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本の虫と栞の魔物


リーエンベルクには図書室がある。

ダリルダレンの書架にほとんどの蔵書を収めているので、王宮にしては微々たる所蔵数なのだそうだ。

魔術による転移のある世界では、このような形で施設の切り分けが出来るので頼もしい。


図書室には堅く持ち出し禁止の魔術がかかっており、そのせいでネアも単独行動を許されている。

自分の言語能力に疑問を持ったある日、ネアはその図書室を利用してみることにした。


(この文字や言語の能力は、どこで線引きをされるのだろう?)


会話はほぼ支障なく出来ているし、偶然耳にした近隣諸国の会話も理解出来た。

今のところ、確認出来ているのはヴェルクレアの公用語と、その周囲にある大国2か国の言語。

読むことには支障なく、書くときには一瞬の躊躇いの後にスムーズに文字を記入出来る。

最初の頃は曖昧だったり、ぎくしゃくしたりしたものも、体に馴染むように滑らかになりつつある。

恐らくディノの言うところの、練り直しとやらが影響しているに違いない。



図書室は三階分が吹き抜けになった天井の高いスペースになっていた。

上の部分の書架には、可動式の階段をかけて登る仕組みになっていて、歴代の王の胸像や見事な天井画が素晴らしい、目にも麗しい王宮のものらしい図書室だ。


この展開はとネアは期待したのだが、ここには閲覧禁止の書架などはなく、特に危険も楽しみもなさそうである。



(さてと、どんな言語の本があるのかしら)


背表紙をなぞるようにまずは歩いてみる。

見たことがない言語に思えた背表紙が、一拍の内に見慣れた言語に入れ替わってゆくのは、魔術の采配なのか、それともネアが特異体質なのかのどちらかだろう。

書棚に振られた区分を見るに、この様子であれば四か国語の翻訳が可能そうだ。



そこでふと、本棚の隅に奇妙なものがいることに気付いた。



「…………ペンギン………?」


親指サイズの、ペンギンのようなものが泳いでいる。


言い方は難解になるが、そのペンギンは本と本棚を海に見立てた影絵のようなもので、すいすいと泳ぎ回り、時折本の中にするりと滑り込む。

可愛いというより、やはりこうなってしまえば得体が知れない。


「……………小魚?」


暫くその本の辺りを凝視していると、ばっと小魚の群れのようなものが飛び出してきた。

それを追うようにペンギンも出てきて、いつの間にか複数匹のペンギンが集まりつつあった。

上手に小魚たちを追い込み、掃除機のように吸い込んで食べてゆく。

面白いような気もしてきたが、動かれてしまうと意志があるということになる。

意志がある得体の知れないものは怖い。


何かあったら使おうと思って持っていたノートを胸に抱いたまま、ネアは無言でペンギン達の漁を見守り続ける。

しばらくして、包囲網の隙間から逃げた素早い何匹かの小魚もお腹に収めてしまうと、ペンギン達は四方に散らばるように、どこかに帰り始めた。

その中の一匹を目で追い掛ければ、大きな図鑑らしきものに挟まれた栞に飛び込んで消えてしまう。


動くものは時計の針だけになった図書室の中で、ネアは足音を潜めてその図鑑に近付いてみた。

手を伸ばして栞を引き抜いてみようとしてから、一瞬躊躇って扉の方を見てから、大雑把な仕草でえいやっと引き抜いた。


「……………ペンギン」


銀細工のような金属を薄く伸ばした栞は、可愛らしい家の形をしていた。

断面図のようなデザインになっており、その家の中のキッチンで、グラスの水を飲んでいたらしいペンギンが不審そうにこちらを振り返る。

影絵のような黒いシルエットなのでどこに目があるかわからないままだが、家を引き出したのが誰なのかを確かめると、再び水を飲む作業に戻ってしまった。

そのままバスルームの浴槽にお湯を張りにゆき、窓辺に干してあった洗濯物を取り込んでいる。

そこまで無言で観察してから、ネアは栞を元の図鑑に戻した。


ペンギンらしいふくよかな体型は愛らしいが、今見たものは、まるで中年男性の一人暮らしを覗いてしまったような生々しさだった。

明らかに可愛らしいキャラクター感はなく、でっぷりとした中年男性の動きのそれだ。

沢山小魚を食べたからか、ばしんとお腹を叩く仕草は堂に入っている。



(………何だろう、悲しくなった)


