53. 迷子防止薬の材料を採取します(本編)
本日の作業は、飲み薬の原材料となる葡萄探しだったので、ネアは朝から雪深いアルバンの山にいた。
雪喰い鳥達はもう近隣にはいないようで、山での生活を営むネア御贔屓の酪農家はほっとしているようだ。
幸い、前回の逗留時も、経験が浅いのに討伐に出た狩人達が犠牲になるばかりで、この山の住人達には被害はなかったとか。
(雪葡萄ってどんなものだろう。白いのかな?)
新年に切り替わるタイミングには、妖精の呪いで行方不明になる事案が多発するのだそうだ。
ネアの世界でも言葉としては存在した、“取り替え子”が起こるのである。
日付の切り換えの真夜中や、昼と夜の入れ替えの夜明けと夕暮れ、季節の切り換えの夏至と冬至。
その全てはあわいの時間と呼ばれ、あわいに属する妖精や魔物の領域となる。
ここではないどこかという区分の入り口に相当する場所は、危険地域として警戒しなければいけないのだそうだ。
(風景の映り込むような、鏡や水面、自然の形が扉になるような生垣のアーチや、円環状の花壇も駄目だとか。前に迷い込んだパーシュの小路みたいなものも多発するし、しっかり気を付けないと……)
踏みこんでいるという自覚がないままに迷い込むのが、この手の境界線だ。
リーエンベルク内では、天災にあたる区分のもの、つまり自然発生するパーシュの小路や、気象性の悪夢以外でなら、ある程度高位までの介入を防ぐ術式があるそうなので、年末の真夜中はリーエンベルク内にいるのが安全なのだろう。
しかし、ネアのように閉じこもっているだけでは許されない人々もいる。
危ういとわかってはいても、仕事で出なければいけないものは多い。
雪葡萄を使った薬は、その迷い込みや誘い込みを予防する薬になるらしく、今回はその採取が目的となる。
「久し振りにまとまった仕事ですね」
毎年、独自のレシピを持つガレンが大量に精製する薬なのだそうだが、大口の依頼が入り、保管していた雪葡萄だけでは足りなくなったと聞いた。
「雪葡萄か。たくさん欲しいなら、アルバンの影絵がいいんじゃないかな」
「影絵ですか……。ある意味あわいの向こう側ですが、そちらの雪葡萄でも品質は問題ないのでしょうか?」
「別に変わらないよ」
「それなら多いところに収穫に行きたいですね」
「……雪の城が一番多そうだけど、城主が嫌がりそうだからね」
「それはもう略奪になってしまうので、野生のものが嬉しいです」
どうかこれ以上はもう、雪の魔物を酷使しないであげて欲しい。
イブメリアに指輪の素材発注で苦労をかけたので、これ以上の心労は駄目だろう。
(そう言えば指輪、また少し手を加えたような……)
ネアの髪から紡いだ宝石を使った指輪を、魔物は鳩羽と柊のモチーフの指輪にした。
職人に無理をさせて最高のものを作らせたのだが、意外に凝り性だったらしく日々自分で微調整している。
日によって柊の葉の位置や枚数が変わるので、もはや生きている指輪のような気さえしてきたが、暇な時はいつも楽しそうに触っているので、送り主冥利に尽きる。
(ディノの誕生日が楽しみになってきた)
ネアと出会った日が誕生日に設定されたので、ディノの誕生日はほぼ季節の反対側に位置する秋になる。
奇しくも、ネアの憧れの秋誕生日になってしまい、何だか複雑だ。
(でも、この世界での私の誕生石は石ころではない!)
