54. 迷い子の話を聞かされます(本編)
「ハヴランに迷い子が現れた」
その日ネアは、珍しく迷い子の話を耳にした。
迷い子とは、ネアと同じく異世界からこちらに迷い込んだ来訪者のことだ。
様々な要因が重なり事故的なもので迷い込む者、呼び落としや呪いの一環で転がり込む者、理由こそ多種多様であるが、一つだけ共通していることがある。
彼等は、その厄介な運命に見舞われるという素質の分だけ、充分に魅力的な存在なのだ。
一つ例を挙げるならば、ヴェルリアに現れた隻眼の男の話が有名である。
彼は迷い子として港町に現れ、その剣技のみでヴェルリアの将軍まで登りつめた有名な人間だ。
特別な美貌を持つわけではなかったが、表情の作り方や人柄など、誰がどう見ても、一目で特別な人間だと感じさせるだけの魅力を持った男だったらしい。
記された記憶でも、彼の結婚はなんと五回、部下達は寝食を削ってでも彼に忠義を捧げたと言う。
水竜と一騎打ちで勝った話、炎竜に恋をされた話、向日葵の精霊との悲恋等、個人的な逸話にも事欠かない。
統一戦争の英雄の一人とされる彼だが、晩年は孫達に囲まれて幸せな隠居生活を送ったそうだ。
(他に、隣の国に現れた迷い子は、目の合った男性が心臓発作で死んでしまったくらいの絶世の美女だったそうだし、十年前にアルビクロムに現れた迷い子は、可愛さの度合いが過ぎて妖精に攫われて行方不明のままだし……)
つまり、彼等は元のあるべき居場所においても、特別な存在であった人間がほとんどであったのだ。
「ディノのことがなければ、私は事故混入だったと思ったところです」
「寧ろ、正式に私の領域の外側から迷い込んだという人間は、ネアだけだからね」
「………そうなのですか?」
驚いたネアが問い返したのは勿論だが、同席していたエーダリアとヒルドも、がたりと机を揺らしたので、彼等であっても知り得ない新情報だったようだ。
「私は、こちらにに君を連れてくるにあたって、練り直しをしたと言っただろう?何の因果関係もない全く別の世界層から魂を移動させるのは、とても難しいことなんだよ。司るものの資質もあるから、出来るのは私だけだろう」
「では、他の迷い子さんはどこから来たのでしょう?その、因果関係のある別世界というものもあるのですか?」
「この世界は、一層だけではないからね。精霊や魔物は、独自に自分達の領域だけの世界を持っているし、妖精達も別の世界の層を作り上げることが出来る。影絵のように、同じ土地に重複して生まれた異世界や、亡霊達が住むあわいの国。本や伝承の中に閉じ込められた小さな世界を合わせると、千は下らない」
「そんなにあるんですね!そしてつまり、他の迷い子さんは、そのような世界………層からこちらに来た方ということでしょうか?」
「そうなるね。私の先代の時代には、君のような迷い子もいたかもしれないけれど、もう随分昔になるから生き残ってはいないだろう」
「そうなのですね………」
いつかは同じ立場の迷い子と出会ったりして、元の世界のあれこれを語り合う野望を抱いていたネアは、救いのない新事実の発覚にしょんぼりとした。
例え同世代や同じ国の出身ではなくとも、同じ世界というだけで通じ合う話題は幾つだってある。
映画や音楽、文化や食べ物の話、そういったたわいもないことで仲良くなれる予定だったので無念だ。
「……………或いは、君が暮らしていた場所は、そうした古い層から剥離したり、分岐した場所であるかもしれない。以前に、言葉の相似性を不思議がっていただろう?」
「は!そ、そうでした………!となると、ディノにとっても認識出来ないような繋がりが、あったりするのでしょうか?」
そう尋ねたネアに、ディノは小さく頷いた。
「とても単純に、私達は自分と違うものの間に線引きを付ける。けれどもそれはもしかしたら、後天的な境界であるのかもしれない。………認識というのは最も古く強い魔術の一つで、私が私の領域として定めた外側も、本来はこちらに繋がる土地だったのか、誰も知らないからこそ非ざるとされる領域があるのかどうかは、今代の世界層を司る私にも分からないんだ」
それは例えば、魔術の煌めきもそうなのだそうだ。
可動域の低いネアには、その輝きが見えない。
もし、世界中の人間がネアのようであれば、魔術などは存在しないとされたかもしれない。
