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44. クラヴィスの夜に向けてそわそわします(本編)



クラヴィスの夜、今回のネアは儀式からお役御免となった。


出席する場合はディノの同行が絶対条件であったこと、その場合、信仰の魔物の心が本格的に死ぬかもしれないということが考慮され、イブメリア当日のミサに非公式にネアを登壇させるだけで済ませようという結論が出たらしい。


なお、特に表舞台に立ちたいわけではなく、寧ろ伸び伸びと一国民でいたいネアとしては、喜ばしいニュースであった。

信仰の魔物の精神状態を見て当日まで最終判断が持ち越されたのではらはらしたが、クラヴィスの昼前には勝利の微笑みを浮かべることが出来た。



「ネア、オペラでも見るかい?」


そんな提案があったのは、その直後だ。

思わずものすごく力強く振り返ってしまったネアに、ディノは淡く微笑んだ。


「もしかして、ウィームの歌劇場ですか?!」

「うん。ロージェの席が空いたみたいだけど、行きたいかい?」

「行きます!」


本当はもっと喜びを伝えたいのだが、まずは大急ぎでそこを押さえて欲しいので、ネアは端的に答える。

ご主人様の熱意に微笑みを深めた魔物は、押さえてあるから大丈夫だよと安心させてくれた。

返答の仕方の意図まで組み上げてくれる、とても良い魔物だ。


「どうしてこんな特別な公演が空いたのでしょう。確か、今夜は特別公演ですよね?」

「うん。クラヴィスからイブメリアに跨がる公演は、特別演目らしいよ。ロージェを押さえていた魔物に用事が入ってしまったようでね」

「どんな用事か知りませんが、お気の毒な魔物さんです。そして、感謝しかありません!」

「大聖堂で信仰のお目付役をするからね」

「……………アルテアさんが押さえていた席だったのですね」



この夜の公演は、ウィームにとってもとても特別なものだった。


年に一度しかないのが通例だが、今回に限ってはクラヴィスからの祝祭の運行の停滞が入った為、二回目の公演となる。

勿論、二度目の公演のチケットの販売も戦争となり、王侯貴族用のボックス席すら奪い合いだったのだとか。

この公演を押さえられなかった所為で、プロポーズに失敗した貴族もいたと聞けば、偶然空いた席を押さえられたということがどれだけの幸運なのかは、言うまでもないだろう。



(イブメリアにかかる夜のロージェだし、チケットは凄く高かったのかな……)


財政的な心配はいらないと聞いてはいるが、かつて観たい舞台を金額で泣く泣く諦めたことがあるネアとしては、どうしても少々そわそわしてしまう。

魔物へのイブメリアの贈り物は奮発したが、どこかでもう少し労っておこう。


演目は、クラヴィスの夜に暗い森に薪を取りに行かされた少女の話だ。

継母に虐げられている少女が、夜の森で季節や気象を司る魔物達の夜会に迷い込み、時刻が回りイブメリアになる頃に、春の王から指輪を貰い庇護を受けるという、この世界版のシンデレラである。

古典ではあるが人気があり、この夜にしか演じられない特別な舞台なのだそうだ。



「確か、実話なのですよね?」

「春の王ではなく、新芽の魔物だけどね。そして相手の女性は、既婚者だった筈だよ。嫁いだ先の貴族が継承争いをしていて、子供を連れて森へ逃げている途中だったそうだ」

「突然に物語の激しさが増しましたね。ディノは、その魔物さんを知っているんですか?」

「その一族の元を、ウィリアムが訪れることになったから顛末を聞いたんだ。婚姻というのは、人間だけでなく魔物にとっても不可侵のものだから、新芽の魔物は困っていたらしいが、都合よく夫は通り魔に殺されてくれたらしい」