自分で購入した夜霧の結晶石のブレスレットは、まだ出番に恵まれずにいる。
指輪と首飾りで体のパーツが塞がれてしまうので、着けるタイミングが難しいところだ。
だが、ディノが与えてくれた首飾りにも色味は揃うし、装飾を過多にしてもおかしくないお出かけの時を楽しみにしていた。
貰ったケープにも夜霧の結晶石はついていて、それらを使い込む程に、誕生石が好きな宝石という喜びは格別なのだと知った次第である。
「では、影絵の方に行こうか」
「はい。………ディノ?」
「……ネア、離れると危ないから」
「しかし、この首飾りは碇なのですよね?これがあれば、髪の毛を持っているのと変わりません」
ネアの言葉に魔物は目を瞠り、なぜかしょんぼりとした。
ここ数日異様にご褒美を求め出したので、ネアは現在躾を強化しているところだ。
一定の距離感を維持したところ、魔物は分かりやすく萎れてきている。
「お仕事中はしゃきっとして下さい。私は、公私の区別がつけられる魔物が好ましいと思います」
「……わかった。頑張るよ」
そう言えば、好意に関わる問題だと知り健気に頷く。
つい不憫になって甘やかしたくなるが、そもそも、ディノが欲しがるのは変態のご褒美だ。
ネアは最近、自分がその授与に慣れ始めたことに大変な危機感を抱きつつある。
いくらでも大事にしてやりたいが、こちらの方面を極めるつもりはない。
(甘やかし過ぎたから悪化したんだわ)
雪食い鳥の祝福を成就させるべく、魔物が斜め上に頑張っていると知らないネアは、適正な職環境の再改革に乗り出した。
(大事にするのと、甘やかすのは違うって聞いたことがあるし)
ここで再び参考にするのは、大型犬を飼っていた知人の話だ。
躾を間違えてしまうと、双方不幸になるだけなので、躾をする側の覚悟がとても大事なのだとか。
可愛いからといって、決して甘やかし過ぎてはいけない。
「ネア、境界を超える時だけは掴まっていてくれるかい?」
「はい。掴まっていますね」
「そこなんだ………」
魔物が悲しげに呟くが、ネアが手をかけたのは彼の腕なのだが。
ふわりと空気が揺れて世界の色合いが変わる。
転移に似ているが、境界を超えるその作業は、切り替わった場所にそのまま留まることでの違和感が残るので、少し感覚が違う。
「同じアルバンの山なのに、雪の色が違いますね」
「毎年雪の色は微妙に違うよ。ただ、この頃は雪竜の王が先代だし、特に違いがわかるのかも知れないね」
「雪の作り手によって、雪は色が変わるのですか?」
「うん。好む雪の形が違うから。それに雪の魔物にしても、毎年、雪の色の好みが変わるようだ」
全ての雪が、魔物や竜の生み出すものではない。
ただの自然現象による雪、他にも妖精や精霊が生み出す雪。
様々な条件の変化により、雪の色は日々、そして毎年変わる。
たが、年数を大きく違えれば、精製側の条件の変化も大きく、こうして色もかなり変わるのだそうだ。
「この時代の雪竜の王様は、どんな方だったのですか?」
「………浮気」
「もういない方に恋はしません。ただ、知らない時代のお話として興味があるんです」
横に立つディノの装いは、濃紺のコートだ。
いつものディノらしい白一色の装いではなく、街中に擬態で下りるような服装をしている。
なぜだろうと不思議に思っていたら、このコートを着るとネアが喜ぶからだと告白された。
(確かに軍服のようで、きりりとするけれど……)
雪山なのに、この目立ちようでいいのだろうか。
保護色のコートを着てきたネアとしては、少し心配にもなる。
うっかり厄介な獣などに狙われてしまったら、守ってやらなければいけないので大変だ。
「この頃の雪竜の王は、随分な高齢だった筈だ。聡明な王ではあったが、世代に染み付いた価値観もあり、頭の固い男だったよ」
「ちょっと怖そうですね。……でも、こんな風に影絵でその時代を遡れるなら、時間そのものを辿ることも可能なのでしょうか?」
