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真夜中の浴場


リーエンベルクには、王族専用の浴場がある。


手入れに時間がかかるので、現在はあまり使っていないのだが、時々勝手にお湯が沸いているらしい。

内装も全盛期のものになっており、今はくすんでいる夜の結晶石のシャンデリアも、煌々と輝くのだそうだ。


王宮に住んでいる亡霊の仕業だとか、諸説あるもののお湯が沸いている間には楽しく入浴出来る。


元々、この浴場は良質な温泉である。

もしお湯が沸いているのを見たら、すかさず入るのが正しい。

今はもう、浴場のある棟は王族専用ではないので、館内ツアーをした際に、ネアはグラストからそう説明されていた。




(………お湯が沸いてた)



真夜中に目が覚めて、ネアは瞼を開く直前まで見ていた夢を思い出す。

湯も張られていないがらんとした浴場しか見たことがないのだが、夢の中のそこは暖かな光に溢れていた。


湯気にシャンデリアの光が煌めき、瑠璃色を基調とした虹色の光輪を作る。

芳しい百合とオレンジの香り。

お湯は上等な紅茶のような色をしていた。


(夢……?)


ただの夢なのだろうか。

だが、どうもそうではない気がする。

何しろこういう世界なのだから。


そう思ったネアの行動は早かった。

さっと起き上がると、室内履きをひっかけて着替えを取りに行く。


「……ネア?」


真夜中に突然行動を開始したご主人様に、巣の中にいた魔物も顔を出した。


「寝ていて下さいね。浴場にお湯が入っているかもしれないので、もしそうであればお風呂に入ってきます」


「ネア、そんなお風呂好きだったっけ?」


「お風呂そのものは普通です。ただ、こういう特別な機会というものは、わくわくしてしまうので好きです」


「一緒に行くよ」


「でもディノ、眠たいでしょう?リーエンベルクの敷地内なので、大丈夫ですよ」


ネアは遠慮したのだが、巣から出てきた魔物に腕を取られた。

魔物らしく、起き抜けとは思えないくらい綺麗にしている。

枕の跡が頬についたりはしないのだろうか。


「敷地内でも特殊な場所だからね。一緒に行くよ。それに、私は元々そんなに眠らないんだ。ここに来てからは、どうしてだかきちんと眠っているけれど」


不思議そうに言うけれど、それはなぜか喜ばしいことの気がした。

だからネアはディノを見上げて微笑む。

髪がほつれていれば直してやりたいところだが、残念ながら魔物の髪は完璧だ。



「では、さっさと済ませますね」


「私がいるから、もし入れるようならゆっくり入浴しておいで」


「知らぬ間にお湯が沸く謎の地なのと、共用浴場なので入浴着を持って来ました。もし一緒に入るなら、入浴着を必ず持参して下さいね」


「ご主人様!」


一緒に温泉に行ったことがあるので、今更目くじらを立てる必要もないだろう。

こちらでは、共同浴場では水着のようなものを着用して入るので、特に倫理観念が揺らぐようなこともない。


最初はディノが入浴着というものを知らずに四苦八苦したが、何とかエーダリアとヒルドに説明して貰ったのは苦い記憶だ。



(とは言え真夜中。ぱぱっと、温泉にだけつかって帰ってこよう)