綺麗な図書室を楽しむ気持ちがなぜか急降下してしまい、ネアは立派な書き物机にノートを置くと、椅子を引いて寂しく座り込む。


目が届く範囲の本を追いかけてゆけば、植物や魔物の図鑑など様々な知識本が揃っているようだ。

あくまでも手元に置いておきたい本だけが残されているので、“ちょっと忘れたので調べたい”という範疇の、日常の知恵蔵書が多い気がする。

だが、中にはやはり、用途不明な魔術の本も混ざっていた。


(愛と縄のかけ方………)


目を止めた背表紙の不穏なタイトルにびくりとしたが、特定の言葉に敏感になり過ぎているだけで、詩的なタイトルにしてみたとか、相手を恋に落とす方策集というような可愛らしいものに違いない。

しかし見つけてしまった以上、どうしても中身が気になってしまった。

もし万が一この本が、その手の趣味の取説的ものであれば、この図書室には必須日常知識本として、他の同カテゴリ本が眠っている可能性がある。


(手に取ってみて、目次を見るだけでいいんだから)


アルビクロムの夜のトラウマの影響から、もし該当書物であれば寧ろ触れたくないという欲求を抑え立ち上がり、嫌々なのを押し殺して近付くと、必要以上に本に触れないようにして書架から引っ張り出してみる。



「…………くっ、わかりにくい表紙だった」


表紙にはイラストらしきものもあるが、林檎に縄を巻き付けたイラストなので、果たしてこれは開いていいのかと激しく迷うものになっていた。

この場にアルテアでもいれば、開いて中身を確認して貰うところだが、残念ながら今は経験者が近場にいない。

心許ないが、ネア一人で開いてみるしかないだろう。



立派な革装丁の本をぱかりと開くと、見たこともないような術式陣の絵が並んでいた。

眉を顰めてぱらぱらとページをめくったが、どのページにも術式陣とその説明しか書かれていない。


「………背面より拘束する方法………?」


説明のほとんどが詠唱の音階であるとか、魔術の展開時のちょっとしたコツばかりで、ネアは気負って開いた分拍子抜けして本を閉じた。

やはり何の用途なのかはわからないままだが、とりあえず自分に必要なものではなさそうだ。

読んでみたページだけからであれば、罪人を捕獲する方法集に思える。


(となれば、こんな本は即座にリリースする!)


晴れやかな笑顔になって本を戻そうとしていると、ふっと視界が翳った。


「…………随分と独特なものを選びましたね。ご興味が?」

「…………ヒルドさん!」


あからさまに後ろめたいという表情になりかけて、ネアは慌てて微笑んだ。

事情を知っているとは言え、いかにも説明しにくい相手が登場してしまった。

同じ畑の住人でさえなければ、これ程頼もしい相手もいないので残念だ。


「何かを学ぼうとしていたのですか?」


手元の本を見ながら、その質問をしないで欲しい。


「どんな言葉を理解出来るのか調べてみようとしていたんですが、途中でこの本を見かけて、題名から中身が想像出来ないので開いてみたんです。拘束と無力化の専門本のようでした」


「そうですね。興味があるようであれば、ご協力して差し上げますよ」


「………興味?犯人確保の術式ではないのですか?」


「おや、この題名で?」


「…………ヒルドさん、これはまさか厄介なご嗜好の本なのでしょうか?」



やや絶望的な眼差しでそう問いかけたネアに、ヒルドは艶やかな微笑を向けた。

柔らかで美しい微笑みの筈なのに、ネアはなぜか背筋が寒くなって後退しそうになる。


「試してみますか?」


「…………い、いえ、私には崇高過ぎて無理そうです。……そして、ヒルドさんはそちらの方面にも明るいのですか?」


「そうですね。王宮には様々な要求がありますから」


「困ったところなのですね」


あまり深く踏み込みたくない話題なのでそう訳知り顔で頷いてみせれば、なぜかヒルドは鮮やかな目を微かに見開いて瞠目し、ややあってから小さく笑った。


「…………ええ。厄介なところですよ。私は、二度とあの王都には戻りたくありませんね」


(………ヒルドさん?)


