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イブメリアの贈り物



夜明け前に目が覚めた。

昨晩の喝采が耳の奥に残っている。

花びらの雪と、真紅のカーペット。

シャンパン色のグラスに、馬車の走る音。


素晴らしい音楽だった。

最高の夜だった。



だから夜明け前に目が覚めたのは、高揚の余韻に違いない。



視線を巡らせて、ベッドサイドの花の形をした物入れを見た。

これは古くからリーエンベルクにある品物で、夏の夜明けの露を鍛えて作られたそうだ。

淡い青緑色に明るい藤色が混ざり合い、えもいわれぬ色彩で気に入っている。



その物入れには、透明な硝子細工めいた鍵が一本入っていた。


複雑に幾つもの色彩を宿し淡い水紺にも見える色は、ディノの瞳の色に似ている。



(…………鍵)



これが、ディノからのイブメリアのプレゼントだった。



何だか触れたくなって手を伸ばそうとして、いつの間にか見慣れてしまった指輪が目に留まった。


(宝物が増えた………)



そんな風に胸の中で言葉にするだけで、世界が明るくなるようだ。

あそこまで生きて、家族以外の誰かから、こんな風に宝物を与えられるなんて想像しただろうか。


(………両親に、ここにいるみんなを会わせてあげたかったな)



