冬籠りの魔物と冬籠りの妖精
冬籠りの魔物がいる。
正しくは、冬籠りの魔物と妖精がいる。
魔物は冬籠りに向けての備蓄を司り、妖精は冬支度の手伝いをする隣人である。
「備蓄だから、こんな感じなのですね」
「いえ、備蓄だからとは言え、この個体は異常ですよ。だから、巣穴に入れずにまだ外にいるのでしょう」
「寧ろ、巣穴の入り口を塞ぐ役目の個体なのではないでしょうか?」
「そうすると、この冬籠りの魔物の下に、備蓄庫があるということが悪目立ちし過ぎますね」
その日、庭に出たネアが見つけたのはサッカーボールのような毛玉の魔物だった。
最初は道具か何かと思って、片そうと鷲掴みにしたのだが、ミーと低い声で鳴かれて生き物だと気付いたのだ。
ひっくり返して見てみたところ、少し不細工な猫に似てなくもない生き物であった次第である。
ちょうど回廊に姿が見えたヒルドを呼び止めて、鷲掴みにしている生き物の正体を教えて貰った。
「しかし、太り過ぎて自分の備蓄庫に入れなくなるとは、愚かな……」
ネアの冷ややかな断罪にも、冬籠りの魔物は低い声でミーと鳴いた。
ヒルド曰く、これは空腹の鳴き声なのだそうだ。
周囲に巣は見当たらないが、このサイズ感が邪魔をして冬籠り出来ていないのだろうとの見立てだ。
ほとんど真円になりながらまだ空腹なのが憎い。
元々このサイズなら愛嬌があって可愛いと言えるのだが、元は栗鼠くらいの生き物なのだと言うし、破裂してからでは遅いとネアは思う。
「この時期はよく見かける魔物なのですが、私もここまで大きくなったものは初めて見ました」
「そもそも手足が地面についていないようなのですが、どうやって移動していたのでしょう?」
「……確かにそうですね」
「まさか転がって……」
「いえ、まさか……」
二人の視線を受ける冬籠りの魔物は、鳴かなくなっていた。
幸せそうな寝息が聞こえるので、どうやら寝たらしい。
「もはや警戒心すらありません。こやつは、どうやって厳しい大自然の中で生きてゆくのでしょう?」
「冬籠りも出来そうにないですしね」
手の中で寝ている魔物を見ているうちに、ネアはだんだん不憫になってきた。
見付けてしまった以上、死なせてしまうのは忍びない。
だが、これは野生の魔物だ。
人間が安易に飼うのも宜しくないだろう。
どこかで素早くダイエットさせてやれないだろうか。
そう思って眉を顰めていたとき、不意にヒルドに抱き寄せられた。
「………えっ?!」
どきりとして、視界を閉ざした鮮やかな羽の色の中で固まる。
引き寄せられた勢いで硬い胸にぶつかってから、手にした魔物を潰さないように、手を当てて体勢を整えた。
どこかを油断なく見つめていたヒルドが、ネアの動揺に気付いて唇の端で微笑む。
「すみません、随分な敵意でしたので厄介なものかと思ったのですが、どうやら冬籠りの妖精ですね」
「……冬籠りの……妖精?」
ようやくヒルドの言葉の意味を理解して、羽の隙間から外側を見ると、何やら小さなモモンガのようなものがぶんぶんと飛び回っている。
ギャアギャア鳴いているので、かなりご立腹のご様子だ。
その鳴き声は立派に怪獣めいていて、聞いていると心が殺伐としそうになった。
「けだもののように荒れ狂ってますね。……ヒルドさん、羽!」
モモンガがへばりつき、小さな手でばりばりとヒルドの羽を掻いている。
ネアは真っ青になったが、ヒルドは涼しげな顔で、モモンガを一瞥した。
ひゅっと空気を飲む音がして、ぽすりとモモンガが地面に落ちる。
戦いを挑んだ相手の強大さを知り、恐怖のあまり失神したらしい。
「痛くないですか?」
思わずモモンガの攻撃地点にそっと手を触れたネアに、ヒルドは僅かに目を瞠った。
「……いえ。小さな妖精ですから」
「……ご趣……いえ、痛くなかったなら良かったです」
「ご心配をおかけしましたね」
小さく微笑みを深めて、ヒルドはネアを抱き寄せた腕に一度軽く力を込めると離してくれた。
「いいえ、私の方こそ庇っていただいて有難うございました」
「いえ、あなたに触れさせるのは不愉快でしたから、構いませんよ。冬籠りの妖精は温和な生き物の筈なのですが、一体……」
「ヒルドさんの羽の内側に入り込もうしていたので、標的は私でしょうか。でもその割には目が合いませんでしたが……」
「そうですね。ネア様というよりは寧ろ……」
二人の視線が、ぐうぐう寝ている冬籠りの魔物に集中する。
まさかのこの騒ぎでも、冬籠りの魔物は熟睡したままだ。
