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冬林檎の飴と雪狼


その朝ネアは、ゼノーシュと一緒に朝市に出ていた。

ディノを置いて出てきたのは、ディノが別件でウィリアムと会っているからなので、魔物を無理やり置いてきた訳ではない。


「ゼノ、顔が……、お顔が死んでいますよ?!」


グラストは自分の領地の問題で自宅に戻っており、エーダリアはヒルドとダリルに囲まれて会議をしている。


ネアがゼノーシュと朝市に来たのは、冬林檎の飴が限定発売されるとかで、見聞の魔物がとても楽しみにしていたからだ。


冬林檎自体は珍しいものではないが、その飴に使われる砂糖の代役が特別なものなのだ。

雪菓子を砕いて使って甘味料として使っているそうで、老舗の飴屋のレシピはそれ以外にも複雑らしく、ゼノーシュだけではなくご贔屓さんは多いのだろう。


ゼノーシュは張り切って買いに来たのだが、飴はまさかの売り切れ御免であった。

嬉しそうに弾みながら買い出しに来たクッキーモンスターが、ぱたりと両手を落としてしまったのを目撃したネアは動揺した。


慌てて他の店のお菓子をあれこれ薦めたのだが、もう脳内が冬林檎の飴になっているのだろう。

ゼノーシュは完全に目が死んでいる。


(次の発売はまさかの年明け後!!!)


繊細な細工物の飴は贈答品として人気があり、年始の挨拶に欠かせないのだとか。

その為に、飴屋は贈答品作りにかかりきりになるのだそうだ。


「ゼノ、他に食べたいものはありませんか?」


「…………冬林檎飴」


「ゼノ、一度飴から離れましょう。他に食べたいものは…」

「冬林檎………飴」

「駄目か!」


天を仰いだネアの横で、虚ろな目をしたゼノーシュが、冬林檎の飴以外の飴を売っている屋台を見ている。

飴屋の主人も、絶世の可愛い生き物の傷付いた眼差しに表情を曇らせていた。


「ゼノ、ひとまず帰りましょうか?」

「………帰る」

「それか、奮発してザハのケーキでも買ってゆきますか?」

「ザハは、梨と苺と、葡萄の飴しかない」

「飴から離れて!」



そんなネア達が、ウィームの中心地を離れて北部の雪原に来ることになったのは、厄介な理由があった。

明らかに顔が死んでいるゼノーシュが不憫になったのか、飴屋の側にいたご婦人が教えてくれたのだ。


「それにしても雪狼さんは、まさかの飴好きなのですね」


まだ朝の段階に売り切れというのもおかしなものだと思ったが、どうやら冬林檎の飴はとある男性が買い占めていったらしい。

知り合いの雪狼の好物だとかで、まさかの樽買いだ。


「……ゼベル」


ゼノーシュの怨嗟の声の主、冬林檎の飴を買い占めた犯人は、リーエンベルクに勤める騎士の一人、ゼベルという青年らしい。

ぼさぼさの黒髪に赤い目という、あまりにもウィームの人々の記憶に残りやすい容姿の所為で、ご婦人の記憶にもしっかり残っていた。


(……前に、送り火の魔物さんに間違えた人だなぁ)



そのゼベルという青年は、狼好きで有名なのだとか。

送り火をとてもリスペクトしてしまった結果、あの髪型になっているらしい。


「送り火さんの逃亡中には、さぞかし生き難い髪型でしょうに」


元々持っている色彩が似ているのを天の采配とあの完成形らしいが、一応は公的な役職にあるので、あえて恨みを買う髪型はどうかと、グラストからは自重するように叱られたこともあるとか。

