47. イブメリアのミサに参加します(本編)
イブメリアの朝のミサは、八時から始まる。
ネアの感覚では少し遅めなような気がしたが、ウィームのミサは、魔物や精霊、妖精に竜など様々な種族が集まる為、それぞれの国や領地での最初の祝辞を終えてからの集合になることを考慮したようだ。
大聖堂の前面は柵で区切られ、ウィームの冬を表現した見事な瑠璃紺と紫紺の織模様が美しい絨毯が通路ごとに敷かれている。
各席に置かれた真っ白な雪の百合は、鹿角の魔物を現したイブメリアのミサの象徴。
とても美しいので皆持って帰りたがるが、イブメリアが終わると崩れて消えてしまう。
繊細な彫刻が美しい会衆席は全て、雪の結晶石を彫り上げたものだ。
長椅子で二人ずつで区切られており、設置された位置で幅や高さを微妙に調整されている。
気の遠くなるような繊細な作業だが、聖堂内のほとんどの装飾に人外の手が入っているので、職人達の技術の粋と言うよりは、魔術の叡智の粋と評価するのが相応しい。
祭壇のある聖域には、信仰の魔物、領主、司祭、そして送り火の魔物が立っている。
聖卓とされる位置には、冬の赤い果実が綺麗に盛り付けられた雪の結晶石があり、この時間は丁度その上にステンドグラスの鮮やかな光が落ちていた。
太陽が真上にある位置ではないので、採光に仕掛けがあるのだろうとネアは考えてみる。
創意工夫のような手仕事ではなく、恐らくこれも魔術による効果だろう。
静謐な朝の空気に、左右の大きなステンドグラスには降りしきる雪の影が映る。
荘厳なパイプオルガンの音と共に、奉仕者と司祭が祭壇に向かう行列は絵画のようであったが、信仰の魔物であるが故にあらかじめ祭壇に立っていたレイラも、絵のように美しい。
しかし、ここからが長かった。
ネアの世界で知られているミサと違い、ここで行うミサはそれ自体が魔術の式そのものだ。
奉仕者達の表情がきりりと引き締まっているのも、実際に彼等が術式を行う者だからである。
開祭の儀に始まり、説教や讃歌、祈願などが続いてゆき、興味津々で見ているネアとて、これは二度目以降は眠くなるなと密かに思ってしまう。
因みに讃歌のところでは、厳しく言い含められているネアはほぼ口パクだ。
こんなところで信仰の魔物を斃してもいけないとお達しを受けたが、楽しみにしていた本人は大変に不服である。
しかし、隣りの魔物のことを考えると渋々諦めるしかない。
ディノが、格段に階位の劣る他の魔物の領域に観衆として留まってくれるだけでも有難いのだから、出来るだけストレスを与えないよう、こっそり髪の毛を持ってやったりもしていた。
「汝、イブメリアの訪れを、その祝祭の成就と繁栄を望むだろうか?」
「はい。我々は皆、イブメリアの成就を願う者。この雪深き祝祭に、多くの恩寵と奇跡があらんことを」
中盤で、領主からの問いかけのところで、ネアが指名を受け、決められた応えを戻した。
つかえることなく言葉を戻し、優雅に一礼すれば、エーダリアは少し微笑んだようだ。
今日はウィームの最高位としての白の正装姿であるエーダリアに対し、ネアは儀式には正式参加しないので、濃紺のケープに淡い菫色のドレスを着ている。
回答を得た領主が言葉を繋ぎ、新たな詠唱へと続いてゆく。
詠唱の部分は美しい聖歌を聞いているようなので、ネアは惚れ惚れと聴き入った。
ディノの反応を見ていても、やはりエーダリアの声はとても良いもののようだ。
(そして、個人的に教え子さんよりは、司祭様の方がいい声だなぁ)
教皇に相当する教え子のターンも勿論あったが、声の張りと響き方は素晴らしいものの、好みの声というものがある以上、ネアは司祭に票を投じてしまう。
低く通りが良いのに微かな切なさを帯びる司祭の声は、心の琴線に触れるような音階なのだ。
「………ディノ?」
「念の為にね」
出番が終わって気が緩んでいたら、ディノに手を取られた。
クラヴィスのように香を焚くことはないものの、イブメリア当日の魔術は最も濃く豊かになる。
(おかしな構図になった……)
タイミングが悪いとしか言いようがないのだが、元々ディノの髪の毛を持ってやっていた手を掴まれてしまったので、傍目には魔物の髪の毛を悪戯していて怒られたようにしか見えないではないか。
その構図が発生してから、ネアはもう、儀式よ早く終われとしか考えていない。
いつも通りのよく似た灰色の髪で擬態していても、視線を惹きつけるのに十分なディノの美貌はよく目立つ。
特異な副作用が出ないようにと、ミサの最中は、衆人の興味を惹かないような魔術も展開していない。
(……定期的に、こちらを盗み見する人が多過ぎる!)
