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雪豹と氷河のワイン


「朝起きて、顔を洗いに行ったら洗面台前の鏡の横にあったんです!」



ネアの声が弾むのはもっともだし、アルテアが不貞腐れるのもさもあらん。


定例会の場は、夕刻まで特殊総会が行われていた、雪山の山裾に広がる湖のほとりに建つ石造りの城だ。


湖畔の岩盤に建つ城は、まるで湖に浮かんでるようで不思議な感覚になる。

由緒正しき美しい城なのだが、堅牢さが逆に災いし、小国の王城から大国の一領地の城に成り下がれば、牢獄や秘密会議の場として活用された。


どこか物悲しい魅力は、この城の履歴から塗り重ねられた歴史の澱なのだろう。

今は湖畔の王の食堂と呼ばれ、見事なレストランに生まれ変わっている。


「ウィリアムさんは、どうして私が雪豹好きだと知っていたんですか?」


「前に出かけた時に、雪豹の話をしていたからな」


「ディノに聞いてみたら、雪鉱石は珍しいものなのだとか。素敵な贈り物を有難うごさいます」



ネアがお礼をしているのは、イブメリアの贈り物についてだ。

雪鉱石から彫り出された、精巧な雪豹の置物を貰ったのだ。


ウィリアムとしては当日に会う予定はなかったので、きちんとディノの許可を取り、部屋の朝の内に目につく場所に置いておいてくれたそうだが、その後一緒にお茶をすることになった。

アルテアが不貞腐れているのは、その件である。



「実に作為的なことだ。俺はリーエンベルクの手前で追い返されたからな」


「アルテア、僻みっぽい男は惨めですよ」


「計算高い男よりはマシだろう」


「ですから、意図せずにそういう流れになったんです」



このやり取りは特に興味もないので、ネアは二人の魔物の非生産的な会話の合間に、美味しく料理をいただいている。



このヴァレーの城では、氷河のワインが飲める。

ヴァレーの氷河のワインはとても有名だが、購入することは出来ない。

この場に来て食事をする者だけが飲むことの出来る、特別なワインなのだ。



一般的なワイングラスではなく、食前酒用の小さな宝石を切り出したグラスで飲むのがお作法だ。

つまり、それだけ貴重なのである。



食事の前にアルテアに見せて貰ったが、セラーに並ぶ熟成樽は、妖精が切り出した氷河の森の木を使っているそうだ。

現代では失われたとされる古代樹である為に、今はもうこのような贅沢は難しい。


薪火でとろりと溶かしたチーズをふんだんにかけたサーモンに、牛の干し肉を薄く削ったスパイシーなもの。

その隣に夜明けの草原のように盛り付けられたサラダは、小さな白い花と紫の花が可愛らしい。

食べてみれば、青林檎のような爽やかな甘さと酸味がある。



(美味しい!)



絵のような一皿に、幸せな気分になる。


氷河のワインは、濃厚な甘みと酸味がどこかレーズンを思わせる風味だ。

毎年、特定の顧客に一定量だけを卸し、レストランでも飲める量は厳密に決まっている。

細やかな計算の上、継ぎ足して味の調整をしているのだとか。


「特に凝った料理じゃないが、美味いだろう?」


「悔しながら、今回はアルテアさんを賛美せざるを得ません」


「何で渋々なんだよ」


「海老とトマトにチーズ、木苺と香辛料のリゾット!」


「もうメニューに夢中だな……」


あまりにも料理が美味しいので、ネアは時々、メニューの向こう側の天国に旅立ってしまう。

ザハのような手の込んだ素晴らしい料理もあるが、ここの旨味は質の良い素材と、素朴だが突き詰められた地元料理だ。


コースでいただいているので、ネアはコースメニューの品書きを、時折宝物のように手にしている。


あまりにも幸せそうにしていたからか、おもむろにアルテアに頭を撫でられた。


「で、お前はとうとう新しい扉を開いたのか?」


「聞いて下さい、ウィリアムさん。この方はノックもせずにイブメリア翌日の寝室に踏み込んで来たんです」


「論外だな。シルハーンがまだ叱ってないなら、きちんと言い含めておこう」


「ふざけんな。呼び出しておいて回線を閉じたのは、シルハーンの方だぞ」


「とは言え、女性の寝室は個人的な領域だろう」


「例の赤い縄を楽しく使っていたようだしな」


「……ネア?」


ぎょっとしたように振り向かれ、ネアは冷ややかな眼差しになる。


「不法侵入するから、そのように間違った判断を下すのです。ご高齢なくせに、うっかりな方ですね!」


「おい、言い方」


「あれは、筋肉痛に苦しむ私が、今後は適度に柔軟運動を習慣化してゆこうと決意したところで、うちの魔物が、あの縄を体操用の道具として持ち出してきてしまっただけですよ」


