46. イブメリアの朝には贈り物の話をします(本編)
イブメリアの日、ウィームは穏やかな雪の朝となった。
屋内の飾り木は見事なモミの木に似た針葉樹で、枝先のところどころが、雪化粧のように白緑色に結晶化している。
そこに、ウィーム伝統の白磁の円形のオーナメントや、水色の天鵞絨に繊細なビーズ刺繍を施したオーナメントが飾られるのだ。
インスの赤い実はよく熟れた苺の色で、同じような赤色の小ぶりな赤い林檎のようにも見える不思議な結晶石飾りは、内側で淡く魔術の火が燃えていた。
飾り木の頂上には、星の形をした半透明の淡い金色の飾りがあり、今はもういない光竜の鱗から作られたものなのだという。
「よい朝だな。イブメリアらしい」
エーダリアの言葉にヒルドが頷く。
「雪が降らないイブメリアは、祝福が足りないと申しますからね。ジゼル様にも少しご尽力いただきましたが、ガレンからの贈り物をたいそう気に入られたようですよ」
「……気に入ったのか」
そこでなぜかこちらを向かれて、ネアは首を傾げる。
「エーダリア様?」
「お前の提案を一部採用してな。ジゼルには、子狐を贈ったのだ」
ジゼルは、雪竜の王だ。
確かにネアは、尊大で孤独なその王に、誰か庇護すべき者を多少強引であれ巡り会わせてみてはと提案したことはある。
だが、断じて子狐ではない。
「エーダリア様、竜は何を食べるのでしょうか?」
「お前の竜の印象だと、子狐を食べる恐れがあるのか?」
「ジゼルさんのご事情は知りませんが、四つ足の肉食獣であるという認識はあります」
「………竜は、我々より叡智深き高位種だ。人間に料理とテーブルマナーをもたらしたのは、魔物や竜だからな?」
「………四つ足で?」
「高位の竜は人型を取るだろう!あれを人型と呼ぶのは便宜上で、我々人間は竜の人型や高位の魔物の姿を元にして作られたと言われている」
「………意外過ぎて驚いてしまいましたが、そこに妖精さんは含まれないのですか?」
「妖精と人間は起源が同じくらいだそうだからな」
「それも驚きです!妖精さんの方が古いのかと思っていました」
一瞬、エーダリアの授業に夢中になりかけてから、ネアは視線を手元に戻した。
イブメリア用の美しい絵皿に、これもまたイブメリア用の料理が綺麗に盛り付けられている。
赤身の魚のカルパッチョと、生クリームたっぷりで焼いたキッシュ。
鴨の林檎のソースに、キャビアに似た魚卵を塩味のアクセントにした海老の冷製ゼリー寄せ。
勿論、ローストビーフとチキンも。
祝福の時節が開始されてからの料理を、一口ずつ盛り付け食べ直すのがイブメリア当日の料理の習わしだ。
祝祭の前夜祭にあたるバベルクレアや、クラヴィスには代表料理があるが、それ以外のメニューは各家庭ごとに違ってくる。
略式で、ローストビーフとチキンだけの家が多いものの、正式なスタイルを踏むリーエンベルクでは、毎晩の料理を揃えた為に品数がとにかく多い。
しかし、それをいかに苦なく楽しく食べさせるかが、料理人の腕の見せ所だった。
外食の日などは、朝食の品を引用したり、重くなり過ぎないよう、サラダから選出されたりもする。
(凝ってるなぁ……)
焼きたての温かな栗と茄子が入ったサラダは、暖かいものと冷たい葉物でたまらなく美味しい。
そして、イブメリアの風物詩である白いケーキ。
これは、ウィームの雪に見立てたケーキと、血脈の繁栄と犠牲を意味する赤い装飾が揃えば特にそれ以上の決まりごとはない。
赤は、苺などの果実であったり、飴細工であったりと、各家庭や地方でまた特徴を分けた。
なお、赤い果実ということでは、市井の家庭では林檎がポピュラーとされる。
逆輸入の感覚で、近年ではイブメリアは林檎という風習も新生しつつあった。
(インスの実が食べられないからかしら)
あんなに丸々と艶めくインスの実だが、少量の毒があり食用には向かない。
毒があるからこそ災厄避けのリースに使われたのだが、飾り付けの赤い実が食べられないので、何でもいいから赤い実が食べたいという人々の欲求から、この風習が生まれたのではないだろうか。
ネアはそう睨んでいる。
(リーエンベルクのケーキは、苺も林檎も全部あるのね)
まあるいケーキは、つやつやと真紅に輝いていた。
あらゆる赤い果物を丁寧に敷き詰めてあるケーキは、丁寧に飾り切りされて、或いは並べられて、赤いレース模様のようだ。
赤い果物とは別にイブメリアの代名詞でもある葡萄もあり、シンプルな生クリームのケーキの雪原の上面を輝かせていた。
