バベルクレアの夜から
信仰の魔物が無事に戻ったこともあり、イブメリアは、バベルクレアの日から再度のカウントダウンに入った。
「………バベルクレアか」
やっと祝祭の運行が再開したのに何故かエーダリアが項垂れているのは、ウィームのバベルクレアは、夜に花火を打ち上げるのがしきたりだからだ。
古くより王族が魔術に長けていたウィームでは、最後の花火を王族が演出する。
その風習は今も引き継がれており、先日のバベルクレアの夜は、エーダリアが見事な花火を演出した。
万華鏡のように幾度も色を変え、最後に薔薇の花を降らせたその花火は近年最高の出来とまで言われている。
「あの花火はとても好評だったと聞きました。どうしてそんなに落ち込んでおられるのですか?」
「……一度きりだから盛り上がるんだ。二度目ともなると、評価が少し落ちる」
「後ろ向きですねぇ。きっと、もう一度見ることが出来て嬉しいという人の方が圧倒的に多いですよ」
「総票数は変わらないだろう。そこから引かれるだけではないか」
「うじうじしていると失敗してしまいますよ?」
「やめてくれ、縁起でもない!」
「でしたら、大らかな気持ちで二度目を楽しんで下さい。もう一度あの美味しいローストビーフも食べれることですし」
「……お前の興味はそこにしか向いてないだろう」
「そんなことはありません。エーダリア様の花火もとても楽しみにしています。あの、最後の明るい菫色と水色のところが綺麗でしたよね」
「そうか!あの紫系統で明るく見せるというところがだな、中々に厄介な術式になっていて…」
うっかり魔術師な上司の変なスイッチを入れてしまったネアは、その後、長時間に渡って花火の解説をされてしまうことになった。
やる気を取り戻してくれたのは嬉しいが、さすがに長かったとよろよろしながら執務室から出てくれば、待っていたヒルドがすかさず手を貸してくれる。
「……ご安心下さい。花火について熱く語っていただいたところ、やる気が戻りました」
「申し訳ありません。お手数をおかけしました。エーダリア様は、魔術に関する事に対していささか完璧主義なところがありまして………」
魔術の成就には術師の精神状態も反映されるそうなので、ヒルドは、そんな教え子を心配していたのだろう。
ウィーム領主を再びやる気にしてくれたと感謝されたが、祝祭儀式への参加が免除された結果、明日からは休暇で今夜はローストビーフと花火が控えているネアは、とても優しい気持ちに満ち溢れている。
ガゼットの事件で一度は諦めた祝祭に、こうして参加出来るというだけでも嬉しいのだ。
「ですが、エーダリア様がこんな風に神経質なられるのは、少し意外でした」
「元々、慎重過ぎる部分もある方でしたからね。ネア様が来られてからは、規定外の対応にも慣れてきたと思っていたのですが、妙なところでぶり返したようです」
花火打ち合わせがあるらしくヒルドは遠い目で執務室に入っていったが、大聖堂に放り込まれた信仰の魔物を厳しく躾けた翌日なので、あまり無理をさせないであげて欲しい。
ようやくボランティアから解放されたネアは、そんな思いでヒルドを見送る。
回廊を歩いて部屋に戻る途中、一足早く長期休暇に入ったゼノーシュに出会った。
今夜も街に出て屋台を楽しむそうだ。
「ゼノ、お出かけですか?」
「うん。夕方までグラストの屋敷に行ってくる。イブメリアで使用人の人達も少し帰省してるし、今なら遊びに行っても平気みたい」
「それは楽しみですね。お家に招待されるなんて、家族のようではありませんか」
「……家族!」
嬉しそうに微笑んで、ゼノーシュはもじもじする。
あれ、会話が終わったのに動かないなと思っていたネアは、大切な儀式を忘れていたことに気付いた。
「ゼノ、クッキーですよ」
「紅茶……」
「紅茶は苦手でしたか?グラストさんがチョコレートクッキーを缶で買うと伺ったので、種類を変えてみました」
「ううん。僕ね、これ好きなんだ」
「良かったです!また差し上げますね」
戦利品のクッキーを五袋持って去って行くクッキーモンスターを見送り、ネアは小さく弾んだ。
以前に一度、オレンジのクッキーを与えたところ、ゼノーシュの反応が芳しくなかったのだ。
それ以来、新作の時は少しはらはらするのだが、今回は合格が出たようだ。
ご機嫌度を上げてネアが部屋に戻ると、部屋では、なぜかディノが巣の改造を行っていた。
「……ディノ、増設工事ですか?」
毛布妖怪の毛布の山には、謎の巨大クッションが増えている。
毛皮のカバーをつけた円形のもので、二箇所のタッセルがとてもお洒落だ。
淡い真珠色に、セージグリーンのタッセルの配色は、ディノによく似合う色合いだった。
「うん。これがあると、眠らない時も横になれるからね」
「長椅子もありますよ?」
「体が直線になるのは、どうなのかな…………」
だから、寝台に上げると、ネアの上に乗り上げていることが多いのだろうか。
首を傾げたネアに、魔物はふわりと微笑んだ。
「さては、体を伸ばすのが嫌いなのですか?」
「何か抱えてる方がいいかな」
「……抱き枕的な」
今度、寝台に上げる時用に抱き枕を買ってあげよう。
(だから、椅子になるのも好きなのかな?)