ぽつりと浮かんだ考えに、胸が潰れそうになる。



クリスマスのような日だから、きっとこんな風に感傷的になるのだろう。

もしもとか、でもとか、そういうことを考えることは、あの日から止めた筈なのに。


ネアは、失った筈の未来のもしもを考えるのは嫌いだ。

喪ったものの慈しみ方を間違えると、自分の心を殺してしまう。



悲しみに溺れるのは、とても簡単なことだから。



ごろりと反対側に寝返りを打って、隣に寝ていた魔物の肩に顔を押し付けた。

馴染みの良い香りと、魔物らしい少し低めの体温に目の奥にこみ上げてきていた涙が引いてゆく。



「ネア、怖い夢でも見たのかい?」


起きていたのか、起こしてしまったのか、低く甘い声に心が蕩ける。


「いいえ。とても大切だったものの記憶が、少しだけ怖かったんです。私は薄情ですね……」


「まだ怖い?」


「私の大事な魔物がいるので、もう怖くありません」



失われてしまったものと、新しく手に入れたものと。

不思議な暗さと明るさの合間で、今の自分の幸せを噛みしめる。



「ディノ、………ずっと側にいて下さいね」


「………ご主人様」


「………どうして、髪の毛が真っ先に渡されるのでしょう?こういう時には、手を貸して下さい」


「………どうしよう。ご主人様がどんどん大胆になってきた」


「………取り敢えず、今更ですが、髪の毛より手を繋ぐ方が難易度が高いんですね。よくわかりました」


嬉しそうに目元を染めた魔物は、場所が場所だけにとても扇情的だが、ネアの手の中には髪の毛のひと束が握らされている。


「イブメリアだし、飛び込んでみる?」


「イブメリアに打撲痕を作る危険は冒したくないので、また後日にしましょうね」


「ネアは悪いご主人様だね。イブメリアの朝は、伴侶の願い事は何でもきかないといけないんだよ?」


「それは伴侶間の風習ですよね。でも、私は心が広いので、普段のご褒美とは違うことならきいてあげますよ?」


「何でも?」


「何でもの度合いにもよります」


新しく変態用のご褒美を作られても困るのでそう答えると、ディノは目を伏せるようにして深く微笑んだ。


その美しさはとても魔物らしくて、過ぎた美しさの拒絶感をより鮮明にする。

内側から光るような澄明な瞳の鮮やかさに、指先でその肌に触れたくなるような、不思議な酩酊を覚えた。



「無防備かなと思ったけれど、きちんと自衛しているね」


「む。私は慎重派ですよ?」


「さて、どうだろう。じゃあ、こっちにおいで」


魔物を寝台に上げるときには、毛布を分けて使っている。

睡眠を第一欲求の一つとするネアは、自分の包まるものが誰かに引っ張られるのが嫌なので、本格的に個別包装の運用なのだ。


だから、ディノの要求はその包まりを解いて、こちら側へおいでということ。



「倫理的に、ちょっと躊躇してしまうのは、我儘でしょうか」


「何でも叶えてくれるんだよね?」


「ご主人様に二言はありません。仕方ありませんね!」


毛布を持ち上げてくれた隙間にえいやっと転がり込むと、伸ばされた腕の中にしっかりと抱き締められる。

馴染まないだろうと居心地の悪さを覚悟していたのだが、案外しっくりと身体が収まった。



けれど、誰かと本格的に抱き合って眠ったことのないネアは、すぐに体の配置がわからなくなる。


「……ディノ、こちらの手はどうするのが正解ですか?」


「私の体の上に乗せていていいよ」


「重たくないでしょうか?人間の腕は、実はそれなりの重さがあるそうで…」


「大丈夫」


「………指示通りにしたら、かなりぴったりとしますね」


「足も窮屈だったらかけていいからね」



その言葉に、ネアは構成図を脳内で思い描いてしまった。

片手と片足をディノの体の上に乗り上げさせる状態は、格闘技の決め技に少し似てはいないだろうか。

というか、拘束かつ絞め技の範疇ではなかろうか。



「………やっぱりそっち側に転がるのね」


「……ネア?」


ネアの小さな苦悩の呟きに、ディノの声が不思議そうな響きを帯びる。

随分と危うい体勢でもあるので、さすがに顔を見上げるだけの勇気はない。

勝手に照れてしまうと、魔物を困惑させてしまうだろう。



「いえ、やはり私は一般人なのだなぁと考えていたんです」


「どうしてその思考経路を辿ったんだろう。……体の位置はどう?落ち着いたかい?」


「そうですね。こうしてくっつくと妙な幸福感はありますが、睡眠的には無しだなという結論が出ました」


「…………え、ご主人様」


「大の字睡眠を好む私には、短時間しか維持できない体勢ですね。はい、解散します」


「ご主人様、酷い………」


魔物はショックを受けた様子で悲しげな声を上げたが、睡眠だけは譲れない一線があるご主人様は、決して首を縦に振れなかった。


ネアが離れようとしたのを察したのか、ディノは背中に回した腕に力を込める。



「ご主人様を解放したまえ」


「ほら、まだ夜明けだからもう少し眠れるよ」


「ちっとも気儘に眠れません。ここは、空気も薄いです」


「………緊張してる?」


「いえ、ディノの体に遮られるので、物理的に」


「………ほら、これで新鮮な空気が回遊するよ」


「かなりどうでもいい目的の為に魔術を使いましたね!」



暫しじたばたしてから、ネアは力尽きた。

なぜか、この時間にしては深い唐突な眠気に襲われる。


眠たくなると、思考回路がてんでバラバラの方向に散らばった。



「………あの鍵」


「うん?」


「どうやって持ち歩けばいいでしょう?」


「チェーンを付けてあげるよ」


「……今度のお休みは、何か作ってあげますね」


「………グヤーシュ」


「はい」



意識はここで途絶えている。

起床時間に起きると、何だか不可解な気持ちが残った。

短時間なのに、妙にたくさん寝た気がする。

とは言え、イブメリアの朝だったし、そうなれば実質寝たのは一時間くらいだ。



(あんまり嫌がるから、魔術を使われたり………してないよね?)


以前、椅子にするのをあまりにも拒絶したところ、魔物を椅子にすると漏れなく回復魔術がかけられるようになった。

これがかなりの曲者で、疲れがとれるならと防御が甘くなることがある。


その一件以来、ネアの警戒心は強い。

強いが魔術の才能がなさ過ぎて、何かされていてもわからないのだ。



「鍵、チェーンつけておいたよ」


「いつの間に?!有難うございます。この歳で、まさか別宅を持つことになるとは思いませんでした」


「厨房だからね」


「一般常識では、あれは戸建てです」



ディノが与えてくれたのは、まさかの厨房だった。

以前に、うっかり自由に使える手軽な厨房があればと口にしたのを採用されてしまったらしい。

このリーエンベルクの食事をそれなりに気に入っているネアとしては、飲み物利用以外でそこまで利用機会があるわけでもないのだが、せっかくなので魔物にグヤーシュでも作ってやろうと思っている。


寧ろ、ほぼそれ狙いで贈られたプレゼントだ。



「ネア、これをご褒美にする」


「……チェーン付け?」


「そっちじゃなくて、また一緒に寝よう」


「………最上級のご褒美に分類します」



祝祭の朝から、厄介なものを増やされてしまったようだ。

敗戦者のような顔になるネアに対して、ディノは満足げに微笑んだ。



しかし、ご褒美とはご主人様の裁量で発動されるものなので、ネアは、一年に一回くらいを目安にしようと思う。

次のイブメリアまで、このご褒美は封印だ。




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