側面はあえて純白に残したところが、上品で素敵だとネアは思う。
ゼノーシュの視線は、もはやそこから離れなくなっていた。
「うむ。我が人生に悔いなし」
「ネア、食事だけで人生を満了させないでね」
「ディノ、でもこのお料理を見て下さい。ただ贅沢なだけじゃないんですよ。まるで絵のようです。崩すのが勿体無いくらいで幸せです!」
「…………半分以上食べた後に言う台詞なのだろうか」
「エーダリア様は、好き嫌いをしてはいけませんよ。そのチキンが苦手なら、代わりに食べて差し上げましょうか?」
「これは好物だ!」
慌ててチキンを口に運んだエーダリアは、本気で怯えた目をこちらに向ける。
ネアとしては懲らしめてやっただけなので、特に興味なく次の料理を物色していた。
「ゼノーシュ、あまり急いで食べても…」
グラストがそう窘めるのは、ケーキにナイフを入れるのは、全員が食事を終えてからだからだ。
しかしクッキーモンスターは、視界に入るケーキのせいで、どうしても食事のペースが上がってしまうらしい。
「……ケーキ」
全ての料理を一度に並べるのもイブメリアの風習だが、今回についてはゼノーシュ対策で止めるべきだったのかもしれない。
うわ言のようにケーキと呟いているゼノーシュを見て、ネアは切なくなった。
誰もゼノーシュ程に早くは食べられない。
全員が食べ終わる頃には、ゼノーシュは椅子の上で弾みかけていた。
誰が最後でも殺されかねない雰囲気ではあったものの、マイペースなディノとヒルドが動じずに最後尾を引き受けてくれたので、他の者は安心して食事が出来た。
ケーキにナイフが入ると、カードやプレゼントの話をするのもお作法の一環である。
それまでは、公の場で秘密を明かさないのが決まりなので、イブメリアの婚約の発表などは、大抵ケーキを食べながら報告される。
「ネア、あの本はどこで手に入れたんだ?」
口火を切ったのはエーダリアだった。
グラストの報告によれば、ネアからの贈り物は一度手が震えて取り落とされ、その後は抱き締められたそうだ。
「定例会の時に、ウィリアムさんに購入の伝手を与えて貰いました。そちらの国ではそこまで希少ではないそうですよ」
「だが、我が国に入ったものはこれで二冊目だ。一冊目はどうしても王の手元に保管されてしまうからな。まさか、個人所蔵出来るとは思わなかった!」
「ふふ。喜んでいただけたみたいで良かったです。私も、あれだけ素敵なケープをいただいたのですから、同じくらい喜んでいただけるものを贈りたかったんです」
ネアがエーダリア用に用意したのは、とある西国の術式本だ。
魔術師達の間で小さな国で独自に進化した魔術形態が話題を呼んでいるらしく、だが閉鎖的なお国柄、中々外には出てこない物でもあった。
特に術式本を秘匿しているわけではなく、単に外に流通させるだけの利益を生まないからこその希少性なのだ。
対して、ネアが貰ったのは、あの儀礼用のケープだった。
贈り物として与えられた礼服は祝福が強く、良い品物になるということで、あのケープはイブメリアの贈り物として作られたのだ。
デザインを決めただけでなく、刺繍も含むケープの作成そのものの代金をエーダリアが負担し、宝石を提供したヒルドに加え、糸を購入してくれたのはグラストとゼノーシュだという。
(まさか、連名のプレゼントだとは思ってなかったから)
それまでも素晴らしいケープだと思っていたが、イブメリアが近づくにつれ、徐々にどの材料が誰の提供だか明かされてゆく中、ネアは嬉しい驚きを噛み締めていた。
(だって、普通に儀礼用のケープを作るぞって言うだけだったんだもの)
採寸は、そのくらいに適当な号令で行われた。
だから、最初の頃のネアは、上から事務的に与えられる制服のような感覚で仕立てられたのだと思っていた。
それでも材料にディノやヒルドの制作物が使用されているので、徐々に愛着が深まってゆき、まさかのこの種明かしである。
「私も、素敵なカードと贈り物をいただいてしまいましたね」
「いいえ。私こそ、あの夜霧の結晶や夜の結晶までも、ヒルドさんの育てたものだとは思いませんでした。既存のものも、あらためて育て直せるのですね」
「ええ。色を足したり、色味を変えたり、大きさや透明度を変えたりですけれどね」
「お花の部分の陰影の色があれだけ見事なのは、手を加えてくれたからだと知って嬉しいです」