「では行きましょうか。これでお湯が入ってなかったら、ただの真夜中の徘徊ですね」




お湯は沸いてた。


あの夢は予知夢的なものだったのだろう。


柔らかな湯気にシャンデリアの虹が煌めき、最盛期の王宮の贅沢さに相応しい素晴らしい空間になっている。


「わぁ、なんて素晴らしいんでしょう」

「へぇ、こういう風になるんだね」



ネアは湯気と共に馥郁たる香りを吸い込んで、浴室に足を踏み入れる。

どうやら、活けてある花と入浴剤の香りが入り混じってこの素晴らしい芳香になっているようだ。



中央の湯船のところには噴水のような造りがあり、泉の妖精と水竜の彫刻が見事だ。

お湯を出しているのは、妖精の水瓶と竜の守る滝の部分から。

彫り込まれた沢山の花々は透けるような結晶石の色をのせて、瑞々しい生花にも見える。

浴室全体に使われているのは、白大理石に良く似た霧の結晶石だ。



「このお湯、いい香りがします!」


「薔薇園の地下から沸いている温水だからね」


「じゃあこれは、薔薇の香りでしょうか?もっと複雑な香りがします」


「調香の為に、地下に浸透させる魔術と育てる木を考えたのだろうね。本来は時間のかかる作業だが、魔術に長けた者が多く、祝福が幾つかあれば数年で整う筈だよ」



手のひらにすくったお湯の匂いを嗅ぐと、やはりオレンジの香りがした。

柑橘系の果物の木も育てたに違いない。



「………もしかしたら、このお湯が時々勝手に沸いているのは、知って欲しいからかもしれませんね」


「知って欲しい?」


「ええ。こんなに素晴らしい浴室があり、それを整えた技量は、住まう方々の誇りだったでしょう。だから、こんな風に使って欲しいのではないでしょうか?」



黄金の蛇口を捻って出したお湯を浴びて、身を清めてから浴槽に入った。

その蛇口は見えないような部分にまで繊細な彫り物があり、贅を尽くした宮廷建築の執念を見た気がした。



蒸し風呂の気質に近い王都とは違い、ウィームはしっかりお湯につかる風習の土地だ。

住まいの中にある浴場で入浴着というのはまだ慣れないが、温水プールだと思えばいいだろう。

かつて、王族達が完全に着衣を脱ぐのは自分の居住棟と浴場だけだったというのは、自衛としての意味もあるのかも知れない。

ここは、あくまでも王族達の共用大浴場になり、かつてはこういう場所でも、密談や社交の場になったのだとか。


よって、今回ネアが入浴着を着用しているのは、ディノがいるからだけではなく、他の誰かが入ってきてもいいようにでもある。

個人用の浴場ではないので、お湯入りに気付いた誰が混浴してくるかわからない。



(それに、またどこかへ飛ばされても嫌だし)


着衣なくどこかに落とされたら、肉体的な損傷以前に女性として心が死ぬ。

未解明の魔術が働く場所なので、警戒するに越したことはない。



(でも、この薄い入浴着でも嫌だな……)



そう考えて不安になったので、隣で寛いでいるディノに少しだけにじり寄った。

魔物は長い髪を上手に結い上げて、顎先までお湯に沈んでいる。

かなり深く浸かるのが、ディノのスタイルだ。


異性の裸体を見慣れていないネアとしては有難いが、今回はお湯に透明度があるので若干の破壊力が残っている。

前回の乳白色のお湯はまだ楽勝だったのに。


(もう、海水浴場だと思うしかないわ)



こうした時にふと、男性としてのただならぬ色香にあてられるので、参ってしまう。

美し過ぎるからこそ妙な生々しさはないが、その美貌故の色香も破壊力が強い。


知るということは、それだけでその影響を受けることだと、誰かが魔術の知識として語っていた。

そんなことを今更思い出してしまう。


「ネア、のぼせた?」

「む。……顔が赤いですか?」

「うん。少しね」


お湯の中から引き上げた手を頬に当ててみたが、すでにほかほかになった指先では、頬の温度はわからない。


「のぼせたと言うより、少しだけ異性としての羞恥心に苛まれました。前回は温泉で他にも人がいましたが、今回は二人きりですから」


「……ネア、大胆だね」


「事実の再確認をしただけなのに!」



お湯の温度は熱過ぎずに丁度いい。

立ち上る香りに包まれているので、とても贅沢な気持ちで深呼吸する。

見上げれば、きらきらとシャンデリアの虹が瞬いた。

シャンデリアは枝葉と果実を表現した意匠になっており、これもまた狂気的なくらいに手が込んでいる。


(………よく見ると、枝葉に蔓葡萄が絡んでいるところもある)


その部分の結晶石は、葡萄色なのが秀逸だ。

贅沢な内装を見ながらお湯に浸かっていると、ほんわりと心が満たされた。


「さて、さすがにのぼせるので上がりましょうか」


「………もう少し」


「……ディノが長風呂なのを忘れていました」



その後、ネアは一時間近く浴場に拘留された。

まさかの睡眠時間の大損失に、遠い目になる。




「………ご主人様?」


湯冷めしても嫌なので、先に出て着替えていようと思ったが、あまり離れると、ディノが一緒に出てきてしまいそうで可哀想だ。

こんな真夜中に付き合って貰ったので、是非にゆっくりして欲しい。


何度か出たり入ったりしつつ付き合った結果、ものすごく疲労した。

やっと浴場を出て着替えが終わると、ネアは疲労困憊でふらふらになってしまう。



「……ご主人様はくたくたです」


「ネアも随分と長く入ってたからね。珍しいものだから楽しかったのはわかるけれど、無理しない方が良かったね」


「………解せぬ」



ネアの怨嗟の眼差しに気付かず、ディノはまだ湿っている髪を撫でてくれた。

これだけ長くお湯に浸かったのは初めてなので、肌からも百合とオレンジの香りがする。


「同じ香りだね」



幸せそうに微笑んだ魔物に、ご主人様はぎりぎりと軋んだ頷きを返す。

今度浴場にお湯が入ったら、こっそり一人で訪れようと心に誓った。






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