羞恥で死にそうなご主人様に対し、魔物は同時に髪の毛も引っ張ってもらえてご機嫌だ。
やっと後半のクライマックスになり、詠唱の輪の中でグレイシアが壇上に上がった。高貴な法衣のような衣装を纏い、目が醒めるほどに美しい。
ぼさぼさの髪はオールバックにして撫で付けられ、篝火の瞳が聖堂の薄闇に尾をひく鮮やかさだ。
(これが、祝祭の日の送り火の魔物!)
どこか物憂げな眼差しと、獣めいた冷ややかな美貌のこの魔物が、あの後ろ向きな家出狼には到底見えない。
誰もそう思わないだろうなと思いかけて、いや誰もが知っているのだとはっとした。
一般参列しているウィーム古参の民の方が、毎年複雑な思いでこの光景を見るのだろう。
(頑張れ!)
今の自信に溢れた送り火の魔物であればなんてことはないのだろうが、ついつい心の中で応援してしまう。
思わず熱心に見つめていたら、隣の魔物が握った手に少し力を込めた。
「……ネア、う…」
「浮気ではありません」
浮気ではないのだが、これだけ見事に成長されると確かに見惚れてしまう。
詠唱を重ねたグレイシアの翳した手の平から、祭壇で大きな青い炎が燃え上がり、獣が駆け上がるように尖塔の方へと昇ってゆく。
何とも幻想的な光景だった。
暫くして聖堂の鐘が一斉に鳴らされたのが、尖塔の送り火台に火が灯された合図だ。
後方の一般席から、わっと歓声が上がった。
これで、イブメリアの祝福が訪れたことになる。
夜のミサで送り火が消えるその時まで、人々はウィームの大聖堂の火を見て、祝福のお裾分けを手にするのだ。
(良かった。ジゼルさんの大雪の影響もなく、無事に終わりそう)
ここもまたネアの周知するミサと違い、最後は司祭の詠唱と、信仰の魔物の魔術で締めくくられる。
決して、魔術の理や術式を乱さないように、他の参加者が、言葉と歌以外で儀式に参加することはない。
どこまでも静謐に、そして厳格に。
これは儀式だと痛感しながら、ネアの初めての、イブメリアのミサが一つ終わった。
「な、長かった………」
ネアは、そう思わず小声で呟いてしまったが、似たような安堵の呟きはあちこちで聞こえていた。
所用二時間あまり。
エーダリアが疲れた様子一つ見せないことに感動しつつ、ネアはよろよろと立ち上がる。
「成る程な。ここの領主の術式は、まぁまぁだな」
背後から聞こえた批評に、ネアはおやっと首を傾げた。
知らない声だが、この口調の気安さは耳馴染みがある。
「………アルテアさん?」
「なんだ、今更気付いたのか?」
振り返ったネアにそうわざとらしく驚いてみせたのは、見た事のない青年だ。
柔らかな灰色の髪は後ろで一本に束ねられており、漆黒の正装で統一し、すらりと背が高い。
端正だが、どこか特徴のない見知らぬ顔。
それなのに、なぜかアルテアだと思えてしまうのは不思議な感覚だった。
「不法侵入ですか?」
「なんでそうなるんだ。仕事の一環だ」
「……ディノ?」
「………おい、なんでシルハーンの方を見た?」
「真偽の程を確かめようと思いまして」
「おや、アルテアは信用がないね。大丈夫だよネア、今回は本当に仕事だ。統括としてもそうだし、背後の守りも兼ねてね」
「背後の守り……?」
三人で話しているとふと、親族だろうかと言う囁きが聞こえた。王都から来た貴族の一団からのようだったが、何という安易な推理だろう。
(現状、髪色が灰色系統なだけですが……)
寧ろ、これだけ似ていない三人も珍しいだろう。
明らかにカテゴリが違う。
「……ネア?」
「いえ。あちらで、私たちが親族ではないかと推理する声が聞こえたので、これだけ似てないのになと不思議に思っていたところです」
「……そんなに違うかな?」
微笑んで首を傾げたディノの瞳のどこかに、魔物と人間だからだろうかという問いかけを見た気がして、ネアは首を振った。
「種族ではなく、強いて言うなら印象だけで属性分けをしたら、まるで違う分類に見えませんか?」
「へぇ、例えばどんな風に?」
うっかりアルテアが興味を持ってしまったので、ネアは溜め息を吐いた。
