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首無し馬と魔物の巣

その日、ネアは泣かされて帰ってきた。



ご主人様が泣いたのはガゼット以来なので、ディノは驚いたように固まる。

声も出ないくらいに驚いている魔物の横をすり抜けて、ネアは魔物の巣に不法侵入して丸まった。


我慢しようとしても涙が滲んできてしまう。

鼻を鳴らして顔を覆うと、ネアは巣を構成している毛布に顔を埋めた。



「………ネア?」


体を覆うように寄り添い巣の端に腰かけたディノが、そっと肩に手をかける。


「ネア、どうしたんだい?誰かに何かされた?」


「………ディノ」


勿論酷いことをされたので言いつけてやろうと思ったが、顔を上げて甘えようとしたら気が緩んだせいで余計に泣けてきた。


ずりずりと体を動かして、寄り添ってくれたディノの胸に顔を埋め直す。

無茶な方向転換に少し巣が傾いたが、この際許して貰おう。


「ネア、可哀想に」



髪を撫でられ、頭のてっぺんに口付けられる。

いつもは渋々与える拘束椅子のご褒美が、今日ばかりはとても有り難かった。

背中に手を回してへばりつきながら、ネアはようやく胸の底から嫌な感情を吐き出して捨てる。



悔しいとか、悲しいとか、腹立たしさとか、そういうものはとても疲れるのだ。

その負荷に耐え兼ねて、どうしても涙が滲んでしまう。



「………お庭にいた、首無し馬の亡霊に、お尻を蹴られました」


「わかった。消滅させてこよう」


魔物の低く甘い美しい声が、一瞬で刃物のようになる。


「蕾が膨らんできて、とても楽しみにしていた雪薔薇を見に行ったんです。そしたら、風のように現れたあやつが、私の楽しみにしていた蕾を踏みつけてゆきました」



無残に踏み荒らされた花は、哀れだった。

勿論、他にも蕾はあるし、他の株は荒らされてはいない。

だが、色も膨らみも特別に気に入って、花開くのを楽しみにしてきた蕾だったのだ。



「でも、亡霊は意思疏通もままならないかもしれないので、何も言いませんでした。ぐっと言葉を飲み込んで我慢したのに、突然こっちに戻ってきて、私を蹴ったんです」


「蹴られたのはどこ?見せてご覧」


「お尻なので、お見せするわけにはいきません。きっと、後でお風呂に入ったら痣になるでしょう。しかも、私の大事なラムネルのコートに雪混じりの泥で、大きな足跡をつけたんです!……コートは家事妖精さんに綺麗にして貰いましたが、悔しくて涙が出てきてしまいました」


