凝りの竜と代理妖精 2
部屋に回収されたネアの元に、ヒルドから伝令が入ったのはその数分後のことだった。
「ディノ、王都にこごり?の竜というものが出たそうです。こちらに来る可能性があるので、ディノから離れないよう言われました」
「凝りの竜ね。ネア、落ち着くまでは部屋にいようか」
「困ったやつなのですか?」
「災厄の塊だから、嵐のようなものだよ。何が基盤になっているかで対策が違う。今回は疫病ではないかな」
「疫病!」
慌ててネアは、魔物の首に腕を回した。
急に抱き締められた魔物が、驚いたように目を瞠ってから嬉しそうに頬を染める。
「ネア、怖くないよ」
「私は兎も角、ディノが病気になったら嫌です。よく、強くて元気な方程、急な病気に倒れたりすると聞きますから」
「え、何それ。人間の教訓?」
「そうですね。経験則から育てられた、教訓のようなものです」
大事な魔物を守りつつ、ネアは少し考えた。
相手が疫病なら、エーダリアやヒルドを巻き込むのも何だか嫌だ。
可愛いと実直の二重奏という、クッキーモンスターとグラストのチームは更に嫌である。
「私の大事な魔物に、何かあったら困ります。丈夫そうで、疫病とかをくしゃりとやってくれそうな方はいませんか?」
「私はそういうものの影響は受けないから、大丈夫だよ」
少し体を離して、強がる魔物の顔を覗き込んだ。
あまりにもじっと見つめたら、ディノは目元を染めて目を逸らしてしまった。
「絶対にですか?」
「人間にでも擬態していない限りね」
「その凝りの竜が退治されるまで、擬態禁止です!」
「わかった」
もじもじするので首を傾げると、ぽいと髪の毛を投げて寄越された。
三つ編みを引っ張ってやれば、また微笑みを深める。
「それと、背中のリボンを結び直して下さい。そろそろ気になってきました」
「脱いじゃう?」
「なぜだ」
心配するあまり魔物をはしゃがせてしまったネアは、控えめなノックに振り返った。
リボンを結ばせながら扉のところまで行くと、通話用の魔術端末を持った家事妖精が立っている。
ネアの後ろの魔物にびくりとしたので、慌てて解放してやった。
「エーダリア様からですが、通常の端末ではありませんね」
「盗聴を警戒しているようだね」
「それは、少し不穏な感じですね」
親指大の長方形に切り出した、大理石のようなもの。
それが今回渡された通信端末だ。
「ネアです。エーダリア様?」
西棟の離宮にいる筈なのだが、こうして端末を寄越してきたということは、急ぎかもしれないので、取り敢えず繋いでみる。
「ネアか。すまないな、突然。今回の件は、私と兄上を同時に狙ったものである可能性が高い。あえて、公衆回線の水鏡と、こちらで連絡を分けることにした」
「まぁ、と言うことは、先程のヒルドさんの、通達以上に重大なお知らせがあるのですね?」
「お前は理解が早くて助かる。今回の凝りの竜は、疫病だ。石炭の病を落としてゆく。対策はこちらで行うが、石炭の病を予防する薬を頼めるか?」
「少しお待ち下さいね。……ディノ、出来ますか?……すぐに作りますね、エーダリア様。そして、周囲にわからないようにお届けします」
通信を切ると、ネアは臨戦態勢になった。
ぽいっと髪の毛を離し、腰に手を当てて、お仕事用の厳しい顔を作る。
魔物は寂しそうに髪の毛を見ていたが、祝日のお仕事モードを嫌がりはしなさそうだ。
「ディノ、石炭の病の予防薬を五本です。本数的に現実的でしょうか?」
「簡単なものだよ」
「治療薬というものもあるのですか?」
「石炭の病はね、かかると直ぐに発症するんだ。数秒で石炭になって崩れて死んでしまう」
「……ディノも、かかればそんな風に?」
ぎょっとしてディノの手を掴むと、微笑んで首を振ってくれた。
「魔術から侵食される病はね、身に持つ魔術の優位性が反映される。だから、私が感染したとしても、少し不調になるくらいかな」
「魔術の優位性……」
「そう。魔術には生まれ持った貴賎があるんだよ。一般的に、高位の魔物と一部の精霊が最上位、次に竜の王族と妖精のシーだ。これは、実際の魔術の保有量や、強さとは関係ない」