「……………けれどもディノは、私の居場所を、……………知っていたのですよね?」
「そうだね。偶然に見付けた覗き窓があったんだ。その窓を見付けた私は、そこは、ここではないと認識した。けれども、その窓を繋いだ者がいた時代には、まだ橋や扉が残っていた続き間のようなものだったのかもしれない」
「なんとなくですが、理解出来ました…………。その説であれば確かに、ディノが理由を知らずとも、私の生まれ育った世界…………便宜上これからもそう言いますが、と、こちらが繋がっていたという可能性もあるのですね!」
ネアは、ごくごく普通の人間が抱きがちな探求心と冒険心でわくわくしてしまった。
とても難しく恐らくは明確な答えが出なさそうな話でもあるが、例えば、あの国のどこかもかつてはこちら側に、或いは先代の世界に繋がっていたのかもしれないとすると、何だか楽しいではないか。
(だからこちらの世界には、私のよく知る言葉が沢山あって、だからあちらの世界には、存在しない筈の竜や妖精さんの物語が沢山あったのだとしたら……………)
おまけにそれは、人間の世界の重なりではないかもしれないのだ。
ネアの生まれ育った土地は、元妖精の国だったかもしれないし、竜の国だったのかもしれない。
こちら側のあわいや、影絵で、どこかや誰かが重なっていたのかもしれない。
だからこそ、あの世界でこっそり抱え続けたネアハーレイの願いが、ここで叶ったのかもしれない。
もう、一人ぼっちではなくなりますようにと。
「ネア………?元の居場所が恋しいのかい?」
「どちらかと言えばこちらの世界の暮らしの方が性に合っていますので、そこまでではないのですが、同じ世界の人に出会えたら、性別や年齢を問わず、固い友情で結ばれる筈だったのです。計画が狂いました」
心配そうに問いかけた魔物の表情が、わかりやすく酷薄な微笑になった。
「駄目だよ、ご主人様」
「む。……私とて、交友範囲の狭さに己を恥じているのですが」
「もう、沢山いるだろう?」
「同性のお友達がいません」
「ネア、同性の友達は禁止!」
「ゼノ、………私の社会生活は今、とても侘しいです」
使い古された歯ブラシのようになって威嚇してきたクッキーモンスターに、ネアは肩を落とした。
特に女性同士できゃっきゃと騒ぎたいタイプでもないが、やはり同性の友人は必要だと感じる場面も多い。
ゼノーシュが居る限り、結婚適齢期の女性をこのリーエンベルクに連れ込むのは無理があっても、例えば明確なお相手のいる女性などであれば問題ないと思うのだが。
(既婚者層だと、お子さんがいる可能性があるから駄目なのかしら)
では、既に男児しかない女性であればどうだろう。
そんなことを考えていたら、ゼノーシュが悲しげに首を傾げた。
「ネアの友達は、僕がいるのに……」
「くっ、思わず頷いてしまいそうなあざとさですが、ゼノは女性ではありません」
「ダリルがいるから大丈夫だよ」
「ゼノ、ダリルさんはドレスが好きなだけの立派な男性です」
ここはもう、魔物の感覚は当てにならないと判断したネアは、謎に微笑ましくにこちらを見ていたヒルドに視線を向ける。
このような機会でもない限り、友達が欲しいなど自ら言うのも悲しい問題であるので、なかなか議論も出来ない。
折角なのでここで味方を付けておきたかった。
こちらを向いたネアに、綺麗な瑠璃色の瞳を瞠ったヒルドは、唐突に難攻不落の鉄壁のような微笑みを浮かべた。
「ネア様と同世代の女性となりますと、余計な価値観や知恵をつけられかねませんからね」
「ヒルドさん、清々しいくらいに排他的ですね……」
「女性一般の興味や嗜好に、私はあまり信用を置いておりません。奇跡的に安定している環境なのですから、どうかこのままで健やかにお過ごしいただきたいかと」
「………健やか」
救いを求めて周囲を見回したが、懐かしい素早さで、エーダリアとグラストは視線を逸らした。
ぎりぎりと眉間の皺を深くしているネアは、最初から隣の魔物を頼ろうとは思わない。
(意外なところで、時々ものすごく常識人になるダリルさんに相談してみようか……)
「………で、そのハヴランに現れた迷い子がだな、仮面の魔物を誓約で捕えたという一報が入った」
「………………え?」
会話を本題に戻したエーダリアが、驚くべき報告を口にする。
