表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
177/980

淡色の花とオアシスの夜


「お母様と一緒にお留守番しておいで」


大きな手が頭を撫でる。

そう微笑んだお父様の瞳には、なぜだか悲しい色が揺れていた。

私と同じ淡色の花のような薄桃色の髪に、真っ青な瞳。

そこには、濡れたような優しい微笑みがあった。


子供は無垢だと言うけれど、あの時の幼い私はぼんやりわかっていたのだ。


きっともう、お父様は帰って来ない。

この国は二度と元通りにはならないのだって。



ごうごうと砂嵐が揺れる。

素敵な砂の王宮から離れた砂漠の底にあるオアシスで、私達は一晩中震えていた。

王様や王子様、男たちに強い女たちはここにはいない。

子供を持つ母親と子供しかいないオアシスだった。


せんりょくがきっこうしている、とお母様が話しているのを耳にする。



本来であれば戦場に出ない老人や若者も飛び立つ程に、この戦いは過酷なのだと子供心にも理解した。



(お父様、ガルサ兄様、王様、サラフ様、みんな無事で帰ってきて………)



小さな手を祈りの形に組み合わせて、一晩中祈りを捧げていた。

けれども、夜明けと共に外に出た女性は、折れてしまいそうなくらいに震えながら帰ってきた。



砂の王宮は崩れ落ち、戦いに出た者は誰一人として生き残らなかったのだと。



その戦いは見事なまでの殲滅戦であった。

風竜のことごとくは虐殺され、とある人間の軍事国家と水竜、そして風竜を裏切った砂竜達の手で、風竜は皆殺しにされた。


残されたまだ幼い男の子達が育つまでには、数百年かかる。

その間に大人達が生き残れる見込みは薄く、追っ手がかかれば、残された私達もすぐに滅ぶだろう。


風竜というものが消え去るまで、あとどれだけの猶予があるのだろうか。

お母様はずっと、滅びてしまった光竜の話ばかりをしていた。


光竜はとある妖精の一族に滅ぼされたが、その妖精の一族もまた、精霊と人間に滅ぼされた。

そうして、失われてゆくものは世界の摂理なのだと、震える手でお母様は呟く。

だからずっと、私は心のどこかで諦めてしまっていた。



「君は風竜の子供だな」



砂漠の底のオアシスの隅っこで砂の上に寝転がっていると、そう問いかける人が私を上から覗き込んだ。



「……あなたはだれ?わたしたちを殺しにきたの?」


「いや、違うよ。君たちが、俺の庇護下に入ったからもう大丈夫だと伝えに来たんだ」


「……もう大丈夫?………お父様も帰ってくる?」



そう問い返した私に、その人は悲しげに微笑んだ。

とても優しい声と表情をしているけれど、怖いくらいに綺麗で、目が逸らせなくなる。



「すまない。喪われたものはもう戻らない。だが、君達はまだ生きているからな。どうか、先を見据えて踏み止まって欲しい。どこかに大人はいるか?」


「連れていっても悪いことしない?」


「はは。しっかりした子だな。大丈夫だ、約束するよ」



そうして私がオアシスの中に連れて行った男性は、白持ちの魔物の出現に恐れ慄く母親達に、風竜が終焉の魔物の庇護下に入ったことを説明した。


彼が、砂の王宮で救った子供が風竜の王子であったので、その王子を庇護することで必然的に、風竜の全てが終焉の魔物の庇護下に入るのだそうだ。


王子様が生きていると知って歓喜する大人達に、魔物はあまり喜ばしくない説明をした。


王子様が生き残ったのは、他の全ての風竜達が犠牲になって逃したからなのだそうだ。

目の前で死んでゆく仲間達を見たことで王子様はすっかり心神喪失状態にあり、精神が安定するまでは終焉の魔物が預かるということだった。


王子様が狂乱して暴れた場合、ここにいる女子供では抑えることも出来ないからだ。



そうして魔物は私達に庇護と、自分の呼び出し方法を与え、王子様の面倒を見るべく去っていった。

そしてそこから五年、終焉の魔物はとても良く、私達生き残りの風竜の面倒を見てくれた。


とは言え終焉の魔物はかなり多忙な魔物でもあるので、呼びかけに応じられない時もあったが、良き相談相手として気さくに話をしてくれることもあり、風竜の中には彼に恋をした者もいたらしい。