(それって、先天性の免疫力のようなものかしら)
「では、ヒルドさんやゼノはまだ大丈夫なんですね。そうなると、エーダリア様と、グラストさん、第一王子様が心配です。お留守番していてくれないでしょうか」
「ネアもね」
「でも、私にはディノがいるでしょう?」
見上げた水紺の瞳は澄明で、冷たい湧き水に手を浸したような清涼感がある。
そこに過ぎった微かな不安に、ネアは胸が痛くなった。
ガゼットで再会したときの、ディノの綺麗な瞳に浮かんだ静謐な悲壮の色合いは、まだ記憶に新しいのだ。
「君を損なうようなことは何であれ、許すつもりはないよ。けれど、それと、君が望むような自由のあり方は、いつも同じグラスには入れられないんだ」
「ディノ、人間がある程度の尊厳を持って自由に生きようと思えば、そこに多少の危険は伴うでしょう。その全てを潰して歩けば、私はまた別の形で息が止まってしまいます」
この話は少しだけ、今朝の願い事の続きだとネアは思う。
だから、慎重に大切に、お互いの要求を織り合わせなければいけない。
「だから、目的から逆算しましょうね。今回の件で、私が絶対にディノの傍から失われないようにしつつ、お薬の配給とお力添えをします。さぁ、私の大事な魔物は、その為の知恵と力を私に貸して下さい。お仕事が終わったら、ご褒美を差し上げます!」
真珠色の髪の美しい生き物は、目をぱちくりとさせて、無防備にこちらを見ている。
不安そうで悲しげだった眼差しは、微かな感嘆と、見慣れない熱を浮かべた。
「君は不思議だね。逃げようとするならがんじがらめにしてしまおうと思う度に、私を言い包めてしまうんだ。もっと深く君が欲しいのに、いつも君の言葉で安心してしまう」
「私はディノを一人にはしませんよ?それと、がんじがらめはいけません。私は、縛られるのはあまり向かないようです」
「……ネア、縛られたことあるの?」
「……時に人生は、思いがけない冒険をするものです。さて、お仕事しましょう!」
「ネア、詳しく…」
「さくさく働きましょう!イブメリアが勿体無いですよ」
「酷い、ご主人様!」
拗ねかけた魔物を上手く誘導しつつ、ネアは五分程で注文の薬を五本仕上げた。
予防薬自体は本当に簡単なものらしいとわかり、追加で二本個人用のものを作って貰う。
今回の件で念の為所持しておき、使わなければエーダリアに引き取って貰うつもりだ。
「これをエーダリア様に届けたいのですが、もしこちらを監視している不届き者がいても大丈夫なように、こっそり届けたいです」
「魔術の道を行こうか。それとも、エーダリアの手の中に捻じ込んでおく?」
「……一応、休日勤務のお仕事ですので、きちんと届けに伺いましょう」
ネアには、少しばかりの作為があった。
あえて現場に足を運ぶことで、ネアという駒が役に立つこともあるかも知れない。
上の出来事には興味がないどころか、倦厭したいくらいだが、エーダリアやヒルドに害が及ぶのであれば、排除に手を貸したい。
普段の王宮内と変わらない廊下を歩きながら、ネアはふと気になることを思い出した。
「ゼノやグラストさん達や、大聖堂の方には注意喚起があるでしょうが、アルテアさんは大丈夫ですか?病気にはならなくても、不愉快な思いをするかもしれません」
そして何となく、彼を騒動に関わらせると荒れそうな気がする。
劇物同士を混ぜてはいけないような、そんな感じだ。
「災厄は派手だからね、アルテアは心配ない。……ネア、アルテアのこと気に入ってきた?」
「ディノのお友達ですし、今日は素敵な時間を貰いました。心配だけしておきます」
「……浮気」
「最近このやり取りが定型化してきていません?」
「………ご主人様」
ディノが立ち止まったので、不貞腐れて荒ぶるのかと思いきや、目的地に到着したようだ。
西棟どころか、東棟からすらまだ出ていないような気がするが、この不思議さも魔術の道とやらなのだろう。
ネアは事勿れ主義なので、深く追求はしない。
こつこつと手の甲でノックすれば、聞いたことのない低いヒルドの誰何の声が聞こえた。
「ネアです。お薬をお持ちしました」
「………ネア様?!」
驚かれてしまったが何故だろう?