「いや、影絵から踏み込めるのは、最も魔術の濃い、その土地の最盛期だけだからね。リーエンベルクのように、人為的に魔術が集まる土地だと、魔術が濃いのが最盛期だけとは限らないけれど」
「だから、リーエンベルクは最盛期と、統一戦争の直後の影絵が……」
「そう。統一戦争の直後もまた、大きな魔術が動いた瞬間になる」
エーダリアが、その時代を知らない人間で良かったとネアは思う。
自らの知る者達が斃れた日が影絵の中で繰り返されるのを見るとしたら、一体どれだけの苦痛だろう。
「ディノ、この頃はまだ山の中腹にも森があったんですか?」
「統一戦争の時に、この森は焼け落ちたんだ。魔術が潤沢で、拠点の一つだったそうだよ。火竜と火薬の魔物に焼かれて、当時この山を治めていた雪竜達には、かなりの衝撃だったようだ」
「この山を治めていた雪竜さんは強かったのですか?」
「先代の王の片腕だったからね。ジゼル世代の側近ではないが、古参の竜達からすれば手痛い死だったのだろう」
「火竜さんや、火薬の魔物さんは強いのですね……」
「火竜は第一王子の後見人を務めているから、いずれ見ることもあるかもね。火薬の魔物はあまり会わない方がいい。あれは、一種の狂乱の魔物だから」
「狂乱の魔物?」
初めて聞く言葉に、ネアは首を傾げた。
さすが影絵の中ともあり、雪深い筈の道は魔術で安定している。
ディノについて森の中を歩きながら、その豊かさに驚いた。
元の世界の冬の森と違い、この世界の冬は雪の属性に於いて白っぽいものが多いにせよ、豊かな恵みをもたらしてくれる。
しかし、そんなことを知った上で見ても、この森の豊かさは目を瞠るものがあった。
「司るものによっては、狂乱する魔物がいる。リースの魔物もそうだね。火薬の魔物は、途中から戦乱の為に多用されてしまったから、今では殺戮に悦楽を見出すようになったようだ。若い魔物だけれど狡猾でもある」
「………会いたくないです」
ぞっとしてそう宣言したネアに、ディノは手を伸ばして頭を撫でてくれる。
これは不安緩和なので大人しく享受することにすると、ディノは嬉しそうに何度も頭を撫でてきた。
「彼が唯一大人しく言う事を聞くのは、ウィリアムだけだな」
「ディノの言う事も聞かないんですか?」
「個人的に会ったことはないよ。火薬の匂いは嫌いなんだ」
「そもそものところでしたね。ウィリアムさんは、仲良しなのですか?」
「仲が良いというのではなく、終焉が絶対性を振るうものの一つだから、頭が上がらないのだろう。関わることも多いから、ウィリアムが何度か制裁を加えたと話していたし」
「……ウィリアムさん、お強そうですものね」
「司るものだけでなく、実戦に出る魔物でもあるからね。魔術を使わずとも、あれは強いよ。人間に擬態しているときに、何度も軍部や王族から声をかけられている」
雪食い鳥の巣に放り込まれた事件の時に、アルテアを叩きのめしてくれたウィリアムを思って、ネアは頷いた。
「だからアルテアさんのことも躾られるのですね!」
「アルテアは選択だからね。物量的なものでも、絶対性でもなく、技術や知恵でその資質を生かす魔物だ」
「もしや、……仮面の魔物というのは、通り名のようなもなのですか?」
びっくりして聞き返すと、逆にディノは知らなかったことに驚いたようだ。
「仮面の魔物という称号を、己の王冠の仮面にしているのだろう。選択というものは、良くも悪くも求められる資質の一つで、それが面倒みたいだよ」
「格好いい方の名前を名乗りたい、難しいお年頃なのですね」
「……そうなのかな」
視線の端に何かが揺れていたので、ネアは顔を上げた。
「…………わ!」
見上げた木々の天蓋の全てに、重たく垂れ下がった純白の葡萄がみっしりとひしめき合っていた。
巨峰くらいの大きさがあり、真っ白な実は中央だけが僅かに紫がかっている。
満開の藤棚の下にいるような感慨で、その葡萄の天井を見上げた。
(すごい…………!!)