単純に変態だからではないのだとすると、あまり厳しくせずに程々に与えてやらないと病むだろう。
ネアは、慎重に観察を続けるという前提で、こちらの可能性も思案しておくことにした。
ご主人様がそんなことを考えている内に、毛布とクッションはうまく融合し、新しい巣が出来上がったようだ。
さすがの色彩感覚で、これだけの雑多さでありながらどこか上品な色合わせである。
ネアは、隣のディノの寝室から巣が移設される時には、寝台ごと移動するものだと思っていた。
しかしディノは、毛布だけを運び込んだのだ。慌て下に敷くものを探し、異国の寝台だという、膝下くらいの低い台を購入したところ、ディノは喜んでその上に巣作っている。
何とか床に住むのだけは阻止したつもりのネアに対し、ディノはどうやら、御主人様からの資金援助もあって巣への愛着を深めていたようだ。
毛布が洗濯に出されたり、アルテアに巣を解体されたりもしたので、今はとても厳重な警備が敷かれているらしい。そ
れに気付いた意地悪な人間が巣に手を出すポーズを取ると、悲しそうに震えるので、ついつい遊んでしまうネアは反省していた。
「ディノ、今夜はどうしましょう?」
「花火を見る場所かい?ネアの行きたいところでいいよ」
「では、またこの前の屋根の上がいいです!」
「…………二人だから?」
「そうですね、二人でじっくり見ましょう」
「ご主人様!」
嬉しそうに微笑む魔物に、ネアも嬉しくなる。
美しいものが幸せそうにしている姿はとても眼福だった。
後で少しだけ髪の毛を引っ張ってあげよう。
ところが、今回のバベルクレアは二人での花火鑑賞とはならなかった。
「何でいるんだろう」
「ディノ、私を見ないで下さい。呼んでいませんよ」
今夜のリーエンベルクの屋根の上には、魔物の影が二つ増えていた。
ぎりぎりと眉間の皺を深くするネアに、その元凶は赤紫の瞳を細めて愉快そうに笑う。
「前夜祭の花火を、レイラと屋内から見るのは御免だからな」
勝手に増やされた椅子に座っているのは、アルテアだ。
どうやら聖堂にダリルだけを残して逃げ出してきたようなので、明日あたり報復されてしまうだろう。
なお、ネアが初めて見る服装は、しっとりとした艶感のある青みの深緑のセーターに帽子、乗馬用のチャコールグレーのズボンに編み上げの焦茶のブーツ。
白地に同色の織り模様があるマフラーを首にかけ、洒落者の貴族の休日仕様といったところだ。
「アルテアさんの服装が、休日の貴族の冬狩り仕様なのは何故でしょう?」
「……………ダリルがドレス姿だからな。並びたくない。あいつの使っている色もなしだ」
しみじみと答える言葉には苦渋が滲むので、無邪気な誰かに、お似合いの二人だとでも言われてしまったのだろう。
それを嫌がってダリルのドレスと揃わない服装に切り替えたようだ。
(色もということは、ダリルさんはわざとアルテアさんが好きそうな色のドレスを着ていたんだろうな…………。きっと、反発しながらもダリルさんを無視出来ないレイラさんにも、有効だったに違いない)
ドレスの色だけで選択の魔物を弱らせ、尚且つ、仕事を投げ出した信仰の魔物をむしゃくしゃさせたのだと思えば、たいへん邪悪な妖精具合である。
ネアは、邪悪な書架妖精を密かにとても尊敬し始めていた。
「ウィリアムさんは、どうしてこちらにいらっしゃったのですか?」
アルテアの隣に立っているウィリアムもまた、少し疲れた顔をしていた。
彼はいつも通りの騎士服姿だが、よく見ると片袖を捲っていたりと、いかにも仕事中に立ち寄った感が強い。
