8. 今日の仕事を終えたら街にでます(本編)
歌乞いの日課はとても単純だ。
魔物に合わせて一日のスケジュールを定め、その魔物の質となるものを生成する。
魔物にも体内時計がある為、夜型の魔物を持つ歌乞いは必然的に夜型の生活を強いられることになるだろう。
週に一度、最寄りの魔術組合に顔を出し、自分の余命を観測してもらうので、残り時間によっては、小さな成果を重ねるより、大きな成果物を選択しなければならない。
そのような段階になると、ごく稀に、魔物は歌乞いを攫って失踪することもある。
野生の獣のように、主の死に際を見せたくないと感じる魔物もいるようだ。
働き方が変わるのは、その歌乞いが自営であるか、組織に属するかの違いによる。
その他にも商業組合や、更には個人経営の劇団勤務など様々な運用の道が整えられていた。
歌乞い自身が独立する場合を除き、個人が歌乞いの雇用をすることは禁じられている。
能力の独占と、乱用を禁じる為の措置ではあるが、自営の歌乞いを囲い込まれる事例は後を絶たない。
ネアは、国に所属する歌乞いだ。
白の塔、ガレンエーベルハントに属する歌乞いではなく、ヴェルクレアという国そのものの名称に紐付く歌乞いで、実質的には、その前線である王家直属の扱いとなり、しかしながら、歌乞い達を統括する白の塔の上層部にその運用が委ねられる。
給与は塔ではなく王家から支給されるのが正しいフローではあるが、今回は王家という首輪が、塔の長であるエーダリアに一任されているので、主軸となる契約費と任務給与は王家から、そしてその他の雑費は塔より予算が計上されるそうだ。
(まぁ、今回はガレンエンガディンが、元第二王子だからの特殊事例なのかな)
ガレンエンガディン。
それがネアの婚約者である、エーダリアの正式な職務名称である。
白の魔術師というその名を許されるのは、塔の長になる魔術師だけであるし、“塔の魔法使い”と呼ばれるのも、ガレンエンガディンだけの称号だ。
ネアは契約の翌日、エーダリア直々に、余命の観測を受けた。
左手首に指を添えられると、淡い紫色の術式陣が浮かび上がる。
きらきらと光って空中に刻まれたそれを、ネアはぽかんとして見上げた。
その後のエーダリアの顔色はあまり思わしくなかったので、あまり寿命が残っていないのだろうか。
さらにその後、一つの任務を与えられて魔物が削る命の量を計るのだが、その際にはディノが「削らないよ」と宣言して、また少しガレンエンガディンの顔色を悪くした。
念の為に観測を重ねたが、本当に寿命は削られていなかったそうだ。
「ネア、この薬が作れるだろうか」
その日、エーダリアから仕事の依頼が入った。
そろそろグリムドールの鎖を捜索に出なければいけないネアは、現在もまだ北の王宮に缶詰にされている。
ディノの知識を借りて幾つかの書類を上げているので、当初は、あまりにも能力が低いのでデスクワークに回されたのだろうかと不安になった。
「ディノ、このお薬を作りますよ」
「ふぅん。人間は妙なものを欲しがるね。この効用なら、リブスタッツの実と竜の鱗でも補えるのに」
「待ってくれ!今の内容をもう一度!」
もの凄い形相でエーダリアが滑り込んできたが、ディノは鬱陶しそうに片手を振るばかり。
仕方なくネアが伝言係をすると、婚約者殿は子供のような笑顔でどこかへ走り去っていった。
「出来たよ。危ないから、ネアは触れないようにするんだよ」
「スリン……ダビル?………これは、どういう効果のある薬なのですか?」
「魂そのものの自白剤みたいなものだね」
「………はい?」
ディノが精製した薬は、緑色のガラス瓶に入った液体のようなもの。
入れ物ごとぽんと精製してしまうので、エーダリアは空き瓶収集をしているそうだ。
どれだけディノが好きなのだろうと、もらい泣きしそうになってくる。
「過去の因縁を紐解いたり、世代を超えた病の原因を探ったり、政敵の失脚に使ったりと、人間は業が深い」
「政敵を追い落とすのに使うということは、前世のことをネタにして相手を強請るのですか?」
「それが一国の国王候補で、魂の由縁が、自国の民を殺戮した敵国の将軍だったら?」
「確かにそういう事例であれば、周囲の人間も、割り切れない部分で心が動きますね」
そうして暴かれた己の履歴で、健やかに生きる筈だった誰かの人生がひび割れてしまうこともあるのだろうか。
「ディノは、この薬の運用に詳しいのですね」
「時々欲しがる人間がいるからね。どうしても退屈だと、わざと手に入れさせたりしてたから」
「まぁ。使われ方によっては酷いことになりませんか?」
「私達は、魔物だからね」
そう微笑んだディノは、見慣れない服装をしている。
黒に近い炭色の上着はジュストコールやフロックコートめいた形で、ベルベットのようなにものかの毛皮製。
袖口が広がっており、下に着るドレスシャツのフリルを覗かせられるようになっている。
さらりとした白いシャツの襟元に真っ白なクラヴァットを巻き、パンツはコートと同色。
裾先から覗くのは歩きやすさよりそのシルエットの美しさを優先したような灰色がかった白いブーツだ。
(これで街に下りて、果たしてちょっと裕福な商人という肩書が通るだろうか)