加えてあのケープには、見事な隠し刺繍があった。
雨や霧に濡れると、刺繍された花々が雨に濡れる絵柄が浮かぶのだ。
そこにはまた違う宝石が使われており、ネアはその秘密を知ってからあらためて、魔術というものの奥深さに驚いた。
たった一枚に見えるケープに、何面もの顔が潜んでいるらしい。
雨の刺繍を明かしてくれたヒルドの口ぶりでは、まだ他の刺繍もある気配がする。
「いつか、あのグラスでご一緒させて下さい」
そう微笑んだヒルドに贈ったのは、ウィームの森の木々から育った、森の結晶で彫り上げたというグラスだ。
ヒルドへの贈り物は一番迷ったが、アーヘムに会いに行ったときにお酒を好むと知ったので、グラスにした。
実用性があり、収集品としても成り立つ。
「ネア殿、我々にもカードと贈り物を有難うございました」
「いいえ。そもそも、あの糸がなければ素晴らしい刺繍は出来なかったんです。それに、私の買い物の時にも付き合って貰いましたし」
「あの手袋はいいですね。よく考えてみたら、私用のものを購入したのは数年前でしたので、ゼノーシュ共々、大事に使わせて貰います」
グラストとゼノーシュには、こっそり配色がお揃いになっている手袋をあげた。
グラストが竜革と水狼の毛皮のもの。
ゼノーシュが竜革と、雪兎の毛皮のもの。
毛皮の種類は違うが、黒と水色がかった白い毛皮のものだ。
ゼノーシュは外側にも毛皮部分が多めで、グラストの水狼の毛皮は裏打ちされている。
「色がお揃いだし、僕の髪の毛の色に似てる」
多分四カット目のケーキを頬張りながら、ゼノーシュが嬉しそうに言う。
魔物にとって手袋は必需品ではなく装飾品だが、ディノに相談して、物持ちのゼノーシュであれば喜ぶだろうと裏も取ってある。
(喜んでくれて良かった)
ケーキを食べながら、ネアは微笑む。
隣に座った魔物の横顔を見上げると、こちらの視線に気付いて微笑み返してくれた。
まるで、家族の食卓のようだと錯覚してしまいそうなくらいの、不思議で暖かなイブメリアの朝。
「さてと、そろそろミサの時間だな」
もうすぐ八時になる。
そう言って腰を上げたエーダリアに、ネアも紅茶のカップを置いた。
(……良かった。私とディノのプレゼントは聞かれなくて)
ネアとディノ間の贈り物事情は、何というか朝の会話には重すぎる。
それを察せる人と、察して箝口令を敷ける人がいてくれて良かった。
結果、エーダリアとヒルドや、グラストとゼノーシュ間のプレゼント事情など、中々に興味深い会話が聞けてのんびりしてしまったが、これからエーダリアは一仕事あるのだ。
祝祭日がいつも仕事になってしまうのは、領主としての悲しい定めだろう。
本人は、ダリルへの贈り物の評価を聞くのが嫌らしく遠い目をしている。
毎年、選んだ品物を巡って、口煩い奥さんのように辛口の批評が下るのだそうだ。
(こうして磨かれてゆくのか………)
彼のような立場では、公式の場での贈り物も評価の一因となる。
その点、評価の厳しそうなダリルが居れば、逞しく伸びてゆきそうだ。
頑張って磨いていって欲しい。
「雪、少し激しくなってきましたね」
窓の外を見てネアが呟くと、ヒルドの顔が少し曇った。
その表情を見たエーダリアとグラストが、慌てて外を見る。
「もう少しで吹雪になるくらいだね」
特に感慨もなくディノがそう見立てたので、ネアは重々しく頷いた。
外に出るとは言え魔術の守りが諸々あるので、あまり大雪に行動が制限されることはない。
だが、エーダリア達はなぜか難しい顔で何かを囁き合っている。
「こんな雪模様で、送り火は灯せるのか?」
「こちらの火は問題ないでしょうが、大聖堂の尖塔は高い位置にありますからね。この風で消えないと良いですが」
「……あの、送り火は、グレイシアさんの魔術ですよね?消えてしまうものなのですか?」
思わずそう尋ねてしまったネアに、全員が苦虫を噛み潰したような顔で首を振った。
「ジゼルの階位の方が、送り火の魔物より上だからな。消えかねない」
「ええ。階位に準じるのが魔術ですからね」
ネアは、確かに何となく横なぐり気味の雪の軌跡と空模様を見る。
「この吹雪手前のご様子は、ジゼルさんの仕業なのですね。もしかして、ご機嫌斜めなのですか?」
「いや、………その逆で、機嫌が良すぎるみたいだな」
「………え」
ネアは絶句した。
もしや、その要因は子狐だったりするのだろうか。
そして、朝のミサは無事に執り行えるのだろうかと不安になった。