57. 気になる人とお話します(本編)
王宮と言えば地下牢などが鉄板だが、リーエンベルクにはそのような施設は少ないのだそうだ。
物理的に隔離せずとも、魔術の檻で拘束可能であるという充分な自信が見て取れる。
なので、ラッカムを拘留したのはそのような貴人の牢獄として使われてきた、豪奢な一室だった。
そんな部屋にネアが向かっているのは、ラッカムからネアと話したいという要求があったからだった。
ほとんど無謀な形でリーエンベルクに乗り込んできたラッカムが、拘束後に初めて出した要望である。
本来であればそのような要求を突っぱねてもいいのだが、粛々と拘束に甘んじていたラッカムから、そろそろ本題を引き出したいという焦りがこちらにもある。
特に重篤なダメージを与えるような手札を持っていない筈なのに、焦るでもないラッカムの存在はひとえに謎であった。
(ダリルさんの意見では、雪喰い鳥からのシェルター代わりに使われているんじゃないかってことだったけれど……)
断ってもいいと言われたネアがその要請を受けたのは、やはり、ラッカムの何かがジークに似ていたからなのかもしれない。
その後のラッカムの様子を時折見かけることもあったが、出会った日の一瞬の激しさが去れば、エマジュリアのような強い感情が覗くこともなく、思い出されるのは檸檬のコロンの香りのするあの人であった。
「上着なんて、放り込んでしまえばいいのに」
隣りを歩く魔物が不貞腐れているのは、ネアの心の動きを読み切れないからだろう。
かつて恋をした人に似ているというのは大変に不服であるようだが、ネアにとってラッカムは女性にしか見えていないと知ると、その事実をどう混ぜ合わせていいのかよくわからなくなった風に見える。
隔離用の棟に続く薄緑色の絨毯を踏みながら、珍しく余裕のない様子だった。
(不測の事態や、ご褒美以外でこんな風に困っているのは初めて見た……)
排除をする正当な理由が思いつかないのかもしれない。
思いつかれても困るが、こうして慣れない心の動きで困り果てた魔物は可愛いので、ネアとしてはもっと色々な経験をしていって欲しいと考えている。
「失礼します。ネアですが、入らせていただきますね」
扉の前にいた騎士に術式の鍵を開けて貰い、部屋の中に入ると爽やかな鈴蘭の香りがした。
見れば、窓辺の花瓶に贅沢にたくさん活けてある。
ネアの以前の記憶では、春に咲く花だったのだが、こちらの世界では立派に冬の花だった。
「ネアか………」
その窓辺に立って外の雪を見ていたラッカムが振り返る。
魔物は扉の前でお留守番なので、あまり威圧感はない筈なのだが、一瞬扉の隙間から見えてしまったらしくさっと顔色を悪くしてしまった。
一介の騎士に偽装することはやめたので、もう敬語は使わないようだ。
「窓の外を見ていたのですか?今日は朝から随分と降っていますね」
「ウィームはいつでもこんな雪なのか?」
「さてどうでしょう。私も迷い子ですので、初めて過ごす冬なのです」
ハヴランはウィーム程に寒くはならない。
雪が降るのも一度か二度くらいであるので、騎士装束を解いたラッカムは、ウィームで過ごすにはやや薄着であった。
勿論、館内が寒いということはないのだが、視覚的に羽織るものが欲しくなるのだろう。
ラッカムが欲しがった上着を持ち込みつつ、その前後で少し会話をさせてやろうというのがダリルの指示した流れであった。
話し込むのも短く切り上げるのも自由なので、事実上ネアに任せてくれているようだ。
こういうあたり、過保護であるが、ネアの判断を尊重してくれる周囲の配慮には、とても感謝していた。
「私がハヴランの迷い子であると見抜いたのは、お前だったそうだな」
窓の外の雪の白さに、淡い金髪に青い瞳の麗人はとてもよく映えた。
薄水色に白い刺繍の模様があるシャツの陰影に、さらりと流した金髪が不思議なコントラストを生む。
わかりやすい美しさというものがあれば、ラッカムの持っているものはそれだと言う気がした。
「見抜く程のことではありませんよ。林檎の中に梨が入っていれば、梨同士はそれに気付きます」