コートには同色の糸で施された刺繍があり、服地の素材一つをとっても、一介の商人では手の出しようがない品物だとすぐに見抜かれてしまいそうだ。
髪色は後で変えるそうだが、きちんと監修しようと、ネアは意気込みを深めた。
「もう少ししたら街に出ましょう。私も案内出来る程度には下見をしてあるので、どこか行きたいような場所はありますか?」
そう言えば、ディノは拗ねたような顔になる。
「ネア、一人で街に出たのかい?」
「この街は、仮にもかつて王都であったところです。治安もいいですし、きちんと整備されていますよ」
「でも、危ないよ」
「こう見えても、以前は一人で国外旅行をこなしていた猛者ですよ?それに、今回で慣れてしまえば、次回からはディノが私を守ってくれるでしょう?心配ありません」
早くもそのときから転職先の下見に出たのだと知れればまずいので、ネアは自分の魔物の気持ちを持ち上げ直すことにした。
「今日の昼食は外で摂りましょうね。ディノは舌が肥えていそうなので、庶民向けの中でも、美味しくて有名なお店も幾つか調べておきました。お腹に余裕があれば、屋台のお菓子もいただきましょう」
「………屋台のお菓子」
「この国では、秋から冬にかけて、木の棒に巻き付けたパン生地に、乾燥ベリーの粉末を練り込み、蜂蜜とシナモンをまぶして、手で回し焼くんです。知りませんか?街中を歩くと、教会の前や広場では甘い匂いがします」
「食べる」
「あら、ゼノーシュさん」
急にディノではない声が混ざり込んだと思ったら、反対側から袖を引かれた。
水色の髪の青年が、いつもは眠そうな表情の瞳を輝かせてこちらを見ている。
「ゼノーシュはお留守番だよ。君の歌乞いに連れていってもらうといい」
にべもなく切り捨てたディノに、ゼノーシュはわかりやすい絶望の表情になった。
可哀想ではあるが、流石にエーダリアの護衛の要を持ち出すわけにもいかない。
「お土産で買ってきましょうか?」
琥珀色の瞳を潤ませて美麗な青年が頷く様は、なんとも胸に突き刺さる。
ディノの教育実習でなければ、是非ともクッキーモンスターを連れ出したかったが、そうもいかないネアは、お土産を二つ持って帰ると決めてぐっと堪えた。
「ネアも、何か好きなものを買えばいいのに」
お金ならあるよと、これまた別方面で胸に刺さる言葉を言うディノに、ネアは前払いの給金があるので大丈夫だからと言い含めた。
生活準備金がある程度支給されたことと、元王族の考える月額相場がおかしかったお陰で、懐はある程度温かい。
(けれど、ここを離れて転職するなら、もっと手堅く貯めないと)
現在は住み込みで食事もついている。
業務上必要な備品の購入も可能なので、初期経費がかからないのは有難かった。
この中だけで生活している限り、無駄な出費はない。
ネアに必要なのは、組織に請求できないような女性特有の個人的な買い物と、ディノに必要なあれこれで自分の裁量で動かすもの、そして転職先の魔物誘致に伴う賄賂代である。
(転職するには、移動費用と、移転先の部屋代に生活を整える初期費用……)
丁寧に計算してゆけば、かなり生々しい額になる。
初回の街訪問で、元王都の相場を調べておいたものの、やはりもう少し郊外が望ましい。
ここウィームの町は、絵画と音楽の街で非常に物価が高い界隈だ。
「必要なものは揃っているので大丈夫です。今日は、観光客みたいにぐるりと街を見ましょうね。食べ物は人間の生活がよくわかる素材ですから、昼食の他にもつまんで構いませんけれど、お土産は一つまでですよ!」
「私にも買ってくれるのかい?」
「まぁ。せっかく街歩きをするのですから、何も購入出来ないのは切ないでしょう?あまり高価なものはいけませんが、お土産の範疇の品物は街に沢山ありますよ」
魔物が何を好むのかはわからない。
ウィームなら、オペラハウス、美術館に自然史博物館が名所となっている。
各国の王宮にも卸されている陶器はここで絵付されているし、紅茶とケーキも有名店が多く、花を象った硝子細工も有名だ。
また、ディノには関係ないが、刺繍製品やスカラップレースなども有名だという。
(某海外百貨店並みの品揃えの、リノアールに入ったら帰れなくなるかもしれない………)
危険指定地域として、リノアールは要注意としよう。
それは何かと問われたなら、三階建ての離宮めいた造りの建物で、高級百貨店を想像すればいい。
店舗内に違法併設された別店舗などもあり、魔術道具の店や、妖精の営む宝石店もある。
ネアも是非に一度冷やかしてみたいが、出られなくなる危険を察してエントランスで辞退した。
まだ金銭感覚の曖昧なディノを連れて行くには、時期尚早だろう。
余談だがこの世界には、クリスマスに相当するものがある。
イブメリアと呼ばれるその期間は、この大陸の教会が祀る神、鹿角の魔物が姿を現した日を中心にしている。
前夜までの七日間を祝い、当日の夜はヴェルクレアも国を挙げての祝祭となるそうだ。
そんな季節に備えるリノアールは、さぞ盛況なことだろう。
内装も素晴らしいそうだし、季節限定の品物も多いらしい。
堅実だがお祭り気分になると懐が緩むネアは、厳しく自分自身を戒めた。
(転職するんだ。転職するんだ。………お金は大事。お金は大事……)
けれども、欲望が表情からだだ漏れ過ぎて、ネアは案の定ディノに振り回されることになった。