「それは本当に偶然だったのでしょうか……。でも、それでお二人は幸せになれたのですね」

「さて、どうだろう。その後もそれなりに苦労はあったんじゃないかな。新芽の魔物は少年の姿をした魔物だから、容姿的な釣り合いの問題があったそうだ」

「少年と未亡人……。罪深い構図ですね」


真実は時として、小説よりも難解なものになる。

ネアは、胸に手を当ててこの罪深い真実に蓋をすると、舞台とは切り離して考えようと頷いた。

正統派の恋物語にするには、思い浮かぶ映像が犯罪寄り過ぎるのだ。



「今回の舞台は遅めの開始で、日付の変わったところで終わる。少し帰りも遅くなるけれど、大丈夫かい?」

「ええ!この舞台が観られるのなら、徹夜でも惜しくありません」

「喜んでくれて良かった」


嬉しそうに微笑んだ魔物に、ネアは小さく体当たりしてやる。

ぱっと目元を染めて幸せそうにしてくれたので、充分なご褒美になったようだ。

ご主人様は現在一部のご褒美についてストライキに入っていたのだが、その再開を決めるには充分な贈り物だった。



「……ご主人様」


しかし魔物の様子を見て、ネアはすぐさまご褒美を打ち止めとした。

あまり気持ちを盛り上げ過ぎてしまうと、飛び込みを欲するくらいに昂ぶってしまうので、変態に与えるご褒美の匙加減はとても難しい。


(でも、充分に足りていそうだからいいかな……)


ちらりと、寝室にある鏡台の引き出しに目を向けた。

あの一番上のネア専用の引き出しには、ディノの為に用意したイブメリアの贈り物が入っている。

製作に携わってくれた妖精はとてもロマンティックな贈り物だと感動していたようだが、実際にはとても重要な抑止力である。

上手くいけば、魔物の犯罪行為を一つ止めることが出来る筈だ。


なお、前回の反省を生かして、ネアは翌朝に渡す用のカードも早めに配布の手配を済ませておいた。

ガゼットの事件の時には幸いにもイブメリアそのものが延期になってくれたが、祝祭当日を過ぎた祝祭のカード程に悲しいものはない。

もしネアが戻れなくなっても、カードとプレゼントが行き渡るようにしておきたかった。


(すっかり疑い深くなってしまったのは、……………昔のこともあるからなのかな)


ガゼットの一件のせいで、戦場からの帰還兵並みの警戒心になってしまったこともあるが、そもそもネアは、また後でねと手を振って出掛けたままの家族が二度と戻らなかった経験をしている。

そんな過去の心の傷を癒してもう少し大らかに生きるのだとすれば、本日の昼食の為に用意されているイブメリアのハーブチキンを食べるしかないのだろう。



明日のイブメリア当日は、朝のミサと夜のミサに参加する予定だ。

交わされる詠唱の美しさが評判だそうで、当日は座席などが難しく、一瞬だけ、登壇の憂き目にあうとは言え、良い位置を押さえてくれたヒルドには感謝している。

エーダリアとグレイシアの晴れ舞台でもあるので、とても楽しみだった。

ウィームは冬を司る都市でもある為、イブメリア当日の朝のミサには、第一王子も来るのだそうだ。


イブメリアを越せば、新年の魔物がどうこうならない限りは季節の巻き戻しはないと聞いたので、それ以降に訪れる年内の誕生日は安泰だと信じたい。


「本当は、今夜は大人しく夜景でも見に行くつもりだったんです。当初は儀式に出る予定だったので、準備不足でしたから。でもオペラを見に行けることになるなんて、今日はなんていい日なのでしょう!」


さて何を着て行こうかと衣裳部屋の方を見てそう告白したネアに、ディノは頬を染めた。

こういう部分ではとても純真なので、些細なことで表情が緩んでしまうのがとても無防備に見える。



そして、昼食になると、シュタルトの薔薇塩と香草で焼いたお待ちかねのチキンが登場した。


前回のクラヴィスの日にも食べたのだが、飴色にぱりっと焼かれた皮目の美味しさを知ってしまったネアは、鶏肉の皮の部分を食べることを好まないヒルドの切り分けを狙って、エーダリアと激しく牽制しあったものだ。