「どうした、サーシェ?」


不審そうに見上げていたのがわかったらしく、彼はそう尋ねると私の頭に手を乗せた。

大きな手は暖かく、いつかのお父様の手を思い出す。


金糸や銀糸で施された刺繍の美しい衣に、宝石や金で作られた壮麗なハレム。

中庭の噴水に見事な庭、この場所にある全ては夢のように美しい。


かつての砂の王宮を惜しむ大人達もいるが、私達はこの王宮しか知らないので、ここでも充分に幸せだった。



「サラフ様、逆鱗のあたりを押さえておいでですね?」


逆鱗は竜の心臓だ。

この鱗を剥がれると私達は簡単に死んでしまう。

強固な固有結界のある竜が逆鱗を誰かに触れさせることなどある筈もないが、それでも不安が募った。


「ああ、危うく剥がされそうになった。ウィリアムがいなければ危うかったぞ」


「そんな?!誰にですか?」


「人間の少女だ」


私が倒れそうな報告をしたくせに、サラフはなぜか楽しそうに微笑みを深める。

私達竜は、強いものが好きだ。

己より強いものに従い、己より強いものを伴侶とする。

だからこそ終焉の魔物は、一族の王として立ち直らせるべく、一度は心折れかけたサラフを鍛え直してくれたのだが、そんな竜の悪癖が今は不穏な予感を与える。


「嬉しそうですのね。その人間は、竜狩人ですか?」


「酷い目に遭わされたが、俺が無作法だったのがいけなかったらしい。久し振りに何度もウィリアムに怒られた」


「……何度もですか」



終焉の魔物は、私達の王にとっては怖い父親代わりなのだ。

脆弱な風竜にならないよう、厳しく躾けられ、様々な知識と経験を与えられ、そして大事に甘やかされた。

だからサラフは、第二の父親として終焉の魔物をとても慕っている。



「ウィリアムが膝をついた場に居合わせてな、あの人間がやったのだと勘違いして襲ってしまったんだ。反撃されて殺されそうになったから引き分けだな」


「……お顔が悔しそうですわよ?」


「彼女とまだ話をしたかったのに、ウィリアムに途中で放り出された。ネアは自分の魔物にべったりだし、二人共俺を何だと思っているんだ」


「それは、サラフ様が困ったことをしでかされたのですわ」


「サーシェ………」


「どうせまた、一人で結論を出して周囲の方を困らせたんでしょう?」


「な!俺はきちんと詫びも入れたし、ウィリアムの仕事の邪魔もしていないぞ?!」


「その人間の方は、魔物をお持ちなのですね。使い魔ですの?」


「いや、歌乞いだから契約の魔物だな」


「何てことでしょう。契約の魔物を持つ方に暴力を振るわれたのですね?それも勘違いで」


「だから、ネアが、ウィリアムを害したとしか思えない現場だったんだ!」


「そのネア様のお話を聞きまして?」


「サーシェは、ウィリアムと同じことを言うんだな……」


「話も聞かずに突進したのですね。……その歌乞いが無事でようございました。歌乞いを殺された魔物は、狂乱するのですよ?」



内心、震えそうなくらいに動揺しているのを気付かれないように、私は手をきつく握り締めてサラフを叱りつける。

もう一度、彼を喪うことなんてどうして耐えられようか。



サラフは、私の従兄弟だ。

戦乱で亡くした兄と同じ歳で、小さな頃から私の面倒をよく見てくれた。

末っ子だったせいで我が儘で軽率なところもあるが、それでも心はとても暖かい。

小さな子供の話を根気強く聞いてくれて、一緒に泥だらけになって遊んでくれた彼は、幼い私の初恋のお相手でもあった。



そんな彼のハレムに、私は正妃として入っている。



それはとても幸せなことで、畏れ多く、やり甲斐のある立場でもあった。

私より年上の妃達もいるが、サラフにずけずけとものを言えるのが私だけであった為に、言わば彼のお目付役として正妃に選ばれたというのが正しい。


一度は滅びかけた種族であるからこそ、国の未来を立て直すという仕事はとても楽しいものだった。



「そうだな。ウィリアム程に綺麗ではなかったが、あの魔物はウィリアム曰く、高位の魔物であるらしい」


「ウィリアム様が大好きなのはわかりました……」


「ウィリアムが、敬語を使うような魔物なのは確かだ」


「………サラフ様、ウィリアム様より上の魔物となると、魔物の王しかおりませんが……」


「いや、魔物の王が歌乞いに付くわけがないだろう」


「でもその方は、サラフ様を殺しかけるくらいに強かったのでは?」


「…………う、……む」


「では、その魔物は、魔物の王の可能性が高いのでは?」


「いや、そんな前例は……」