首を傾げていると、そっと扉が開かれた。
護衛対象を奥に庇いながら開かれた扉に、ネアはこんな場面を映画で見たことがあったと複雑な感傷に囚われる。
「よく、この部屋に辿り着けたな」
部屋に入ると、エーダリアが呆れた顔でそう言ってくる。
と言うか、ここはそんな分かりにくいところなのだろうか。
「ディノに、魔術の道というものを使って貰っています。エーダリア様、大丈夫そうですか?他にお力になれることがあれば、言って下さいね」
奥の卓には第一王子もいるからか、わざわざ立ち上がって薬を受け取りに来てくれたエーダリアに五本の薬を預けた。
「……相変わらず早いな。一時間程はかかると思っていたが…」
その眼差しを見て、ネアは得心する。
厄介な利権が絡む可能性があるので、早過ぎるというものも考えものなのだ。
「間に合わなくてもいけないので、急いで貰いました」
「そうか、無理をさせてすまないな。後はこちらで引き取ろう」
(もう少しくらい頼ればいいのに)
ただでさえ、ようやく迎えた祝祭の当日なのだ。
様々な要因の疲労が重なり、エーダリアの表情には微かな鈍さが見える。
それでも、彼は便利な部下を頼ろうとは思わない。
利用することと頼ることは違うのだと、もう少し緩んでくれてもいいと思うのだが。
何だかその強さが不憫になって、ついつい甘やかしてやりたくなった。
「エーダリア様、お怪我などしないよう気を付けて下さいね。いつかのお休みで、サラフさんのお姿を観賞にでも行きましょう」
「………風竜」
見ていて清々しいくらい、エーダリアの瞳に光が戻った。
僅かに呆然としてから、子供のような微笑みを作りかけ、はっとしたようにいつもの顔で頷く。
「ネア様、癖になりますので、あまり甘やかさないで下さい」
しかし、鬼教官には不評だったようだ。
静かな声と優しい微笑みで怒られ、ネアはざあっと血の気が引く。
ヒルドはどこまでも、スパルタ志向のようだ。
「は、はい。以後気を付けますね」
「ネア、浮気………」
「え、こっちも……」
背後から聞こえた悲しげな声に、ネアは半眼になる。
激励の言葉一つでとんだ波紋だ。
みんなもう少し心にゆとりを持って欲しい。
「時には上司を労うだけです。そして、ここでは邪魔になりますので、帰りましょう」
思わず視線を投げてしまった場所に座っているのは、明らかに第一王子な容姿の男性だ。
初回は窓の上からだったので、目に入ってしまった以上、慌てて頭を下げる。
エーダリアとヒルドの対応を見るに、非公式の今回の正解は、目に止めず空気のように扱うのがいいのだろう。
だが、さすがにネアには難しかった。
第一王子は特に問題視せず、尊大に片方の眉を持ち上げただけだったが、本当の失策は背後から告げられた。
「……ご主人様」
「大人として、ご挨拶をしてしまっただけです」
無難な返答で心に響かなかったのか、魔物はまたしても髪の毛をぽいっと放り込んできた。
「………まさかの公開処刑だ」
暗い目でその三つ編みを引っ張ってやったものの、魔物はまだ荒ぶっているようで、いそいそとご主人様を拘束の刑にも処してくる。
「常識のある大人は、公衆の場でこのようなことはしません。即時の解放を要求します」
「悪いご主人様だね。危ないから駄目だよ」
「寧ろ危ういのは、私の社会的評価です。せめて、一刻も早くここから退出させて下さい」
ぐいぐいと魔物の体を押して、部屋から出ようとするのだが、自分のテリトリーの主張もあるようであえて留まられてしまう。
有事だというのに巻き込まれた被害者達は、一様に困ったような生温い表情になった。
約一名だけ、第一王子は何の寸劇だろうかと、驚き混じりで興味深そうにこちらを見ている。
あまりにも屈辱なので、その視線を布か何かで遮ってやりたくなった。
だかしかし、ここは何にも於いて、退場することを優先しよう。
「対策会議の邪魔になります。帰りましょう」
強硬手段に出たネアは、掴んだ三つ編みを久し振りにめいっぱいリードにして、魔物を強引に牽引しようとした。
しかし、思ったよりスムーズに動かせず、本体が動かないので、びしっと三つ編みが直線になる。
「……ディノ?」
犬のお作法としては間違っていないが、さすがにこれは嫌だっただろうかと不安になりかけたネアに、視線の先の魔物は目元を儚く色付かせて、うっとりと微笑んだ。
「ご主人様、それ可愛い」
「………ご褒美になるんですね。しかし、喜ばしいなら良かったです。さ、帰りますよ!」
「もっと」
「場所をわきまえない困った魔物には、今度のお休みにお留守番の刑にしてしまいますよ。帰りましょう!」
「酷い…」
リードを引っ張って退出しながら、ネアは第一王子の傍らで呆然としている二人の妖精を盗み見した。
聡明そうな美女と、柔らかな美貌の男性だ。
どちらとも、理想の妖精を体現したような綺麗な人なので、得体の知れないものを見るようにされると傷付く。
心の傷を負いつつ何とか部屋に帰ると、失墜した社会的評価を思い、ネアは低い唸り声を上げた。
さっそく椅子になろうとする魔物をばしばし叩けば、その回数だけ魔物はご機嫌になる。
「ネア、可愛い」
「ご主人様は、ご立腹です!」
「もっと叩いていいよ」
「この怒りを鎮める為に、余分に作ってくれた予防薬を一本ゼノに届けて下さい」
「ゼノーシュなら、上手く避けると思うけど?」
「グラストさんは、エーダリア様の騎士です。事態を知れば、逆に参戦してもおかしくありません」
ネアがその可能性を指摘すると、ディノは不思議そうにしていたが、ぽいっと薬の一本を転送してくれた。
受け取りはゼノーシュなので、このくらいの手軽さで受け渡せるのが有難い。
「ウィームではなくても、街中や、人の多い被害の出そうなところに撒き散らされないといいのですが…」
ひと段落してしまったのでそう呟くと、体を屈めてくしゃりと頭を撫でてくれた魔物が微笑んだ。
「大丈夫だよ。魔術の軌道を見ていると、リーエンベルクの正面に放り込むつもりのようだからね」
「……ここの、正面に」
「確かに狙いは間違っていない」
「つ、通信!エーダリア様に連絡します!!」
ネアは大慌てで、連絡端末を鷲掴みにした。
まだ続きます!