幸い、二度目である今回は、前回の様子を見ていたヒルドが事前に給仕妖精に一言伝えておいてくれたお蔭で、ネアの全面勝利である。

ヒルドの分は、切り分け直後からネアの取り皿に盛られていた。

切り分けられたチキンの隣に皮が山盛りの異様な光景だが、ネアは目を輝かせる。



「…………ヒルド」


がっくりと項垂れたエーダリアに、ヒルドは澄ました顔でカトラリーを操る。

ネアと目が合うと微笑んで頷いてくれた。


「エーダリア様、ご自身の年齢をお考えください。女性の食べ物を奪ってはいけませんよ」

「前回も、結局ネアが食べただろう!」

「…………エーダリア様」


ディノも自分の分をくれようとするのだが、こちらは嫌いで食べないわけではないので、ネアは受け取らないようにしている。

ネアはここが一番美味しいと思っているので、是非に味わって欲しい。


「夜はどうするのだ?ここで食事を取るなら、早めに食べたいものを伝えておくといい」

「夜は歌劇場で、オペラを見てきます!先程厨房の方達には、外食の旨をお伝えしてきました」

「…………よくチケットが取れたな」

「ええ!ディノが、ロージェを押さえてくれたんです!」

「正攻法でか?」

「失礼な。アルテアさんが行けなくなったので、まっとうに空いたロージェですよ」

「……………イブメリア開催中には、せめて荒れないでいてくれればいいが」


エーダリアにも程ほどに観劇の趣味があるので、アルテアには同情的なようだ。

気の毒そうに息をついたエーダリアは、本日は、祝祭の儀式用のガレンエンガディンの正式な正装をしている。

漆黒で統一した貴族的な盛装にガレンエンガディンのローブを羽織るそうで、食事中の今はローブを脱いではいるものの、目の覚めるような艶やかさだ。


前回のクラヴィスの夜には、エーダリアは白のローブ姿だった。

とは言え、その日に限ってネアは、自分の白いケープが世界で一番という心境だったので、今回の方が元婚約者の服装を客観的に見ることが出来る。


ふくよかな黒色の生地には、術式と祝福を込めた刺繍がこれでもかと施されていた。

同系色でまとめられ派手過ぎないからこそ、どれだけの贅が尽くされているのかが感じ取れてしまう。

黒系統の宝石もふんだんに散りばめられ、雪を落とし始めた曇天の昼の光にも上品にきらりと光る。



「エーダリア様。今日の装いは、とてもお似合いですね」

「なっ………、褒めても皮はやらんぞ」

「何という言いがかりでしょう!好きで食べていらっしゃる方から奪ったりはしませんよ。純粋に、お似合いになるなぁと思ったから口にしただけです」

「………そ、そうか」


その後、何故かエーダリアが異様に照れたので、ヒルドだけではなくゼノーシュまで面倒臭そうな顔になってしまった。

言い出したネアは、直後から皮目を食むことに夢中になっていたので、ゼノーシュにつつかれるまでエーダリアの奇行に気付かなかったのだ。


慌ててネアが顔を上げた頃にはもう、エーダリアは、食事中にカトラリーを手にしてもの思いに耽らないようにという注意をヒルドから受けており、ネアは視線をそっと料理に戻した。

隣を見れば、ゼノーシュもそうしているようだ。


「グラストさんは、本日はどうされるのですか?」

「休暇とは言え、ウィームが最も賑わうクラヴィスとイブメリアですから、祝祭の楽しみも兼ねて大聖堂周りに居ようと思っています。いざという時には、エーダリア様達のお手伝いも出来ますからね」

「大聖堂の周りは屋台も多いので、ゼノは大喜びですね」

「僕ね、準備は出来ているんだ」


妙に男前の宣言をゼノーシュがしたので、ネアとグラストは顔を見合わせて微笑んだ。

何の準備だかわからないが、とにかく食べる用意は整っているのだろう。

今回のイブメリア前後でグラスト達が休暇を取ることから、新年の前後ではヒルドが休暇を取るのだそうだ。


意外にも恋の狩人であるらしいダリルは、薔薇の祝祭の周りで長期休暇を取るらしい。

王政の国にもかかわらず、福利厚生がしっかりしているようでネアは安堵する。

新年のお祝いはリーエンベルクで行われるそうなので、ネアも公式参加をする予定だった。



(王宮前の広場に飾りつけをして、たくさんのお料理が並ぶって聞いたけど、どんなものだろう?)