慌てて議題に戻ったネアはディノの様子を窺ったが、魔物は呆れたように首を振るばかりだ。
「ディノ、アルテアさんは捕まってしまったのでしょうか?」
「いや、そうではないと思うよ。彼の階位では、一方的な誓約で行動を制限するのは難しい。彼自身の同意が必要になるけれど、彼はもう、その余分を増やさないだろうし」
(まるで、もうアルテアさんには、誓約を交わした相手がいるような言い方だ……)
ディノの言葉に首を捻りつつ、ネアは、エーダリア達も同意していることに安堵した。
今日は薬作りではなく打ち合わせたいことがあるとお達しを受け、この部屋でまさかのフルメンバーの会議になった時から、少し嫌な予感がしていたのだ。
「でも、アルテアさんは、あの通りの性格の方です。その迷い子の方を気に入られたのでは?」
「それもないだろうね。ハヴランの迷い子は、アルテアも知っている。寧ろ、彼の嫌いな気質の人間だ」
「どのような方なのか、ディノは知っていますか?」
「…………さあ」
あからさまに視線を逸らされて、ネアは無言で矛先を変えた。
くるりと向き直られて、エーダリアが陰鬱な表情になる。
机の上に置かれたカップに手を伸ばそうとして、諦めたように手を戻した。
「ハヴランの迷い子は、美貌の調伏士だと聞いている。辺境の城を一つ落とし、人心掌握の演説にも長け、領民の支持も厚い。初期段階では国も問題視していたが、逆にその力を利用する方針に切り替えたようだな」
「美人さんなのですね。調伏士とは、どんなお仕事なのでしょう?」
「言葉通り、魔術で相手を捻じ伏せる能力だ。歌乞いとは違い、明確に主従をつける……」
エーダリアの言葉が後半彷徨ったのは、ネアの手の中に三つ編みを放り込もうとした魔物が、ご主人様のひと睨みで肩を落して項垂れたからである。
現在、躾強化月間中であるので、上下関係を明確にし、三つ編みをリードにする頻度を減らしているところだった。
「と言うことは、その方はとてもお強いのですね。人ならざるものは綺麗で強いものに弱いと聞いていますが、大人気なのではないでしょうか?」
「それも懸念材料の一つだ。ヴェルクレアとは国境で面した国である以上、そのことが国家間の均衡を崩しかねない。その上、仮面の魔物は元より、各国での歌乞い達が成果物を奪い合っていた理由そのものだ。それを押さえたと公言した以上、国際情勢への影響力は無視しきれないところまできている」
苦虫を噛み潰したような表情のエーダリアに、ネアはしばし熟考した。
近年のヴェルクレアとの国境沿いの国々の関係は、とても安定していたと聞き及んでいる。
どこも他国を脅かす程に好戦的ではなく、また突出した力を有してもいなかった。
だからこそ、ヴェルクレアは仮面の魔物の脅威から逃れたことを隠匿していたのだし、そこまで細やかな配慮が必要であった以上、今回のことは静かな水面に放り込まれた小石になるのかも知れない。
「それが実際には仮面の魔物ではなく、また、そのカードがこちらにあったとしても、厄介なことなのですね」
「ああ。本来この件の対策は、国家の暗部の仕事だ。だが、お前がヴェルクレアの歌乞いであり、仮面の魔物と交友がある以上、火の粉が飛ばないとも言い切れない。念の為に用心してくれ」
「わかりました」
「一概に刈り取って済む話でもないのが、今回の厄介なところですね」
ヒルドがそう言うのも最もだ。
それだけの手札である以上、国としてもその迷い子には厳重な警護をかけているだろう。
万が一その調伏士が殺された場合、揺らぎ荒れるのはハヴランだけでは済まない可能性が高い。
領主として人気があるような人物であれば尚更だ。
(波風立たせず、綺麗に表舞台から引退していただければいいのだけど)
ディノに頼めば、その調伏士を葬り去ることなど容易いことくらい、この部屋に居る誰でも知っている。
けれども生まれ育ってしまったものを後腐れなく刈り取るのがどれだけ難しいかも、この部屋の誰もが知っているのだろう。
ネアには考えもつかないような幾つもの方策を取りまとめ、この注意喚起だけに留められたのであれば、政治や戦略の素人であるネアに口出しする権利はない。
(どのような経緯で、仮面の魔物を捕まえたと発表したのかもわからないし)
ネアは国の歌乞いとは言え、目立たない歯車の一つだ。