好きにしていいと許しているのはエーダリアらしい。


「グラストに叱られたのに髪の毛もあのままだし、……冬林檎飴も……」


「ゼベルさんも、よりにもよって、ものすごい私怨を集めましたね」



ゼベルから飴を少し分けて貰うと話したゼノーシュを一人で行かせても良かったが、眼差しが完全に暗殺者のそれだったので、ネアは慌てて同行を申し出た。

ゼノーシュを殺人犯にするわけにはいかない。



「そして、見渡す限り雪原過ぎるのですが、問題の方々はどこにいるのでしょう?」


「この辺にいる筈」

「よりにもよってゼノに追われるとは、不憫な方です」


完全なる殲滅モードのゼノに手を引かれ、ネアは慄き半分、手を引っ張ってくれるゼノーシュの可愛らしさに頬を緩める。

手袋がネアのイブメリアのプレゼントなのが、余計に可愛らしくて堪らない。


さくさくと雪を踏みながら雪原を横切ってゆくと、途中でゼノーシュがぴたりと足を止めた。

むっと眉を寄せたので、何か不安要因があったのだろうか。


「ゼノ?」

「敵襲」

「え?!」


その瞬間、薄灰色の巨体なものが雪の中から現れ飛びかかってきた。

咄嗟に片手で顔を庇ったネアが、飛び散る雪片の中で何とか見ることが出来たのは、ぎらりと光る真っ青な瞳だ。


「愚かだね」

「………グッ!」


怖々と顔を庇っていた手を下ろした時にはもう、決着はついている。

可愛らしく両手を腰に手を当てたゼノーシュの向こう側に、毛皮の大きな生き物がひっくり返っていた。


「………ゼノ、この子はどなたでしょう?」

「雪狼」

「この子が雪狼さん……」


どうやら、飛びかかったところを、ひっくり返されて雪の上に落とされたようだ。

ふわふわの白い毛に覆われたお腹を剥き出しにして仰向けにされたまま、自由な手足をばたつかせている獣に、ネアは目を丸くする。


「僕に牙を向けるなんて!」

「今のゼノはご立腹ですものね」

「冬林檎の飴は持ってないね」

「もしや、その為にひっくり返しましたね」

「うん」


そんなことを話していたら、物凄い勢いで走ってくる人影があった。

手を振り回して何か意味のわからないことを叫んでいるので、恐らく取り乱しているのだろう。


「見つけた」

「もしやあの方が、ゼベルさんですか?」

「懲らしめるね」

「ゼノ、大前提としてゼベルさんは、懲らしめられるようなことはしていませんよ?」


このままでは殺人事件になるので、ネアは慌ててゼノーシュの隣に立った。

クッキーモンスターはとても殺気立っているので、ここは臨時の通訳として活躍しよう。



「やっ、やめて下さい!雪狼を殺すなんて……!!毛皮が欲しいなら、僕がこの雪狼を買い取りますから!!」


息も絶え絶えに駆けつけてきた青年は、走ってきたその勢いで、ネア達の前に跪く姿勢で滑り込んできた。

スライディング跪きとでも言うべきだろうか。


「いえ、飛びかかってきたのでひっくり返しただけで、害意はありませんよ?」


「ひっ?!ネア様?!」


「……その驚き方をされると、なぜか心が狭くなりそうですね」


ネアの姿を認めた途端、ゼベルは文字通り震え上がった。

あまりの怯えように、ネアは渋面になる。


「ネ、ネア様の御前とは知らず、大変失礼いたしました。どうか契約の魔物様を……ディノ様じゃない?!ゼ、ゼノーシュ様っ?!」


「あなたの観察能力が不安になりました。ディノとゼノでは身長がだいぶ違いますし、そもそも今のゼノは擬態しているので、髪色すら蜂蜜色です」


「すっ、すみません!狼しか見ておりませんでした!!」


「それは騎士の素質的には駄目なやつなのでは……」



ネアの容赦のない指摘に、ゼベルは悲しそうに口元をへの字にする。

ぼさぼさの前髪が邪魔で、片方しか見えない目が悲しげに伏せられた。


「序列は第二席なのですが、狼がいるとどうしても……。申し訳ありません」


「第二席の方なのですね!そんなにお強いのに勿体ない……」


「ネア、懲らしめよう」


「ゼノ、私がさっき伝えた大前提を思い出して下さい。この方は無実です」


「………冬林檎飴」


「僕は、何らかの罪に問われているのですか?!」


また震え上がってしまったゼベルが不憫だったので、ネアは早々に問題を解決してしまおうと心に決めた。


だぼっとした黒いコートを着たゼベルは、髪型と相まって、悪戯をした子供のようで不憫さが倍増して見える。

学徒にも見える長いチェック柄のマフラーといい、長身の割には若く見える青年だ。



「ゼベルさん。ゼノは、ゼベルさんが買い占めてしまった冬林檎飴の熱狂的な支持者です。買い占められた飴を分けて貰うべく、ここまで追い掛けてきてしまう程の熱意ですので、どうか、かしこい選択をして下さい」