正確には、突進に気付いて避けようとしたところを追い回されて蹴られたので、憎しみもひとしおである。

こうすれば良かったとか、こう避ければ良かったと帰り道にぐるぐると考えてしまい、その結果余計に涙が滲んできてしまった。


大きな馬に蹴られれば、ネアの体は倒れてしまう。

転んで、表面がシャーベット状になっていた雪で、血が出ない程度に手のひらも擦りむいている。



「あんな馬、鬣と尻尾を毟ってやりたいです!」


「毟ってきてあげるよ」


「しかも蹴られて転んで、すごすごと逃げ帰る私を、あの馬は笑ったんです。……首がないのでどういう原理かは謎ですが」


「転んだのかい?どこか怪我はしていない?」



ディノやヒルドの守護は、とても限定的なものだ。

時々こうして、その隙間をすり抜けて被害を受ける事案が発生する。

あまり限定を強めると日常生活に支障をきたすからだが、その結果として大きな流血や骨折などを伴わない程度に、小さな打撃は避けられずにいた。


例えば、箪笥の角に足の小指をぶつければ死ぬ程痛いし赤くなるが、

守護の防壁により決して骨折をするようなことにはならない。

そんな感じだ。


「手のひらがひりひりします」


「見せて」


差し出した手を、ディノがそっと手で包んでくれた。

もうだいぶ落ち着いていたが、それでも残っていた痛みが一瞬で消えてなくなる。


手が解放されると、ネアはもう一度ディノの背中に手を回した。

魔物が頬を染めているが、体というよりも大いに心が萎れたので、自分を大事にしてくれるものを捕獲していたかった。



「ネア、首無し馬の亡霊と言うと、色は何色だったかな?茶色と黒と灰色がいるんだ」


「……一頭だけだと思っていましたが、そんなにいるんですね。色は黒のやつです」


「ああ、林檎の暴れ馬だね」


「林檎の暴れ馬?」


「そう。三日に一度の林檎を好きなだけ貰える日の早朝に、殺された馬なんだ。それから、幸せそうな者を見ると、無差別に攻撃してくるそうだよ」


「もしや、今回私が攻撃されたのは、早朝だからですか?……それとも起き抜けに、林檎ジュースを飲んだことが敗因ですか?」


「その二つが重なったからかもしれないね」


「……そうとわかっていれば、嫌がらせで林檎でも投げつけてやれば良かったです」


「嫌がらせなの?」


「ええ。どれだけの悲劇だったとしても、無差別に関係外の者を攻撃するなんて、もはやただの嫌な奴です。首を切った相手を呪うなら兎も角、私は初対面ではありませんか!」


蹴られたお尻が痛んで、ネアは体を少し浮かせた。

不自然な動き方で気付いたものか、ディノが抱き上げるような流れでそこに手を当てる。


「……ディノ、」

「治さないと、座るのも痛いんだろう?」

「………痛いです」



目先の恥より後々の腰痛を阻止する為に、ネアは渋々身を任せた。

手のひらのように一瞬で治すのではなく、指先と手のひらで患部を辿るように丁寧に確認される。


触れられて初めて、腰より少し上の位置の背骨周りも痛かったことがわかり、ネアは治療熱心な魔物に全てを任せることにした。

恐らく、転んだ時に痛めたのだろう。


「………ディノ、巣の中はいい匂いがしますね」

「そうかな?あまり意識したことはないけれど」


先程顔を突っ込んだときに感じたのは、ものすごくいい匂いがするということだった。

そこまで強い匂いではないので、洗濯の時に解体しただけではわからなかったらしい。

何の香りだろうと思って考えれば、ディノの魔物としての香りに似ているので彼自身の匂いなのかもしれない。


「そして、これは何でしょう?」


悲しくて泣いていても、人間というのはおかしなもので、それどころじゃない時なのにどうでもいいことに気を取られてしまうことがある。

今回の場合、淡い色の毛布の中に色の濃いものが紛れ込んでいたので視界に入った違和感に気付き、無視しきれずに拾い上げてしまった。

ネアがするりと引き出したリボンに、魔物の顔が明らかに狼狽する。


「…………リボン」

「これは、シュタルトで買った、お塩の包装に使われていたリボンではないでしょうか」


ぺらっぺらの安価なリボンは、シュタルトで料理をする際に買った塩の袋にかけられていたリボンだ。

水色で“シュタルトの塩は最高の品質”と書かれた文字が織り込まれた、濃紺のリボン。


「………ネアが髪に巻いてたから」


「あの時は、お料理中に髪を結ぶものが行方不明になったので、暫定的な処置でした。これは、包装の為の安価なリボンですので、髪を結ぶには向きませんよ?」


「ネアが、初めて料理を作ってくれた記念のものだよ?」


「…………とても複雑ですが、節目の品物は捨てないと言ってしまった手前、これは仕方ないですね。でも、このリボンで髪を結んでは駄目ですよ?余程きつく縛らないと張りが強すぎてほどけてしまいますし、何しろ商品広告が書かれています」


「ご主人様!大丈夫だよ、巣にしまっておくから」


「巣に…………」


ネアは拘束椅子の上から、先程避難した魔物の巣を振り返る。

本能的な何かをくすぐる居心地の良さだったが、あまり品物を溜めこんで欲しくない。

巣ではなくディノ用に振り分けた衣裳部屋に引き取ってもらうか、この部屋内の収納ゾーンである棚のどこかの引き出しに収納して欲しいが、今言わなくてもいいかなと指導を諦めた。