それを望み、この国は上手く目立たない歯車の一つとしてネアを使ってくれている。
だからこそ下りてくる情報は限定的でもあり、このような身近な者達を案じる際にやきもきしてしまうことも多い。
そんなネアですら、場合によっては水面の小石になりかねないのだから、その調伏士とて、望まずに水面の小石になってしまっている可能性もあるだろう。
(魔術で敵を屈服させてゆく、人望厚く強い美人さんかぁ…………)
凛々しく美しい甲冑の美女を思い浮かべて、ネアはわかりやすく羨望に歯噛みした。
野心的な人間であれば、また、俗世に汚れた人間であれば、一度くらいは憧れる肩書きだ。
魔術可動域が最低値のネアからしてみれば、眩しくて見えないくらいの憧れの領域である。
「………ネア、その調伏士が気になるのかい?」
ディノの問いかけは穏やかでさえあった。
けれど刃物のような美しい微笑みに、ネアは胡乱気な目で魔物を見返す。
このような公の場で、また変な疑惑をかけるのはやめていただきたい。
「魔術に長けた美女となれば、憧れてしまうのは致し方ないところです」
冷やかにそう答えたネアに、なぜかディノは目を瞠った。
相変わらず溺れそうな程に澄んだその瞳を覗き込みながら、ネアは不信感に眉を顰める。
「なぜ自分で切り出しておいて、私の返答に驚くのでしょう?」
「………ネア様、調伏士は男性の方ですよ」
見かねてヒルドが口を挟み、ネアは、手にしていたナプキンをぼさりと取り落とした。
お茶請けに用意された焼き菓子を食べようとしたことも忘れ、重苦しくヒルドの方へ体を捻る。
すっかり荒んでしまったネアの様子に、勘のいいヒルドは痛ましげに小さな息を吐いた。
「…………男性」
あわよくば、山あり谷ありで様々な事件を乗り越え、最後にお友達になったりするドラマチックな展開もありうるかもしれないと期待をしたのが馬鹿だった。
ネアは、わかりやすく低くなり過ぎた正直な自分の声に悲しくなった。
「ネア、……なんでお前はそこでそんな暗い眼差しになるんだ?」
「エーダリア様、説明のあった履歴の人物が素敵な美女なのと、特にどうでも良さそうな男性なのとでは、事態に向ける興味の度合いが変わるのは仕方のないことです」
「逆じゃないのか……」
「素敵な美女さんであれば、それだけお強いのですし、上手くここにいる方々を丸め込んで貰ってお友達になる展開とてあったかも知れないのですよ?」
「成程。………切に男性で良かった」
「その調伏士さんとやらはもう、面倒臭い邪魔者という認識に大幅格下げされましたので、早急にぽいっとやってしまって下さい。私の平穏な人生設計を脅かすようであれば、是非にお手伝いさせていただきます」
「待て、どうしてそんな好戦的なんだ!」
「背が少し高くて、女性的だけれど凛々しかったりもする素敵な美女を想像したのに!」
「どんな勝手な八つ当たりだ!」
どんどんやさぐれてゆくご主人様に、ディノは困惑したように首を傾げた。
先程までの冷やかさは微塵もなく消え失せ、稚く不思議がる魔物は何だか可愛らしい。
「ネア、男性ならどうでもいいのかい?」
「寧ろ男性でその履歴など、鬱陶しい要素しかありません。この国の方なら頼もしい限りですが、よりにもよって国境沿いの他国の方ですよ。一領地を落したところなど非常に好戦的ですし、静かで穏やかな日々を送りたい私とは決して相容れません」
お向かいから、“静かで穏やか?”と懐疑的な呟きが聞こえたので一瞥して黙らせ、ネアは荒んだ眼差しのまま、つい無意識で魔物のおさげを引っ張ってしまった。
ご機嫌斜めなご主人様に髪の毛を引っ張られ、ディノは幸せそうに目元を染めてもじもじする。
「では良かった。ウィリアムが、ハヴランで近く鳥籠が展開されると話していたから、その迷い子はいなくなってしまうかもしれないしね」
「………鳥籠ということは、ガゼットのようになるのですか?」
「もう既に死者の行列は出ているみたいだからね」
「それは怖いですね」
完全に他人事になったのでネアがそう言えば、前方からものすごく重苦しい気配が漂ってくる。
焼き菓子を取るついでに見てみると、エーダリアはほとんど机の上に伸びきっていた。
少しばかり可哀想な有様ではないか。
「エーダリア様?」
「………その話を詳しく教えてくれ」
久し振りに重たい会議になりそうである。