「冬林檎の飴……」


「はい。買い取らせていただくので、少し分けて貰えますか?」


「あの、……ネア様」


「樽で買ったのですから、少しくらい如何でしょう?私がゼノを止められるのも、そろそろ限界です」


「ネア様、……僕は、冬林檎の飴を買っていません」


「………え?」


跪いたまま両手を上げて服従の姿勢を見せつつ、ゼベルは必死に弁解する。

少し涙目になって必死に首を振っていた。



「ネア、やっぱり懲らしめよう」

「ゼノ落ち着いて下さい。きちんとお話を聞きましょう」

「でも、あのお店の前の人間は、ゼベルが買い占めたって話してたよ?」

「よく似た別の方という可能性も……、もしや」


ネアは目を瞠った。

もしや、ゼベルではなく、ゼベルがリスペクトしている送り火本人ではないかという可能性に気付いたのだ。


「………ゼノ、もしやグレイシアさんなのでは?」

「……飴、ここにないの?」

「ゼノーシュ様、僕には冬林檎の飴を樽で買うだけの余裕はありません!」


不当な疑いをかけられたゼベルは、必死に釈明している。

リーエンベルク勤めの騎士はかなりの高給取りと知っているネアが首を傾げると、とても渋い顔のゼノーシュが不服そうに頷いている。


「……確かに、グラストが、ゼベルはお金を全部狼に使ってしまうから、火の車だって話してた」


「……火の車」

「そのくせに、狼とは仲良くなれてないって」

「うっ……」

「ゼノ、ゼベルさんが泣きそうなのでやめてあげましょう」


雪の上に突っ伏したゼベルが小刻みに震えている。

こんなに好きで、おまけに魔術や知識に長けた魔術騎士の素質でも駄目となると、イヌ科の生き物への触れ合い方が絶望的に下手なのだろう。


「………狼は僕が嫌いなんです」

「あ、自分語りの落ち込みに入りましたね………」

「給金は全て上等な肉を買って会いに行くんですが、ほとんど食べてくれないか、襲いかかってきて奪い取ってゆくだけで」

「冬林檎飴を好物とする雪狼さんが、お肉だけで満足するのでしょうか」

「送り火の魔物も、握手をして貰おうと思って追い掛けたら全力で逃げられましたし」

「まさか、脱走中に追い掛けていませんよね?」



がくりと雪原に力尽きたゼベルと、隣で低く怨嗟の言葉を呟いているゼノーシュに囲まれ、ネアは小さく溜息を吐いた。


「ゼノ、ここにいる雪狼さんを解放してあげて下さい」


「………うん」


「ゼベルさん、宜しいですか?見ていて下さいね」


「………ネア様?」


驚いて顔を上げたゼベルに頷いてから、捕縛の魔術から解放されて慌てて起き上がった雪狼の前に立つ。

酷い目に遭ったばかりの雪狼は低く唸ったが、あえて攻撃をしかけるようなことはしなかった。


「ごめんなさい、教育の為の犠牲になって下さいね」


「ギャウッ?!」


車くらいの大きさのある雪狼は、次の瞬間、軽やかなネアの足払いでもう一度ひっくり返された。

またしてもふわふわの白いお腹が剥き出しになる。


「まずは、こうして仰向けにして脆弱な腹部を晒させます」


「ネ、ネア様?!」


「そしてこう!首筋は獣の弱点ですから」


「キャウン?!」


仰向けの雪狼に飛び乗り、ネアは太くもふもふの首元にディノの指輪のある方の手を当てる。

やはり魔物の指輪は固有結界を無効化するらしく、これだけの体格差があっても雪狼は大人しくされるがままになった。


「後は、しっかり上下関係を教え込むだけです」


「……え、」


「いいですか、あなたはいきなり通行人を襲う悪い子です!しっかり反省しなければ、狼鍋にしてしまいますよ!」


獣は瞳に滲む感情にとても鋭敏だ。

ひっくり返されたままネアに覗き込まれた雪狼は、一切の躊躇いのない酷薄な眼差しと、歴戦の狩りの経験から溢れる自信に打たれて震え上がった。

何だかよくわからないが、この少女が恐ろしい敵だと悟ったのである。


睥睨した獲物がか細い声でキューキュー鳴き出したのを確認してから、ネアは冷ややかな微笑みで雪狼を解放した。


「宜しいでしょう。以後気を付けて下さいね」


「キューン!」


「………そんな、野生の雪狼が子犬みたいだ……」


愕然とするゼベルの前で、解放された雪狼は分かりやすくネアに服従の姿勢を見せた。

ぺたりと伏せの姿勢のまま、ちらりちらりと上目遣いにご主人様を見上げている。


「良いもふもふにはご褒美を差し上げます!」


従順な獣の耳の後ろを、ネアは両手でわしわしと掻いてやった。

雪狼のご機嫌スポットは耳の後ろだと、この世界に来たばかりの頃に書物で読んでいる。


その後、大きな尻尾を扇風機のように振り回して大喜びした狼は、解放されたものの名残惜しそうに立ち去っていった。


「野生の雪狼さんは、警戒心が強く、とても矜恃高い生き物です。ですので、成体はこのように相手の上に立ってしまうことです。可愛がるだけで仲良くなりたいなら、子供から関わらないと難しいでしょう」