前の世界で言うところの、王宮前のクリスマス市のようなものしか思い浮かばないが、魔術に長けた者達が主催する会になるそうなので、きっと見たこともないようなものが幾つもあるだろう。

その時にはまた、今夜は寝かせることとなった白いケープを着る機会になる。

あの美しいものをきちんとした形でお披露目出来ることは、表舞台を好まないネアでも喜ばしく思っていた。



午後はあっという間に過ぎていった。



降り始めた雪を窓から眺めていると、リーエンベルクの大きな飾り木の根元には様々な妖精達が集まっている。


魔術の潤沢な土地に飾られた飾り木には上質な魔術が添うらしく、この時期に限って、害のない小さな妖精達や、祝祭にまつわる魔物達であれば、飾り木のところまで入れるようになっているらしい。

合わせて一部の許可証を持つ者達も広場までは出入り可能となっている為、時折、見事な羽を持つ妖精や、漆黒のローブ姿の魔術師など、見たことのないような者達の姿が見えることもある。


王宮の門にかけられた魔術が特殊だということから、飾り木の周囲を特別な結界で覆い、その中に転移で入り込むことが部分的に許可されているという独特のセキュリティだ。

誰かが来る度に門周りの警備に兵を割く必要もなく、効率的でもあるのかもしれない。

逆に言えば、そんな招き方をしても警備に支障が出ないような守護がこの土地にはあるのだ。


(こうして考えると、ほんとうにリーエンベルクには人が少ないのだわ)


かつて一国の王宮であった土地を守るのは、ほとんどが魔術の叡智だ。

実際に勤める人員がどれだけいるのか、ネアが目にしただけでは五十人にも満たないだろう。

それで領主館という場所の管理や運営が出来てしまうのだから、魔術の万能さには驚くしかない。


ふうっと窓に呼気を吹きかける。

白く曇った窓が、すぐに魔術に拭われて硝子などないような透明さを取り戻した。

季節感を重視する為か、一部の観賞用の窓は触れれば冷たい。

外の雪の温度を感じられるひんやりとした空気に、ネアは口元を綻ばせる。


このフロアの絨毯はロイヤルブルーだ。

こっくりとした深い青の絨毯に爪先を踏みこませ、その贅沢な感触を楽しむ。

しっかりとついた足跡がすぐに消えるのが面白くて、謎に何度か遊んでしまった。


「ネア…………?」

「…………見てしまいましたね」


そろりと振り返ると魔物は少しびくりとしたが、犯行を誤魔化そうとしたご主人様に体当たりされ頬を染めた。

無駄にぎゅうっと両手で拘束されたが、幸せな気持ちなので叱らないでやろう。


「何を着ていくか決まったかい?」

「淡い水色のドレスにします。儀礼用に作ってもらった白いケープとお揃いの手袋も使えますし、ラムネルのコートも合う色ですから」


特別な日に薔薇のロージェに入るのだ。

珍しくネアも、気合を入れてお洒落しようした結果、思考の迷路に入り込んでしまい、館内の短い散歩に出たところだった。


「淡い水色なら、そのケープの余りの毛皮で作った白いコートもあるよ」

「…………なぬ」


ネアは耳慣れない情報に愕然とした。


「初耳です…………」

「水竜の毛皮だから、ラムネルと同じくらい防寒には優れているよ。水色が好きなら、雪狐の毛皮のコートもあるし」



ネアは、初めて知る事実に声を失うばかりだった。

どうやら、気を抜くとコートも増えるシステムのようだ。






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