手のひら程の大きさの葉は、雪を乗せた木々の枝にも鮮やかな薄緑色だ。
木々に巻き付いた葡萄の蔓は、氷で出来ているような質感に見える。
指先で触れれば崩れてしまいそうな繊細さに惹き込まれて、まじまじと観察してしまった。
「これが雪葡萄だよ。上質な魔術を含んだ雪を養分にして実る果実だ」
「土ではなくて雪を養分にするんですか?」
「うん。正確には雪の魔術を養分にするんだけどね」
「触っても大丈夫でしょうか」
ふっくらと見事に成長した果実には、本能的に触れてみたくなる。
そう訊いてみると、ディノは微笑んで頷いたので、指でそっと葡萄の粒に触れてみた。
(すごい、しっかり張りのある実になっている)
普通の果物であっても、ここまで立派な房になるものは稀だろう。
魔術を栄養にして育つ葡萄がここまでになるとは、一体どれだけの魔術を必要とするのだろうか。
或いは、魔術による成長はもっと爆発的なものなのかもしれない。
「どれくらいあればいいんだい?」
「たくさん欲しいそうです。しかし独占するのもいけないので、見極めの範囲を教えて下さい」
「全部採ってしまってもいいんじゃないかな?」
「普通の植物のように、採り過ぎると翌年芽を出さなくなるのでは……」
「どうだろう?考えたこともなかったな」
「適度に残しましょう!」
ディノの収穫方法が大変に不安であったので、ネアは一度、葡萄を枝からもぎ取り、篭に入れるところまでをお手本を見せて、収穫のお作法を学ばせた。
その後はそれぞれに作業に入る。
一か所に偏らないように、高い位置や低い位置など様々な位置のものを少しずつ残し、大きな篭で五つ程満タンにしたところで、ネアは首の痛みに伸びをした。
収穫するのは手が届く範囲にしていたが、見上げての作業が多いので疲労が溜まったようだ。
それでも、葡萄酒樽くらいの大きさになる篭がそれぞれいっぱいになると、不思議な満足感で心が満たされるような気がした。
「収穫の喜びはいいものですね」
「ネアは、こういうものが好き?」
「せっかちなので、ずっとは向かないでしょう。でも時々こうして美味しいところだけの、収穫の喜びを味わえるのは楽しいと思いました」
「………収穫」
ディノが考え込んだ様子を見せたが、今度果物狩りにでも連れて行ってくれるのだろうか。
それならば嬉しいとこっそり楽しみになる。
こんなに立派な房でも、甘味のない雪葡萄は食用には向かないので、悔しい思いをしていたところだ。
「さて、これを持って帰りましょう。ディノ、お願いしますね」
「ネア、帰りは危ないから掴まっておいで」
「はい、ここに掴まっていますね」
「………………そこなんだね」
「なぜに落ち込んでしまうのでしょう?一般的な部位だと思うのですが」
ネアの追及に、魔物は寂しげに三つ編みを見つめる。
最近は阿吽の呼吸で引っ張ってやっていたものの、それが成立していること自体が間違いなのだ。
心を鬼にして、ネアは掴んだ腕をぐいっと引っ張った。
「さあ、収穫物を持って帰りましょう!」
「そうだね」
「転移でえいやっと運ぶにせよ、重たくないですか?」
「重さは関係ないから大丈夫だよ」
「距離と重さが関係ないとなると、ディノの転移の許容範囲がわからなくなりました……」
「許容範囲?」
「疑問形になってしまうくらいなのですね……」
話している内から、雪葡萄がたっぷり入った篭がぽんぽんと消えてゆく。
リーエンベルクのどこかに直送されているのだろうが、やはりこの転移という魔術の理は謎めいたものだ。
微かな風が森を揺らし、バランスよく残った雪葡萄の房を揺らした。
風を目で追いながら、隣りに立った美しい魔物のどこか悄然とした横顔を眺める。
こんなにしっかりと腕に手を回しているのに、どうして悲しくなってしまうのだろうと眉を顰めた。
「そう言えば、ウィリアム達とはまた出かけるのかい?」
「ウィリアムさんですか?……そうですね、年明けにでもまた新年会をするかもしれません。ただ、その場合は新年会なので、ディノも一緒に行きましょうね」
「………今年はもう会わないの?」
「ええ。ウィリアムさんは、お仕事柄繁忙期に入ってしまうようですし、私は現在、アルテアさんと二人で会おうとは思いません」
ディノがあまりにも驚いたようにこちらを見たので、ネアは顰めた眉をより深くした。
困惑した顔で見られてしまうようなことを言ったのだろうかと、重ねて首を傾げる。
「ネア、君の誕生日はいいのかい?」
「私のお誕生日ですか?」
(もしかして、ウィリアムさん達に祝ってもらっていないことを気にしてるのかしら?)