「アルテアから、大切な用があると呼ばれたんだが、……恐らく、道連れにされたようだな」
「さては、一人で押しかける勇気がなくて、ウィリアムさんを共犯にしたのですね」
ネアから非難の目を向けられて、アルテアは器用に片眉を持ち上げて微笑む。
「シルハーンが、イブメリアが終わるまでは看守役をしろと、この街に閉じ込めてくれたお陰で楽しみが少ないからな」
「君は統括の魔物だからね。数日くらい貢献してもいいだろう」
「そうですよ、アルテアさん。罪を償うべきです」
さすがの終焉の魔物は、そのネアの言葉がレイラ絡みだけではないと、すぐに見抜いた。
おやっという顔をしてから、一度アルテアの方に視線を向け、何かを確信した様子のウィリアムは呆れ顔になる。
「ネア、アルテアに何かされたのか?」
「蜘蛛の形をした動くお手紙をいただきました。私はそやつに脅かされて転倒し、背中と心に傷を負った次第です」
「わかった。今度、報復しておこう」
「おい、その刑罰として信仰のおもりを引き受けたんだろうが。二重罰則にするなよ」
ウィリアムの微笑みが完全に怖い類のものだったので、アルテアは異論を申し立てたが、残念ながら反省の気配が窺えないので、一度きちんと叱られるといい。
「そもそも、仕事中に強引な理由で呼び出されたんです。椅子くらいは用意して然るべきでは?」
「どうせ、ガゼット周りの新興国で、また死者の行進の見張りをしていただけだろう」
「レイラの面倒も見れないアルテアに、簡単に言われたくないですね」
このままでは花火の邪魔になる。
空気を読んだネアは、長椅子の自分の隣のスペースをウィリアムに勧めようとした。
「ウィリアムさん、こちらに座れますよ?」
「………ウィリアムには狭いと思うよ」
「ディノ、ウィリアムさんは被害者ですよ?」
「ネア、その椅子はシルハーンと座っていてくれ。アルテアには甲斐性がないようだから、座る場所くらい自分でどうにかするよ」
そう苦笑したウィリアムは、自分でどこからともなく取り出した椅子に腰掛ける。
アルテアの装飾的な椅子と違い、簡素な木の椅子だ。
ネアとしては逆に、雪の積もった屋根の上で滑らないのかと心配になってしまう。
(ふう。どうにか開始前に落ち着いたかな)
「……居座るのか」
しかし、ディノの目が虚ろになってしまったので、ネアは慌てて三つ編みを引っ張ることになった。
変態の改善とは真逆の行為だが、不憫なのは確かだし、ここは諦めるしかない。
幸い、何度か引っ張ると、唇の端を綻ばせてくれた。
「ほら、ディノ。最初の花火ですよ」
空いっぱいに、大きな金色の花火が打ち上がる。
「……こういう花火を見たのは初めてだな」
ウィリアムがぽつりと呟く。
「こういう花火、でしょうか?」
「俺が見るのは、革命終わりの簡素な花火や、終戦の記念花火くらいだからな」
ウィリアムから、戦乱や死の影のない祝い事の花火を見るのは初めてだと聞いて、ネアは何とも言えない気持ちになる。
老獪なくせに、彼等はなんて稚いのだろう。
押し掛けてきて一緒に花火を見ようとしているアルテアだって、よく考えれば可愛らしいものだ。
街を明るく照らし上げる花火を見ながら、そんな隣人たちの愛おしさに小さく微笑んだ。
「ポットで持って来ているので、お二人共ホットワインでも飲みますか?なお、カップはご自身で用意して下さいね」
その時、ついついお客を甘やかしてしまったネアは、すっかり臍を曲げた魔物の為に、巣から引き摺り出す儀式を深夜に執り行うことになる。
最後の花火では、エーダリアは即興で薔薇の他に椿の花も降らせ、この年二度目のバベルクレアは喝采と共に幕を下ろした。