はありません」


「もっと、感慨を持ってね」


謎にディノが深刻そうにしたので、ネアは目を瞬く。


(寝具を換えるというだけでも、相当なことだと思うけれどなぁ)


もっと心の広い人間であれば、弱っている知人の為に寝台くらい貸せるだろう。

アルテアであれば、臭かったり汚かったりもせず特に汚すこともなさそうだし、案外神経質に綺麗にしてそうだ。


「……と言うか、考えたら、寝具を換えなくても別に大丈夫そうですね」

「え、ネア、どうして緩くしたのかな?」

「アルテアさんであれば、汚くも臭くもないので大丈夫だという結論に達しました」

「前提として、誰かを寝台に入れないこと」

「一緒に入るわけではありませんよ?」

「それは論外だからね」


ふと、ネアの眼差しが昏く翳った。


「……そうですね、それは死に値します」


あまりにも凄惨な表情に、ちょっと引き気味に事態を観察していたアルテアまで顔を引攣らせる。


「いや、ほんとお前何があったんだよ」

「その思い出は封印しました。口にするとお化けが出そうで嫌です」

「ノア…」

「ディノ!二度とその名前を出さないで下さい!」


ばしっとネアに膝を叩かれ、魔物は少し嬉しそうにもじもじした。


「そして、私がここにいることを知られるのも嫌です!その方に、積極的に関わって私のことが知れるような不手際もやめて下さい」

「わかった!」

「いや、そこまでってほんと何だよ……」


その後、はっとして仕事に戻ったネアは、ディノにお願いする薬を七本、花火大会の狩りで確保しておいたものから、木の実の精霊を二匹提出し、本日の仕事を終了とした。


季節によって、必要な薬の変動があるかもしれないので、記録は欠かさない。

狩りで手に入れたものを保存するかどうか、何を積極的に狩るかどうか。

そういうものの参考になればいいのだが。

薬手帳をぱたりと閉じると、ネアは少し椅子を引いて机との間を開けた。



「さてと、ディノは何かしたいことはありますか?」

「ネアのしたいことでいい」

「……結構な質問の仕方してるよな……」


アルテアはひとまず無視して、ネアは残った午後の時間を何に充てるべきか思案した。


(あんまり外に出たい気分じゃないなぁ。……あ、スパイス)