「その例えであれば、梨の混入に気付かない林檎は愚かではないか」
「林檎は、そもそも梨というものがあることを前提で考えません。その存在が日常でなければ、まだ熟れていない不格好な林檎なのだと思ってしまうのでしょう」
「………私は、不格好な林檎か」
「あらあら、そうすると私も不格好な林檎ですね。でもそれでは不服ですので、梨として誇り高くありたいです」
瞬きをして、奇妙な生き物でも見るようにラッカムはこちらを見ている。
部屋の中央にある長椅子に座ろうとして、何歩か歩いてからまた動きを止めた。
神経質に袖口を触る指先も綺麗だ。
魔物の整い方とは違う、人間らしい肉体への感動でネアは目を惹かれる。
エーダリアとて充分に美しい人間ではあるが、魔術師という肩書がつくので、美しくて当然だとどうしても色眼鏡で見てしまう。
「……………私は、前の世界では王だった」
「王様だったのですね!どんな国だったのですか?」
「……こんな風に雪の多い国だ。貧しかったが兵の質は良く、貪欲で残忍な国だった」
「きっとあなたは、強い王様だったのでしょう」
「当然だ。甘い理想論を掲げた兄たちを殺して、王になったのだ。国を富ませるのも私の仕事。周辺の小さな国々を滅ぼし、順調にあの国を育てていたところだった」
その口調には温度のない鋭さだけがあって、ネアは違和感に首を捻る。
やはり王というものの気質なのか、部屋の中にある椅子を勧められることもないが、切り上げたいときに退出し易いので、喜んで立ち話に応じている。
「ラッカムさんは、その国がお好きだったのでしょうか?」
「妙なことを聞くな。国が好きかどうかなど、関係ないだろう。私は、ただ王だっただけだ」
「それだけ力を尽くされて、誇りにだって思っていらっしゃるのに、それでも無関心なのですね」
ネアの疑問に、ラッカムは眉を顰める
「では聞くが、お前は祖国に執着があるのか?」
「私が住んでいた世界のその国は、戦争なぞ遠い歴史の遺産になりかけたところでした。色々な問題はありましたが、私達国民の国へ向ける愛国心は、あのお店の珈琲を御贔屓にしている、という程度のものでしょう。最も、国籍を変えるのは困難ですので、終身の御贔屓としての感慨はありますが……」
「戦争が、…………なかったのか?」
「はい。世界的に、先進国での戦争はありませんでしたね。途上国などに武力介入したりはしますが、大国家間での戦争はひと時代昔のことでしたよ」
(あ、少しだけエマジュリアさんに似ている)
きつくなった眼差しに、戦乱を知らない惰弱な人間だと軽蔑されたのがわかった。
「成程な。戦を知らぬお前からすれば、私なぞさぞかし野蛮に映るのだろう」
「生活圏が違うので、私の祖国と比べることはないですよ?」
「………私の国は、侵略した国を生かすだけのゆとりなどなかった。女も子供も、すべからく殲滅して国を焼いた。それでもお前は、私を畏れないのだろうか」
(難しい人だわ。否定をして欲しいのか、詰って欲しいのか、或いは助けて欲しいのか、真意が読めない会話ばかり)
望んだということは、そこに要求がある筈だ。
エーダリア達も困惑していたが、ラッカムにはその本音の要求がまったく見えて来ない。
こうして話していても、取り留めのないお喋りをしているか、誰かの独白を聞かされているような気分になってしまう。
「率直に申し上げれば、酷い戦乱のお話だと他人事のように感じるばかりです。知らない方々の悲劇を想像してあなたを責める程、私は感情豊かではありませんから」
「角度を変えた綺麗事だな」
「さて、良くわかりませんが、私のようによくあることで受け流せる一般人の方が、極悪非道で鈍感なのかもしれませんね」
「だがお前は、人の命を奪ったこともないのだろう?」
恐らくこういう質問の流れになるだろうと覚悟していた。
親しい人以外ならば曖昧に流してしまった筈のその問いかけに、ネアは首を振る。
「ありますよ」
微かに怯んだような目をしながらも、ラッカムは嘲るように笑う。