「は、はいっ!」


「犬の躾と同じですので、後は飴と鞭でしっかりメリハリをつけてあげて下さいね」


「ネア様はお強いのですね!あの大きさの雪狼を調伏するなんて……」


「今日履いているブーツは、対仮面の魔物用に、ヒルドさんが靴紐を紡いでくれたものですし、耳飾りもヒルドさんのお手製の守護道具です。それに、こちらの手の指輪はディノの守護ですから。良いお道具に囲まれているからでしょうか」


「魔物の指輪に、妖精の庇護………」



なぜか愕然としているゼベルから視線を外し、ネアは口数の少なくなったゼノーシュを振り返った。

余程、冬林檎飴を食べ損ねたことがショックだったのだろう。

完全に生気を失っている。


「ゼノ、生きていますか?どうかしっかりして下さい」

「グレイシアが見つからない……」

「可哀想に。グレイシアさんは隠蔽の達人ですからね…」


ぱたんと倒れてしまいそうなゼノーシュの頭を、ネアはそっと撫でた。

野生の獣の毛皮とは違い、艶やかで柔らかい。


「あの、ネア様……」

「………あら?どうしました?」


ゼベルの呼びかけにそちらを向けば、先程立ち去ったばかりの雪狼の姿がある。

ちょこんとお座りをしたまま尻尾を軽く振り、咥えていた小さな紙袋をぽとりと雪の上に落とした。



「……くれるのですか?」

「キューン」


パタパタと尻尾が揺れる。

どうやら、権力者へのごますりに長けた雪狼であるようだ。

貢ぎ物であるので、ネアは遠慮なく頂戴する。



「……もしかして、この紙袋」


雪狼が持って来た袋には、先程見たばかりの店舗のロゴが印字されていた。

がさりと袋を開けてみると、中には真紅に金色のストライプ柄の飴玉が入っている。


もう一度顔を上げると、雪狼はふりふりと尻尾を揺らした。



「とっても賢い雪狼さんですね!撫でて差し上げます!」


貰った飴をゼノーシュの手に持たせると、ネアはがばっと飛びかかって雪狼を撫で回してやった。

大型犬のように自らお腹を見せたのでそこも撫でてやってから、羨望の眼差しをこちらに向けているゼベルを振り返った。


「後は、こちらのゼベルさんが美味しいものを買ってきてくれますよ。甘いものがいいですか?お肉がいいですか?」


甘いものというところで尻尾が盛大に揺れたので、ネアは背後で目を輝かせて無言で感動していたゼノーシュに教えを請うた。


「ゼノ、雪狼さんの好きな甘いものって何でしょう?」


「飴や雪菓子が好きなんだよ」


「では丁度いいですね。ゼベルさん、これを与えてあげて下さい」


前回大量収穫したので、のど飴代わりに気軽に持ち歩いている雪菓子をポケットから取り出すと、ネアはそれをゼベルに持たせる。


目を瞠った彼に微笑みかけ、もう一度視線を戻した雪狼に言い含めた。


「こちらのゼベルさんに上手に甘えれば、美味しいものを沢山貢いで貰えますよ」


「キューン」

「ネア様!!」


頬を紅潮させ至福の表情で声を上げたゼベルに、どうやらご褒美に餌係を手に入れたようだと理解した雪狼の嬉しげな声が重なる。


(双方が幸せなら、これでいいんじゃないかな)



何はともあれ、ゼノーシュが蘇ったので万事解決だ。

先程までの死んだ目が嘘のように、見聞の魔物の瞳はきらきらしている。


「きっと、グレイシアさんの配布物でしょうね」

「うん。ネア有難う。あの雪狼もいい狼だった」

「賢い子です」




その後、グラストから噂を聞いたというゼノーシュに教えて貰った事によると、ゼベルは無事に雪狼の餌係として受け入れられたらしい。

意外に高級志向な雪狼を満足させるべく、今日も手当の厚い難しい仕事に名乗り出たそうだ。

第二席がとても仕事熱心になったので、グラストとしては複雑ながらも助かっているらしい。






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