「先に済ませているのならいいけど、当日以降はどこにも出かけてないよね。……もしかして、どこかで会っていたりしているのかい?」
「いいえ。そもそも、あのお二人は私の誕生日を知りませんよ?」
「…………知らない?」
「はい。わざわざ自己申告することでもないので、お話してませんでした」
驚きのあまり固まってしまったディノは、腕にかけられたネアの一度手を外すと、ふわりとご主人様を持ち上げた。
魔物の困惑に巻き込まれたまま、ネアはうっかりご褒美の線引きを超えてしまう。
「ネアは、ウィリアム達と仲良しなのに?」
「元々はディノのお友達ですけれどね。でも、まだ知り合ったばかりで、これから仲良しを目指そうとしているところですので、まだ、誕生日を自ら申告する程ではありません。ディノや、エーダリア様達とは違います」
彼等のような価値観の魔物達に誕生日を知らせるということは、祝って貰うことが前提になってしまう。
ただでさえイブメリアに高価で美しい贈り物を貰っているのだから、あまり負担をかけたくないという計算もあった。
あえて贈り物は必要ないと言うのも角が立つので、ネアは、ただ知らせずに済ませてしまおうという省エネの作戦を取っている。
お祝いであれば身内のようなところで充分に幸せな日を過ごせたので、あまり欲張らなくてもお腹いっぱいで問題ないし、寧ろ、あの風習が適応されるのであれば、ウィリアムとアルテアには是非に知られなくて良かったと安堵しているくらいだ。
「私とは違う?」
「ええ。ディノは………何というかもう、お仕事の相棒兼、家族のようなものですからね」
「家族………」
ほろりと、微笑みに崩れる驚きの表情を見ている。
再三、ずっと傍に居ると伝えてはいても、やはり野生でいる時期が長かったので、上手く飲み込めないのだろうが、こんなに親密な関わり方をしてゆくからにはもう家族の枠なのだと、これからも丁寧に教えてゆくしかない。
抱えられてしまったのは遺憾だが、こんな目の前で嬉しそうに微笑みを深くするディノを見られるのは、眼福でもあった。
過ぎた美貌で明確にされてしまう拒絶感を拭い去るように、幸せそうに目元を染める姿はたまらなく可愛らしい。
これだけ凄艶に美しいものに対して可愛らしいという表現も変だが、やはり可愛らしいのだ。
(ううん。美しいものだからこそ、なのかも知れない)
手を伸ばして頭を撫でてやりたいのをぐっと堪えて、自分的最高の微笑みを浮かべる。
目の前の魔物がなぜか恥じらいを深くしてさっと目を逸らしたが、また変なことで荒ぶらないようにきちんと認識の共有を深める作業をしよう。
「ディノ、リースの魔物さんの件もあって、不安になっていますか?」
「ウィリアム達のことなら、別の問題だよ。そちらが楽しくて、私に飽きてきたのかなと思ったんだ」
「まぁ、どうして私がディノに飽きるのでしょう?そんなことはありませんよ」
「………………最近、ご褒美が少ない」
「それは、私が最近大事な魔物を甘やかし過ぎてしまっているからです。大切であることと、甘やかすことは違いますから、私はきちんとした分別のある大人でいたいのです」
眉を下げて寂しそうにこちらを見る魔物は、かなりあざとい。
この悲しげな表情を乱用されたのが、躾がおろそかになった始まりだったような気がする。
つまり、向こうの戦略に負け通しだということだ。
(最近、可愛いものに弱いとバレていてやりにくい!)
「………ひどい」
「私は、大事な魔物を不作法者にしたくありません」
「………大事」
「はい、大事な魔物だからです。ご褒美はあくまでもご褒美なので、お仕事中は控えましょうね」
であるので、早々にご主人様を下すように目で威嚇したが、なぜだかディノは慌てたようにネアをぎゅっと抱き込んでしまった。
深く溜息を吐いたネアを、ディノがそろりと不安そうに盗み見る。
「ディノ、ご主人様を解放して下さい。私は自分の足で歩けますよ?」
「………ネアを持ってないと、不安だから」
「………悪化してしまったのはなぜでしょう?」
結局その日、魔物はネアが叩いても暴れても、決して手を離さなかった。
解放運動の際に荒ぶってしまったので、途中からはご褒美になっているのがとても悔しい。
エーダリアへの収穫報告の際にもそのままの状態であったので、ネアはかなり獰猛な表情であったと思う。
その結果、ご立腹のネアに慄いた魔物は、晩餐の時にネアの好物を全て献上する忠義の姿勢を見せた。
サーモンのタルタルは大好物なので、渋々許してやるしかない。
大篭いっぱいの雪葡萄は、大変実ぶりが良いものだとガレンから喜ばれたそうだ。
一般の雪葡萄と管理を別にして、上得意用に出す質のいい薬になったらしく、ネアの給金には臨時手当が加算された。