「寝台で?」


「筋肉痛で動けなかったので、あの朝の私はそれ以上のどこにも行けませんでした」


「事情はわかったが、念の為に気を付けた方がいい。君は女性なんだから」


「……ディノにですか?アルテアさんにですか?」


「両方な」


「それよりも、雪食い鳥に気を付けるべきだな」



そこでアルテアが、ネアにとっては馴染み深い表情になる。

少し前までディノが同じような目をしていたので、ネアは小さく溜息を吐いた。


「もしや、あの後に雪食い鳥さんをどうこうしたりしましたか?」


「さすがに白持ちは狡猾でな、逃げられた」


「一安心です」


「だから、その評価がおかしいぞ?」


「あの方は親切でしたよ。そして気に入ってしまったので身を案じるのは当然のことではないでしょうか」


「………な。厄介だろ」


呆れ顔のアルテアに、ウィリアムは心配そうにネアを覗き込む。


「ネア、雪食い鳥は人間を食べるんだぞ?」


「存じております。お友達になれないような種族で残念でした」


しょんぼりとしたネアが干し肉の壊滅に乗り出したので、ウィリアムは自分の分のチーズを少し分けてやる。

ネアは、最初のチーズで張り切り過ぎて、全体の配分を見誤ったのだ。


「君がそんな風に執着を示すのは珍しいな。よほど、好きな要素があったんだな」


「ええ。綺麗で可愛らしくて、そして何より、私の育った世界では翼のある人型の方は信仰の対象でした。そのせいか、妙に慈しみたくなります」


「……信仰による価値観か。変えるのは厄介だな」


「ウィリアムさん、思想規制しないで下さいね。危ないことはしませんよ?」


考え込むようにグラスを傾けた終焉の魔物が、学校の先生のように人差し指をぴしりと立てる。


「もしその雪食い鳥が怪我をしていたらどうする?」

「……怪我を治してあげたいですね」

「うん。駄目かな」

「失格だ」


アルテアにも厳しく叱られ、ネアは眉を下げる。


「では、ディノを呼んで怪我を治して貰います」

「駄目だからな?」

「より失格だな」

「む。安全対策は万全ではないでしょうか?」

「シルハーンの精神を不安定にするからだ」

「下手すると、その場で雪食い鳥を殺してかかるぞ?」


柔らかな微笑みと、無防備な紫の瞳を思い出した。

やはり信仰に紐付く好意なだけに、損なわれると思えば正しさに背くような気分にもなる。


「それは困ります!では、あの方の為に涙を堪えてその場は身を引き、市販の転移門を買ってディノの傷薬を無人配達します」


「……絶対に見過ごしはしないのか」

「どんな手で籠絡されたんだ……」


不思議そうにする魔物達に、ネアは首を傾げた。


「見ず知らずの方に親切にされたのです。一度めは忠告を、二度めは獣から守って下さいました。好感を持つのは不自然でしょうか?」


「うーん、それが純然たる好意だけであればな」


「なわけないだろ」


「アルテアさんは、捻くれていますね」


「お前はその甘さで、いつか足を取られるぞ?」


「私とて、あの時はという前提付きの好意だと思っていますよ?でも、世の中にはそういう不思議な幸運もあるものです。私は多分、その特別さが嬉しかったから、あの方が好きなんだと思います」



やっと好意の質が腑に落ちて、笑顔で頷いたネアに、ウィリアムが重々しく両肩に手を置いた。


「………ウィリアムさん?」


「くれぐれも、今のことをシルハーンには言わないように」


「獣との邂逅を喜ぶのも無しなのでしょうか?」


「獣?……いや、まぁ難しいだろうな。人型をしている以上、シルハーンは嫌がるだろう」


「………そう言えば、森のどんぐりにも嫉妬しましたね」


「森のどんぐり?」


「ええ。森の賢者と呼ばれる魔物だそうです」


「ああ、森の賢者か。なら仕方ないだろう。あれは、人間にも魔物にもたいそう持て囃される色男だからな」



普通にアルテアも頷いたので、ネアは一度食事の手を止めて座り直した。



「突然に、お二人の常識がわからなくなりました。あのどんぐりめは、モテるのですか?」


「爵位持ちの魔物の中でも、争奪戦があったと聞いたな」


「そうか。お前は守護で防壁があるからな」


「よく分かりませんが、その守護に心から感謝します。木の実と恋をするくらいなら、私は世捨て人になります」


「へぇ、森の賢者を倦厭する女性は初めてだ」


「………この世界怖い」



その後暫く、この世界に不信感を持ってしまったネアの慰撫活動が行われた。

魔物界がどのような価値観でも構わないが、人間の貴婦人ですら虜になるという、森の賢者が恐ろし過ぎる。



「そういや、祝祭周りではあいつは落ち着いたのか?」


「暫くは他のことが優先されましたからね。寧ろ、イブメリア周りでは、雪の魔物さんが心を圧迫されていたのかと」


「それと、俺だな」

「少しは働くのもいいものだろ?」


アルテアが苦く重ね込み、確かに少しはと思ってネアが頷こうとしたら、ウィリアムがぴしゃりと道を塞いだ。


「でも祝祭が終わってしまったので、これからはまた通常稼働に戻る筈です。縄方面は解決したので、打撃を好むのをどうにかしなくては……」


「……ネア、縄方面は解決したのか?」

「おい、やっぱり……」



慄いた二人の魔物に、ネアはきっぱりと首を振る。


「違いますよ!この前偶然に、図書室で特定書物を手にしていたときに、栞の魔物さんの祝福を受けてしまったんです」


「うわ……」

「もう著者並みってことだな……」



しかし何故か、二人は更に顔色を悪くした。


「………今度、いい縄を贈ってやるよ」

「ウィリアムさん、アルテアさんが虐めます」

「ああ。……うーん?」

「味方してくれなくなった!」




ネアはとても傷付いたので、特別慰謝料としてデザートをもう一皿オーダーした。




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