立て籠もり犯と恋の定義
事の起こりは、職場での何気ない一言だった。
「そう言えばこの前、雪食い鳥さんに会いました」
エーダリアの使うペンを見てネアがそう言えば、エーダリアとヒルドが同じ速度で顔を上げた。
「もしや、一昨日の夜か?」
「ええ。雪菓子狩りにディノとアルバンの山に行ったところ、初めてお会いしました」
「……それは確実に、雪食い鳥の個体と遭遇した言い方ですね」
「人間を食べるそうですが、私が出会った方は幸運にも親切な方でしたよ」
「雪食い鳥は、人間を籠絡してから喰らう生き物だ。上手く言い包められたな」
「そうなのでしょうか?私に雪食い鳥が危ないという注意喚起をしてくれ、イタチの魔物から助けてくれました。あ、あと冠羽を貰ったのです」
「……冠羽を」
「冠羽ですか」
途端に二人の顔色が悪くなる。
首を傾げたネアに、微笑んだまま人でも殺しかねない顔になったヒルドに代わり、エーダリアが説明してくれた。
「それは庇護の証や、求愛行動だ」
「……初対面ですが」
「竜が鱗や角を差し出す時、雪食い鳥が冠羽を落とす時、人魚が片目を差し出す時、求愛を示す言葉の題目になるくらい有名なことだぞ」
「最後のやつは嫌がらせではないでしょうか」
片目を差し出されても、猟奇的過ぎて困ってしまう。
もし恋をするにしても、人魚だけは避けようとネアは思った。
そもそも、長時間海の側にいたいと思わないので、最初から恋は成立しそうにもない。
ネアは、海よりも森や湖が好きだ。
「兎も角、彼等は人間を主に食べる生き物です。また同じ個体に会っても、不用意に近付かないようにして下さい」
「………気をつけますね」
「ネア様?……もしかして、その雪食い鳥を気に入ったのですか?」
珍しくしょんぼりしたネアに、ヒルドが微笑みの鋭利さを深める。
隣にいるエーダリアが一度そちらを見てから、さっと目を逸らした。
「ええ。実はかなりお気に入りです」
「………成る程」
「ネア!」
にっこりと微笑んで頷いたヒルドに、エーダリアが焦ったように叱咤の声を上げる。
エーダリアの方を見てしまったネアは気付かなかったが、ヒルドの羽がざわりと光ったようだ。
「私の育った世界では、背中に翼を持つ麗しい方を、信仰の対象にしていました。なので多分、あの雪食い鳥さんは、その教育に触れる形で心が動くのでしょう。おまけに、何だかゼノに似ていて可愛らしい容姿なのです」
「ゼノーシュに似ているということは、幼い個体なのですか?」
「いいえ。立派な?青年でした。前の姿のゼノくらいでしょうか。でも仕草や表情が無垢というか」
「ネア様、それが彼等の手口ですよ?」
「なんと。少し残念です」
夢破れて、ネアは切ない気持ちになる。
この世界で出会った気に入った生き物リストの上位に躍り出た雪食い鳥だが、順位を下げなければいけないようだ。
(いや待て、実質自分に被害がなければ…)
「お前、自分に被害がなければ、気に入っているからいいと思っただろう?」
「あの方を見たら、エーダリア様だって簡単に落ちてしまいますよ」
「………雄だろう」
「まぁでも、広く移動する生き物だそうですから、もうお会いする機会はなさそうですね。あれだけ好きな要素を詰め合わせた方に出会うことは稀なので、少し残念ですが……」
そう告白したネアに、こちらを見ていたエーダリアの手が激しく震えた。
表情はやけに虚ろなこと以外変化はないのだが、ペンを手にした片手ががくがくと震えている。
「…………ネア、契約の魔物の前で、気安く他の生き物への好意を口にするな」
「ディノ、嫌でしたか?」
「………ネア酷い」
振り返ると、隣に座っていた魔物はしょぼくれている。
心なしか髪の毛もパサついており、ネアは慌てて三つ編みを手に取った。
「一般的な好意ですよ?あの雪食い鳥さん個人へ向ける感情云々と言うには、あの方を知りません」
「ご主人様は残酷だ………」
「ディノ?」
その上、人型に見えても相手は鳥なのだから恋愛対象にしてはいけない生き物なのだが、魔物は目に見えて悄然としてしまった。
あの俳優が好きだと言うような範疇を超えて、あの犬が可愛いとか、あの鳥が綺麗だという感想すらの罪のない好意も許せない状況だろうか。
時間をかけて溺愛してきたつもりだが、まだ、どんぐりにすら嫉妬した魔物の病気が治っていないのだと半眼になる。
「ええと、……安心して下さい?ディノ。私の本来の異性の好みは、安定感のある穏やかで面倒見の良い柔和な方です。雪食い鳥さんは、そのような範疇の好意ではなく、単に個体として気に入っただけですよ」
「……お前、それは一つも慰めてないぞ?」
「エーダリア様?これでも固有名詞は避けたのですが……」
「ネア様、と言うことは、その条件に一致する方がいらっしゃるのですね?」
「………その方に恋はしていませんよ?」
「………………成る程」
「ネア!」
またエーダリアに叱られたので、ネアは早々に報告義務を切り上げて退席することにした。
実際問題に発展しないところの会話でも、こんな風に責められてしまうといささか辛い。
ネアとて年頃なのだから、理想のタイプぐらい存在する。
残念ながら、グラストは若干年上過ぎるし、ゼノーシュの領域である。