「身を守る為か?それとも過失か?どうでもいい人間の死を、自分の勲章にするなよ?」
「復讐の為です。家族を殺されたその復讐として殺しました。見ず知らずの死に感傷はありませんが、私にとって、私が成した死は勲章ではありません。私は殺した方が好きでした。ですからその行為は、この上なく我儘な罪です」
「………我儘?」
「愛した方さえ、自分の心の平穏の為に殺してしまうのですから、私はとても我儘だと思いませんか?」
「………死は、死とのみ等価値になる。お前の成した死は、綺麗なものではないか」
「それこそ都合のいい言い訳ですね。後悔はしていませんが、自分のしたことは正当化したくありません」
ラッカムは、わかりやすく視線を彷徨わせた。
頭の良い人なのだと思う。
だから、その気になればいくらでもネアを追い詰めるような言葉は選べる筈なのに、すぐにこうして言葉に詰まってしまう。
(もしかしたら、言い負かして欲しいのかしら)
これがもしかしたら、非常に分かりにくい形の、救難要請なのだとしたら。
「あなたと私は違います」
「……そんなことは分っている!」
「そうでしょうか?あなたと私では、価値観も倫理観も全てが違うのですよ?おまけにここは、私達が生まれ育ったのとはまるで違う世界です。同じように振る舞う必要も、同じ迷路をぐるぐる回る必要もないんです。私の価値観を理解しようと無理をするよりも、あなた自身は、一体どうしたいのですか?」
綺麗な青い目を瞠って、ラッカムは手をだらりと下げた。
演説に長けたという習慣からなのか、話し出すとつい身振り手振りを加えてしまう癖があるようだ。
そんな風に身に沁みついた習慣ももしかしたら、ラッカムを縛る鎖の一本であるのかもしれない。
「普遍的な価値観など、さして変わらないではないか」
「そうですね、最低限の線引きはあります。けれど、その線の中であれば、あなたはもう何にだってなれたのに」
窓の向こうではしんしんと雪が降っている。
静かで清らかに見えるが、その白の中には、ネアがまだ見たこともないような様々な生き物がいるのだろう。
善きものも、悪しきものも。
この世界は奇妙で賑やかで美しい。
「………お前は何がしたいんだ?何を望み、何をしようとしている?」
「わたし、ですか?」
困り果てたような声に、ネアは首を傾げる。
そう問われてしまうと、あらためて言葉にして考えたことはなかった気がした。
「大切なものが欲しかったです。生きている、大切なものが。それが私の、恐らくは自分でもわかっていなかった切な願い事でした」
そう言えば、まるで悲惨な生活を送っていたようで重苦しいので、ネアは僅かに苦笑する。
「幸福なこともありましたよ。人間が、完全に不幸でいるのはとても難しいんです。綺麗なお月様が見えた夜や、洗濯物のいい香り、上手に出来た料理に美味しいご飯、財政破たん覚悟の上の我儘旅行」
あの世界の輪郭はだいぶ曖昧になった。
ふとしたときに些細なことでこの世界の一部になりかけている自分を思い、それでも永遠に、あの世界の記憶は確かに残り続ける。
「でもその幸福の形ではない、別の幸福も私は欲しかった。親しい友人や、家族や、自分に明確に紐付く誰かを得て、それを慈しんで生きてゆきたかった。……私はとても鈍感なので、それを得る幸運に恵まれてから、実はこういうものが欲しかったのだと気付きました」
朝起きて、おはようと微笑みかける誰か。
夜眠る前に、今日はこんなことがあったのだと言いつけられる誰か。
この大きなリーエンベルクの屋根の下には、そんな人達がいてくれる。
「けれど、あの世界では仕損じた私が、このまっさらな世界に来れただけでも、充分にわくわくしました。お金や住処等、現実的な不安は勿論ありましたが、新しく自分の形を作れるという喜びもあります」
困惑した悲しげな目のまま立ち尽くしたラッカムは、ネアの目には泣き出しそうな美しい女性に見える。
男性であればもう少し雑に扱ってしまったかもしれないけれど、同性だと思うと、どうにかその固く絡まった道筋を解いてやりたくなった。