あまりにもきっぱりと、清々しいくらいにそう宣言されたので、ネアは驚いてその目を見返してしまう。

どのような立ち位置であれ、ヒルドが中央への不満をここまで明確に示したのは初めてだ。

だとすればこれは、同じ屋根の下に暮らす仲間として、何か壁のようなものが一つ、なくなったということなのだろうか。


一瞬驚いてしまったものの、ネアはその言葉に微笑みを深くして、力強く頷いた。


「もし厄介なことがあったら、相談して下さいね。ディノは心強いですし、私は、現状アルテアさんに沢山の貸しがあります。何だったらウィリアムさんにも助言を貰いますので、こちらの層は厚いです。そもそもここにはエーダリア様も、ゼノやグラストさんも居ますし、百人力ですよ!」


「私は果報者ですね」


ふわりと空気ごとほころばせるようにして、ヒルドは伏せ目がちに深く微笑んだ。

薄暗い図書室の天窓からの光を透かして、宝石の色の羽がぼんやりと光る。

思わず視線を奪われてしまいそうに、美しく色鮮やかな森と湖の色をした妖精。


伸ばされた指先が頬に触れて、瑠璃色の瞳が愛おしげに細められる。

愛情深い庇護者としての微笑みの筈なのに、ネアはなぜか、奇妙なそら恐ろしさを感じてしまった。


「果報者は私の方です。これだけ、優しいものばかりに囲まれているのですから。だから私は、ここにあるものが損なわれて欲しくない我が儘者なのです」


「あなたが、手に入れたものを上手く捌いたからこその安寧でしょう。………栞が動きましたね」


「………栞?」


ヒルドの視線を辿れば、再び書架には先程のペンギンが泳ぎ回っていた。

今度は小魚を追うでもなく、悠々と泳ぎ、ふと、ネアのすぐ側で動きを止める。

まるでこちらを窺うような停止位置だったが、ネアはもう不安にはならなかった。

ヒルドが居れば安心だから。


「ヒルドさん、この影絵のようなものは何なのでしょう?先程は、小魚を追いかけて漁をしていました」

「ああ、これは栞の魔物です」

「栞の魔物?」


相変わらず派生理由が謎の魔物に、ネアは胡乱気な眼差しをペンギンに向ける。

ペンギンは可愛らしく首を傾げたが、残念ながら一度そう見えてしまった以上、もう中年男性にしか見えない。


「このような特殊な魔術を織り込む本には、本の虫が派生しますからね。それを狩り、食べてくれる便利な魔物ですよ。普段は、生まれた栞の中に住んでいて、慎ましく暮らしているようです」


「その栞なら先程見ました!一戸建てで、お風呂も厨房もある、素敵なお家でしたよ」


「…………おや、」


ぽわりと、ペンギンのお腹が金色に光った。

ヒルドの声に視線を向けて、ネアはお腹を光らせたペンギンに目を丸くする。

ぽわぽわと光ったペンギンは、その光を体の中から持ち上げるようにして、短い手でぺいっと放り投げる。


「…………これはもしや、祝福?」


その光の球を投げつけられたネアは、ふわりと体の底が暖まるような、馴染のある感覚に声を上げた。

危険はないのか、特に止めることもなくその様子を見ていたヒルドが、小さく頷く。


「ええ。栞の魔物は、時々気に入った者に、手にした書の力を手に入れる祝福を授けるんですよ。ネア様は気に入られたようですね」


「ご自宅を褒めたからでしょうか?」


ネアに祝福を与えたペンギンは、気持ちよさそうに書架を泳いでゆき、数匹だけ影を見せた小魚を発見してから猛追にかかっている。


「かもしれません。堅実な魔物だそうですから」

「と言うことは、あの小魚が本の虫なんですね」

「ええ。番人である栞の魔物がいない古い書架では、あの小さな虫が鯨になることもあるそうです」

「見てみたいような気もしますが、あまりいい状態ではないのでしょうか」

「気になるようであれば、今度探してみましょう。見せて差し上げますよ」



そこで、ヒルドの視線がふっとネアの手元に落ち、表情が強張った。


「ヒルドさん?」


「…………いえ。お話ししたように、栞の魔物は手にした書の力を、祝福として授けるのですが………」


「………あ」


ネアは驚愕の思いで視線を自分の手元に向け、そのまま崩れ落ちそうになった。



ネアの手の中にあるのは、“愛と縄のかけ方”という、恐らくはいかがわしい専門書である。

持っていることに耐えられなくなって、さっとその本を書架に戻してから、ネアは頭を抱えて蹲ってしまう。


「……………過去に戻って手の中の本を差し替えたいです」

「まぁ、人生は不可思議なものですからね。折角ですし、試してみますか?」

「待ってください、そうなると私は施す側になります。心が死んでしまいます」

「案外気に入るかもしれませんよ」

「………そんな自分に出会いたくありません!」



この世界に来て以来、初めて呪いにも等しい祝福を受け、ネアは成す術もなく落ち込んだ。

次からは絶対に、厄介な本を手に取らないようにしよう。






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