ウィリアムが持ってきてた大袋に目を止め、ネアは気分が上がった。


「午後は、スパイスティーを作ります!と言うか、唐揚げも作りたいですね。今度、夕食を作る時にやりましょうか」


「それがいいな」


「あら、今夜作りますか?」


シュタルトで手作りご飯に目覚めたディノが嬉しそうに頷いたので、ネアは微笑んだ。


「ではまずスパイスティーを作るので、それを飲んで温まったら、市場に夕飯の買い物に行きましょう」


「ご主人様!」


「アルテアさん、甘い飲物は大丈夫ですか?」

「ん?…ああ」

「じゃあ、アルテアさんにもスパイスティーを作りますので、飲んだら大人しく療養してて下さい」

「そこまで弱ってないぞ」

「世の中の自信家達は、みんなそうして自滅してゆくのです」

「自滅……」



ネアはさっそく、ウィリアムからの香辛料の袋を開けてみることにした。


「わ!一袋に一種類かと思っていました。中に小袋があります。クローブにナツメグ、シナモンにガラムマサラに魚醤の瓶まで!この葉っぱは何でしょう?ローリエかな」


はしゃいでいるネアの後ろから、魔物達が恐る恐る覗いているのが可愛らしい。


「その瓶は?」

「ディノは知りませんか?お魚を発酵させて作る調味料です。お店に時々あるので、これが流通しているのは知っていましたが、ひと瓶手元にあると嬉しいです」

「お茶に入れるのかい?」

「いえ、こちらは料理用ですね。お茶に入れるのは、シナモンにカルダモンにクローブとナツメグ、生姜と胡椒、牛乳などです」

「イブメリアの焼き菓子に似てるね」

「甘い飲物が得意であれば、お砂糖や蜂蜜を入れても美味しいんです。私はそちらのレシピばかりですね」


ひとまずその大袋を、ネアが貰った厨房に移動させて貰う。


「それは?」


首飾りの金庫からネアが取り出した鍵に、アルテアが食いついた。


「ディノから貰った、イブメリアの贈り物です。私専用の厨房なんですよ」

「その首飾りじゃなかったのか?」

「これは誕生日の贈り物です」

「………誕生日?」


アルテアが目を瞠ったので、ネアはその話題はさらりと流すように努めた。


「はい。荷物をしまったり、お茶を沸かすまでの時間もあるので、アルテアさんはどこかで寛いでいて下さい」

「……片付けぐらい手伝ってやるよ」


そこでネアは、アルテア自身も家周りのことに長けた魔物であることを思い出した。


「そう言えば、アルテアさんは家づくりがお好きなんですよね」

「屋敷を作るまでの過程は好きだな。だから、家具は定期的に入れ替える」

「面倒……凝り性なのですね」

「もうお前は、途中で言い換えるな」


良いキッチン雑貨や、収納方法などが聞けるかと思い、ネアはちらりとディノを窺う。


「ディノ、私の厨房をより向上させるべく、専門家の意見を伺ってみたいです」

「………ご主人様」

「所詮お客様です。深く考えなくても大丈夫ですよ」

「ならいいのかな」

「所詮という単語を抜いても、会話として成り立つだろ……」


どこか疲れた様子のアルテアを見ながら、ネアは、彼が良く持ち歩いている椅子について思案する。

趣味の蒐集品を、つい持ち歩いて自慢してしまう人がいるが、今の会話的にそんな感じなのだろうか。

その病気の類いだろうかと思えば、度重なる椅子の持ち込みにも納得がいく。



まずは取り急ぎ、夕食はいらないという連絡を入れ、休日なのでお酒のお誘いをくれていたエーダリア達には、一品おつまみを持ち込む旨を伝えておく。


(おつまみ用に、一口サイズの唐揚げも作っておこう)


飲み会の存在にアルテアが色めき立ったが、体調が悪いそうなので是非に早く寝て欲しい。

しかし、早く寝るように忠告するとかなり反抗的な顔をしたので、夜の盃でも与えておこうかなと密かに企む。

珍しいお酒でも飲めていれば、大人しくしていてくれるだろう。


(というか、今夜も泊まる気ですね!)




その厨房こと一戸建ては、森の中にある洋館だった。

ネアの感覚では、これはもはや森の中のお屋敷という表現で十分なサイズなのだが、アルテアも特に反応を示さなかったので、魔物的にはやはり厨房扱いなのだろうか。


ウィームの森の中ではあるが、影絵側なので現実の要素に作用されることもなく安定している。

そのせいか、柔らかな雨音や小鳥のさえずりを耳にしても、実際に動物等を見かけることはなかった。


(隠れ家みたいな感じでわくわくする)


厨房は窓から陽が入り、とても過ごしやすい空間だった。

設備はプロ仕様だが、使い勝手に悩む程に高度なものでもない。


くるりと見回したアルテアが、アイザックに手配させたなと呟いていたので、きちんと道具の選別が出来る専門家が揃えてくれたのだろう。


魔術仕掛けの保冷庫もあり、冷蔵庫より遥かな高度保管が可能である。

そのおかげで、食料も様々なものが備蓄されていた。


(鶏肉はあるものを使って、新しく買ったものを保存しておこう)


ネアは髪を縛って水道で手を洗い、エプロンをつけながら専門家を振り返った。


「専門家さん、品揃えや配置はこれで大丈夫そうですか?」


「調理用の葡萄酒は、チャスカの白がいい。料理酒の種類を揃えて、木ベラはせめてもう一種いるな」


「わかりました。料理用の葡萄酒は特に産地に拘っていませんでしたが、確かに風味が変わってきますものね」


「ある程度大衆好みで質が良いとされるものの方が、味や香りの配分が料理向けだからな。専門的な料理なら、それに見合った品種があるが」


「ここでは夜食や、再現メニューなどの、家庭料理の範疇までですね。専門家が同じ屋根の下に居てくれるので、無茶はしません。ちなみに、乾燥ではない香草は、その勝手口の外に畑があります」