「同族では……ないですよね?」
「ええ。同族ならわかるのですが、魔物と妖精ですからね」
(………そして、ちょっと近い)
まだヒルドの羽の中にいるネアは、慣れない距離感にそわそわと視線を彷徨わせた。
頭の上で、気付いたヒルドが微かに微笑んだような気配がする。
顔を上げれば、研がれたばかりの刃のような深い青の瞳が煌めき、羽の中の薄闇でぼんやり光る。
(ううん、光っているのは羽の方だ)
羽の光を映して、瑠璃色の瞳に光が入るのだ。
「落ち着かないですか?」
「……ええ。あまりにも、ヒルドさんの領域に踏み込み過ぎているようで」
「私は気にしませんよ。庇護するものに触れるのは、妖精の悦びですからね」
その声の甘さに、不意打ちでどきりとした。
眠っている魔物がいるからだろうが、低く抑えられた声がどこか淫靡だ。
「……あ、」
「おや、目を覚ましましたね」
急にびくっと体を揺らし、冬籠りの魔物が目を覚ました。
きょろきょろと周囲を見回してから、謎に異常なしと判断し、また寝ようとする。
「こらっ!いけません。このモモンガとの関係を吐くのです!」
慌ててネアが冬籠りの魔物を下に向けると、ボール毛玉は、ミーと鳴いた。
とても短い手足をばたつかせたので、ネアはそっと地面に放してやる。
幸い、ネアがしゃがむ動作に合わせて、ヒルドは羽を広げてくれた。
雪の上に降ろされた冬籠りの魔物は、ころりころりと転がって、三回転目で気絶したままの冬籠りの妖精にばすっとぶつかる。
その衝撃で妖精も目覚めたらしく、はっと起き上がると、ちょこまかと手足を動かした。
(すごい、本当に転がって移動した……!)
ネアがそんな驚きを噛み締めていると、
やがて、自分を起こしたのが冬籠りの魔物だと気付いた妖精が、ギャアと大きく鳴いてから、頬袋から取り出した植物の種のようなものを魔物に渡しにかかった。
「…………これは、」
「どうやら、元凶はこの妖精のようですね」
冬籠りの魔物は、渡された種をもしゃもしゃと貪り、満足げにミーと鳴いていた。
その雄叫びに、冬籠りのモモンガ妖精は、小さな尻尾をぶりぶりと振ってこちらも喜びを表現している。
しかし、そちらを見ることなく魔物は寝落ちした。
「ヒルドさん、こやつは食べたらすぐに寝ました。何とも、相手を幸せにしない献身の図ですね……」
「なぜ違う種族同士で、こういう関係になったのか不思議です」
お腹が膨れて満足したのか、冬籠りの魔物はまたしても熟睡に入ったようだ。
そんな丸い魔物を揺かごを揺らすようにして、冬籠りの妖精があやしてやっている。
魔物を揺さぶる眼差しは恍惚としていて、とても幸せそうだ。
「……放っておいて大丈夫でしょうか?」
「大丈夫そうですね」
ただ、ここでは邪魔になりますのでとヒルドは前置きし、二つの毛玉を拾いあげた。
自分を掴み上げた者を見上げた冬籠りの妖精が、先程の衝撃を思い出したのか、毛羽立ったブラシのようになって震えている。
何気に小さな手で魔物を守ろうとしているのが、とても健気だ。
「ヒルドさん?」
「面倒はこの妖精が見るにしても、このままでは巣穴に入れずに凍えてしまいますよ。騎士達の詰所にでも置いてきましょう。あの棟は広いですから、どこか適当に巣作りするでしょうし」
「建物に害は及ぼさない生き物でしょうか?」
「基本的にリーエンベルクの建物には全て、状態保持の魔術がかけられています。特定の術式を組まないと、模様替えも出来ないくらいですから、壁に穴を開けたりは出来ませんよ」
「それなら、大丈夫そうですね」
「餌は、家事妖精に頼んで、清掃の時にでも適量与えて貰います。そうすれば、この魔物も健康的になるかもしれません」
「成る程。屋内なら勝手に食べれるものもありませんしね」
かくして、強制ダイエット合宿に放り込まれた冬籠りの魔物は、ひと月ほどでだいぶ小さくなったらしい。
騎士達は休憩時間にもふれる生き物を与えられて喜んでいたそうだし、その上冬籠りの魔物と妖精は、貯蓄を促進する効果のせいでとても縁起のいい生き物なのだそうだ。
だからこそ、リーエンベルクの結界は益獣の侵入を阻まない作りだったとか。
それを聞いたとき、ネアは声を失う程に衝撃を受けた。
手離さないで、里親になれば良かったと、心からの後悔に項垂れるご主人様を、ディノは、抜け目なく椅子になって慰めている。
この献身も困ったものだと、ネアは、持たされた髪の毛を眺めながら考えずにはいられなかった。