「前例がない驚くようなことなど、いくらでもありますわ」



あの夜、祈りながら考えていた。

夜明け前までに勝利の報せがなければ、お父様はきっと帰らないだろうと。

将軍の片腕であったお兄様もきっと。

そして、王族が生かされる可能性など更に低いことも知っていた。


力に重きを置く竜だからこそ、より強い力を持つ王族から滅ぼすのが、竜の戦いの鉄則だから。



大好きなサラフはきっと、戻っては来ない。

もう二度と、サラフに会うことは叶わない。



竜は番う者と、守る者を、その心の楔とする。

だから、お父様の死を最も悼むのはお母様だし、お兄様の死に倒れたのは婚約者のトトラであった。


みんなが誰かを悼んで泣いていたあの朝、オアシスの中央を離れて一人で私が泣いたのは、サラフの為だった。

父と兄の為には輪の中で泣き、一人で彼の為に泣く場所を求めて離れていたのだ。


思えばあの頃からどこかでもう、サラフは私の特別なひとだったのだと。

とにかく大事な存在だったのだと思いながら泣いた子供の頃の自分に向かい合い、今の私はそう思う。

早熟だったということではなく、そうして心の特別は育てられてゆくものだから。



だから、終焉の魔物が持ってきた報せは、私にとっては最高の奇跡だったのだ。



「奇妙で特別なことなど、この世界では幾らでもありますから」


「……まぁ、ネアならあり得るのか」


「その方が随分とお気に入りですのね」


「小さいが強くて恐ろしい人間だったぞ。だが、料理は美味かったな」


「給餌までさせたのですか?」


食事に纏わることは親密な動作だ。

契約の魔物が怒りそうだと考えて、どうしても眉を顰めてしまう。


「死なないように食材を与えたら、作ったものを与えてきたのだ。なかなかに見所があるだろう?」


「………サラフ様」



砂漠の夜は美しい。

風と熱と、そして柔らかな水音のオアシスに、ふくよかな香の匂い。


そんな砂漠の夜を眺めながら、サラフは唇の端に小さな微笑みを浮かべる。


ハレムにいるのだから、彼が誰をどんな風に愛そうが、私の心は変わらない。

愛する王であるのと同時に、彼は家族で同志でもあるから。

彼が多くを愛し、愛され、幸せでいてくれることが私の喜びだった。


でももし、彼が身を滅ぼすような執着を持つのであれば、私の心は壊れてしまうだろう。

魔物の王の怒りに触れれば、五十にも満たない数の風竜など、容易く滅ぼされてしまう。


今の私達には、かつての砂の王宮の男達のときのように、盾になってサラフを逃がすだけの力はない。



「……私が傷付けたとき、ネアは泣きながら激怒していた。あの時は動揺していたが、落ち着くとそのことばかり思い出す」


「それは恐ろしかったからでしょう。お可哀想に」


いや、とサラフは首を振った。


「彼女は、自分が死ねば、自分の契約の魔物が一人になってしまうと怒っていたのだ」



そう呟いたサラフの声の響きを、私は生涯忘れないだろう。


まだ若く、王として不完全なところも多い彼が、静かな大人の竜の顔をして噛み締めるように呟いたその言葉に、私の心は大きく揺らめく。



「そういうものなのだと、わからされた気がした。……誰かを守り、誰かと生きるというのは、そういうものなんだろうか」


「そうです!」


「サーシェ……?」


「サラフ様はいつも、人間憎さに人間狩りばかり!ウィリアム様がいなければ、とっくに討伐の対象でしたでしょう。その歌乞いの方を見習って下さいまし!」


私の突然の激怒に晒され、サラフは困惑したように目を瞬く。

美しく優しく、愚かで未熟な私の偉大な王。

大好きなサラフは、おろおろと私を抱き締めた。



「す、すまない。……だからこそ、放り出されたのは癪だが、こうして真っ直ぐに帰ってきたんだ。……これからはもう少し、お前達のことを考えて自重する」


「約束ですよ、サラフ様?」


「ああ、約束しよう」


「約束を破ったら、片方の角を折ってしまいますわ」


「な?!」



大好きな王様に微笑みかけた私に、サラフは真っ青になってがくがくと頷いた。



翌朝、私がさっそくその誓約を妃達に共有したのは言うまでもない。

取れた言質は共有するのが鉄則だ。

年上の竜妃達に褒められて破顔する私のことを、サラフはハレムの柱の影から恨めしげに見ていた。


その日から、自慢の角惜しさにサラフが行いを改めたのは言うまでもない。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