「きっと、元の世界に失い得ないようなものがあったら、私は絶望したでしょう。でも私は、ここの方が好きです」
「…………お前は、幸福なのだな」
「ええ、とても幸福です。だから、同類のあなたも幸せになってしまえばいいのにとは思います」
「綺麗事だな……」
着地点がまた見えなくなり、ネアは微笑んだまま遠い目になる。
ネアは感情的な部分も多分にあるが、基本は事なかれ主義の面倒臭がり屋だ。
何度もスタート地点に戻されるなら、議論のテーブルをひっくり返して立ち去りたい。
「本音で申し上げれば、…………出会うのは、変態よりは爽やかな好青年の方が嬉しかったですし、一般人ですので役職のつく職場は面倒です。知人に殺されかけるのはそろそろご勘弁いただきたいですし、縄にまつわる消したい過去もあります。おまけに、あなたがここに来てから睡眠時間が半刻程減ってしまったので、今夜は早々に寝たいですし、鋼の妖精がまた最近視界に入るようになってきたので、あの生き物はこの世から消え去ればいいと思っています。それから…」
「まだあるのか?!」
ラッカムが慌てて止めたのは、ネアの目がどんどん凶悪になってゆくからだ。
手元に武器があればどれだけ残酷な戦い方をするだろうという表情で、ネアは遮られた最後の部分を付け加える。
最近一番のジレンマなので、決して黙るわけにはいかない。
是非に吐き出させていただこう。
「悲しい事情が重なり過ぎた結果、私は同性のお友達がいません」
「……………あ、…………ああ。その、気を落すな。友人ならいつか出来るさ」
慌てて目を逸らしながらフォローしてくれたラッカムだが、ネアが手にしていた上着を捩じ切りそうになっているのを見て、大急ぎで取り上げた。
このまま持たせておくと、ひどい上着を着る羽目になるところだった。
なぜか、荒れ狂う猛獣をなだめるように、片手を上げられ、腰を落とし体勢を低くされる。
「友達すらいない私が、このように健気に健やかに生きているのですから、あなたはもっと上手く生きてゆけばいいのです」
「………あ、ああ。そうだな、何だかすまなかった」
素直に謝らなければ殺されるかもしれない暗い眼差しに、ラッカムは少しずつ距離を取り始めた。
身の危険を感じてそろそろこの会話を切り上げようかなとおろおろし始める。
幸い、ネアはその動揺の空気を上手に読んだ。
「さてと、上着もお届けしましたし、私はこれから己の心の闇と対話しますので、失礼しても宜しいでしょうか?」
「ああ、是非にどこか余所でやって貰いたい」
踵を返して部屋の出口まで向かうと、何やら困惑に満ちた悄然とした気配を感じた。
世慣れて賢いものが、不慣れな場所で戸惑っているような危うさは、よくディノに感じるものに似ている。
(だからといって、どうしようもないわ)
この部屋に居るのは、政治的な処遇を待っている見ず知らずの他人だ。
それはわかっている。
言葉は交わしたし、これ以上に何かをしたいなんて無謀でしかない。
大事なものを見付けたばかりなのだ。
他人の為に自分を削るなんて、ほとほと馬鹿げている。
「ラッカムさん、その窓辺にある鈴蘭の花言葉を知っていますか?」
「鈴蘭?………私の祖国では、死者への挨拶だったが」
「私の祖国では、再びの幸せをあなたへという花言葉なのです」
「……………まるで違うのだな」
「ちなみにこの国では、大雪という花言葉なんですよ」
「………大雪……」
「はい。残念ながらそれだけです」
部屋の扉に手をかける直前で振り返って、ネアは微笑んだ。
「もし許可が出ればですが、夕方に妖精狩りに行きませんか?」
「妖精狩り?」
「はい。祝祭用の残った花火を分けてもらったので、花火をきらきらさせて、惹き寄せられた愚かで無邪気な妖精達を狩り尽くすのです。解放を盾に脅迫すれば、祝福をくれるんですよ?」
具体的な妖精狩りの内容を知り、ラッカムは真っ青になっていたが、じっと見つめればこくりと頷いた。
ほとんど慄きのあまり同意してしまったようだが、ネアは満足げに頷く。
とは言えまずは、エーダリア達とディノの説得をしなければいけなかった。