「良かった。涙が止まったね」


目尻に唇で触れられて、ひんやりとした感触に目を細める。

寄せられた肌の温度が火照った顔にとても気持ち良いが、魔物は冷却材ではないので、あまり頼らないようにしなければ。


「とても体力を消耗しました。やはり、悲しいことは疲れますね……」

「ネアは、疲れることは嫌いかい?」

「その内容によります。疲れても楽しいことは好きですよ」

「………ふうん。成程」

「何か、体力を消費しそうな特別な予定があるのですか?」

「いずれはね」


そう微笑んだ魔物がとても綺麗だったので、ネアはよくわからないまま頷いてしまった。

登山や密林散策でなければいいが、よく考えたら年明けに控えているボラボラの祭りかもしれない。

毛皮人形が舞い踊るのだから、きっと体力勝負だろう。



(…………ボラボラ)


思い出しただけで気になり過ぎて、悲しみが吹き飛ぶようだった。

森に迷い込んだ子供を食べるというが、ネアにとっては幸福の使者である可能性もある。

ボラボラが一体何者なのか、どんな文献にも詳しい記載がないのだ。


「ディノ、ボラボラ様は何を好むのですか?」

「………何で急に、ボラボラに傾倒したんだろう」

「今、ボラボラのことを考えたら悲しい気持ちが吹き飛んだんです。恩には報いなければなりません」

「雑食だった筈だよ?アルテアが詳しいから、今度聞いてみるといい」

「なぜアルテアさんがボラボラに詳しいのか、新たな謎が増えました」



その日はディノが全力で甘やかしてくれたが、自分の巣をご主人様の避難用シェルターだと勘違いをしてしまったようだ。

なぜここに逃げ込んだのだろうと切実な後悔を覚えつつ、ネアは夕方近くまで巣に軟禁された。

仕方がないので、魔物とゆっくり語らう日として運用したものの、ご主人様は平面で寝たいので巣には向かない。

そして、どれだけ掘り下げても、ボラボラが何なのかはわからなかった。




後日、ディノに護衛として同行して貰い、首無し馬の亡霊に林檎を投げつけてみた。

復讐してくれるというディノを制しながら、ここ数日この瞬間を待ち侘びていたのだ。


「……………え、ご機嫌?」


蹄で地面を蹴って大喜びで、首無し馬は大興奮している。

思いがけない喜びの舞に、ネアはぎりぎりと眉間の皺を深くした。

喜ばせるつもりなど微塵もない。これは、復讐だった筈なのだ。


「…………食べられているみたいだね」

「首がないのに、林檎食べられるみたいですね」



首がなくて食べられないであろう林檎で攻撃するという、史上稀にみる陰湿な攻撃だったのだが、周囲にはしゃくしゃくという林檎を食む幸せそうな音が響いている。


「………食べ終わったみたいだよ」

「おのれ、完食しましたね」


大好物の林檎を食べて大興奮の馬がこちらに向き直る。

あいつが林檎を持っているらしいぞとネアを特定し、物凄い勢いで駆け寄ってきた。

明らかに、もう一個頂戴という勢いではなく、踏み潰して略奪するという勢いだ。

しかし、身の危険を感じたネアがさっと魔物の影に隠れた瞬間、首無し馬は、ぽひゅんという音と共に淡く光って消えてなくなった。


「………ディノ?」

「浄化されてしまったみたいだね」

「ディノが消したわけではなく、自発的に消えてしまったんですか?」

「林檎を食べれて、幸せになったんじゃないかな」



その言葉を聞いて、ネアは膝から崩れ落ちそうになった。

ここで、昇天出来て良かったねと思える程、ネアの心は広くない。

これでは、酷い目に遭わされた上に、林檎を奉納しただけの被害者の構図ではないか。


「………………ご主人様?」


怒りに震えるご主人様に、魔物が少しだけ慄いた様子を見せる。


「勝ち逃げされました。これ以上の敗北があるでしょうか……。とても心が荒んでいるので、リノアールに新しい入浴剤を衝動買いしにゆきます!」


「好きなだけ買ってあげるから、元気を出して」



その夜、魔物は傷心のご主人様を巣に入れようとしたが、平面で寝たいネアは断固拒否した。

落ち込んだディノを寝台に上げた結果、その後、魔物の巣への誘いが頻発したのは言うまでもない。







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