ネアの一言に、庭造りも好きだというアルテアは素早く出て行った。


「………楽しそうで何よりです」

「やっと出て行った」

「こら、いけませんよディノ。一応、怪我人なのですから」

「そこまで悪くもないだろう。ただ、横着をしているだけだよ」


スパイスティーだけなので、ネアは手早く香辛料を合わせ、お茶を煮出し始めた。

背中にへばりついた魔物が興味深そうに後ろから見守っているので、長い髪が落ちてこないように、覗き込み過ぎないように注意させる。

と言うか、背後から拘束されていると大変に動き難い。


「唐揚げの下準備しておきたいですが、香りが混ざるので後からにしましょうね」


「………うん」


「ディノ?疲れてしまいましたか?後ろに座っていてもいいですよ」


「ご主人様が傍にいる」


ぽつりとディノが呟いたのは、安堵を取り零したような感想だった。

記憶を失っていた間のことを思い出して、ネアは唇の端の微笑みを深くする。


部屋から巣も出され、都度一人の時間を与えてくれと言われていたので寂しがりや度合いが上がったのかもしれない。

また暫くすれば落ち着くだろう。


少し後ろを振り向いて、頭をこつんと魔物の体に押し付けてやった。


「私はどこにも行きませんよ。記憶を無くしても、ちゃんと踏み止まれたでしょう?だから安心して下さい。でも、次回からはもう少し上手くやって下さいね」


「私の方が年上だから?」


「ええ。私も、私の大事な魔物を無くしたくありません。なので、私がディノを無くさずに済むように、私を守って下さいね」


「うん」


幸せそうに微笑んだ魔物を見ていた。

ふわりと揺れた髪の色に、唇に触れた温もりの柔らかさ。

ネアの頬に添えた手を離して、ディノは今度はひどく男性的な謎めいた微笑みを浮かべる。


「………ネア?」


自分でも頬が熱くなったのがわかる。

少し耐性がついたと思っていたが、今回の記憶喪失事件を挟んだ所為なのか、やけに気恥ずかしくて堪らない。


(魔物の指輪は、伴侶に与えるもの)


ダリルの言葉に、イブメリアに観たオペラの場面が重なる。

そして、人生最悪の日に出会った魔物の邪な誘惑も。



「………ネア、足も踏んで」


しかし、ご主人様が狼狽えたので行けると思ったのか、耳元で甘く囁かれた言葉の内容を理解した途端、ネアは、さっと鍋に視線を戻した。

照れてしまった自分が悲しくなるくらい、この魔物は通常営業だ。


くつくつと煮える鍋を見ながら、己の人生に与えられた最大の試練を苦々しく思う。

この魔物の困った嗜好とも、生涯付き合っていく必要があるのだから。


「お茶が出来たので、また後でにしましょう。さぁ、カップに移すのに邪魔になるので離れて下さい!」


「ネア……」


しょんぼりした魔物をどかしつつ、ネアはスパイスティーの準備を整えた。

そこでふと、畑を見に行った魔物がまだ戻っていないことを思い出して溜息をつく。


「まったくもう。体調が悪いのに、外をうろうろしないでいただきたいのですが」


窓を開けて、畑に夢中になっていたアルテアを呼び戻し、ネアはカップを嬉しそうに持っているディノの頭を撫でた。

冷めないうちにと先に飲ませていたところ、随分気に入ったようなので、アルテアのカップにまで手を出さないように叱りつける。



やはり、手のかかる大型犬達の面倒を見ている気がしてきた。


(窓辺にあのオーナメントを一つ買おうかな)


太陽の祝祭用のオーナメントを、キッチンの窓辺に下げたら、キラキラとして綺麗に違いない。









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