ミサが終わっても、後方の一般席からの退場となっているので、貴賓席の貴族たちはまだ席でお喋りしている。
ネア達が立ち上がったのは転移で退出出来るからで、こうして居残っていても問題はないのだが、そろそろ外で体を伸ばしたい。
「私の所感ではなく、あくまでも初見の方が考えそうな分類ですよ?ディノは光属性ですし、アルテアさんは闇属性です。そして私は、……何でしょう、砂利?」
「……ネア、どうして砂利にしたのかな?」
「一般的なもので、灰色の分類を思いつきませんでした。……そうですね、せめて鳩とか、雨雲とか……。どうしましょう、灰色の一般性とは何なのか、思考の迷路に入りました」
間違っても鼠を例に出したくないネアは、必死にぴたりとはまるものを探したが、よくわからなかった。
灰色と言われても、最初から最後までムグリスしか浮かばない。
「……とりあえず初見者の分類は置いておいて、もし、お前が分類するなら何になるんだ?」
ぎりぎりと眉間の皺を深くしていたネアは、それ以上の深追いをアルテアに止められる。
はっとして思考の迷路から立ち戻れば、また難しい質問をなげかけられた。
ふわっとした感じで、だが、明確に違うのだ。
先程の問題といい、端的な説明しろと言われても難しいではないか。
「アルテアさんは、アルビクロムの夜の繁華街でしょうか。秘密めいていていかがわしい、お作法の難しい特殊嗜好の上級者向けな感じです」
「わかった。この話は止めよう」
トラウマの扉を開かれたのか、額を片手で押さえたアルテアは、即座に議題の放棄を宣言した。
うっかり、工夫の範囲でとは言えそちらの経験者だと口を滑らせた所為で、以後、着々とそのレッテルを強化されている。
「ネア、私は?」
「……おい、この話まだ続けるのか」
「育ててしまったのはアルテアさんですよ。……ディノは、オーロラのような虹のような、恩寵や奇跡みたいに美しく、きらきらしいもので、でも真珠色の特別に可愛い大型犬でしょうか。困った行動を取りますが、ついつい甘やかしたくなります」
「ご主人様!」
「は?何でそれで嬉しそうなんだ?!」
アルテアは慄いていたが、ディノはとても嬉しそうに目元を染めた。
何とも立派な犬具合に、ネアは微笑みかけながら悲しく頷く。
本人も異論がないくらい犬だからこそ、ある意味この魔物はブレないのだ。
擦り寄って甘えてきたので、ていっと腕の部分に軽く体をぶつけてやれば、嬉しそうにはしゃぐ。
ミサの間大人しくしていたご褒美だ。
後で厄介なご褒美を請求されないよう、先に安価な支払いを済ませてしまう方策である。
「ディノ、そろそろ出ましょう。あまり長居すると、信仰の魔物さんが倒れてしまいます」
聖域で貴族達に捕まって談笑しているが、レイラの視線は時折こちらをびくびくと観察している。
早く目の前から消えてやるのが彼女の為、延いてはイブメリアの為だ。
そちらを見て、一瞬魔物らしい酷薄な微笑みを鋭くしてから、ディノはネアの頭をふわりと撫でる。
「途中から歩くかい?」
「ええ。イブメリアですしね」
「何処もかしこも混み合ってるだろう。隔離空間にでも入ろうぜ」
「ディノ、アルテアさんは、なぜに一緒に来るつもりなのでしょう?」
「ネア、イブメリアだからな、好きなものを買ってやるぞ?」
「……む。一時間くらいなら」
「ご主人様?!」
「…………一時間」
その後ネアは、友達がいないのかもしれないアルテアの為に、きっかり一時間だけボランティアに勤しんだ。
報酬として、素敵な魔術仕掛けのオルゴールと、イブメリア限定の高級葡萄酒を手に入れたので、良い仕事をしたと思う。
大事な魔物が拗ねてしまう直前を見計らい、リーエンベルクの手前で解散させて貰った。
昨晩にお出かけしたので、今日は夜のミサまではお家で祝祭を楽しむ予定なのだ。
アルテアも良い大人なので、どうか夜までは一人で時間を潰してきて欲しい。
「せっかくなので、この葡萄酒を開けますか?」
「……違うものにしようか」
魔物は既に少々不貞腐れ気味である。