また、ウィリアムはそもそも高位の魔物であることがネックになっており、好みのタイプであるとは言え対象外の二人なので、ここも実際問題には波及しない筈なのに。
そして、案の定、部屋に帰ると魔物は巣に立て籠もった。
最近激化している、ご主人様への抗議活動である。
しかし、思想規制までを許すつもりはないので、今回はネアも断固として戦う姿勢だ。
「ディノ、しょうもないことで拗ねてはいけません」
「…………ひどい」
「あの方は鳥です。それを知った以上どうにもなりませんし、そもそも、お相手の食糧は人間です。おいそれと近付くこともないので、安心して下さい」
もぞもぞと、毛布の巣が揺れた。
「………冠羽を貰ったよね」
「きっと、アルテアさんが冠羽狩りをしていたので、それが喜ばれるものだろうと思ったのでしょう。特に深い意味はないと思いますよ。何しろ、あの方は鳥ですし」
「ではもし、彼が君を好きだと言ったら?」
「……人様の恋愛感情に、勝手にもしも話にするのは失礼で申し訳ないですが、お礼を言った後に、丁重にお断りします。動物と人間では、種族的な壁が高過ぎますからね」
「………彼が人間だったら?」
「あの方の存在を、ほぼ丸ごと全否定な想定ですね!……もし人間であれば、勿体なさに歯噛みしつつ、やはり丁重にお断りします。私は歌乞いですので、ディノがいる以上無責任なことはしませんよ?」
「……………責任」
心なしか巣がしぼんだような気がする。
魔物が項垂れたのだろうが、この議論は埒が明かないところであるので、可哀想でもあるが面倒だなという感覚が強い。
(それとも、魔物というのはそんなに恋愛相手への許容が広いのだろうか?)
森の賢者とは言えどんぐりだったが、種族的には同じ魔物同士。
もしかしたら、どんぐりとの間にでも恋愛感情は生まれるのかも知れない。
そんな種族であれば、鳥とは言え人型なのだから充分恋愛対象なのだろう。
しかし、そうなってしまうと、人間にはもはや到達出来ない高みでどうすればいいのかわからない。
「もしかしてディノは、………獣さんや、どんぐりのような方も恋愛対象ですか?」
思わず、怖々とそう訊いてしまったネアに、立て籠もり犯がぎょっとしたように顔を出した。
毛布の層が少し崩れ、巣の形が歪になる。
慌てるあまりに真珠色の髪が乱れており、何だか不憫で可愛い構図だ。
「なんでそうなったんだろう?」
「私に対してその疑いがかかると言うことは、魔物さんの恋愛対象は、さぞかし範囲が広いのではと…」
「違うからね。やめようか。……それに、雪喰いは私達と……いや、そうだね。あれは鳥だった」
「ディノ?」
途中でかなり怪しい話題の強制方向転換があったので、ネアは眉を寄せる。
雪喰い鳥に関して何やら新しい情報がありそうだったが、ディノの様子を見て、このまま着地してくれるのならどうでもいいやと解明を放棄した。
「……ネアは、グレイシアのことはどう思ってる?人間と同じようなもの?獣?」
唐突に送り火の魔物話になって、ネアは首を傾げた。
ディノの思考回路がどうなっているのかわからないが、意思疎通は大事なので誠実に答えることにする。
「グレイシアさんは、人型にもなれる狼さんです」
「恋愛対象にはなるかい?」
「私は一般的な嗜好の持ち主なので、獣と恋愛をする高度さは持ち合わせていません。ただの、可愛いもふもふですね」
「じゃあ、ジゼルは?」
「ジゼルさんも四足では………」
この魔物はご主人様をどんな節操なしだと思っているのだろうと、ネアは遠い目になった。
打って変わり、急にご機嫌になった魔物は巣から這い出してきて、いそいそとネアを持ち上げにかかる。
勝手に椅子になろうとしたのでべしりとおでこを叩けば、その部分を押さえてうっとりと微笑んだ。
「ネアは竜も狼も好きだけど、そういう対象ではないんだね」
「そこに鳥と、どんぐりも混ぜておいて下さい。私は、本来の姿がどのような形かを重視します。人に化けられたとしても、本来の種族の括りはとても大事だと思うのです」
もしこの世に他に誰もいなかったり、その獣相当の誰かと元から深い縁があれば、また話は変わってくるかもしれない。
昨今よりお伽噺にはその手の要素があるし、ネアだってそのような物語は楽しく読んでいる。
けれどそこまで率直に告白すると、また立て籠もり犯が出るので、ネアは大人しく口を噤んだ。
(そして、どんぐりだけは未来永劫ない!!)
しかしその週に開催された定例会で、誰よりも価値観に信用を置いているウィリアムに、かのどんぐり魔物は、人間にとっても重用される恋のお相手だと聞いたネアは、椅子から落ちそうになった。
守護のあれこれが上手く作用していただけで、本来のどんぐり魔物の周囲には、鮮やかな魅惑魔術が展開されており、脆弱な人間など容易く恋に落ちてしまうのだそうだ。
森の魔物の中でもトップクラスに叡智を備え、穏やかで争いも好まない。
その上洒落者で会話も面白いと、想定外の競合物件だそうだ。
因みにどんぐりの笠の部分を外すと、小さな口があるらしい。
想像してみようとして、ネアはその努力を放棄した。
やはり、この世界は謎に満ちている。